46年前 昭和46年の飯田線合宿(1)

やや乗り遅れた感のある投稿になりましたが、総本家青信号特派員氏、wakuhiro氏などが飯田線の懐かしい力作を連発され、昭和46年の飯田線合宿を思い出しながら拝見しました。当時撮影したネガは手元にあるものの、殆どプリントすることなく眠っていましたので、丁度良い機会と思いスキャンしてデータ化することにしました。予想した通り、特派員氏の作品のような情景をうまく切り取った写真はなく、また駅撮りのイージーなものが大半でしたが、当時の雰囲気がわかればそれも良いかと思い、投稿することにしました。ここで昭和46年11月25日発行の「青信号27号」にKo氏、Ki氏が寄稿された「飯田線 温田合宿の巻」が貴重な行動記録として役に立ちました。では車中1泊+温田ユース1泊の短期合宿ではありましたが、旅程に沿って撮影した拙作をご紹介したいと思います。旅は46年前の昭和46年7月25日の夜の大垣行きの113系で始まり、大垣駅で仮眠後、大垣発3:26、豊橋着6:01着という、若さあふれたスケジュールだったようです。写真は早朝の豊橋駅から始まります。

昭和46年7月26日 飯田線625M クハ68(車番不明)

同 クモハ51(車番不明)。ホームの台車に乗っているのは何?

この電車で飯田線に入り、まずは鳥居・長篠城間の豊川鉄橋で1本撮っています。

豊川鉄橋

どこの駅か不明。左はどですかでん氏?

窓下のサボ

多分同じ駅。なぜか車掌(運転士?)さんがヤカンを手にしている。

中部天竜駅にて。パンタをおろしたED1715+ED1710

中部天竜駅。クハユニ56を先頭にした列車が到着。

このあたりから雨は本降りになり、写欲がそがれました。

中部天竜名物 サエ9320

中部天竜駅。電車の向こうはEF10

この日は温田に向かい、温田ユースで1泊したようです。(続く)

3 thoughts on “46年前 昭和46年の飯田線合宿(1)

  1. 西村様 4枚目の写真は推察通りに私です。そして右横には「青信号27号」の「飯田線 温田合宿の巻」を執筆したKo氏です。駅は三河川合駅だと思います。車掌(車掌で間違いありません。)がヤカンを持っている電車の進入してくるところの写真があります。ところで、大垣駅ではほとんど寝てないような気がしているのですが・・・とにかく面白い合宿でした。

    • どですかでん様
      三河河合駅とのこと、交換待ちのヒトコマなのでしょうね。大垣駅の件ですが、青信号によれば蚊の襲来で寝られなかったとありますが、全く覚えていません。この合宿は雨に降られて気落ちした印象が強く、その他の記憶が飛んでしまっています。もう46年も前のことですから仕方ないですが。貴君も是非相乗り投稿をしてください。

  2. 懐かしいですねえ。小生も参加させて貰った記憶があります。昭和45年にすでにDRFCを卒業していましたが、この合宿に今出川浄福寺さまと参加しています。初日集合まで鳥居や長篠城付近で80系急行伊那号等を撮り温田に向かいました。確か午後まで雨模様だったと記憶します。夕刻集合地の温田駅を通過するED183号機(?)を8mmで撮影しています。
    翌日はどう行動したのかはっきり憶えていませんが、金野か千代辺りで撮ってから総本家特派員さんから紹介のあった田切~伊那福岡間のΩカーブに移動したようです。この鉄橋で何を撮ったか記憶は全くありませんが、飯田線東側の国道の橋梁工事をやっていて、ダイナマイトの発破後に線路付近までコンクリの破片が飛んで来たので、慌てて退避したことだけははっきりと覚えています。
    小生と浄福寺さんはその後小海線清里へと移動し、翌日午前にC56の牽く貨物を撮影後、夏季だけの野辺山発名古屋行臨時急行で帰京しました。
    懐かしい青春の一コマを甦らせて頂き有難うございました。続編を楽しみにしています。

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