紅葉の赤沢森林鉄道 2017年 Part1 中央西線を撮る

小竹先生と中国鉄ちゃん仲間との写真展に行った折に見学に来られていた神谷武志さんから赤沢森林鉄道のボールドウィン号の夜撮をするので参加しないかとお誘いを受けました。実は以前にざっくりした計画のお誘いメールを受け取ってはいたのですがその後に詳細が来なかったため、問い合わせもしないでいました。
紅葉の鉄道写真は11月になったら撮りに行こうと思っていましたが、赤沢ならそろそろ紅葉を迎えている頃です。同じメンバーのW田さんも奈良から来られるという事なので一緒に車に乗って行くことにしました。

赤沢森林鉄道は2000年の5月15日の新緑の季節に行きましたので7年ぶりの訪問です。次回は紅葉時に訪問したいと思っていましたので望みどおりです。

10月21日 その1
深夜の01:15 仕事を終えてW田さんが車で我が家に到着、ぶんしゅう7号に撮影機材を乗せ換えての出発でした。京都南ICから高速に入って東へと向かいます。
▲ 自宅からのマップです。距離は約275㌔、所要時間は約4時間半ですが、途中で車中泊しますので現地到着はお昼前の予定です。

草津PAで給油、車内泊宿営地は恵那SAまで行きたかったのですが、午前4時過ぎに睡魔がきて手前の屏風山PAに変更となりました。私はぶんしゅう7号上段寝台に上がって、W田さんは下段寝台での就寝でした。

8:20 爆睡の中、W田さんにたたき起こされました。今日の予定は、東京からバスで来られる本隊とは昼過ぎ頃に合流予定ですのでそれまでは中央西線の貨物列車を撮ろうと申されます。しかし正確な運行ダイヤが分かっていません。9時半ころに上松辺りを走っているらしいと申されますが、それでは間に合うか難しい時間です。とにかく行ってみようと、急いで向かうことにしました。中央自動車道は中津川ICで降りて国道19号線を塩尻方向へと北上します。世界各地、日本中も行かれておられるW田さんですが聞けば中央西線は初めてで撮影地は分からないと、持って来られたご自身も投稿の常連、「お立ち台通信」を見ながら撮影場所を探されます。決まったのは薮原で、所要距離約60㌔強、約1時間余りの行程です。

9:20 藪原駅を目指してR19を快走しますが、まず我々の前を走っているだろう貨物列車を追い越さなければなりません。時間からしてもう難しいと嘆かれるW田さんでしたが、須原駅で交換待ちして止まっているEF64重連の貨物列車を捉えました。W田さん、安堵の雄叫びを上げられて、運転している私もほっとです。

▲ 上のダイヤグラムはこちらのHPから抽出したものです。帰ってから見つけましたが、行く前に見ていれば焦ることもなかったです。
今回は須原~倉本で撮りましたが、撮ってすぐに追っかければもう一度撮れるチャンスもありました。

▲ 撮影地 須原~倉本 Google座標;35.724391, 137.715978
須原発の時刻が分からないのでインカーブしているサークルK後方の築堤を選び、駆け上がりました。後から地元の人らしい鉄おじさんも来られましたので、そこそこの撮影地だったようです。
中央西線のこの区間は単線です。
9:30、築堤を駆け上がって最初に来たのは、松本発中津川行の1824M普通列車、貨物列車とは須原で列車交換するようです。それなら貨物列車が来るまでにはまだ少し時間があるようです。程よい撮影地点を探して待つことにしました。
▲ 9:40 10分後、タンク車を牽引してEF64 1002先頭の重連貨物6883列車がやってきました。

【 中央西線撮影の思い出 】
思い起こせば中央西線の撮影は1970年(昭和45年)以来47年ぶりでした。当時は名古屋から中津川までが1973年7月に電化完成していましたが、塩尻までの94.9㌔はまだ未電化でD51形蒸気機関車が多数、旅客・貨物列車に運用されて活躍していました。

① 京都21:07(臨時急行ちくま2号)⇒4:08藪原
一緒に行った相棒は近くに住まいするDRFCの玉城君、京都駅から乗り込んだ臨時急行ちくま2号は、当時ブームが始まってきたスキー客で超満員。名古屋までの3時間は寒いデッキで立ち続けての乗車です。スキー人口が衰退してシュプール号までなくなった今では考えられない事でした。名古屋では3両の増結車が連結されたので車両移動で着席、ようやく寒さからは解放されましたが、若かったから我慢できたのでしょうね。
二人が目指したのはサミットの鳥居峠です。藪原到着時はまだ夜明け前の闇の中で待合室の石油ストーブにかじりついて朝を待ちました。
何処でも寝られるという相棒は直ぐに爆睡、私の方は呆れて寝られずひたすら夜明けを待ちました。外気温はマイナス8℃まで下がっていました。

▲ 6:45、夜明けがきました。始発の上松始発松本行きの821ㇾ撮影のために待合室を出発して凍てつく道を歩き最初の踏切で発車を捉えました。山間の駅に1本の煙の柱が立ってドレーンを噴き上げて発車です。
【DATA】アサヒペンタックスS2 タクマー55㎜F2、絞り2.8、1/15秒、トライX、 三脚使用

▲ 7:09 続いて2番線で待機中だったD51402号機牽引の貨物2683列車の発車です。同じく爆煙を空高く噴き上げて行きました。
【DATA】アサヒペンタックスS2 タクマー135㎜F3.5、絞り5.6、1/30秒、トライX、 三脚使用

▲ 8:06 中津川市発塩尻行きの823列車の発車は線路間際の側壁からの撮影です。牽引機はD51787号機です。

▲ 10:20 名古屋始発長野行きの荷物車3両先頭の普通825列車D51266号機牽引で向かいます。
【DATA】アサヒペンタックスS2 タクマー135㎜F3.5、絞り11、1/250秒、トライX

▲ 12:10 藪原~奈良井 8.6㌔、中央西線のサミット鳥居峠をD51430+D51450号機の重連で駆け上がる長大編成の667貨物列車。昼間に撮れる重連貨物列車はこれ1本だけでした。
【DATA】アサヒペンタックスS2 タクマー55㎜F2、絞り11、1/500秒、トライX

▲ 短い編成の貨物691列車は単機、今日はD51171号機が牽引しています。

▲ 16:00 名古屋始発長野行きの普通829列車。当時は長野まで2本、松本まで1本、塩尻までは好んでよく乗車したD51重連831列車を含め2本の長距離普通列車がありましたが、今は1本もありません。そして所要時間は短縮されましたが、最低2回以上の乗継が必要です。

この日はこれで切り上げて宿泊地の国鉄塩尻宿泊所に向かいました。昼食は飯盒とバーナーを持っていきましたので雪を溶かしてインスタントラーメンを作って食べたのを覚えています。コンビニなんかない時代でした。早朝から開いている店もなく、これがいつもの撮影時の昼食でした。
次の日は塩尻機関区を見学した後、日出塩~洗馬~塩尻を歩き撮影しました。そしてその後はいつも訪れる小海線・清里へと向かいました。

▲ 10:19 上松駅に到着。昔車窓から駅構内を見た時にはまだ森林鉄道の車両たちが見えましたが遠い昔の思い出になっていました。
左に止まっているのは、クモハ373-5+サハ373-5+クハ272-5の臨時団体列車、「急行富士川」の165系の代替えとして製造された373系車両ですが、珍しく中央線に入っていました。
▲ 特急運用もできる回転リクライニングシート仕上げの車内設備になっていますがデッキはなく広い両開きドアは異質です。関西にはない車両ですので乗って見たかったです。

▲ 11:00 木曽へ来たからには「そば」を食べたいと観光協会に紹介してもらってきましたのが寛永元年創業という「越前屋」です。寛永元年は1624年ですので393年前、歴史ある寿命そばを美味しく味あいました。2段になっていますがこれで一人前(1,240円)です。

12:00 赤沢森林鉄道までは、所要時間約30分余り、7年ぶりの旧トロッコ鉄道路線跡を走り赤沢森林公園に到着しました。
東京からの本隊到着は13時過ぎ頃と連絡が入りました。お腹も膨れましたのでそれまではお昼寝です。ぶんしゅう7号の屋根を持ち上げて上段寝台を設営してしばしの休眠としました。  Part 2へ続く

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