ホントたくさんの写真を撮ってきました。しかも数が減ったとは言え、今も増殖中です。試しに今までの撮影分を一日一枚ずつデジ青に載せていくと、完了までに480年間かかるという試算が出ました。その意味もあって、大海の一滴に過ぎませんが、一日一投、セッセと続けています。
むかし、故・沖中忠順さんが、OB会が写真提供した単行本の座談会に登場されて「37枚目の写真」の効用について語っておられました。「37枚目」、フィルム世代なら分かります。36枚撮りフィルムは少し余裕があって、もう一枚は余分に撮れました。ただ次の撮影もあって、何でもない光景を撮ってから、フィルム交換したものです。帳尻合わせで撮った適当な写真ゆえ、今まで顧みることもありませんでした。ところが、37枚目も100枚集まると、いくつかのテーマ性が出て来るのです。これも、たくさん撮ってきたからこそです。
その37枚目は、駅で撮ることがありました。撮影を終えて駅に戻り、ひと息ついて、つぎの列車に乗るまでの時間を利用して、フィルム交換したのでしょう。適当に撮った写真ですが、「駅」こそ、その時代を映す現場だったと思います。「駅」×「37枚目」の物語です。
▲「世保」と読める行き先案内、6番ホーム、側線には「あかつき」電源車のマヤ20、向こうにはED76も見える。そう、ここは深夜の鳥栖駅ホーム。前後の写真から判断して、鹿児島本線夜行鈍行の1122レに乗って鳥栖に4:25着、4:53発の佐世保行き425Dを待っているところと判明した。左の25・55系DCが、その425Dかも知れない。なお6:10と読める行き先案内は急行「西海1号」のもの。網がかけられた手小荷物も一緒に載せられるのだろうか。起き抜けで、まだ朦朧とした自分の姿も想像できるような「37枚目」だった(昭和45年9月)。