九州編 〈14〉蒸機が後押しする急行列車
最後は、何度も訪れて、愛着のあった筑豊本線の列車をいくつかを紹介します。以前にも述べましたが、北九州~鳥栖には、鹿児島本線と筑豊本線の二つの経路がありました。優等列車は、途中に博多が所在する鹿児島本線経由ですが、当時の筑豊本線には石炭で繫栄する直方、飯塚があり、路線長にしても、単線・勾配区間があるものの、筑豊本線がわずかに短かく、一部の優等列車は筑豊本線を経由していました。
▲大阪~熊本の急行「天草」が、博多には寄らない筑豊本線経由の列車だった。蒸機ばかりの筑豊本線にあって、「天草」は唯一、鳥栖区のDD51が牽引する列車だった。ただ、筑前内野~筑前山家には冷水峠があって、冷水トンネルの前後に25‰勾配が連続する。さしものDD51でも客車10両では苦しく、飯塚からはD60が後補機が連結された。客車の編成にも興味が湧いて来る(昭和43年3月、筑前内野~筑前山家)。




















た両荷物台付きの半鋼製ガソリンカーでした。昭和初期、地方私鉄のガソリンカーも大型化してボギー車となりますが、大型化に踏み切れずに、単車、ボギーを折半した片ボギーとして誕生したのでしょうか。ほかにも、中小私鉄のガソリンカーには、いくつかの導入例があり、客車や電車でも片ボギーがあり、それらもガソリンカーからの改造だそうです。
