前回投稿してから随分と経ってしまいました。1年間動き回ったので全身点検に行きましたら、即日入庫を命じられ軟禁状態となりました。加えて、車庫内感染で約40度の高熱を発症し絶対安静です。今年は最後までいろいろと予期せぬ遭遇にあいます。とうとう開放は、年末となってしまいました。勿論こんな半月以上におよぶ入庫は初めての経験です。今日は朝から雪の降る1日でした。総本家青信号特派員のようにカメラを持って出かけたいところですが、自由の身となってもこれからの予定を考慮すると、年末年始だけでもおとなしくせざるを得なく残念です。
「紀行文」カテゴリーアーカイブ
大連に行ってきました。
先週の金曜日から日曜日にかけて、会社の旅行で大連に行ってきました。
土曜日一日自由行動の時間がありましたので、午前中は、満鉄本社とアジア号。午後は、バス約一時間かけて旅順まで行き、「坂の上の雲」で話題の二百三高地や水師営などを見学した後、一日二往復しかない列車で、二時間弱かけて戻ってきました。
朝一番に、宿泊したフラマホテルから歩いて10分ほどの旧満鉄本社にある満鉄の資料館へ。事前に調べたところ、無休とのことでしたがカギがかかっており開いていません。棟続き隣に行っても、手で追っ払われる始末。そうこうしている内、駄目もとでガイドブックに書かれていたところに電話をしたところ、日本語のできる方が出て、やっとカギを開けてくれました。ひとり入場料として50元払って入場。中では、日本語がとても上手なガイドさんが付っきりで、満鉄の歴史をガイドしてくれました。
展示物がある部屋は、撮影禁止でしたが、総裁室は撮影可能でした。
そののち、金庫や会議室を見学。満鉄のグッズがあるみやげ物販売コーナーへ。
残念ながら、どれもなかなかのお値段で手が出せませんでした。一つだけ満鉄のマークが入った帽子掛けを3000円で購入しました。
旧満鉄本社を後にして、タクシー(8元)で勝利橋をわたり、パシナが保存されている鉄路錫炉安装工程公司へ。
アーチをくぐった先の扇形庫の中に、お目当てのパシナが居ます。ここもカギがかかっており、カギを開けて見学させてもらうのに50元かかります。カギを開けるだけで何の案内もなく、50元もとられます。きっと、ここの人たちのこずかいとなっているのでしょう。それにしても高いです。
雨の当たらない庫に入っていますが、撮影に不向きです。なんとか前面だけは、撮影できました。
運転台にも上れますが、やはり日本のSLと比べると一回りも二回りも大きい感じです。
感動のパシナの見学ののち、再びタクシー(8元)で、大連駅に出て、バス(7元)で旅順に・・・駅前で交渉して、戦跡めぐりのタクシーをチャーター約3時間で100元です。
最後は、中国で現存する最古駅舎といわれる旅順駅に車をつけてもらい、大連から来る快速 K7329次の到着を待ちます。定刻は、旅順着15:58ですが、少し遅れて到着しました。


到着後、機回しして、旅順発16:25 大連着18:14の普快6332次となります。編成は、前から6両硬臥+1両軟臥+6両硬座+1両行李車の14両編成です。長距離列車の間合い運用のようで、旅順~大連に関係ないようなサボがつけられていました。
旅順大連間の硬座は、4.5元で、硬臥や軟臥には、乗車できないようでした。車内では、地元民がトランプ賭博をやっており、さながらギャンブルカー状態でした。
定刻に、大連に到着。隣には、和諧と書かれたHX30680という電気機関車に牽引された快速 ウルムチ行が停車していました。
いつか、機会があったら乗ってみたいものです。
墓参りに行って来ました
当掲示板に近頃、「高野山」の話題がたくさん見受けられます。米手作市さんが旧婚旅行に出かけたり、乙訓の老人が『関西の電車巡察』で巡ったり、はたまた青信号特派員さんによる「厠」の話などなど・・・。遅ればせじと「元祖高野山 」も墓参りに行って来ました。例年5月の中旬、寺の特別天然記念物・石楠花(シャクナゲ)が満開となる頃に出かけるのですが、本年は叶わず、延びに延びて、とうとう11月28日(日)になってしまいました。秋の高野山1day チケット最終日の3日前でした。買っておいた代金3,000円券を払い戻すと、何もせずに500円失うのが勿体なくて、重い腰を上げました。
先週と違って、この日は曇り空、肌寒い日でした。阪急塚口を午前6時23分、快速急行にて出発。地下鉄を乗り継ぎ、難波発7時12分橋本行きに乗車。車両は6000系。車齢40年を越えた車両とか。いかにも重そうで、幅広の片開き扉だが、開閉は比較的にスムーズに見えました。橋本着8時2分。
8時6分発に乗り替え、44分極楽橋着、ケーブルで54分高野山着。山上バスで今日は真っすぐに奥の院バス停へ。高野槇を500円で買い、裏参道を急ぐ。公園墓付近を左に折れ参道に入る。丁度芭蕉碑の前である。折りたたみ式手桶に水を汲み、そこから100mほどの墓に参る。参道右手、加賀前田家、伊勢藤堂家を通り過ぎて間もなく、参道の右手。小さな空き地と、美濃加納城主松平家墓所と書かれた、白い角柱標識に接して左が鶴家の墓。参道から3~4mの距離ですので、すぐに判ります。奥の院にお越しの節はどうぞお参りください。但し、『鶴』は『靍』と彫刻されています。苔がこびり付き少し見難いです。墓は明治36年(1903)の建立です。「日暮れに握手、日と英」と習い憶えた1902年の日英同盟の翌年になります。この頃神戸で羽振りの良かった曾祖父が建てたとか。南海高野線が全通80周年ですので、それより27年古いことになります。ご先祖様はどのような交通手段で登山されたのでしょうか。
ご先祖には申し訳ないが、この日は菩提寺・金剛三昧院に立ち寄らずにまっすぐにバスで高野山駅へ戻ります。10時40分発ケーブルで山を下りました。ケーブルカーは確か3代目の車両。2代目にも乗ったと思うが記憶は不確か。ケーブルカーから見えた向かいの山は紅葉していました。山上は時季外れで樹木はすっかり葉が落ち、枯れ木になって風情無しでした。
下は、先ほど山に登る時に撮影しておいた勾配標識ですが、最急と最緩の勾配標識を見落としました。南海電鉄のホームページによると、最急は562.8‰、斜度29度22分、最緩は273.9‰、同15度19分とか。同じ事を考える人もいるもので、乙訓の老人も8年ほど前に乗った時、順番に撮影したそうです。
下は、2008年6月、新緑の頃、下りのケーブルカーです。緑豊かでした。これに反して今回は時季外れで、もの足りません。来年は、やはり石楠花が満開の頃に行くことにします。

極楽橋に着くと、11時26分発のこうや4号(11000系)が停車中。私は向こう側の快速急行に乗車です。まもなく下りこうや5号 (この日は30000系)が到着するので、その時には2編成が揃うことになります。
2編成が揃った2008年の時です。時刻は13時30分前後だと記憶します。向う側には乗車する2300系が見えました。
快速急行難波行きで10時49分に出発。途中紀伊細川で下り「天空1号」と交換。今日は土・休日ダイヤで運行です。今日の私の第2の目的は、天空の撮影です。
上古沢で下りこうや5号と交換。11時21分紀伊清水で下車。天空を撮影すべく、紀の川鉄橋付近まで歩くことにしました。鉄橋のこちら側に大きなカーブがあり、内側が畑で障害物が無く、良い撮影地であり、かねてから一度出かけてみたいと思っていた場所です。約2km歩いて目的場所に到着しました。上り天空2号まで30分近くあります。
乙訓の老人が、「らくさい便り」で『天空の名前の由来についてtsurukame さんの解説を待とう』とかありましたが、墓があるだけで高野山密教を知る訳ではありませんので、解説できませんが、南海電車のHPで「天空」に関して曰く、『弘法大師「空海」が開いた世界遺産・高野山は、標高約900mに位置し、周りを奥深い山々に囲まれたその街並みは、まさに天空都市の趣です。列車の愛称は、その高野山が醸し出す印象に由来します』とあるから、その辺りではないでしょうか。チベットや中国の3~4,000mの高地で、天と空が迫ったような場所や都市には、よく「天空」なる表現を使うようです。高野山はそれほどの髙地ではありませんが。なお余談ながら、「天空のシンフォニア」なるパチンコ台があるとか。
間もなく「天空2号」が下ってきました。オープンデッキ設置とかで、橋本寄りのドアが開いています。外観上、少し違和感が残りました。左手方向に紀ノ川を渡って橋本駅へ、後方が紀伊清水駅。正面の山々は和泉山脈。
撮影場所を、先ほどより300m程離れた紀ノ川鉄橋の袂に移動しました。列車間隔は30本近くに1本ですが、上下ともなれば、結構頻繁に列車に巡り会いました。高野下駅折り返しの上り2300系が通過。橋本駅に向かう

そして、上り「こうや6号」です。12月からは、橋本発となり、冬季の山登り・下りはお休みの列車です。

最後に、お目当ての「下り天空3号」です。日曜午後ですが、乗車率は高いように見えました。人気の電車なのでしょうか。次回、墓参りは来年5月中旬に戻します。その時の撮影は、大変ですが中古沢の鉄橋にしようかと思います。
台湾の旧車両
いささか旧聞に属しますが、今年の6月に台湾に行きましたので賑やかし程度のものですがアップさせていただきます。関東のデカンショまつり号様とご一緒させていただきました。第一の目的は電化完成後は恐らく淘汰されるであろう旧型客車です。日本製とインド製があり、インド製は2ドア自動扉のセミクロス車で117系300番台風の車内レイアウトです。日本製はスハ44を軽量客車にしたような形です。10系客車で回転クロスの3等車があればこんなんだっただろうというような形です。花蓮発の199次に鳳林から台東まで、台東からは354次で枋寮まで乗りました。旧型客車は大井川以外では久しく乗ってなかったので懐かしく感じました。でも路盤がよいのか乗り心地も悪くなく相当とばします。
台東~枋寮の区間は大武付近が昨夏の台風で鉄橋が流され不通になっていた区間です。まだその災禍の痕が残っていましたが鉄橋が流れるくらいですから相当なものです。台湾は中央部の峻険な山から海まで短く、大雨洪水になると大変です。高雄からは台北までは座席夜行の客車急行で戻ります。グリーン車並みにリクライニングするのですが座席は座席です。寝台があればと思いました。
台北に戻ってからは、釣り掛け式の特急電車に乗ります。イギリス製のEMU100型、イタリア製のEMU300型とも固定窓のリクライニングシートで特急にふさわしい設備です。EMU100型は製造後30年足らずですがもう1編成しかないとか。こちらはM車でも遮音が効いているのか車内はいたって静かですが、EMU300型は豪快な釣り掛け音が轟き釣り掛けファンにはたまりません。名鉄7300でもはたまた80系300番台でもない不思議な世界です。
台湾の鉄道シーンは日本、英国、イタリア、韓国などさまざまな国で作られた車両が活躍し、車両だけでなく日本時代の古い駅舎もまだ大事に使われています。関空から台北までLCCも就航し、行きやすくなりました。また行ければ年明けにでも行こうと思っています。
2010年 秋の中国一人旅 Part15 南京地下鉄
第14日目 11月3日
① 上海10:00(G7010)→11:15南京
② 南京16:05(G7149)→18:04上海虹橋
今日は、滬寧高速鉄道に乗車して、南京に着きました。南京は通過した回数は数え切れないくらい多いのですが、下りた事のない街です。今回初めて下り立ち、ホームでCRH撮影後、南京地铁の初乗車を目指しました。
【南京地铁】
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2010年 秋の中国一人旅 Part14 滬寧高速鉄道
第14日目 11月3日
① 上海10:00(G7010)→11:15南京
② 南京16:05(G7149)→18:04上海虹橋
今日は、2010年7月1日に開業した滬寧高速鉄道に乗車して、往路は上海から南京へ、復路は上海虹橋行きと少しルートを変えて往復します。
【滬寧高速鉄道】

2008年7月1日、中国鉄路の中でも最も列車本数密度が高く、輸送力の限界に達している上海~南京間の打開策として、鉄道部と江蘇省、上海市は共同出資で高速旅客専用線の建設計画を立ち上げました。そして驚愕のわずか2年間で総延長300キロの路線を完成、今年2010年7月1日に開業しました。
設計最高速度は、350km/hで、21箇所の駅が設置されていますが、日本の新幹線「こだま」のように各駅停車する列車はなく、各列車とも別々の停車站を設定しています。滬寧高速鉄道の列車番号は、G7000番台が振り当てられました。南京~上海・上海虹橋間に使用される車両は当初、CRH2C、CRH3でした。 続きを読む
2010年 秋の中国一人旅 Part13 CRH380Aと滬杭高速鉄道
第13日目 11月2日
① 上海虹橋10:00(G7307)→10:45杭州
② 杭州16:00(G7320)→16:45上海虹橋
今日は、2010年10月26日に開業した滬杭高速鉄道を走行する最新のCRH380Aに乗車して、上海虹橋から杭州までを往復します。
▲ 杭州駅で配布していたパンフレットからのスキャンです。上海虹橋~杭州間には、途中7駅が設けられています。
ホテルから余裕を持って出発しましたが、地铁が後2駅を残して駅間で停車して動きません。いつものように車内放送もなく10分も過ぎると、飛行機に乗られるであろうスーツケースを持った乗客達も落ち着きがなくなってきました。何とか走り出しましたが、次の駅で全員降ろされました。車両故障だったのか、遅れたので単なる間引きのための車庫入りなのか分りませんが、とにかく余裕がなくなったのは事実です。後続列車は直ぐに来ましたが、虹橋火車站ではダッシュしている乗客もかなりいました。
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2010 年秋の中国一人旅 Part12 上海虹橋駅
第12日目 11月1日
① 天津 21:53(D341)→7:14 上海虹橋
② 地铁 虹橋火車站→東安路→ホテル
③ ホテル→地铁東安路→豫園→上海站
④ 上海站→南京路→外灘→地铁東安路→20:30ホテル
6時過ぎに目覚めて車窓を見ると、並行する在来線が見えました。眠っていて分りませんでしたがどうやら南京から7月に開業した滬寧高速鉄道に乗り入れたようで、走行速度も200km/h以上は出ています。D341次に使用されている編成は、CRH2を寝台列車用に車内を設計変更したCRH2-E形で、最高速度は250km/hです。最高速度350km/hで走行する滬寧高速鉄道を走行するのはダイヤ編成上無理がありますが、早朝の上海方面行きはCRH2-E編成のみが連続運行された最終後に最高速度350km/hのCRH2-C・CRH3・CRH380Aが走り出すように上手くダイヤ編成されています。従って、上海までに下車する客もいますが、乗車する客もいます。
6:12、D341次は无錫(無錫)に停車しました。ホームは在来線横に新たに造られています。无錫から苏州(蘇州)にかけての沿線は、水路がはり巡らされた水郷の村々が続きます。朝霧が幻想的に漂う墨絵の車窓に釘づけになりました。
▲ 停車・通過站を見てきましたが、殆どが広大で高さがある屋根付き鉄骨ドームです。軟臥下鋪の車内サービスにスリッパがありましたが、見るのは初めての赤・黄と鮮やかやカラーです。こんなところにも変化を遂げようとする中国鉄路の一端が見えます。 続きを読む
追憶の九州 一人旅 (4)
「ゲキ☆ヤス土日きっぷ」を使った九州の旅も終盤となります。日豊本線で485系を撮ったあとは、肥薩線の山線区間の再訪とします。隼人から乗る特急「はやとの風」は、日曜日とあって自由席の確保が心配でしたが、案に相違してガラガラ、木を多用した車内の設備とあいまって快適な列車の旅となりました。
途中、明治の駅舎としてブレイク中の嘉例川駅に停車すると、すごい人出に迎えられます。ところが、駅前を見ると自家用車で満杯、何のことはない、鉄道を一切利用せず、鉄道の名所を車で訪れる現実に、鉄道ブームの断片を見た思いでした。終着の吉松駅に着いて、向かいのホームの「しんぺい」に接続1分間で連絡、いよいよ肥薩線の山線区間に入って行きます。
平成16年の九州新幹線の開業時に生まれた観光列車「しんぺい」「いさぶろう」は吉松~人吉間に2往復、上りを「しんぺい」、下りを「いさぶろう」と呼びます。指定券があれば乗れる普通列車で、絶景ポイントでは停車・徐行、車載カメラからの展望ビデオの放映、真幸、矢岳、大畑の各駅では10分余りの停車、駅では地元の特産品販売、そして制服の似合うアテンダントの甲斐甲斐しい接客と、観光列車らしいサービスがたっぷり。
大畑も40年ぶりの再訪となりましたが、以前に大畑の情景に惚れ込んだTさんから、「大畑は木が茂ってあきまへんで」と聞かされていました。確かに、蒸機の時代と比べると、大畑ループは車両を超す草木が茂っていて見通しが利きません。名声を博した撮影地が最近はすっかり写せなくなったとよく聞きます。それは、人工物の構築より、むしろ草木の繁茂など自然の変化によるものが多いようです。
変化した車窓と、観光地化した山線に、かつての大畑を訪れた時の感動がなつかしく甦ってきました。

▲スイッチバックして大畑駅に進入する「しんぺい」。大畑駅の配線は昔と変化なく、通過のできないスイッチバック配線は、昔のままだった。
▲大畑駅で10分停車する「しんぺい」。キハ47、140の3両編成で、古代漆色と呼ばれるエンジのカラーが青空によく映える。
▲大畑ループを行く。歳月は自然も変えてしまった。本来なら駅までも見渡せる地点だが、見通しはほとんど利かない。
▲ループ線の矢岳寄りのカーブを登って行く1121レ、爆煙を上げるD51。大畑で迎える朝の光景は、蒸機の良さをしみじみと感じた。当時の草木の茂り方はこんなものだった。
▲1121レとは、門司港発、鹿児島本線・肥薩線・吉都線経由の都城行きの夜行鈍行だ。当時、九州にまだ多く走っていた夜行鈍行の一本。何度もお世話になった列車で、列車番号は変わっているが、戦前から走っている列車だった。冬の朝、ループ線を上がってくる1121レ、南九州とは言え、さすがに寒い。煙を編成全体に纏わりつかせながら、ループ線を上がってくる。煙の軌跡が、そのままループ線の形になって残っていた。
▲大畑駅で発車を待つD51の牽く混合列車。重装備のD51が先頭、わずか1両の客車は、本日は貴重なダブルルーフのスハフ32、その後に長大な貨車編成が続き、しんがりをまたD51が務める。
▲戻りとなる都城発門司港行き1122レが深夜の大畑駅に停車する。車内は1121レよりさらに空いていて、1両にほんの数人の乗客だった。D51と客車から洩れる光が、駅構内をほのかに照らす。これほど夜行列車の旅情があふれた列車もない。1121レ、1122レは昭和47年3月改正で消えた。
2010年 秋の中国一人旅 Part11 天津津濱軽軌、トランスロール
第11日目 10月31日
① 中山門12:20(天津津濱軽軌)→13:00秦达
② 軽軌秦达站13:05(現代電車)→13:35学園区北
③ 学園区北14:14(現代電車)→14:42軽軌秦达站
④ 秦达14:58(天津津濱軽軌)→15:38中山門
⑤ 天津21:53(D341)→7:14上海虹橋
今日は、久しぶりに天津津濱軽軌(以下;軽軌)と延伸計画があった途中の秦达站から走るトランスロールの路面電車がその後どうなっているのかを確認に訊ねてみることにした。そして今夜は夜行寝台電車で第4、第5の中国版新幹線初乗車を目指して、上海へと向かいます。
【天津津濱軽軌】
Taxi乗車で始発駅の中山門站へと向かいます。当初の予定では、軽軌が延伸され天津鉄路站まで、また天津地下鉄も天津鉄路站を中心に中心部まで開業しているはずですが、まだです。地下鉄再開業も約2年間遅れました。元々交通インフラ計画自体があいまいだったのか、工事が遅れているだけなのか分りません。市民も前の事があるので、いつ開業するか分らない。他都市が前倒しで開業しているのと比べると天津はとてもいい加減で信用できないと言います。
2010年 秋の中国一人旅 Part10 南満州鉄道(満鉄)の客車
第10日目 10月30日
① 沈阳22:21(K28)→天津6:48
② 市内14:30(Taxi)→15:45万家碼頭駅16:45→17:40市内
K25軟座寝台の快適な車内と、心地いい走行音を聞きながらの熟睡でいつもの通り6時に起床しました。夜明けの車窓を見ながら定刻の6:48天津到着です。朝日がホームに差し込んでいます。
▲ K28の車両編成は、
SS9-0080(DL)+⑮XL20676+⑭YZ351535+⑬351543+⑫351540+⑪351539+⑩CA893557+⑨RW554681+⑧YW677536+⑦677539+⑥677538+⑤677542+④677542+③677543+②677542+①677530の荷物車+硬座車4両+食堂車+軟臥車1両+硬座寝台車8両の15両編成で、今日は北京~平壌間の車両は連結されていませんでした。
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2010年 秋の中国一人旅 Part9 調兵山 その2
第9日目 10月29日
① 調兵山バスターミナル17:20(バス)→19:10沈阳站
② 沈阳22:21(K28)→天津6:48
今日も昨日同様に夜明けと共に目覚めました。王千・大明・大青行きと3列車の牽引機を確認に行きますが、昨日同様DLでがっかりです。

▲ 東風4-7720牽引の大明行きの101次。YZ92-4522は最近更新されたのか、車体も綺麗に塗装されていました。殆どの客車は中国鉄路からの中古車で、色落ちと煤けた車両が多かったので、綺麗な車両を見るのは驚きでした。
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2010年 秋の中国一人旅 Part8 調兵山
第8日目 10月28日
夜明けと共に目覚めました。6:28王千行き、6:40大明行き、7:16大青行きと連続して発車します。この牽引機関車を見ておかないと今日の運用が分らないので、急いで調兵山站に向かいました。
▲ 2010年10月現在の調兵山站発着の時刻表です。2年前と殆ど変わっていません。
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2010 年秋の中国一人旅 Part7 瀋陽地下鉄
Part6の投稿を終えてから、10月18日瀋陽鉄道博物館入場の雰囲気が何か違っているとの印象を感じたと掲載しましたが、インターネットでいろいろ調べていましたら、まだ招待客及び部内関係者のみの入館受付で一般客の受付はなく、あっても許可された団体予約に限られているとの事でした。何も知らず飛び込みで行って入場できたのは、現場の好意だったのが分りました。ご配慮をいただきましてありがとうございます。
第7日目 10月27日 その2
① ホテル9:00(Taxi)→9:38瀋陽鉄道博物館 25.4キロ
② 瀋陽鉄道博物館10:47(Taxi)→11:35ホテル 全部で153元(約1,900円)
③ ホテル13:05(Taxi)→13:10沈阳地铁青年大街站 10元(約125円)
④ 青年大街站14:03(沈阳地铁)→14:13沈阳站
⑤ 沈阳站前15:00(バス)→16:50調兵山バスターミナル 25元(約310円)
⑥ 調兵山バスターミナル16:55(相乗りTaxi)→17:15ホテル 5元(約60円)
瀋陽鉄道博物館の視察を終えて、ホテルの部屋に戻ってみると、「ゼネラルマネージャーからお会いしたい。帰られたらご連絡下さい。」と英語メーセージが封筒に入れてドア下に入っていました。
チェックアウトの支度を終えてフロントに行きますと、日本語の出来るホテルマンも待機していて、GMに連絡しました。GMからお詫びを申し上げたいので少し待ってもらえないかと言われました。丁度、昨夜インターネット予約した日本の代理店からも電話が入っていて、直接話せました。向こうにも間違った所在地地図を送った責任もあります。この件は日本に帰ってからにして、ホテル側の信用・安全についてホテル側の評価はどのように考えているかを聞きました結果、次回の宿泊は無料でスイートを提供しますのでご納得お願いしますとの返答です。ホテルの「面子」としてはこの程度のようです。冷蔵庫の飲料は勿論無料でした。ミスは誰にでもありますが、昨夜のフロント女性からは最後まで謝罪の言葉はありませんでした。典型的な中国人だから仕方ないかと思い、9月27日開業したという沈阳地铁試乗のため、ホテルマンの見送りを受けてTaxiに乗車しました。
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2010年 秋の中国一人旅 Part6 瀋陽鉄道博物館
第7日目 10月27日 その1
① ホテル9:00(Taxi)→9:38瀋陽鉄道博物館陽 25.4キロ
② 瀋陽鉄道博物館10:47(Taxi)→11:35ホテル 待ち時間を入れて往復計で153元(約1,900円)
③ ホテル13:05(Taxi)→13:10沈阳地铁青年大街站 10元(約125円)
④ 青年大街站14:03(沈阳地铁)→14:13沈阳站
⑤ 沈阳站前15:00(バス)→16:50調兵山バスターミナル 25元(約310円)
⑥ 調兵山バスターミナル16:55(相乗りTaxi)→17:15ホテル 5元(約60円)
【瀋陽鉄道博物館(沈阳鉄路陳列館)】
8:00、昨夜の事件でアップグレードされた部屋をいただきましたので、ゆっくりの起床です。窓からは、沈阳北站が一望に見えました。今日は、天津から丹东まで乗車したK189次の列車乗務員に調べてもらった「瀋陽鉄道博物館」の発見、9月27日開業した沈阳地铁1号線の試乗と、その後調兵山へと向かいます。今日は大忙しです。
荷物は整理して部屋に置いて、ホテルからTaxiに乗車しましたが、瀋陽鉄道博物館などドアボーイもTaxiの運転手も存在すら知りません。大体この付近とマーカーしてもらった地図と、達筆で書かれた私には読めぬメモだけが頼りです。助手席に座って、運転手と打合せをしてから発車です。
2010年 秋の中国一人旅 Part5 丹東(安東) 瀋丹線(安奉線)
第6日目 10月26日
丹东13:52(K7318)→18:38沈阳北(30分延着)
昨夜は、歩き疲れましたのでホテル近くの「按摩」マッサージで足と全身を2時間かけて念入りにしてもらいました。これで100元(約1,300円弱)です。身体がほぐれたのでビールを飲んで美味しい中華料理を食べようと、昼間の餃子館に行きましたが閉店でした。仕方なく街中の食堂で麺を食しました。眼の前で麺を打ってくれますのでこれも美味しくいただきました。丹東は朝鮮料理も多いのですが、やはり東北料理が好きです。
▲ 丹东站発着の列車時刻表です。撮影の際に印刷してご利用ください。
【国際列車K27の撮影】
ホテルは朝食付きですので、その前の朝の散歩に昨日撮りそこねたK27を撮影する事にしました。撮影場所は、昨日同様の駅手前の踏切にしました。徒歩約30分で到着しました。
▲ 左は踏み切りに行く途中で初めて見た三輪電動車。中々のできばえです。夏は暑いのでオープンカーにもなるのでしょうか? 右は往路に乗りたかったK27です。国際列車だけあって、最新鋭の編成です。
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2010年 秋の中国一人旅 Part4丹東 国際列車
追憶の九州 一人旅 (3)
九州で使用した切符は、前述のように、土日2日間、九州内の新幹線・特急乗り放題という「ゲキ☆ヤス土日きっぷ」でした。土日は特急に乗りまくり、座席車の夜行特急では唯一となった「ドリームにちりん」にも乗って、久しぶりの夜行体験と宿泊費節減を画策していました。
ところが、鳥栖から乗った「リレーつばめ」の車内の揺れ・室温のせいで、次第に体調が悪くなり、とても夜行に乗り通す体力・気力がなくなってしまいました。急遽、予定を変更して宿泊することにし、深夜22時過ぎ、宮崎駅に到着しました。
ホテルでゆっくり眠った翌朝は体調も戻り、未乗車区間の宮崎空港線の乗車までの約一時間を、当初は予定にはなかった大淀川河畔の撮影に当てることにしました。
▲ホテルを出て、宮崎県庁の前を通って大淀川河畔に到着する。川の流れは変わらないものの、マンションなどの大形の建築物が林立し、両岸の光景はすっかり変わってしまった。かつて、宮崎ではいちばんブランド力のあったホテルもあったはずだが、代替わりして名前が変わっている。下掲の写真とほぼ同じ、橋梁と並行する橘橋への階段から、813系を撮影する。シンボルのフェニックスに樹勢が衰えたせいか、それとも背後の高層建物のせいか、南国宮崎の表現としては、いささか弱かった。
▲現在の大淀川での注目列車は、来年3月の九州新幹線の全通で、一部の撤退が予想される485系だろう。九州の485系は、大分車両センターに主に3両編成が、鹿児島総合車両所に主に5両編成があり、「ひゅうが」「にちりん」「きりしま」に運用されるほか、この写真のように、ホームライナーにも使用されている。例によってド派手な塗色であるが、実際見るとそれほど違和感もない。赤・クリームの国鉄色が1編成あり、つい先ごろもう1編成も国鉄色に戻され、この日の午後には、国鉄色同士の交換を見ることができた。
▲40年前の大淀川橋梁、この近くにユースホステルが3軒あって、早めに起きて朝食前に散歩がてら河畔に行き、当時から定番であった、フェニックスを入れて、C57の牽く列車を何度も狙ったものだ。橋梁は、南北にあるため、朝夕のシルエット撮影には格好の撮影地であったが、何度行っても雨が曇天だった。ようやく果たせたのは、大学も終わりに近い4年の冬休みだった。
▲大淀川のある宮崎~南宮崎間は、区間列車もあって、列車本数の多いところであった。気動車列車もあり、このような、キハユニ16を先頭にしたキハ20×3の4両編成もあった。当時でも、電気式気動車をルーツとする湘南顔の気動車はかなり珍しかった。キハユニ16は、もとキハ44100で、運転台なしの中間車キハ44200を挟んだ3両編成となり、蒸機ばっかりの九州に初めて配属された。九州の無煙化を実現した車両であり、記念すべき車両の唯一の残党だった。
秋の中国一人旅2010年 Part3 天津→丹東 K188/189乗車紀行
第4・5日目 10月24・25日
① ホテル11:30(Taxi)→11:50天津站
② 天津12:58(K189/189)→5:02丹東 1,004キロ 所要時間16時間14分
昨夜は、日本料理屋で朋友と久方ぶりに深酒しましたので、起床はゆっくりです。発車1時間前には天津站に着きましたので、朝食兼昼食を駅前の天津名物の肉饅頭屋で食しました。外に出ると雨が降りだしていました。

夜行列車乗車用に売店でビール・白酒やソーセージ類を買い出して、待合ロビーの電光掲示板を見ますと10分延です。このK189/189次(列車)は、上海始発で北朝鮮国境の丹東までの2,330キロを所要時間34時間32分、表定速度67.5km/hで結びます。天津からは、表定速度61.8km/hでゆっくりと向かいます。
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2010年 秋の中国一人旅 Part2 天津駅での切符購入の難しさ
第2・3日目 10月22・23日 天津滞在
ホテルで朝食後、散歩がてらに駐在時いつも航空券を購入していた近くのJAL天津事務所を訪問しました。「お久しぶりです。」と、丁重なご挨拶を受け、最近情報を聞きましたが、「中国内では報道されていませんが不穏な動きがあるので、滞在・旅行者は充分注意をするよう領事館から指導を受けている。私もよく日本人か韓国人かを聞かれる事がありますが、韓国人と答えています。絶対に目立つ行動は慎むように。」と、忠告がありました。同じような忠告は、10年来親交のある日本料理店調理人からもありました。
前回の反日デモ多発の際は、日本で報道されるより現地では、中国人のみが行くような食事処や飲み屋で騒ぐと危ないが、そんな特別な事をしない限り問題はないと、たいして話題にものぼりませんでした。私も現地で実感していましたが、今回は現地で生活する日本人の対応方もちょっと違うなあ、気をつけなければと思いました。
普通運賃航空券は、かつて日本で購入するより中国で購入する方が格安でした。他にもいろいろとサービスがあって、恩恵に与ってきましたが、次第に運賃も上がり恩恵もなくなりました。この事務所も11月1日から営業時間は昼間の10:00~15:00、そして土曜日が休みになって縮小されます。
かつての中国線は、中国側の都合で便数も限られ、毎回訪中時はキャンセル待ちが続いていましたが、障害がなくなるとJALとANAが競って中国各地へと路線・便数を増やしていきました。需要を実際に見てきた者として、明らかに供給大過剰です。300人近く搭乗出来る飛行機に数10名足らず。ひどい時はクルーより少ない8名という便もありました。
まさにバブル状態だったのですが、大きな痛手を受け体力がなくなった結果は社員に対しての解雇、私達利用者にはサービスダウンが襲ってきました。国鉄が破綻したのとよく似ています。
この事務所がオープンした時から知っておりますので、思い出もたくさんあります。天津は今やTOYOTAの中国生産の主要基地となり、関連企業を含め多数の日本人が駐在・出張で来られていますが、私が来た当時は会う日本人は顔なじみばかりの人数でした。この事務所も消えないで欲しいと願って、天津站へと向かいました。
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