第6日目 10月26日
丹东13:52(K7318)→18:38沈阳北(30分延着)
昨夜は、歩き疲れましたのでホテル近くの「按摩」マッサージで足と全身を2時間かけて念入りにしてもらいました。これで100元(約1,300円弱)です。身体がほぐれたのでビールを飲んで美味しい中華料理を食べようと、昼間の餃子館に行きましたが閉店でした。仕方なく街中の食堂で麺を食しました。眼の前で麺を打ってくれますのでこれも美味しくいただきました。丹東は朝鮮料理も多いのですが、やはり東北料理が好きです。
▲ 丹东站発着の列車時刻表です。撮影の際に印刷してご利用ください。
【国際列車K27の撮影】
ホテルは朝食付きですので、その前の朝の散歩に昨日撮りそこねたK27を撮影する事にしました。撮影場所は、昨日同様の駅手前の踏切にしました。徒歩約30分で到着しました。
▲ 左は踏み切りに行く途中で初めて見た三輪電動車。中々のできばえです。夏は暑いのでオープンカーにもなるのでしょうか? 右は往路に乗りたかったK27です。国際列車だけあって、最新鋭の編成です。
▲ 昨日は男性職員2名がロープで整理にあたっていましたが、今日朝はおば様です。柵で踏切を遮断しますが、閉まりきるまで車や人の往来が続きます。
7:17、K27はゆっくりと通過しました。
通勤ラッシュです。踏切を出ると幹線道路とT字型に交差しています。反対車線に向かう車両は踏切を渡って強引に割込みますので、大混雑です。信号はなく警官が笛と手で交通整理をしていますが、指示を聞く中国人ではありません。その度に警官から罵声が発せられます。踏切も左右行き交う車が無茶苦茶に混じりあって、線路にタイヤを落としたり、レールにタイヤを挟まって身動き取れなくなっています。列車が来たら大変な事になります。その度に後ろの車から運転手が降りてきて車を上げたり押したり大騒動が続きます。中々見ものでしたので、列車が来る間は見物していました。多分、毎朝日常的に続けられるショーなんでしょうね。ここでは「整然」なる言葉は、存在しません。
7:17、少し遅れてK27がやってきました。最新の2両連結方式東風11G型が、これも最新の25T型客車16両を牽引しています。平壌行きの車両は荷物車の次の2両です。
▲ 直ぐに7:26丹东発山海関行きのK7592がありますので、機関区のカーブがどうだろうと行って撮りましたが、期待はずれでした。
そのまま丹东站に行き停車中のK27を何とか撮れないか試みました。丁度ホーム後方に入口があり頻繁に普段着の人が出入りしていまので、私も入っても大丈夫そうでしたが、この時期です。許可なく入ってもし見つかった場合には、不審者として逮捕監禁にでもなります。折角の機会ですが、ここは国際問題の当事者になるのを避けて自嘲しました。
一旦ホテルへ戻って、これでもかと多種の中華バイキングを堪能してからゆっくりと、ホテル前でTaxiをひらって鴨緑江断橋に向かいました。昨日より雲が出ていますが、今日も快晴です。そして今日は間違いなく平壌行きの車両は来ます。
▲ 定刻9:35から何度もDLのタイフォンが鳴り、今か今かと待ち続けますと、9:43に橋を渡りだしました。
今日は、昨日夕刻に見た荷物車と緑皮車YZ(普通硬座車)2両そしてK27からのRW25T型(軟座寝台)2両をあわせて5両編成が通過しました。準特急さんのように乗車できる日は来るのでしょうか? 売店のご夫婦からも良かったねとお言葉をいただき雑談のお礼を言って、Taxiでホテルに戻りました。
荷物をまとめてから「餃子館」へ向かいました。昨夜来たのに閉まっていたというと、20:00で閉店しますとの返答です。按摩が長すぎたようです。この店は、出来上がりを冷蔵庫に入れてあるので美味しそうな物は分りますが、今日朝は朝食をたっぷり食べていますのでたくさん注文できません。
▲ これ全部で19元(約240円)、安くて美味しいB級グルメの旅でもあります。
13:52発K7318に間に合うように丹东站に到着。
【激動の歴史の丹东站】
① 1904年、軍事鉄道として日本軍により奉天から建設された762mm軽便鉄道の簡易駅「鉄一浦駅」として誕生。
② 1906年、南満州鉄道創立
③ 1911年に鴨緑江大橋完成と同時に標準軌道に改軌され、朝鮮鉄道と結ばれ直通列車運転開。朝鮮から満州へと重要路線となる。
④ 1912年、「安东站」に改称。奉天~安东間も安奉線となる。
⑤ 1932年、満州国建国宣言
⑥ 1943年、鴨緑江第2大橋完成(現;中朝友誼橋)で、複線化される。
⑦ 1944年、安奉線は全線複線化。
⑧ 1946年、戦争終結により中国鉄路の国境駅となる。全線単線に戻し、沈安線に改称。
⑨ 1950年、朝鮮戦争勃発により、中国からの中国義勇軍や物資輸送の拠点駅となる。
⑩ 1965年、安东市より丹东市への改名により、線・駅名も沈安線・丹东站に改称。
⑪ 1989年、駅舎大改造完成。
⑫ 2009年、現在の新駅舎完成。
▲ 毛沢東像がそびえる丹东站広場
【K7318に乗って、沈丹線を沈阳へ】
発車25分前に改札が開始されました。この駅は自動改札機が設置されてなく、駅員のパンチで改札です。広い1階通路を進みホームへは長い階段を上がりますが、新しい駅なのにエレベータ・エスカの設置はなく旅行者には苦痛の駅です。
軟座の切符ですので、てっきり軟座車があるものと思っていましたら、何と軟座寝台車です。車両の行先板を見ますと、2251/3/6/7次運用と丹东~沈阳北の区間運用と車両運用を共用しています。撮っていた他の列車の行先板を見ますと、K28を除いては殆どこの運用です。
軟座寝台は下鋪だけを使用しての軟臥扱いです。定員はコンパートメント1室4名で1車両では36名となっています。上鋪は使用できない事になっていますが、走り出してから見ると、結構上鋪で横になっている乗客多数です。乗務員も見て見ぬふりで暗黙の了解といったところでしょうか。
▲ 3番ホームからだと丹东站入線する列車をこのようなアングルで撮れます。K27もここで撮影したかった。丁度、丹东発の列車がありますので、切符を買ってホームに出られれば、K27丹东到着が順光で撮れます。
沈丹線の往路は夢の中でしたので分りませんでしたが、結構カーブや勾配も多く変化に富んでいます。当初762㎜で開業していますので、線路跡でもどこかにあるかなと車窓を見ていると、川を渡るコンクリート橋梁がほぼ残っている所がありました。本渓市南芬站では鉄鉱石露天掘り鉱山ヤードに凸型電機が多数おりました。ここも訪れたい所です。
▲ 朝鮮から京義線を圣由して、鴨緑江を渡り奉天(沈阳)へと向かった、山あり谷ありを車窓から見ながらの路線です。
【あってはならないトラブル】
向かい席に座っていたおば様とまた話をしていましたが、今夜はどこに宿泊するのかと聞かれPCを立ち上げてインターネット予約したホテルのバウチャーを見せますと、添付されていた地図を見て、この場所は間違っていると言います。地図には沈阳站直ぐ横を掲示してありますが、本当は隣の沈阳北站近くだと、確認のために朋友に電話して確かめてくれています。私の方は疑心暗鬼なので、一度地図どおりに行ってから北站に戻っても良いと思いましたが、この列車は沈阳站を通過して北站が終着ですので、まずは近い北站駅前の場所に行って見てからにしました。
おば様は、名刺をだしてYAMAHAの現地法人に勤務していると言われました。出張してくる日本人がよく宿泊するので知っているのだそうです。おば様は重いスーツケースまで持ってくださり改札出口を出ると、迎えの運転手に渡して車に乗せました。
駅前といっても広場は日本の駅とは比較にならない広さです。車に乗ってホテルに近づきよく見ると、前回宿泊したホテルです。間違いありません。おば様とお話を出来たので、闇の中をさ迷う不幸は回避できました。
中々運に恵まれない私ですが、たまには好運にも恵まれるようです。助けていただいたおば様にお礼を言って、チェックインをしましたが、それでも新たなトラブルが待っていました。
手続きも終わり部屋キーを受け取り、エレベータにのって部屋の階まで行きました。カードキーを差し込んで部屋に入ると、何と先客がいました。びっくりしましたが、向こうも突然ドアを開けられ入ってきた侵入者に啞然としています。お互い言葉を失ってしまっていました。その後はお互いの部屋キーを確かめあい、これはフロントのミスだと分り、私が1階に戻りました。
フロントロビーに下りフロントに向けて、一発思いっきり大声で叫びました。ロビーにいたボーイ達までが集まります。先ほど部屋キーを渡してくれた担当者に理由を言うと、見る間に顔が硬直し真っ青です。直ぐにフロントマネージャーを呼んで、事情を説明しています。
ホテルは宿泊客に滞在中の安全とサービスを提供しますが、これはあってはならない問題です。部屋のダブルブッキンク等今まで国内外で数100回以上は泊まっていますが、こんな事は初めてです。
今回は部屋に先客がいましたので良かったのですが、不在で入室して盗難等の事件ががあった場合は、難儀な問題発展にもなりました。また、アメリカ等紛争のある武器を持つ一般人がいる国なら、即座に不審者侵入と見なして、撃ち殺されていたでしょうし、他の国でも先客が女性だったら、もし衣類でも着ていなかったら大変な事になっていたでしょう。事態は悪い状況に発展する恐れも充分ありました。
低姿勢でマネージャーは別の部屋キーを渡しましたが、担当者からは謝罪の言葉はありませんでした。部屋の管理はコンピュータ任せなので、入力ミスよりシステムエラーと自らのミスは認めていません。これが現場に働く中国人の実態です。
部屋のアップグレードを要求して、荷物は男女2名のマネージャーに持たせて部屋に行きました。エレベータ前で、先ほどの先客が私よりも大きな声を張り上げて、ものすごい勢いでフロントに向かって行きました。ど迫力に圧倒されます。あの勢いでは、ただではすまないでしょうね。
マネージャーは、後から果物を持って再度部屋に謝罪に来ましたのでビールの方が良いと断りましたが、果物は置いていきました。
ここは招待所等の安宿ではなく、信頼すべき世界チェーンの4つ星ホテルです。こんな事が日本だったら、新聞沙汰は勿論、部屋の管理システム等の原因が判明するまで営業停止をくらうでしょうね。旅行の多いDRFCの皆さんもこんな事も起こると、気をつけてください。部屋に入ったら、故意間違いを問わず侵入者が現れる事がありますので、まずドアロックは忘れずに必要不可欠です。
沈阳北站駅前は何回も来ていますので、土地勘はあります。今夜もB級グルメの夕食を楽しみました。 Part6へ続く
小生も北京のワンフーチン近辺の四ッ星ホテルでダブルブッキングのトラブルに遭遇しました。2003年、めったらやったらと安いツアーがあるというので、我家の実力者=嫁様と参加。香港以外のメインランド・チャイナは初体験です。詳細は忘れましたが、部屋に欠陥があって変えてもらったものの、旧キー返却の暇がなく、新しい部屋のカードキー共、2枚持ったままでツアーへ。帰って新しい部屋で確か入浴中、全く違う団体の一員(中国人)が入ってくるではないか。フロントに電話し、すぐ係りが飛んではきたが、要は朝の新ルームキー発行そのものがダブルブッキングだったとしか思えない。何だかんだとサッパリ分からん話やらジェスチャーやらが延々とあって、結局はやや偉い係りが、新ルームのキーを、データーを変えて作り直したからと持ってきて、それでおしまい。ぶんしゅう氏と違って残念ながら果物もビールもゲットは出来なかったお粗末の一席。今にして思えば、声が小さすぎたのかな。気弱者は損ばかりする。
湯口大先輩 様へ
コメントをいただきましてありがとうございます。こんなトラブルは私だけと思っていましたが、身近な人にも起こっていたのですね。外国での予期せぬトラブルは、言葉の壁があって納得できる解決処理は難しいですね。特に日本人の場合は、奥床しいことを尊重しますので、大騒ぎされると逆に自分が悪いことをしているように感じます。しかし、外国へ行けば、自分の主張をハッキリ示さなければ、何も前に進みません。弱腰外交同様に、奥床しいのは逆にこの人にも何か欠陥があって強く言えない。そして既に納得していると見なされます。日本でやれば、クレーマーと呼ばれますが、私は海外では、「郷にいれば號に従えで」の精神でやっております。Part6で掲載しますが、この続きがまだあります。今回の旅は、トラブル遭遇が最も多い旅でもありました。