第7日目 10月27日 その1
① ホテル9:00(Taxi)→9:38瀋陽鉄道博物館陽 25.4キロ
② 瀋陽鉄道博物館10:47(Taxi)→11:35ホテル 待ち時間を入れて往復計で153元(約1,900円)
③ ホテル13:05(Taxi)→13:10沈阳地铁青年大街站 10元(約125円)
④ 青年大街站14:03(沈阳地铁)→14:13沈阳站
⑤ 沈阳站前15:00(バス)→16:50調兵山バスターミナル 25元(約310円)
⑥ 調兵山バスターミナル16:55(相乗りTaxi)→17:15ホテル 5元(約60円)
【瀋陽鉄道博物館(沈阳鉄路陳列館)】
8:00、昨夜の事件でアップグレードされた部屋をいただきましたので、ゆっくりの起床です。窓からは、沈阳北站が一望に見えました。今日は、天津から丹东まで乗車したK189次の列車乗務員に調べてもらった「瀋陽鉄道博物館」の発見、9月27日開業した沈阳地铁1号線の試乗と、その後調兵山へと向かいます。今日は大忙しです。
荷物は整理して部屋に置いて、ホテルからTaxiに乗車しましたが、瀋陽鉄道博物館などドアボーイもTaxiの運転手も存在すら知りません。大体この付近とマーカーしてもらった地図と、達筆で書かれた私には読めぬメモだけが頼りです。助手席に座って、運転手と打合せをしてから発車です。
中国の市内地図はその土地で最新版を必ず買っていますが、日本のように右下等に縮尺距離が掲載されていませんので、目的地までの距離が分りません。Taxiの料金メーターに走行距離が表示されますので、走り出してから地図を見ながら目安となる交差点までの距離を見て、目的地までの大体の距離を推測します。
混雑する市内を出ると車幅たっぷりの片側3車線道路を80km/hで快走します。途中に大連~哈尔滨(ハルビン)間904キロに建設が進められている最高速度350km/hの哈大客運専用高架線と交差します。日本に-40°対応の鉄路建設・高速車両技術を求めた哈大客運専用線は、2/3を占める高架橋も出来上がりレール敷設工事が進められています。早ければ来年、遅くとも2012年には開業しますが、-40°対策はその後どうなったのか分りません。ご存知の方がおられれば教えてください。ちなみに日本の新幹線は-25度対応です。
都市開発が進んだ郊外に出ると運転手も道が分りません。何度も地図を見て確認しながら向かいます。この辺りと思しき場所に来ると後は地元民に聞くしかありません。この運転手さん、中国人には珍しく一人ではなく何人もの人に聞きまくります。私と一緒です。未舗装もあり、かなり入り組んだ道路でしたが何とか辿りつけました。最後は、小道を走り鐡路のガードを抜け、植林されたばかりの林の中のエントランス道路を走ると、そこには探し求めていた真新しい建物がありました。沈阳北駅前のホテルから25.4キロ、所要時間は38分でした。ここではTaxiはひろえません。運転手に待つように言いました。
小型バスが1台止まっていましたが、他に車はありません。入口には、最近にオープンしたばかりと思われる赤のテープとリボンが付けられています。入口に向かいドアと開けると、小さなホールになっていて、鉄道員らしき人がパラパラといますが、あるはずの入場券売場がありません。赤いたすきをかけたお姉さんがいましたので、日本からここを探して見学に来ましたと言うと、「日本人が来られたのは初めてです。パスポートを提出下さい。入場出来るかどうか相談してきます。お待ち下さい。」と言われ、奥にいかれました。一般の博物館に入場するのとは、ちょっと違う雰囲気が漂っています。
▲ 金属製の金ピカです。日本だったらこれだけで1,000円はしますね。後でよく見ると右下には「2009.11.10」と印刷されています。多分この日が当初の予定日だったんでしょうね。
お姉さんが戻って来ました。上の方と話をされてから許可が出たようで、丁重に「どうぞお入り下さい。入場料は100元(約1,250円)です。」と言って、記念品を渡してくれました。いつオープンしたのですかと聞くと、「今年10月18日にオープンしたばかりです。」との返事です。オープンしてまだ10日目です。
探し当てられたのも感激でしたが、日本人として初めてと聞いてまた感激です。そして、案内人が付いて解説してくれますが、殆ど分りません。ホールから中に入りますと、奥行50m長さ400mでしょうか、ズラリと機関車、車両が整列展示されていました。窓際には、日中戦争時の展示がされていますが、こちらの撮影は禁止です。車両はOKですと初めに説明されました。ふと気づくとTaxiの運転手さんが同行しています。どうやら引率者として無料入場です。やっぱり中国人らしく、しっかりしていますね。
車両は全て磨かれてピカピカです。右側に青い車体が見えましたので、説明員の言葉は程々に聴きながら早足で向かいますと、2000年8月に見た屋外展示の旧瀋陽鉄道博物館で朽ち果てた姿だったパシナ751機に再会できました。ご覧ください。
▲ 10年ぶりの再会です。この状態から復元するには大変だったろうと思います。感謝感謝です。
蘇家屯機関区横の 陳列館に他の機関車と共に展示と言うより放置されていました。この時も全く場所が分らず、朋友の通訳が聞きまくってようやく見つけました。
▲ 大連~哈尔滨間943.4キロを最高速度135km/h、所要時間12時間(昭和11年当時)で快走した「あじあ」を牽引した名機パシナ形751号機。
▲ パシコ形 旅客用機関車 急行「はと」を牽引しました。
▲ ミカニ形 3シリンダー方式の貨物機関車。
▲ ミカロ形 中型貨物機関車
▲ パシハ形 旅客用機関車 これも「はと」を牽引した。
以上が日本製ですが、他にも外国製が展示されています。
▲ ポーランド製 入換機
▲ アメリカ製 ダブィ形
▲ ソ連製
▲ ルーマニア製
▲ アメリカALCO製
▲ チェコ製 満鉄使用
盛んに撮り続けていますと、どうしたのか説明員さんの様子が変わってきました。途中から撮影は止めるように言ってきました。はじめの説明とは違います。展望車GW992310はじめ満鉄時代の客車も展示されていましたが撮影させてもらえませんでした。川崎重工製の鉄橋もあり、最新式の新幹線用PCコンクリート製と比べていました。他昔と今のレールや信号等々と、鉄路技術の進歩を目的に展示されているようです。最新式といえばCRH3も先頭車1両を展示してあるのには驚きました。
もっとゆっくりと見学したかったのですが、急ぐように案内して1時間強で追い出されるように出口へ誘導されましたが、そもそも入場できたのは特別だったのかも・・。説明員要らずにゆっくりと見せてくれるようにして欲しかったですが、ここでチャンチャンやっても勝てません。場所はわかったので、次回にまた訪問しようと誓いました。
▲ 上の地図が所在地です。10年前とほぼ同じ蘇家屯機関区に戻ったようです。訪問される方はこの地図を印刷してお持ち下さい。
帰りは渋滞もあって、所要時間48分でした。今回乗車しましたTaxiの運転手は、千明(携帯15942346661)さんです。三ツ星ドライバーで運転は上手いです。道も分っていますので、ご訪問されるは、電話されると良いでしょう。 Part7へ続く
私は、満鉄関係者の会、満鉄会で弘報担当の常任理事を勤め、年3回発行の『満鉄会報』の編集や、マスコミ対応を行っています。
貴方の投稿を読んで驚きました。北京在住の会員が瀋陽鉄路陳列館に行ったところ、非友好国国民として入館を拒否されました。コネもきかなかったそうです。
もしかすると、貴方はこの館に入館した唯一の日本人かもしれません。
4月半ばに発行する『満鉄会報』に、訪問記を寄稿していただけませんか。締め切りは2月末です。枚数は2000字前後、パシナ・館の全体、入場券の表裏などの
写真があると、有り難く思います。
あるいは、貴方の投稿を私が他の情報とまとめ、写真だけを提供していただくという方法もあります。 満鉄会の電話は、03-3818-7520 です。
コメントをいただきましてありがとうございます。
来館は初めての日本人と案内されましたが、以降瀋陽鉄道博物館を訪問された記事がインターネットでも見ていないので不思議に思っていました。まさか「入館した唯一の日本人かもしれません。」といわれてびっくりしております。
確かに入館する際にパスポートの提示を求められたり、一般的な扱いではありませんでした。見学途中で撮影を突然止められたのも疑問が残りました。
館内展示に撮影不可となった抗日戦争時の啓示がありましたが、事実は事実として戦争を知らない日本人にも中側から見る戦争の悲話を知らせるべきと思います。
ご依頼のあった写真等の提供は了解しました。寄稿に関しては、またご連絡させていただきます。よろしくお願い申し上げます。
滿鐵会会報236号で拝見しました。dtfc-obで検索してここに到達しました。ここにあるパシハの写真はとても貴重です。私は大連駅の向かって左側のスロープからパシハが停車しているのを見たことがあります。パシナは「あじあ」で発つ人を見送りに行き真下から2メートルの動輪を見上げました。2007年大連でパシナを見た時は扇形車庫の中、2009年では外に展示され写真はよく撮れたが主連棒が外されていてガッカリでした。瀋陽のパシナ、パシハは共に保存状態もいいようです。滿鐵会の会員ですが、二世世代で直接の関係者ではなく、貿易商だった父がパシナの炭水車のティムケン社製ベアリングを納入していたと書いてあるのが残っています。日本人が見たがるので金さえ出せばみられる筈です。2007年のときは一人百元でした。領収書好きのあの国で出して呉れなかったので誰かのポケットに入ったのでしょう。
上記のコメントのdrfc-obが正しいので訂正します。
コメントをいただきましてありがとうございました。遅れまして申し訳ありません。丁度クローバー会の先輩と一緒に上海へ行っておりました。
上海では杭州までCRH380Aの先頭車展望席に乗車して、最高速度356km/hの走行を楽しんできました。また地元鉄ちゃんも参加され、中国鉄路に残る蒸気機関車の最新情報の交換会も開催しましたので、後ほどデジ青に掲載したいと思っております。
瀋陽鉄道博物館についてはまだ地元鉄ちゃんも入場を断られておられるようでした。7月初めには中国鉄道倶楽部の隊長さんが再挑戦されるようですので、様子が分かると思われます。私も11月頃にはまた満州に残る蒸気や満鉄車両を訪ねて行く予定です。
古い客車の情報を検索しているうちに天津の旧客車の紹介を見ました。そして沈陽鉄道博物館のページを見て随分と立派になったと驚いているうちにアジア号が2000年に朽ち果てようとしていた写真に愕然。小職が1987年に蘇家屯機関車陳列館で見たときは塗り直した様で(少々雑な塗り方)青い塗装がキレイでした。鉄道は良く知りませんがD-51などの蒸気機関車からアジア号は黒いとばかり思っていました。存命だった叔父に帰国後見せたら、まちがいなくこの通りの色だと喜んでいました。当時プレートはSL710ではなくLはJを裏返した初めてみるケッタイな記号でした。2000年の写真ではしっかりとSLとなっているので小職が見た時から再度お色直しをしたのかも知れません。87年とはっきり記憶しているのは陳列館に土産店があり本物の駅長帽を売っていました、長男がちょうど五歳なので購入したところ七五三のお宮参りの背広の上に喜んで被って行きました!サイズは大人用なので思わず噴き出す風体でした。この当時はフィルムで他の機関車などの写真が少ないのが残念です。
tohkuno563様、コメントをいただきまして、ありがとうございます。
満鉄会理事の天野氏にも直接お聞きしましたがアジア号の車体色はもう少し淡い色だったようです。当時はカラー写真があっても忠実な色なのか判別できず提供された日本ペイントにも問い合わせられたとお聞きしました。蒸気機関車と言えば真っ黒な車体のイメージです。当時は斬新な色は注目を浴びただろうと思います。
瀋陽鉄道博物館は今尚反日運動の展示物としてかたくなに日本人の見学を拒み、入場出来ても写真を撮る事は許されていません。ただ私はラッキーもあってこの後も行って撮る事が出来ました。この上の関連記事をクリックしていただけますと訪問記をご覧いただけます。
天津の旧型客車はその後訪問していませんがいずれ機会を見て開かずの車庫を見に行くつもりです。
今後ともデジ青をご覧いただけますようによろしくお願い申し上げます。私の投稿一覧は下記のアドレスでご覧いただけます。
http://drfc-ob.com/wp/archives/author/konishi
すみません この記事を見て 昔行ったことがあるので 写真の日付を見たら2010年6月28日でした。内装工事の最中でほぼ出来上がっており中国人の団体が結構いました。最初は断られましたが“日本からわざわざ来た。見せてほしい”と頼んだら館長さんみたいのが出てきて特別だ!と案内されました。写真はだめだと言われましたが 記念写真=人物が入っていればok と言われました。1時間くらい見学してお礼に名古屋のういろうをあげようとしたら断られました。ちなみにパスポート提示、入場料は無しでした。