夏休み 日本縦断の旅 (0日目① 稚内より近ければ近場)

今期の青春18きっぷが利用開始してから10日が過ぎました。ということで今回から、私が昨年夏に青春18きっぷを使って出かけた旅について書かせていただこうと思います。しばらくこの連載が続くと思います(連載が終わる頃には次の18きっぷのシーズンに入っている気がします)。

 

昨年から授業形態の見直しによって、夏休みが2ヶ月近く及んだこともあり、タイトル通り、我ながらとんでもない旅行をしました。青春18きっぷを使い、できる限り普通列車だけを乗り継いで、稚内から枕崎まで移動するという旅行です。今回は、旅のスタート地点である稚内までの移動についてです。以下の行程で移動しました (ダイヤは2024年8月現在のもので、遅延等は反映しておりません)。

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かぼちゃ電車の思い出 (京都編⑤) 大切なもの 遠ざかっても、、、

後祭の宵山の日とは、季節感が異なるサブタイトルですが、この連載も本日が最終回ということで、乃木坂46『サヨナラの意味』の歌詞を使わせていただきました。

2023年3月、ダイヤ改正から数日後のこと。京都の113系と117系が3月31日を以て引退するとJR西日本から発表がありました。普段、京都駅でよく見かけていたので、後悔は無いと思っていましたが、やはり私が一番好きな電車なので、最後にもう一度乗ろうと思いました。

草津駅で折り返し待ちをする113系。
ダイヤ改正から引退までの間、113系と117系の代走運用が組まれ、湖西線や草津線のほとんどの列車が両系列で運用された。

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かぼちゃ電車の思い出 (京都編④) 高校、大学時代

いつか湘南色に乗りたい。そう思い続けていたのですが、別れは突然やって来ました。私が高校に進学してすぐのこと。最後の湘南色であったC10編成が緑色になって吹田を出場したという情報を友人から得ました。帰宅後(当時、まだスマホは不所持)、調べてみるとそれは本当のことでした。その時に感じたショックは何とも言い表しようのないものでした。しかし、それからすぐのこと、岡山電車区(当時)に所属する115系のうち2本(D26編成とD27編成)が湘南色を維持することが発表され、それから岡山に魅了されるようになり、現在に至ります。岡山の115系については、また別の機会に書かせていただこうと思います。

C10編成はあっさり緑色に塗装変更された (2015.8.9 京都にて、再掲)

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登場して間もない頃の近鉄「あをによし」乗車レポート

2022年7月、デビュー間もなかった近鉄特急「あをによし」に乗車しました。
所用で関西を訪れており、ほぼ一日予定が空いていたため、試しにDRFCの同期と後輩に声をかけてみたところちょうどよい人数が集まったので、あをによしの往復乗車をすることになりました。

だいぶ時間の経ってしまったレポートのため、現在では異なる点もあることをご承知おきください。

前面に負けず、側面も高級感を醸し出している。塗装と帯の色がよく似合うと思い撮影した

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かぼちゃ電車の思い出 (京都編③) 中学時代 (3)

貴生川駅にて並ぶ、113系と信楽高原鐵道の列車 (2015.12.20)

前回と同じく中学2年の時のことです。12月中旬に、友人何人かと後輩と一緒に草津線に乗りに行きました。もちろんお目当ては113系です。ただ往復するだけでは面白くないということで、目的地を貴生川にし、往路は京都から奈良線、関西線で柘植まで行き、そこから草津線で貴生川まで乗車、帰りは草津経由にしました。貴生川では、駅から徒歩10分ほどの所にある撮影ポイントに行きました。草津線はもちろんのこと、関西線や奈良線の黄檗以南に乗車するのはこの時が初めてで、結構充実した旅行だったと思います。

この日は117系の団体列車も運行されていた (京都にて)

草津線は草津~貴生川間が毎時2本、貴生川以南が毎時1本の運行で、この日は草津~柘植間の列車に113系が、草津~貴生川間は221系が充当されていました。やって来た113系は全て緑色でしたが、築堤上を行く113系は迫力があり、とても格好良かった印象です。この場所で湘南色やカフェオレ色を記録できなかったことに悔いは残りますが、113系の晴れ姿を見ることができたのは、良い思い出です。(続く)

三雲~貴生川間の築堤上を行く柘植行きの113系

草津~貴生川間の列車に充当された221系 (三雲~貴生川間にて)

草津行きの列車

  一つの鉄道の応援の仕方

先日はクローバー会の交流会お疲れ様でした。
自分の発表は判り難いテーマだったかもしれません。

先だっての芸備線の存続に関する米手さんの投稿に関して、芸備線奥地の現状や先行きは悲観的な観測が強いかもしれません。
これを広島地区全体として見ると、間も無く開通する広電広島駅乗り入れ新線の開業と合わせて、鉄道全体で応援したり盛り上げていこうという動きが、ネット鉄全体の中では、「宮島線探索チャンネル」という個人なのか、組織なのかが盛り上げて行こうとしています。

https://x.com/Miyajimasen/status/1940402759846522917

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かぼちゃ電車の思い出 (京都編③) 中学時代 (2)

初めて113系に乗車したのは、中学2年の5月でした。京都から湖西線の近江舞子まで友人と出かけました。往路は117系に乗車、近江舞子の一つ手前の比良で下車し、しばらく列車の写真を撮って時間を潰していました。その後、117系の旧塗装の電車に乗って近江舞子まで移動。再び比良に戻り、昼過ぎの電車で京都まで帰りました。京都まで乗車した電車が他でもない113系です。緑色であり、車内もリニューアルされていたものの、初めて113系に乗車できたことが本当に嬉しかったことを覚えています。

初めて乗車した湖西線の113系 (2015.5.31 比良にて)

比良から近江舞子まで乗車した117系 (2015.5.31 近江舞子にて)

それから約2ヶ月後の夏休み、友人と京都駅に行き、列車を撮影していた時のこと。偶然、113系の湘南色を見ることができました。後に分かったことですが、この列車が湘南色を纏う最後の1本でした。

湘南色の113系C10編成。今であれば4番のりばへ移動して撮影していただろうか
(2015.8.9 京都にて)

うだるような猛暑の京都駅に佇む113系。夏の日差しを浴びるその姿は風景によく映えていたことと思う
(2015.8.9 京都にて)

さらに1ヶ月後のこと、部活の練習試合で唐崎まで出かけました。唐崎駅で集合し、移動していた時のこと。後ろで電車の音がしたので振り返ると、8両の113系 (堅田行きだったと記憶)がちょうど発車した所でしたが、なんと前4両が湘南色でした。もしその列車に乗っていれば遅刻は必至でしたが、それでも「湘南色と分かっていたら迷い無く乗っていたかもしれない」そう思いながら走り去る列車を見送りました。(続く)

かぼちゃ電車の思い出 ② 中学時代(1)

中学校に入り、バス通学を始めたこともあり、これまでより少し行動範囲が広くなりました。そして、同じクラスの鉄道好きの友人と、主に定期考査明けの休日に関西の電車に乗りに出かける、ということを始めました。様々な場所へ出かけましたが、中学1年の12月には、福知山へ行きました。この時、初めて113系の姿をカメラに収めたのでした。

福知山を発車する豊岡行き普通列車

二条から嵯峨野線の快速福知山行きに乗車。当時、園部以北にも221系が乗り入れる運用があり、その列車に乗車しました。時雨模様の福知山駅で、113系に何度もシャッターを切りました。113系は舞鶴線の直通列車を除いて、福知山以南では運行されておらず、この時は乗車できませんでした。

福知山駅に到着した221系の快速

特急はしだてに充当された「丹後ディスカバリー」

北近畿タンゴ鉄道(当時)宮福線のMF200形

福知山で見られる特急列車4本並び
4本中3本が381系だった

数を減らしたとはいえ、まさか現在でも見られるとは
(写真は全て2014年12月25日撮影)

当時の福知山駅では、381系や「丹後の海」改造前のKTR8000形のように、今では見られない列車が多くありました。まさか福知山の113系がそれらの列車よりも長く残り、しかも復刻塗装の列車が走るようになることなど、当時の私は知る由もありませんでした。(続く)

リハビリを兼ねた関東からの日帰り旅 12

ひたちなか海浜鉄道の続きの投稿を半ば失念していました。いささか新鮮味を感じられない内容ですが、ご容赦ください。

湊線アーカイブと未来の展望

湊線初乗りは1993年。20系気動車の天下

当時の茨城交通湊線に初めて乗ったのは平成5(1993)年9月26日でした。現在走っているキハ3710はまだなく、JRでは殆ど見られなくなったキハ20系が中心となって活躍していました。新鉾田→常澄まで鹿島臨海鉄道に乗り、2.5キロ近くを歩いて那珂湊駅までやってきました。駅に隣接して車庫があり、道路からも写せました。駅のホームからも車庫で休む車両が撮影できました。

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かぼちゃ電車の思い出 (京都編) ①幼少期

前回の投稿にて、113系・115系について触れましたので、その思い出を綴ろうと思います。まずは、京都の113系について数回に分けて書かせていただきます。

京都駅の3番のりばへ行けば、必ずその姿を見ることができた113系 (2023年1月7日撮影)

かぼちゃ電車 (ここでは塗装に関わらず、113系や115系の他、415系等の所謂東海形のデザインの電車全ての呼称としてこの用語を用いることとします)に魅了され始めた時期は具体的には分かりませんが、幼稚園の頃に描いた絵に湘南色を纏ったそれらしい電車が登場していることから、物心ついた頃にはすでにかぼちゃ電車は私にとって特別な存在だったようです。JRの沿線に住んでいたわけではありませんが、新型車両には無い丸いライトや鮮やかな塗装に、子ども心ながら魅了されたのかもしれません。当時は首都圏でも活躍していたため、図鑑に掲載されていた他、京都駅に行けば当たり前のようにその姿を見ることができました。また、湖西線や草津線の他、嵯峨野線でも活躍していました。塗装も湘南色の他、体質改善色 (カフェオレ色)があり、いつか乗りたいと思っていました。幼稚園の遠足で梅小路に出かけた際、SLスチーム号の車内から電留線に停まるカフェオレ色の113系に釘付けになっていたことは今でも鮮明に覚えています。

嵯峨野線を行く223系2500番代と展示車両横の電留線で休む221系。かつては113系が行き交っていた。 京都鉄道博物館屋上スカイテラスより (2025年3月28日撮影)

結局、当時の113系乗車は叶わず、中学2年の時に湖西線での初乗車まで待たねばなりませんでした。(続く)

夏の思い出  2025-5 ある駅、ある街を訪れる

昨年10月、小浜線にホキ回送の撮影に出向いた折、若狭高浜駅のホームや跨線橋の雰囲気が50年前と変わっておらず、驚きました。若狭高浜には子供の頃に家族で海水浴に毎年訪れていて、その話を総本家青信号特派員さまにさせていただいたのですが、隣駅の若狭和田を再訪された記事を、すでにデジ青に書いておられました。

 夏の思い出 2017-4  ある駅を訪ねる | DRFC-OB デジタル青信号

先日、小浜線で気動車回送が運転されたのを機に、総本家さまの真似っこよろしく(笑)、家族でお世話になった若狭高浜のお寺のあたりを歩いてきました。何と、門構え、本堂と居宅の配置などがまったく変わらず、海岸方向に続く細い道も、古い家が残り、50年前の雰囲気が残っていました。

今回は小浜に保存された、御召&さよなら列車の牽引機、C58171号機にも再会してきました。あの当時の京都の家族の海水浴の行先は、丹後よりも若狭が多く、なかでも若狭高浜派と和田派があったというのは、総本家様との共通意見でした。ともあれ、50年の時間を越えて、こうした話題でまた趣味を楽しめるのはデジ青あってのことですね。あらためて、感謝します(^^)/

昭和40年代前半から半ば、こちらのお寺に毎年夏、お世話になった。石造りの門構えは当時のまま。

 

左の民家、井戸は何となく記憶が。右側は建て替えられているが、よろずや(商店)があったとは家族の記憶。

石造りの塀も、当時そのままだった。海に続く、細い道も。

小浜市中央公園に保存されたC58171号機。煙室扉ハンドルの欠落が残念!(2025.5.31)

C58171号機は福井国体お召列車、小浜線蒸機さよなら列車を牽引し、敦賀第一区を代表するカマだった。

越美北線用気動車の後藤工場出場回送。この日はタラコ風の塗装車をDE10が牽引。 青郷〜三松 2025.5.31

現代の小浜線きっての撮影地、小浜市民球場付近からの小俯瞰。勢浜〜小浜 2025.5.31

自己紹介

今年2月に引退した、湘南色を纏う岡山の115系 和気にて (2023年8月24日撮影)

初めまして。3月にDRFCを卒業し、クローバー会に入会いたしました。2023年にはDRFCの会長も務めさせていただきました。乗り鉄です。どうぞよろしくお願いいたします。諸先輩方の投稿と比較すると、まだまだ未熟な所も多々あることと思いますが、お楽しみいただければ幸いです。

今回は初投稿ということで、自己紹介も兼ねた内容といたします。私は、ハンドルネームが示す通り、生まれてから大学卒業までの20数年間京都に住んでおりました。それでは、なぜ岡山が好きなのかと申しますと、岡山を走る列車が好きだからです。

JRの沿線に住んでいたわけではありませんが、幼い頃から113系、115系が好きでした。それは今も同じです。そんな私にとって、岡山は非常に魅力的な場所。大学入学を機に行動範囲が広がったことや京都から比較的行きやすいこと、そして何よりも湘南色の115系が走っているということもあり、長期休暇を利用して岡山に出かけるようになりました。何度も出かけるうちに岡山という街そのものが好きになり、卒業論文のテーマも、岡山でかつて走っていた軽便鉄道でした。もちろん、岡山に出かけた際や、岡山を通る際には必ず113系や115系を始め、魅力的な列車達に乗ったり、撮影したりしました。

岡山では、湘南色の115系は今年の2月に引退 (私の大学卒業とタイミングが近いのは偶然でしょうか?)した他、他の113系や115系も227系「urara」の投入により、少しずつ数を減らしています。また、特急やくもに273系が投入され、381系が引退したことも記憶に新しいです。国鉄型の列車が数を減らすのは寂しいですが、私は227系も273系も好きですし、何より岡山の魅力は色あせることはありません。今後も魅力溢れる岡山に足を運び続けたいと思います。

今回は、簡単に自己紹介という形で投稿させていただきました。次回以降は、学生時代を中心とした旅行記や、京都を中心に関西の鉄道の思い出、そして岡山の鉄道について書かせていただこうと思います。これまでに先輩方が投稿された内容と少し被ってしまうかもしれない点は、ご了承いただければと思います。今後ともよろしくお願いいたします。

蒸機C60の「霧島」

総本家青信号特派員さんの50年前の記録に特急「きりしま」が出ていました。その後九州内でも同一名の特急があったような気がしますが見たこと、撮ったことはありません。さて表題のC60の急行「霧島」ですが多分前日に博多で泊り翌1964年4月2日に博多6時57分発「霧島」に乘ったような記憶があります。次の鳥栖迄ED721[門司]に引かれて7時25分鳥栖到着でC6027[鹿児島]にバトンタッチした直後の写真です。寝台、食堂、1等車など伝統急行31列車らしい編成が東京から鹿児島まで連結されていましたがこんな撮影では機関車の記録だけです。この日は鳥栖で終日鹿児島本線(含む久大本線)、長崎本線を撮りました。▼

大手から大手への譲渡車両

今日5月31日は小田急から西武へ譲渡された車両の国分寺線での営業開始日です。

小川駅の元小田急8561Fの西武8003F8103の東村山行きです。▼

2018年7月10日小田原線玉川学園前を通過する快速急行小田原行き8561です。この車両が上の西郡8103の編成で譲渡第一陣です。▼

過去に東急から名鉄へ譲渡されて例がありました。1978(昭和53)年5月6日木曾川堤の2881~3881の元東急の車両です。▼

関東の私鉄は興味がないとおっしゃられる方もおられますのでこれで幕引きです。

 

斗賀野~多ノ郷間石灰専用列車

先月、本件列車をモデルとした鉄道模型が販売された。私自身はDE10形式への形式改善前までの数年間の付き合いであったが、懐かしくなり少しまとめてみた。▲DF50 18+DF50 44+ホキ5200×18B、1983/04/03 入14便、多ノ郷~取卸場 続きを読む

伯備線381系の最晩年を記録する

2024年6月、伯備線の特急「やくも」で活躍していた381系電車が定期運用を終えました。
これにより国鉄時代に登場した特急型電車が全て定期運用を退きました。
日本全国の旅先でよく出会った国鉄型の特急がついに第一線から居なくなってしまいました。

幸いにも、381系最後の活躍を撮りに伯備線に何度か足を運ぶことができました。
本で読んだ「布原の三重連」と同じ路線が終焉の地となることに因縁めいたものを感じつつ、中国山地を走る振り子式電車を記録しました。

根雨駅で並ぶ「サンライズ出雲」(臨時)と新旧「やくも」。381系で採用された高運転台スタイルは後任の伯備線特急車両にも引き継がれました。

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2025年4月の台湾鉄道(その4)

 ▲平渓線のローカル列車 三貂嶺-大華

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2025年4月の台湾鉄道(その3)

▲DR2100・2400復活 内湾線 上員ー六家

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2025年4月の台湾鉄道(その2)

▲台中港ー清水をゆくEMU500型の区間車

4月18日(金)
この日、4月18日は、前回の2月が日曜日の訪問で、台中港線はウヤだったので、手堅く平日での再挑戦です。また海線で莒光号も狙うことにします。これも前回、とんだハプニングで撮れませんでしたので回収させてもらいます。

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2025年4月の台湾鉄道(その1)

もともとは台湾ではなく、上毛電気鉄道がデハ101を走らせるとかで、行こうかどうしようか、と考えていたのですが、デハ101の乗車が現地抽選で、大阪から高崎まで優等列車利用を東海道新幹線に限ったとしても片道16000円もかかるので、高いしどうしようか、と迷っていたのです。

高崎とは全然関連性はないのですが、ジェットスターが台湾便を増便し、空港利用料他諸手数料全て込みでほぼ30000円で行けることが判りました。台湾は、2月に行ったところでした。しかし大阪と変わらぬくらい寒く、途中で食べた貝の炒め物が恐らく原因だと思いますが、食当たりに遭い、途中から体に力が入らなくなり戦意喪失し帰ってきたので、どこかでやり直さねば、との気持ちが片隅にありました。

ということで、関西空港からジェットスターの夜行便で台北桃園をめざすことにしました。夜の23時35分に出て、到着が現地時刻1時30分だったので、朝までは空港で仮眠です。朝一番の空港バスで台北までは渋滞なしの約40分で着いてしまいます。

今回は、4日間だけなので高雄や台東までの長距離移動を要する高雄や台東は行かないと割り切り、せいぜい真ん中の台中あたりまでに区切っての撮影に勤しむことにしました。

消滅が取り沙汰されている客車急行の莒光号はどうなっているか、機関車の世代交代はどれくらい進んでいるかなどが関心事です。さてどうなっていることやら。

▲ 新鋭R200型牽引の貨物 瑞芳ー猴硐 続きを読む