50年前の撮影地を歩く -17-

国府津

50年前、御殿場線にはD52の牽く列車が走っていました。その始発駅が国府津であり、D52の基地である国府津機関区も駅の裏手にありました。D52と言えば幹線の貨物用であり、旅客列車も牽引していたのは、ここ国府津区のみでした。国府津は、東京から僅か80キロほどのところ、こんな近郊にD52が働いていたとは、その時代を知っている人間からしても、今から見るとにわかに信じられないことです。50年前の高校3年生の夏休み、関東方面に向かいました。一番の目的は、C62「ゆうづる」を撮ることにありましたが、夜行列車に乗って、真っ先に訪れたのが国府津でした。御殿場線の電化も翌年に迫っており、最後のD52の撮影をしました。
国府津駅5番ホームに停車するD52236の牽く御殿場線の旅客列車、右側のホームに放置されているのは、当時私が使っていた青色のリュックサック。
同地点の50年後、基本的な駅構造には変化はないから、車両が代わっただけで、当時の面影がまだ感じられる。古レールを使った支柱も健在。

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北欧のたび3(サンタクロース急行)

ロバニエミに2日間滞在した後ヘルシンキへの帰りは寝台列車を使うことにしました。今回の旅は乗ることを中心にし、その中でも一番の目的はこの寝台列車に乗ることでした。時刻表には特にサンタクロース急行という名前は出ていませんが、北極圏の入り口で、近くにサンタクロース村のあるロバニエミとヘルシンキを結ぶIC273 、IC266、ロバニエミのさらに先、ケミアルビーとヘルシンキを結ぶIC265、IC274 をサンタクロース急行と呼んでいるようです。
 ↑ 郊外のサンタクロース村を北極圏の北緯66度33分線が通っている。
私の乗ったのはケミアルビーからやってくるIC274でした。ロバニエミはカートレインの積み込み場所となっていますので、30分停車しその間に車の積み込み作業をします。 続きを読む

半世紀前の長崎電軌(3)-併せて街の新旧対比-

長崎電軌第3回目です。一旦長崎駅前に戻りました。
▼【旧】第1回でも紹介した駅前です。食堂、パチンコ屋のほか、かすてらの看板もありました。線路は右手奥と右手前の二方向に分岐します。画面では170型電車が右手奥へ進み、旧・小川町(現・桜町)を通り公会堂前方向に向かっています。
次の画像で歩道橋上から眺めると好く判ります。1963年4月3日 07922▼【新】(左)上の画像とほぼ同じ位置から眺めました。山が見えなくなりました。(右)駅前は歩道橋と橋上広場に変わっています。歩道橋の上から南の方向を眺めました。線路を左奥に進むとこれから紹介する旧・小川町(現・桜町)、右奥に進むと五島町、出島を経て築町です。Google Earthより
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半世紀前の長崎電軌(2)-併せて街の新旧対比-

長崎電軌第2回目、図は南部方面、今回紹介の路線図です。蛍茶屋から公会堂前を経由して一旦長崎駅前に戻ります。再び同所を出発、西浜町経由で思案橋に、その後石橋に向かいます。グラバー亭を訪ね街を見下ろして、最後は築町、出島経由で長崎駅に戻りました。
▼【旧】211型212 蛍茶屋車庫  1963.4.3撮影  07900     続きを読む

半世紀前の長崎電軌-併せて街の新旧対比-

半世紀前シリーズ、今回は長崎電気軌道株式会社、長崎電軌。1963(昭和38)年3月末に訪れました。車輌と共に、街の様子を新旧対比したいと思います。停車場及び街名は、1962年訪問時の表記です。現在名は()内に表記しました。
新しい街の様子は、例によってGoogle Earth を利用しました。
▼1963(昭和38)年頃の長崎電軌路線図を作成しました。その一部、北部方面です。
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燃える大地への旅 2017年 台湾 Part10 台北雙連市場見学、桃園空港MRTに乗る、帰国

第7日目 6月14日

朝起きますと久々の雨模様です。この旅の撮影中によくぞ降ってくれなかったと感謝、感謝です。今日は撮影予定を入れていません。帰国のフライトも12:15発と十二分の時間がありますのでこれも久しぶりのゆっくり朝食です。

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燃える大地への旅 2017年 台湾 Part9 崇徳・海バックを撮る

第6日目 6月13日 その2

② 六塊厝 8:41(區間車)⇒8:45 屏東 9:03(自強號)⇒10:45 台東
③ 台東 11:20(自強號)⇒12:47 花蓮 13:10(區間車)⇒13:27 新城

▲ 13:27、新城に到着。南迴線を回って花東線から北迴線へと4列車を乗り継いでの4時間46分の乗り鉄旅でした。
新城站からはタクシーでクモハ73106東ウラさんご推薦の撮影地へと向かいました。 続きを読む

燃える大地への旅 2017年 台湾 Part8 六塊厝で荷物列車を撮る

第6日目 6月13日 その1 荷物列車を撮る

① 高雄6:56(區間車)⇒7:16六塊厝

6:20 2泊しました高雄のホテルを出発して高雄站へと向いました。今日でクモハ73106東ウラさん、デカンシヨ祭り号さんとばお別れです。皆さん荷物列車を撮られるのは、好みがあって.、それぞれ撮影地は違っています。私は右眼の具合が悪いのであちこちと動き回るわけには参りません。駅撮りでよさそうな所を紹介いただいて、六塊厝站にしました。區間車に乗って向かいます。

きっぷは駅を出ませんので屏東まで買っておきます。
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燃える大地への旅 2017年 台湾 Part7 高雄のトラムに乗る・撮る

路面電車ファンでもある私です。前回2015年6月にも開業前の高雄トラムを訪問しました。その時の訪問記はこちらです。
訪台後の10月16日に体験乗車が開始され、徐々に延伸開業されて現在、C1-籬仔內站~C8-高雄展覧館4.5㌔の客扱いが始まっているそうで、今日は初めての乗車です。

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燃える大地への旅 2017年 台湾 Part6 枋山で撮る

 6:19 朝目覚めて東側のカーテンを開けると前に旧高雄站駅舎(1940年建築)が見えました。現在高雄站は2018年末を目標に全面地下化工事の真っ最中ですが、工事が遅延するのは当たり前の台湾ですので、順調に完成するのかハッキリと言える人はいません。
台鐡用に島式ホーム2本、高鐡用にも島式ホーム2本が用意される予定です。現在中心部まで乗り継ぎを必要とする高鐡は左營から延伸されるのを待ち望まれています。
この旧駅舎は新駅舎建設に伴い撤去される予定でしたが保存を望む声が多く、2002年8月16日から14日間をかけて今の場所まで移動されました。地下駅が完成した時点では出入り口として再使用されるそうです。
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燃える大地への旅 2017年 台湾 Part5 D51型(DT668号機)を撮る

第4日目 6月11日

今日はD51(DT668号機)を追いかけて撮ります。前にもD51に会うことはあったのですが彰化のヤードだけで終わりました。その後は動軸に亀裂が見つかった等の怪情報が飛び交い、とにかく走れなくなっていたのですが突然の復活でした。本格的に走った姿を見るのは初めてです。

今朝の朝食はバイキング会場でガッチリと食べまして4人一緒に台中站に向かいました。
① 台中 8:00(區間車)8:22 彰化

▲ 8:28 EMU1200系です。まだ元気に現役で頑張っています。
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燃える大地への旅 2017年 台湾 Part4 鳳凰の花の下で撮る

第3日目 6月10日 その2

① 横山 11:04⇒11:27 竹中 11:34⇒11:48 新竹

竹東~横山の撮影で以前ご一緒した台湾人の鉄ちゃんと再会しました。明日のD51撮影のロケハンをこれからするというと、海線のお薦めの撮影地を教えていただきました。また、この時期に鳳凰の花が咲いて絶景となっている造橋駅近くの撮影地で撮った写真をカメラのモニターで見せて紹介してくださいました。
鳳凰の花?」。見せていただくと地元長岡天満宮に咲く霧島つつじに似た緋紅色の花が満開に咲いている横を普悠瑪号が走っています。この方は以前にも台湾の武田尾三貂嶺」で白い花が咲く中を行く列車の綺麗な写真を取っておられました。中々の腕前の方です。是非とも今から行ってみたいと撮影場所を詳しくお聞きしました。
▲ 11:32 竹中にて高鐡との接続駅「六家」から来たEMC600系區間車に乗り換えです。後方に見えるのが高鐡の高架線です。 続きを読む

燃える大地への旅 2017年 台湾 Part3 内湾線を走る莒光號を撮る 

第3日目 6月10日

今日は普段は區間車しか走っていない内湾線に客車列車の莒光號が走ると言いますのでこれの撮影です。団長、大津の86さんと3人で向かいますが、全員内湾線は乗ったことはあっても撮影は初めてで撮影地が分かりません。
ネット情報やGoogle地図を見て竹東横山の中間に架かる橋梁が邪魔物がなくて編成全部を入れて撮れるのではないかと第一候補にあげました。第2候補は乗って見て決めようとなりました。

① 台中6:50(區間車)⇒8:24新竹8:29⇒8:43竹中8:46⇒9:16横山

朝は早くに出ようとしましたがホテルの朝食は7時からで食べられません。以前に宿泊した高雄のホテルでは持っていける朝食を頼むとサンドイッチ、バナナやジュースを入れてのバスケットを用意してくださいました。
台中の他のホテルでもコンビニで買ってきたのかサンドイッチとジュースが用意されましたのでこのホテルでも頼めばしてくれるのではと聞いてみましたら確約できないが出発されるまでに準備ができているバイキングは適当に持って行ってもらっても良いですよと、言われました。
6:30過ぎにレストランに行きましたが、大したものはありません。コーヒーとパン、お粥はあったのでつまんでから出発しました。

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燃える大地への旅 2017年 台湾 Part2 花蓮港線でC57(CT273号機)を撮る

▲ 10:56  6両の青い客車を牽引して花蓮站を発車してきたC57(CT273号機)です。今まで何回も訪台はしていますが、CT273号機とはすれ違いがあって、撮れるキヤンスに恵まれませんでした。

台湾では鉄ちやん対策もあって臨時列車が走るかどうか、またそのダイヤについて公表されるのは一週間前程度の直前が多くいつも予定を組むのに一苦労しています。今回は団長さんに全てー任しておりましたので決たことをお聞きするだけで済みました。団長さん苦労をおかけしまして申しわけこざいませんでしさ。それでも6月9日は台鉄の鉄道記念日なのご何か走るだろうとの推測で計画していただきました。当初はD51が走る事をキヤッチしましたが、C57は直前の判明でした。そのため、宿泊ホテルも急遽変更してでの桃戦になりました。。 続きを読む

燃える大地への旅 2017年 台湾 Part1 旅立ち、花蓮へ

【 旅立ち前 】
3月29日、あってはならない出来事が発生しました。以降、喪失感と現実を受け止められず過ぎていく毎日を苦しく過ごしました。何のやる気も怒らず、脱力感のみに支配されていきます。どうしたら立ち直れるのだろうと、考えることもできずにいますと、最初に昨年インドネシアへご一緒したTさんから6月23日~27日に中国大連・瀋陽へのツアーを計画しているので参加されませんかとのお誘いが入りました。続いてクモハ73106東ウラさんからも6月9日の台湾鉄道記念日にはD51に続いて前日にC57も走ることが分かった。一緒に行きませんかとのお誘いです。
さすが即答はできず悶々としていましたら日頃はそんなこと言わないJunirから「こんな時だから、元気が少しでも出るように行って来たら」と、後押しが入りました。連続しますが普通の状態でないのだから無理しても行くことで少しでも救われるかもと、参加の申し出をいたしました。
この時ほど鉄ちゃん朋友ほどありがたい存在はないと感謝しました。
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凍える大地への旅 2016年 Part21 青春18きっぷの旅 稚内、帰途

第12日目 12月20日

12月8日関空から天津へ向けて出発した凍える大地への旅も12日間の最終日を迎えました。最後の宿のドーミーイン稚内は朝食バイキングの良さでは評判のホテルです。
6:00 期待してバイキング会場へ行きました。
▲ これがウリのイクラ食べ放題朝食です。函館にも有名な朝食で食べ放題のホテルがありますが負けていません。
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凍える大地への旅 2016年 Part20 青春18きっぷの旅 稚内、北防波堤ドーム、稚泊鉄道連絡船

第11日目 12月19日 その3

15:50 稚内駅バスターミナルに戻り荷物を預けていたホテルにチェックインしてから待望の北防波堤ドーム稚内桟橋駅に向かいました。
初めて北海道に来たのは1968年(昭和43年)8月、まだ18歳の時で稚内にも参りました。その後訪問したことはなく今年で丁度50年ぶりになります。その時撮ったネガが見つかれば当時のことを詳しく紹介できるのですが現在行方不明なのが残念です。
鉄道雑誌で見たことはあっても実際見てみますと防波堤ドームの高さや長さに驚かせられました。ドームに入るとまだ蒸気機関車の煤煙の臭いが残っていたのだけはしっかりとした印象として覚えています。しかし半世紀が経過した今はすっかりと消えてしまっていました。
ここに列車が発着する様子を是非に見たかったと、また思いました。

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凍える大地への旅 2016年 Part19 青春18きっぷの旅 豊富⇒稚内

第11日目 12月19日 その2

② 幌延10:48(4325D)⇒11:56稚内

11:04 豊富を出発した4325Dは順調に終着駅を目指して北上を続け徳満到着です。
この駅もかつては木造駅舎がある千鳥式ホーム2面2線を擁していましたが1984年(昭和59年)11月のCTC化以降に無人化となり駅舎もホーム1面も撤去されてしまっています。

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凍える大地への旅 2016年 Part18 青春18きっぷの旅 音威子府⇒豊富

第11日目 12月19日 その1

① 名寄 7:51(4323D)⇒10:20 幌延
▲ 7:47 今日は名寄から旅の終着駅、稚内へと向かいます。朝日が上がってきた向こうの名寄駅ホームに停まる列車は、7:50の発旭川行きの快速なよろ2号3320Dです。私は駅舎側の一番線に入る稚内行に乗車てす。

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凍える大地への旅 2016年 Part17 青春18きっぷの旅 旭川⇒音威子府 ラッセルを撮る

第10日目 12月18日 その4

音威子府行きのキハ54-504に荷物を置いてからホーム先頭へ行き、午後2時頃には来るであろうラッセルを待ちました。

▲ 14:02 予想通り旭川に到着したラッセル車のDE15-2515号機編成です。南稚内からやってきてこれから折り返すようです。
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