凍える大地への旅 2016年 Part16 札幌→旭川 青春18きっぷの旅 その1

今回の旅の締めくくりは稚内行きです。初めて訪問したのは18歳の夏で約50年も前のことでした。サハリンへと渡る航路の乗換えのために日本では見られないドームがある乗換駅が設置されていました。また訪問したいと思っていましたが行けずじまいとなって昨今はJR北海道から「JR単独では維持困難な線区」と、宗谷本線(名寄~稚内)がノミネートされてしまいました。
このまま無視していたら知らぬ間に廃線になってしまうかもしれない。折角札幌まで来ているこの機会に乗りに行くべきと思いました。ついでに宗谷本線に走るラッセルカーも撮ってみたいと欲張りも出ましたので、これに合わせることにしました。
ただ、ラッセルカーは毎日走行しているようなのですが、今冬の運行ダイヤがネットからは調べても分かりません。昨年のダイヤは分ったので多少は変更があっても同じぐらいだろうと挑戦することにしました。
乗車は勿論鈍行列車、今日は途中の名寄までの乗車です。運賃は4,320円になりますのでお得な青春18きっぷ(1日単価2,370円)を利用です。
▲ 10:01 札幌駅10番線で発車を待つ721系電車の155M。ラッシュもすぎたのでガラガラの車内でした。
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トレランスのあとは釜石から秋田へ

総本家青信号特派員氏より「トレランス8号三陸鉄道を走る」が紹介されました。記事にもありますように、私もこのイベントに参加し、大船渡線BRTと三陸鉄道に初乗りするとともに、震災後6年が経とうとしている気仙沼・陸前高田・大船渡・釜石・大槌の様子を駆け足ながら実見してきました。ここでは被災地レポートではなく、イベント終了後 釜石から盛岡、八幡平を経て秋田までの旅の中で出会った鉄道を紹介したいと思います。

製鉄で栄えた釜石ですが、現在高炉はなくなり 製鉄所は発電事業や鋼線製造に特化し、加えて津波被害もあって 釜石にはかつての活気は感じられませんでした。新橋・横浜、京都・神戸間の鉄道開通に続き 明治13年に釜石鉱山から釜石港まで 我が国3番目の鉄道として工部省釜石鉄道が開通しています。その後いろいろな変遷をたどりながら、昭和40年3月末まで富士製鉄の762mm軌間専用線として 蒸気機関車による貨物輸送が行われていました。その専用線で最後まで活躍していた蒸気機関車が保存されていますので、訪ねてみました。

富士製鉄釜石 209号機 平成29年6月12日 鉄の歴史館前にて

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凍える大地への旅 2016年 Part15 札幌市電を撮る その5 車庫前~すすきの

第10日目 12月18日 その2

早朝のササラ電車を撮りたいとの気持ちはあったのですが眼が覚めたのは5時でした。ササラ電車は始発電車が走り出す前にレールの間に詰まった圧雪を弾き飛ばすのが仕事です。始発電車が走ってからでは遅いのですが、外に出ないわけには行きません。滑る氷雪路のために用意しておいた滑り止めを靴に蒔いて出動しました。▲ 5:50 西4丁目から狸小路へと 続きを読む

凍える大地への旅 2016年 Part14 札幌市電を撮る その5 昭和46年当時の札幌市電

第10日目 12月18日 その1

今日は札幌から名寄へと青春18きっぷを使っての乗り鉄旅ですが、札幌発車時刻は10:07で十分に時間があります。朝からもう一度札幌市電の撮影へと出かけることにしました。
▲ 河様からのコメントでお問い合わせ時代の札幌市電の系統別路線図です。7系統が路面ディーゼルカーが走行していた路線と思われます。
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凍える大地への旅 2016年 Part13 札幌市電を撮る その4 西線16条~中央図書館前

第9日目 12月17日 その4 西線16条~中央図書館前

16:52 路上に積まれた除雪の壁が続いて撮影ポイントが見つからず次のロープウェイ入口に着いてしまいました。
▲ 16:53 ロープウェイ入口 細雪がドッと振り出して良い感じになってきました。248号車です。
【DATA】 NikonD500 AF-SNIKOR 24-70㎜ F2.8、ズーム31㎜、1/40秒、F2.8、ISO1400 レンズ性能を信じて、絞りはF2.8に固定して絞り優先のISO感度はオートで挑みました。
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凍える大地への旅 2016年 Part12 札幌市電を撮る その3 西線6条~西線16条

▲ 札幌市電の電停に設置してある運行状況表です。西線16条に掲示してあった早見表ですが、現在次に来る市電が今どこまで来ているのか一目瞭然に分かります。
これなら待っている利用客がイライラすることもありません。世界各地の路面電車を訪問していますが、〇系統のトラムは後〇分で来ますとの表示を見る事があって便利に思えましたが、札幌はもう一歩進んだ案内ですね。広電にもあったら利用客には喜ばれるでしょうね。
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凍える大地への旅 2016年 Part11 札幌市電を撮る その2 西8丁目~西線6条

前回、凍える大地の旅の紀行記 Part10を投稿したのは2ヵ月前の3月28日でした。続いての原稿も書き始めていましたが翌日、あってはならない出来事が発生しました。そして受け止められない余りのショックに投稿する気力すら失ってしまい休止が続きました。
ようやく2ヶ月が経っても、まだ現実を認識できず悲しみだけが積み重なる日々を過ごしていますが、ぶんしゅう旅日記は私の人生の軌跡です。途中で終わってはいけない、次の旅に立つ前には完了させておきたいとの気持ちが生まれてきました。殆ど皆無の気力ですが振り絞って、続けて投稿をさせていただきます。
お見苦しい点もあろうかと思いますがお許しください。また何分、いつもと違って時が経ちすぎていますので記憶も薄らいでいます。間違いもあろうかと思いますがこの点もよろしくお願い申し上げます。

第9日目 12月17日 その2
▲ 14:04 すすきの電停で運行調整をする外回り、内回りの8500形、乗降客が多い電停ですので屋根がありロードヒーティングも設置されています。右の内回りに乗り込みました。 続きを読む

 地図を携えて線路端を歩いた日々 -9-

西舞鶴の5両のC12は、西舞鶴、東舞鶴駅の入換のほか、勾配区間の補機、小浜線松尾寺にある日本板硝子の専用線の入換と、地味なC12としては、大活躍のシーンを見せていた。

D地点 〈東舞鶴〉
白鳥峠を越えると、舞鶴線、小浜線の分岐駅となる東舞鶴に到着します。東舞鶴駅は、切欠きホームも含めた二面四線の構造で、西舞鶴と似た構造です。側線が多いのも同じで、機関区こそありませんが、転車台、給水タンクもあり、変化のある駅風景を提供していました。東舞鶴は、軍港として発達したため物資輸送のため港へ向かって多くの引込線が伸びています。そのなかで、通称、中舞鶴線(正式には舞鶴線の支線扱い)は、兵員輸送もあって大正8年から旅客営業を行っていました。珍しいのは、東舞鶴を出ると、西舞鶴方の引上線に突っ込み、スイッチバックして中舞鶴方面に向かっていました。当時、旅客は5往復、C12の貨物が1往復ありましたが、昭和47年10月に廃止されます。昭和43年10月のお召運転時に初めて東舞鶴を訪れ、これから牽引するC58223〔豊〕+C5856〔西〕を写す。区への出入りは全く自由ながら、ロッドを揃えて公開するサービスはなかった。お召を撮影して、駅に戻ると、小浜線内を牽いてきたC58171〔敦一〕が日章旗も畳んで静かに休んでいた。

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 地図を携えて線路端を歩いた日々 -8-

西舞鶴~東舞鶴での初撮影は、お召列車だった。東舞鶴で牽引機が交代したお召は、C58223〔豊〕+C5856〔西〕の重連で白鳥峠を越える。この日、お召は、若狭高浜から豊岡まで運転された。以前の本欄ではカラーを載せたので、今回は手持ちで連写したモノクロを(昭和43年10月)。

C地点〈西舞鶴~東舞鶴〉

舞鶴の市街地は、城下町・商港として発展した西舞鶴と、軍港として栄えた東舞鶴に分かれ、かつては舞鶴市、東舞鶴市と、別の市でした。二つの市街地を分けるところにあるのが白鳥峠で、距離は短いながらも、両方向から25‰勾配が続き、前補機、後補機など、蒸機の活躍が見られました。
以前のデジ青でも記しましたが、昭和43年10月の福井国体でお召列車が運転され、あわせて兵庫・京都北部の行幸もあって、同区間で運転されたものです。運転された当日は、同学年のM君ともに東舞鶴へ行き、駅構内で待機中のお召機を写した後、国道沿いを峠へ向かいました。予備知識もなく、適当に歩き出したのですが、やがて、国道と線路が平行し、築堤となった線路を見下ろす場所に行きつくことができました。

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 地図を携えて線路端を歩いた日々 -7-

夕方の西舞鶴駅、盛大な煙を吐いて、重連の牽く列車が発車して行った。まだ暑さが残る。窓は全開だ(昭和45年8月)。
B地点〈西舞鶴〉
つぎの撮影地はB地点、と言っても駅間ではなく、西舞鶴の駅構内です。機関区の所在する西舞鶴へは高校生時代に訪れて以来、何回か行き、宮津線への乗換え時間に発着する列車も撮影してきました。駅は宮津線用の切り欠きホームも含む二面四線構造、西側に機関区、東側に広大な貨物側線があり、地方の中枢駅の典型的な駅構造でした。また地図を見ても分かるように、臨港線や工場の引込線が多くあり、貨車の出入りも活発でした。

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三重・岐阜の旅(4)

塩浜からバスであすなろう鉄道泊駅に向かう途中 予定していなかった南四日市駅での山九DB20との出会いに気を良くして泊駅まで歩き、あすなろう鉄道全線に乗車しました。今年4月に下津井で保存中のナロー電車に乗り込んでいたとは言え、現役のナロー電車は久しぶりの乗車体験で興奮しました。各車両とも更新工事が施され、車内のフロアスペースを犠牲にしてエアコンを設置したり、紫外線カットガラス?にするなどサービス向上への取組みの跡が見られました。きれいな車体とは不似合いな吊掛けの何とも言えないモーター音を堪能しました。あすなろう鉄道にも満足し、近鉄富田へ向かいました。三岐鉄道に乗り換えて、まず車庫のある保々で下車。短時間ながら、車庫周辺を歩いて 居並ぶ電機を撮影しました。セメント列車が運休期間中なので、多くの電機が休んでいました。

ここで珍しいものを見つけました。

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 地図を携えて線路端を歩いた日々 -6-

“昼寝”している寝台車を活用した全車指定の海水浴列車、臨時急行「はしだてビーチ」。冷房付き客車はグリーン車、寝台車、食堂車に限られ、座席車では皆無だった時代、いちばん暑い時期に冷房付きの列車に乗れるのは画期的で、乗車率も高かった。舞鶴線内は福知山区のC57が牽いた(昭和44年8月)。

A地点 〈真倉付近〉
写真展も終わって二週間余り、まだ高揚感が覚めやらぬところですが、少し間の開いたデジ青投稿に集中することにします。「地図と撮影地」シリーズの第二回目は、京都からは日帰り圏内の舞鶴線真倉~西舞鶴~東舞鶴としました。高校生の時から機関区訪問で西舞鶴などに下車することはあっても、駅間の走行中を撮影に行ったのは、昭和44年の大学2年の時でした。添付の地図は、その後に購入の多色刷りですが、当時買った地図は、まだ右書きの一色刷りの旧版地図で、未知への土地へのイメージを大きく膨らませたものです。

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三重・岐阜の旅(3)

日本石油四日市製油所に出入りするタンク車は塩浜貨物駅でJR貨物のDD51と受け渡しされます。その様子を見てみましょう。塩浜駅着発のタンク車は篠ノ井線南松本駅間に不定期を含め5往復が設定されています。内陸部へのガソリン輸送はやはり鉄道輸送が最適なのでしょう。

平成29年5月11日 塩浜貨物駅にて 右はD51889+DD51857。左はDD511146

上の写真は 先ほど日通のDLに牽かれて到着した満タンのタンク車の先頭に愛知機関区のDD51889+DD51857が連結さたところです。このあと一旦本線上に引き上げて、近鉄線に近い側の出発線に転線します。

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北欧の旅(カートレイン)

少し日が経ってしまいましたが、3月初めより2週間北欧に行ってまいりました。日本から一番近いヨーロッパと言われるヘルシンキから北欧3か国とエストニアを訪れ、ドイツ経由で帰国、主に乗ることを楽しむ旅でした。この中で今までデジ青に載ったことがない話題についていくつか報告させていただきます。1回目はカートレインという車と乗客を一緒に運ぶ列車についてです。
私は見たことがありませんが、1980年代から90年代にかけて日本でもカートレインが運行されていました。当初は人気があったものの、10年余りで廃止され短命に終わったようです。日本のものは自動車を運ぶク5000形とは異なり、ワキ10000形を改造し1両につき3台の車が運べるというものでした。積み込みの方法は自走してまずパレットに載せ、このパレットをフォークリフトでワキ10000に積み込むというものです。これに対しフィンランドのものは2種類の専用車があって、私の見たものは二階建てで1両に12台が運べる本格的なものです。妻面が開くと隣の車両とは踏面がつながって、内部を車が自走することができます。スロープから自走して奥から順番に収納されるため積載にかかる時間は短くて済みます。ヘルシンキを中心に南部地方からからラップランド地方を結ぶ路線でおおむね3往復、週末は加えて2往復運行されており、寝台列車に併結されます。

↑ 1両の長さは31.6m、中央部が蛇腹状になっていてカーブに対応しているようです。 続きを読む

三重・岐阜の旅(2)

名松線の乗り鉄を楽しんだあとは、松阪から近鉄で塩浜に向かいました。西日本では見ることができなくなった石油類輸送のタンク列車とそのタンカーを受け渡す小型ディーゼル機関車とDD51を見るためです。近鉄塩浜駅はJR貨物塩浜駅に隣接しています。この塩浜貨物駅の先に日本石油の製油所があり、小型のDLがタンク車を牽いて塩浜貨物駅まで出てきます。

引込線に何か所かある踏切に警戒員が出てきた

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三重・岐阜の旅(1)

写真展の最終日に祇園を訪ねたあと、近鉄特急で伊勢方面に向かいました。主目的は三重県下の私鉄・専用線訪問です。まずは訪ねたことのないJR名松線の乗り鉄から開始です。

平成21年の台風18号による被災によって 家城駅から伊勢奥津駅まではバスによる代行運転が続けられ、鉄道の存続も危ぶまれた名松線ですが 平成28年3月26日に不通区間は復旧し、何とか運行が続けられています。松阪発9:38の411Cで名松線初乗りです。

平成29年5月11日 松阪・六軒間の名松線分岐点

松阪駅を出てすぐに紀勢本線から分岐するのかと思いきや、かなり本線上を走ったところでようやく分岐点があり、またそこから本線とかなり並走してからようやく本線と離れてゆきました。

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寒中北海道見聞録 10号車(最後尾)

京都を出て18日目、小林氏と私は青森駅から米坂線に向かいます。

 ・雪の米坂線を行く

4:38米沢着。米坂線一番列車は5:10発121レである。

59663[坂]+オハフ61521(坂町行)+オハユニ6145(今泉行)+オハフ61360(今泉行)+オハ61302(坂町行)+オハ61413(坂町行)+スハニ642082(坂町行)(全車秋ヨネ)

今泉までは平坦線で田園風景(と言っても夜明け前でよくわからない)の中を行く。やがて空が白み始める。夜明けはいつ見ても良いものである。今泉では30分余り停車する。大きい荷物をかついだ行商人が多く乗り込んでくる。おばさんたちはひとまず荷物を置いてホームでソバをすすっている。ホームの外れでは96が石炭と水の補給を受けている。今泉の駅はおもしろい駅で、赤湯から来た長井線が今泉で米坂線と接し再び別れて荒砥まで伸びている。

6:27今泉を発車した列車は次第に山間部に入って行く。車内には高校生が多く乗っている。あちこちで見たのであるが 人口密度の低い地方では学校も大きな町にしかなく 遠くから一番列車で通学する生徒を見るといつも感心せずにはいられない。

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寒中北海道見聞録 9号車

運転停車が非常に長くなり、乗客の皆様には「あるいは途中運休か?」とご心配をおかけしましたが、ようやく発車致します。8号車では北の果ての日曹炭鉱専用線をご紹介したところまででしたが、9号車は昭和44年3月9日 稚内からのスタートです。

 ・羽幌線を南下

さて興奮さめやらぬなか豊富から326Dで幌延へ向かう。幌延から羽幌線、留萌本線経由で深川、岩見沢へ出て 再び大雪6号で常紋を訪れるという計画であった。大雪6号は岩見沢から乗るので もし空席がなければ翌日の行動に差し支えるので 幌延での乗り換え時間を利用して 大雪6号の座席指定券を買うことにする。乗車当日ではあったが、幸いにも2枚指定券がとれた。これで明日は張り切って常紋で活動できる。

幌延駅で買った「大雪6号」の指定席券

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旧図を携え廃線跡を歩いた日々 (魚梁瀬 編)

総本家青信号特派員氏の記事に触発され、題名をパロッてみました。
私が廃線跡を強く意識したのは、DRFCのメンバーと出石鉄道を訪ねてからです。
元々模型の森林鉄道用機関車(ギヤード・ロコ)に興味があり、Shayの歴史を調べていて魚梁瀬(やなせ)森林鉄道の事を知りました。
高知県を中心に材木伐採用の軌道が数多く存在していましたが、森林鉄道は魚梁瀬のみで、他は林用軌道です。
旧図を見ていて、色々な場所に軌道のマークが付いており、それを一覧化したのが以下の図です。

もと高知営林局管内の林用軌道

お遍路巡りに倣い、林鉄の廃線跡紀行なんて、いかがでしょうか?

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 18きっぷで東海道を巡る -5-

桜の三岐鉄道へ

ことしの桜は天候には恵まれなかったものの、気温が低かったぶん、長期間楽しめました。デジ青でも、各位の活動ぶりを拝見しています。18きっぷの消化・駆け込み撮影は、毎度のことですが、今年は18きつぷ最終日4月10日でも、十分に桜撮影に間に合い、今回は三岐鉄道へ行くことにしました。三岐はかなり行っていますので、今回は、「前パン電機重連の上り貨物」と「北勢線復刻色編成」の二つに絞ったサックリ撮影となりました。
桜並木の横を行く、三岐鉄道4714貨物列車、三岐線沿線には桜は多いが、線路に沿った桜並木は、ここ梅戸井駅下車、徒歩5分のJA横しかなく、以前にも訪れた。晴れていれば、バリ順の地点だが、今日は雲が厚い。

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