【88682】半世紀前の神戸市電-併せて街の今昔対比(1)須磨

2017年は神戸開港150年です。それとはあまり関係が無いのですが、半世紀前の神戸市電と街の風景を対比してみたいと思いました。初めは市電の西端、須磨駅前です。

筆者が子どもの頃、須磨区の若宮から須磨浦までおよそ3.5kmの海沿いはみんな、魚釣りができたり遠浅の海水浴場がある白砂青松の素晴らしい地域でした。東須磨の自宅から若宮海岸なら歩いて20分。山陽電車に乗れば須磨駅の隣り、須磨浦まで15分。海水浴や釣りで須磨駅前もよく通りました。

安全地帯のある停留場、須磨駅前を画面右・東方向に向け発車する3系統935号。市電の背後に赤地に白文字で『須磨』と書かれた停留場標識が見えます。その右に焦げ茶色の瓦葺の屋根がありますが、山陽電車・須磨駅入り口です。ホームは階上で画面左上に架線と鉄支柱が見えます。画面中央右寄りにある箱型の建物は現在も残っています(後述)。

3系統は須磨-東尻池-中之島-神戸駅前-三宮駅前-県庁前-長田-東尻池-須磨に至る循環線でその逆コースが4系統でした。1965.2.28 撮影 C0802▼須磨駅前。南側から北西方向を見ています。750型758号。間もなく右・東方向に出発します信号塔もありました。1962.10.15撮影 06032
▼到着し、線路の終端近くに停車する900型944号。折り返しは左手先で、手前の線路に渡り、左・東方向に進みます。系統番号札や行き先表示板、さらには掃除用のバケツ、水撒きジョウロ(如雨露)などが置いてありました。 1960.8.21  00104▼現在の須磨駅前交差点から国道2号線、西方向を眺めました。画面左手に写る茶色の大きなマンションは当会の重鎮様のお住まい近くです。元の藤田ガーデン跡地で震災で大きく被災し、跡地にマンションが建ちました。その前を阪神のオレンジ車輌が山電・須磨駅に接近中です。また、画面右手に進めばJR須磨駅、左手が東、市電の進んでいた方向となります。 2017.07.22撮影その交差点で振り返り海岸方向を望むと、JR須磨駅です。
▼須磨駅前交差点から斜めに東方向を見ています。1000型1007号が発車し、500型が終点に近づいて来ました。後年14系統は鷹取(車庫)から将軍通り行きでしたが、この当時は須磨から将軍通り行きのようでした。1960.8.21 00106
▼現在の山陽電車須磨駅入り口。三角屋根の下を潜り、改札口に向かう。ホームは階段を上がり、階上にある。線路は高架上にあるのではなく、山裾を切り崩した高台を通過します。
▼この記事最上段のカラー写真、市電の先端近くにある箱型の建物がそのまま残っています。当時は須磨信用金庫西須磨支所でしたが、現在は耳鼻咽喉科医院です。須磨駅を出発し国道2号線を歩いて、東の方向に向かいます。綱敷天神さん前を通り、天神橋を越え、鷹取、若宮方面に進んで行きます。次回をお楽しみに。

半世紀前の神戸市電-併せて街の今昔対比(1)須磨” への2件のコメント

  1. ツルカメ氏4コマ目左上に移り込んでいる集合住宅に住んで15年になります。ここは元藤田男爵の別荘だったのが、戦後有料公園(というのか)藤田ガーデンになり、デートスポットでした。たった一人の別荘地に、今や250軒700人ばかりがひしめき合っています。展望は絶佳ですが、景色で腹はふくれませんわな。なお須磨駅前も昔の市電終点だった時とは様変わりで、かつては映画館が2館、銀行も三つ四つあったのが、今や信用金庫が一つ、コンビニが3店。全国ブランドの店は、牛丼屋、餃子の王将、ケーキの不二家ぐらいのもの。まあJR快速が止まるのと、女子大があるので若い女性がバス、タクシー相乗りのため並んでいるのが、僅かな救いではありますが。

  2. 須磨の大人様
    コメントをありがとうございます。もう15年になりますか?やけに早いのが最近の日時の経過です。迎えたくも無いのについ10日ほど前に喜寿とか。やだやだ。ところで眺め抜群のお住まいはうらやましいですね。元日の日の出など鉢伏山に登らなくとも見えるわけですね。でも風雨が強くありませんか。須磨区上細沢の家も眺めはよかったのですが台風接近時は大変でした。昔はよく台風が来たものですから。

    映画館の覚えは無いですね。須磨寺寄りですか、国鉄側ですか、映画館の場所は。国鉄がまだ複線の時代、海岸よりの広い線路脇や、線路脇の堤防の上からゲタ電や80系や準急『みささ』をよく写した場所もまたこの近所でした。

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