「2012 サークルステーションIN三条」に現役同好会が参加

3000系の運行時間を調べるために京阪のホームページを開いてみると最新情報の項目の中に「同志社大学×京阪電車連携イベント 2012サークルステーションIN三条」の開催についての発表があって、開いてみると現役の鉄道同好会が鉄道模型展示と運転で参加することが記載されていました。このイベントは平成22年から開催されていて、今回で3回目だそうです。前回までは「同志社グリークラブ」の男性合唱と「同志社大学マジック&ジャグリングサークルHoucus-Poucus」のマジックショーでしたが、あらたに3サークルが参加し、そして鉄道同好会の鉄道模型の展示運転と盛大に行うようです。開催日時と場所は下記のようになります。

場所 京阪電車「三条駅」地下1階コンコース
日時 平成22年9月22日(土、祝日)
男性合唱、マジックショーなど  13時30分から16時(予定)
鉄道模型展示と走行       12時00分から15時30分(予定)

詳細は京阪のホームページをご覧ください。OB会員の皆様、現役の活動を盛り上げに行きましょう。文字だけでは寂しいので学生時代に撮影した3000系6連の写真を掲載します。

大垣の朝

9月8日【23326】でINUBUSE氏が養老線に転属した正統派ラビットカーの夜景等の投稿をされたが、1週間前の8月29日のこと、名古屋に行った時、昼前まで時間が空いたので、これ幸いと養老線を訪れた。

東京駅6時発「のぞみ1号」で出発、名古屋から東海道本線快速に乗継ぎ、大垣発8時43分桑名行に乗車して次の西大垣駅で撮影した。
乗車した桑名行は(←大垣)モ611+サ571+ク511で、旧車号はモ1801+サ6109+ク1901の元名古屋線と元南大阪線の混合編成であった。中間のサ571はク6109として新製され、後日運転台を撤去したため大垣寄りの妻面に丸味があり窓配置が変則になっている車両であるが、この車両に乗ったため撮影はできなかった。
以下、撮影順に紹介する。

西大垣9時発大垣行→9時16分発桑名行/モ612+ク512
旧車号はモ1802+ク1902で平成5年3月に転入している。モ1800形とク1900形は昭和41年に新製された名古屋線の通勤型車で各4両作られた。

9時29分大垣行→9時45分回送入庫/ク524+サ564+モ624
旧車号はク6114+モ6018+モ6017で平成5年6月に転入している。モ6000形は昭和38年に新製された南大阪線の通勤型車で新製時はラビット塗装であった。サ564はパンタが付いているため「M」に見えるが電装解除されている。

9時40分揖斐線運用車の回送入庫/モ602+サ552+ク502
旧車号はモ1657+サ6153+ク1752で平成5年3月に転入している。元名古屋線と元南大阪線の混合編成である。モ1650形は昭和38年(1651~1655)と41年(1656~1659)、ク1750形は40年に1751・1752がモ1600+ク1700形の増結用として作られた。モ1651~1654の4両は57年6月京都線急行新田辺~京都間5連化の時、新田辺区に転属して連結面に簡易運転台を取付け、京都寄りの先頭に連結されていたためご存知の方も多いと思う。
中間のサ552は養老鉄道唯一のトイレ付車両であるが、普段は施錠されており、団臨に使用時のみ使用される。サ6151形は、モ6000形のT車として43年にサ6151~6153の3両新製されている。

9時56分大垣行→10時14分桑名行/ク523+サ563+モ623
旧車号はク6108+モ6016+モ6015で平成5年12月に転入している。前歴等は前述のク524他3連と同じである。

10時27分発大垣行/ク521+サ561+モ621
旧車号はク6101+モ6012+モ6011で平成4年6月に転入している。そろそろ切り上げないと間に合わなくなるため、この電車で戻ったため、大垣駅で先頭のク521の撮影のみに終わった。(以前は全車両撮影できたが、線路際にホテルが建設されたため<大垣寄りの先頭車のみとなった)もう少し頑張ると、この電車と揖斐線の回送入庫が撮影できるが、そこは止むを得ないところである。

留置車/モ604+ク504
旧車号はモ1659+ク1952で平成6年7月に転入している。モ1659は昭和61年、ク1952は62年製で異系列同志の連結である。桑名寄りのク504のみ撮影可能であった。

INUBUSE氏が撮影された元正統派ラビットカーモ6858+モ6857のク506+モ606はあいにく車庫の中で、出庫は18時30分とのことで、帰りにリベンジしようとも思ったが、かなり暗くなるので今回はパスした。

養老線を初めて訪れたのは、現役時代昭和42年7月23日のことで、改造されていたとはいえ旧養老鉄道や伊勢電の車両を見て、近鉄にもこんな車両があったのかと驚いたものである。その後何回となく訪れ、そのたびに車両のバリエーションが増え、志摩線改軌で不要になった元三重交通の車両も転入した。その後元名古屋線のモ6301系列、モ6441形にほぼ統一されたが、新性能化、冷房化が推進され現在の車両になった。

現在の車両も昭和40年代に作られており、車齢を考えるといつ廃車になってもおかしくない。加えて近鉄では少子高齢化による乗客減により運転本数が減少傾向にあるため、今後南大阪線、名古屋線の比較的新しい車両に置き換えられる可能性もあり、引き続き注目していきたいと思っている。

ちなみに42年7月23日は、ロギング太郎さんと行動を共にし、養老線の後、岐阜の行くと市内線の単車の最終日、午後は名鉄金山橋で流電モ3400形、名古屋駅でキハ90を撮影した。

京阪旧3000特急車最後の夏

KAWANAKAです。

夏も終わりですが、京阪旧3000特急車最後の夏の続き。

I,W両氏と澤村氏の墓参を済ませた後、3人京阪で大阪都心へ。おかげでシールラリーが満印になりました。ここまで来たら、富山地鉄と大井川に詣でて締めくくりをせねばなりません。

9月の1,2日、富山に遠征しました。ちょうど富山は風の盆の時期であり観光客で混んでいたが、それを横目に京阪色3000に会いに行きました。夏の濃い緑に京阪色はよく合います。立山駅で念願のプレミアムカードをゲット。暑い中来た甲斐がありました。帰りの駄賃に旨い具合に475急行色に出くわし、それに乗車して帰途につくというオマケまでつきました。折角ですので定番の場所での1コマを。

次に、9日に大井川。早朝出発の老年18切符利用の日帰りです。同じ行くならカマも撮ろう、そしてカードを貰わないとあかんので、金谷から新金谷まで暑い中、真昼間歩き。新金谷で汗まみれになってプレミアムカードをゲット。シールが完成しました。

ただ、やっぱりというか予想とおり、3000は運用に入っておらず、ひっそりと新金谷に留置されていました。しばらく動かないとのことで、シールラリーに協賛するのであれば、「最後の夏」に走らせてもエエのではないかと、残念でありました。同じ思いをした同業者もおりました。折角なので福用まで出向き1コマとって帰途に着きました。走っている写真は撮れませんでしたが、走りたそうな3000が片隅から寂しそうに覗いています。

ついでに、8月に撮った旧3000もどうぞ。

これで小生の夏も終わりになりました。

広電(続々報)

今朝の中国新聞朝刊にまた広電の記事が載りましたので ご紹介します。5連接ではなく3連接の新車も計画中とのこと。横川や白島線から旧型車が淘汰されるのも遠くないことのようです。まずは大阪市電900型が危ない?

中国新聞 H24-9-11朝刊

キハ44000→キハユニ15

「昭和の電車」シリーズの次回の予想を立てるが最近は全く当たらない。国鉄モハ63形から始まった「63シリーズ」が長く続き、次は「改造連接車シリーズ」が始まったが僅か2回で終わった。次は大阪市電の改造連結車、終戦直後の南海と続いたので「終戦直後シリーズ」が始まるのかと思いきや、予想に反して今回はキハ44000形が登場した。

兵庫ふるさと通信員様よりキハ44005→キハユニ156をカラーでUPしていただきましたので、気動車に詳しい諸先輩方を差し置いて解説を試みた。

キハ44000形は、昭和27年から28年にかけて新製された電気式気動車で、DMH17Aエンジンに直結した300Ⅴ100KWの直流発電機を駆動し、発生した電力で後部台車に架装した45KW×2の主電動機を駆動した。
27年8月44000、44001が日本車輌(支店)で44002、44003が汽車会社で作られ千葉気動車区木更津支区に配置された。翌28年3月44004~44007が日本車輌、44008~44011が新潟鐵工所で、44012~44014が東急車両で作られ、44004~44008が木更津支区、44009~44014が大原区に配置された。木更津支区は主に房総西線(現内房線)、大原区は主に房総東線(現外房線)で使用されたが、土気~大網間の勾配区間でのパワー不足のため、程なく成田区に転属した。27年製と28年製では側面のスタイルが異なり、27年製はクハ86の初期車を3扉にしたようなスタイルに対し、28年製は窓が2段化され、上窓はHゴム支持(通称バス窓)になった。関 三平さんのイラストは先頭車が27年製、2両目は28年製で描かれている。

昭和32年4月の称号改正でキハ09形(1~15)となったが、同年度中に液体式とキハユニ15形(1~15)に改造され、全車千葉を離れて北海道を除く全国に分散した。

昭和50年3月末の配置表では、それ以前に廃車になった5、7、15以外の12両が健在で、山形区に4、水戸区に8、10、13、加古川区に3、6、9、浜田区に14、岡山区に1、11、徳島区に12、人吉区に2が配置されていた。

キハユニ151
キハ44000→キハ091、昭和33年3月大宮工場で改造されキハユニ151となった。当初鳥取区に配置されたが37年に岡山に転属して55年8月廃車になるまで在籍した。47年頃正面に貫通扉を設置した。/上:岡山駅 (44-10-19) 下:正面貫通化改造後/岡山駅 (49-11-23)

キハユニ153
キハ44002→キハ093、昭和32年12月大宮工場で改造されキハユニ153となった。当初鳥取区に配置されたが37年に岡山区に転属、更に48年9月に加古川区に転属して55年7月廃車になるまで在籍した。フロントガラスを小さなものに交換したため不細工な顔になった。/加古川区 (49-5-12)

 キハユニ154
キハ44003→キハ094、昭和32年12月小倉工場で改造されてキハユニ154となった。改造後から52年7月廃車になるまで一貫して山形区に在籍した。47年頃正面に貫通扉を設置した。/余目駅 (41-9-5)

 キハユニ156
キハ44005→キハ096、昭和33年3月大宮工場で改造されてキハユニ156となった。改造後から56年5月廃車になるまで一貫して加古川区に在籍した。/加古川駅 (49-5-12)

 キハユニ1514(連結面)
キハ44013→キハ0914、昭和32年12月大宮工場で改造されてキハユニ1514となった。当初加古川区に配置されたが、49年9月岡山区に転属、更に50年3月浜田区に転属して54年11月廃車になった。/加古川区 (41-3-6)

 【参考】
キハ44500→キハ15→キハユニ15
キハ44003~44014の新製と同時期、液体式気動車の試作車としてキハ44500~44503の4両が日本車輌で新製された。キハ44003~44014と同一スタイルで大宮区に配置され川越線で試用された。

昭和32年4月の称号改正でキハ15形(1~4)となり、34年度中にキハユニ15形(16~19)に改造された。改造後16、18は豊岡区、17、19は小郡区に配置され、昭和50年度廃車になるまで転属することなく在籍した。

キハユニ1517
キハ44501→キハ152、昭和35年3月大宮工場で改造されてキハユニ1517となった。50年11月廃車になった。/広島駅 (40-3-27)

 【その他】
キハユニ154と同じ日に撮影した「行先板」と「愛称板」を紹介する。
盛岡~秋田間を花輪線経由で結んでいた急行「よねしろ」の行先板で、夏の期間中は船川(昭和43年4月男鹿に改称)まで延長運転されていた。追分から直接船川に行かず、一旦秋田まで行き、船川線の定期の普通列車に併結され船川まで運転された。

 急行「月山2号」の愛称板。「月山」は上り2本、下り1本という不思議な列車で、上りの「月山1号」は酒田~山形間、「月山2号」は酒田・鶴岡~山形~仙台間の運転であった。
下りは、仙台~山形~鶴岡・酒田間1本のみの運転で、愛称は「月山」であった。従って「月山2号」の愛称板を表示する列車は上りのみであるが、専用の愛称板が存在した。

大垣の夜

9月5日の夜 岐阜あたりで急遽宿泊することになり、ネットで検索し大垣駅の横のホテルを予約しました。またとない機会なので 荷物を置き養老鉄道の西大垣駅へ向かいました。

西大垣駅です。本社や車庫が併設されており、乗務員交代も行われ 養老線の業務の中核的存在です。
中線もあり車両撮影しやすい所です。
次の電車を写したい旨 駅員に断わり 反対側のホームで待っていると なんと一編成しかないラビットカー色の電車がやってきました。

モ606とク506の編成です。もと南大阪線のモ6857とモ6858です。(昭和38年5月製造)
昔 河内松原在住の時 よく乗った正統派ラビットカーモ6800形32両、モ6850形8両のうち生き残っている2両です。当初この色でしたが徐々にマルーンに塗り替えられていき この2両は2009年9月にこの色に復活しています。
本日9月8日、「~ラビットカーのリバイバル塗装車に初めて乗れる~吉野線開業100周年記念列車ツアー」が運転されるようで この車両のふるさと南大阪、吉野線でも4両編成がリバイバル塗装車となるようです。車番は6051-6052-6171-6136のようです。元ラインデリア車の冷房改造車で、過去ラビットカー色の経験のない車両ですね。
ふるさとから遠く離れたところで 毎日頑張っているこの2両のラビットカー、末永く活躍してほしいと思っています。

次の電車は標準色 といっても近鉄本体の車両はツートンカラーとなっていますので単色塗装は養老鉄道の標準色ですね。

同じ場所での モ613とク513です。(元名古屋線のモ1803とク1903)
暗い中での手持ち撮影でしたが ライトの光の印象的な写真となりました。


大垣駅まで乗って来た ク524-サ564-モ624 の3両編成です。
もと南大阪線の ク6114-モ6018-モ6017 です。(昭和41年10月製)
42年3月末に名古屋から大阪に引っ越したころの最新鋭車で きれいなラビットカー塗装でした。
現在 養老鉄道は3両編成7本、2両編成6本 計33両 全車両近畿日本鉄道が所有しているとのことです。

次はおまけの樽見鉄道です。

専用ホームで発車を待つ ハイモ295-315 池田満寿夫デザインの特別塗色だそうです。
貨物列車が無くなり、客車も無く、今は気動車6両のみで 頑張っています。

大垣駅の北口は再開発され 商業施設などでにぎわっていますが、南側は以前からの雰囲気が少し残っており その一角にヨ8000が2両置かれていました。貨物駅とのことです。

ヨを見たところで食事に行きにホテルに戻りました。
犬伏

国鉄キハ44000その後の一つ、キハユニ156

キハ44000、第二次増備型の内の一両です。第一次と異なり、窓がバス
窓です。その後キハ09になり、液体化式に、さらに改造でキハユニ15と
なりました。兵庫県の加古川線には、湘南型正面の車が3両在籍したそう
でそのうちの一両、キハユニ156です。

1965年8月29日、719D 加古川線野村駅、現在の西脇市駅で撮影。
写真左は728D。ちなみにフィルムは、Agfa color でした。

富士フィルムが500年もつ?

読売新聞9月5日の学芸欄に「フイルムは残る」というコラムがあった。目下全盛を誇るデジタルも、遠からぬ将来再生できなくなる虞がある。記憶媒体の劣化や規格変更が理由である。アナログの録音テープ、8mm映画は完全に、VTRですら過去のものになている。しかしカラー映画を3色に分解し、白黒フィルムに記録すれば、「500年もつ」と富士フイルムが言っているそうな。

他のフイルムメーカーがいうのならともかく、事もあろうに富士とは。勿論引用原文が分らないから、軽率な批判はできないが、富士フイルムがヴィネガー・シンドロームで社会の膨大な文化を損ね、しかもメーカー自体は謝るどころか、一言の警告すら発せず、そ知らぬ顔の半兵衛を決め込み続け何十年。その富士が「500年もつ」とは、一体どんな顔でいっているのだろうか。厚顔無恥とはこういうものであろう。

恐らく富士フイルムは、かような自社の古い過去の(と自分では思っているのだろうが、富士ヴィネガー・シンドロームは現在でも脈々として進行中である)恥部など、職員に一切教育していないのであろう。日本を代表する企業の一員で、しかも現在細々ではあってもでも銀塩フイルムを造り続けている希少なメーカーだが、その富士フイルムの職員に、「500年もつ」ためには、一体どこのフイルムに記録したらいいのか聞きたい。へー、そんなことがあったんですか。でも今のウチのフイルムなら大丈夫ですよ、とのたまうのか。恐らく読売の記者も、そんな経緯を全く知らないでこのコラムを執筆したに違いなかろうが。

佐竹保雄講演会のお知らせ

佐竹さんの講演会が来たる10月14日の鉄道記念日に滋賀県草津市、南草津駅前のフェリエ南草津5階で開かれます。

詳しくは添付のパンフレットをご覧下さい。当日は家族連れや子供達も来てくれますが、鉄道マニヤは少ないかもしれませんのでOB会の会員各位はできるだけご参加お願いいたします。。

 

八月だ、もっと熱くなろう!赤道直下のインドネシアSL撮影の旅 Part7 PG.SUMBERHARJO(スンバルハルジョ製糖工場)

神谷武志企画のテレマカシーツアー  第4日目 8月7日 2の2



▲ 9:36、機関庫から1kmほど離れた所にある指令所に到着しました。ここは工場の敷地のはずれにあり、鉄道の運行を管理しています。しかし、遠くにDL9号機とローリーがいるだけです。このローリーに積んだサトウキビは、O氏が言われていた、運搬途中で落下したのを拾い集めたものなのですね。

▲ 指令所内に入った神谷隊長とO氏は、今日の運行予定について指令官から聞かれています。 
私は初めてですので、サッパリ分かりませんが、これから何時どこに行けば神谷隊長が思われているショットを撮れるかの大事な打ち合わせのようです。分からないなりにも聞いておけば、その内には分かるかもと聞き入りました。

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広電値上げ(続報)

昨日広電の値上げと旧型車更新のニュースをお届けしたのですが、以心伝心 今朝の中国新聞が採り上げてくれました。中国新聞さんも「デジ青」をチェックしているようです?! 「信用乗車」という言葉は初耳でしたが 宮島線も含めて均一運賃とは。そして車掌を廃止するとのこと。あの長い連接車がワンマンになるわけですが、今でさえ車掌が戸閉めで随分気を使っているのに、ワンマンだと運転士に相当負担がかかるように思います。赤字経営が許されない企業経営のためには、人件費抑制は避けて通れないこととは言え、厳しいですね。広電さんがんばってくださいと言いたくなります。と言うのも、広電の運転士、車掌は全員が正社員ではなく派遣社員がかなりの比率を占めていたものを、同じ仕事で賃金に差があるのはおかしいという組合建議を容れて正社員化してきた背景も関係しているように思います。広島の都市交通のかなめであり、地元に貢献している広電さんに 乙訓先輩のコメントにあるように どの程度の公的支援があるのか不勉強ですが 更なる支援を望みたいものです。

広電 旧型車更新加速のため運賃値上げへ

8月23日に広島電鉄は16年ぶりの運賃値上げを来年中国運輸局に申請するとプレス発表した。値上げの理由は旧型車、老朽車の更新を加速させたいためとしている。現行運賃は市内一律150円(白島線は120円)だが、170円~180円に値上げしたいとのこと。路面電車では国内最大規模を誇る広電はグリーンムーバーなど超低床車両への置き換えや電停のバリアフリー化を進めているが、現行運賃では更新がままならないと説明している。以前は低床の市内線と高床の宮島線に分かれていたが、現在ではその区別は無く、もと京都市電1900型をはじめとする単車が65両、永久連結車と連接車70編成が活躍している。単車の大半が車令45年以上を経ているため2027年までに48編成を新造し、老朽更新を進めたいとしている。京都1900型は15両が元気に広島市内を走り回っているが、旧神戸市電の570型、1150型はそれぞれ1両になり、旧大阪市電の900型も9両に減っている。旧西鉄も然り。市民に好評の超低床連接車は1編成2~3億円かかり、また連結車ばかりになると広島駅前のターミナルも狭隘で、宇品終点のような連結車にふさわしい駅への大幅改装も必要なため値上げはやむなしということになろう。釣り掛けの旧型車に乗ったり、撮影できるのもあと数年になりそうである。路面電車好きの諸氏は是非広島へ足を向けて下さい。

国鉄キハ44000型

珍しく、国鉄の車両です。

キハ44000型、この当時の気動車は湘南型を気取っていましたね。このあとキハ10系へと変化しますが、エンジンは懐かしのDMH17シリーズのA型です。おもえば気動車と言えばこのエンジンで、湯口先輩の講義で聴いた「このエンジンからの進歩がなかったことが我が国の気動車にとっての不幸だった」を痛感します。

115系三昧の夏の一日

8月中旬、JR東日本のホームページを見ていると、湘南色の115系の臨時快速「むさしの奥多摩号」が大宮~奥多摩間運転されると書かれていました。115系が青梅線に入線することは珍しいことです。

インターネットで検索すると、運転日は、7月28・29日、8月4・5・11・12・18・19日で、ヘッドマーク付で運転されているようです。ただ、115系の調子が悪く、運転が中止になったり、E233系の代走になったりで、あまりうまく走らない臨時のようです。

そろそろ引退も囁かれている115系ですので、一念発起して、18日土曜日に青梅線に出かけることにしました。いろいろ行程を検討すると、当日南越谷~鎌倉間運転されるスカ色の115系M40編成を使用した「ホリデー快速鎌倉号」の回送も撮影できるようなので、準特急さん・新所沢都民さんに、「宜しければ、いかがですか?」とお声をお掛けしたところ、前日にも関わらず、参加するとのことでした。

当日、始発電車で最寄の北総線印西牧の原駅を出発、浅草・神田経由で新宿へ。前日に購入した新宿6:38発の183系全車指定臨時快速「みたけ・おくたま探訪号」に乗車、一路御嶽を目指します。車両は、前後に特急のシンボルマークが付いたOM103編成ですが、幕がないため、「臨時」表示です。乗車率は、新宿出発時点では、10%も満たない状況でした。

所沢新都民さんは、この列車を途中で撮影するとのことでしたが、拝島での乗り換えに失敗し、結局のところ撮影できず、御嶽で三人集合となりました。

この面子が揃うと、過去の経験から雨の確率が高いのですが、やはり期待通り小雨がポツポツ降るような状況の下、川井で下車。川井から御嶽方面に戻った旧東川井信号所跡で、115系湘南色の快速「むさしの奥多摩号」を撮影。

川井駅に戻り、新宿から乗車してきた快速「みたけ・おくたま探訪号」の回送を撮影しました。

川井駅から古里駅に行き、中線に長時間停車の快速「むさしの奥多摩号」の回送を撮影したころには、日が差してきました。

その後、今度は、スカ色115系の「ホリデー快速鎌倉号」を撮影するため、武蔵野線へ。当初は、駅間でとも思ってましたが、再び雲行きが怪しくなり、結局、屋根のある西国分寺駅で、1時間ほど、回送を待ちました。

やって来た「ホリデー快速鎌倉号」の正面幕は、快速のままでラッキーです。

そのあと、元お召し機のEF8181もやってきました。

東所沢に回送後、再び、鎌倉に回送される列車まで、二時間弱。昼食ということで、西国分寺駅周辺を探しましたがお店がなかなか見つからず、やっと見つけたお店で、生ビールと刺身定食で、前半の反省会と相成りました。

再び、ホームに上がると夏の日ざしが差しており、順光で回送を撮影できました。残念ながら、今回は、幕が回送となっていました。(本来の姿ですが・・・)

ここで、新所沢都民さんと別れ、再び準特急さんと青梅線へ。この頃には、夏の日差しが照りつけて、腕が痛いほどです。雨の原因は???

青梅駅で下車し、奥多摩よりに歩いて、快速「むさしの奥多摩号」の回送と快速「みたけ・おくたま探訪号」の回送を撮影した後、朝撮影した旧東川井信号所に舞い戻り、快速「むさしの奥多摩号」撮影した後、青梅で解散となりました。

115系三昧の夏の一日でした。

なお、「ホリデー快速鎌倉」は、豊田区の115系M40編成で運転されてきましたが、先日発表されたJR東日本の秋の臨時列車運転計画では、183系となっていました。115系の引退の日が近づいてきたようです。

八月だ、もっと熱くなろう! 赤道直下のインドネシアSL撮影の旅 Part6 PG.SUMBERHARJO(スンバルハルジョ製糖工場)

神谷武志企画のテレマカシーツアー  第4日目 8月7日 2の1


▲ 昨夜から宿泊しているペカロンガンのホテルニルワナ(Hotel Nirwana Pekalongan)で、朝食後いつものように6時半過ぎに出発しました。丁度、町は通勤と通学ラッシュです。白いヒジャブを被っている子もいました。ヒジャブは、イスラム教徒が、髪を隠すためのベールです。
踏切も渡りますが、インドネシア鉄道の注意マークはペケ2つです。

7:53、スンバルハルジョ製糖工場に着きましたが、工場前の線路には、空ローリーが留置され、サトウキビを満載したトラックが荷降ろしの順番を待っていました。

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