保存蒸機とその現役時代(35)

つくばEXP終点つくば駅から徒歩でおよそ15分のさくら交通公園に保存されているD5170である。D5170は1937年(昭和12年)9月日立製作所笠戸工場で製造番号870で製造され、当初は岡山区にあって山陽筋で活躍したようである。戦後1950年(昭和25年)に渡道し岩見沢区を皮切りに道内各地で活躍し追分区を最後に1976年(昭和51年)3月に廃車された。保存機の撮影は2016年5月4日の撮影でデフレクター(除煙板)を短くした晩年の北海道スタイルであるが、補助灯というのか予備灯というのかそれがはずされているのは好ましい。▼s-16-5-4%e3%81%a4%e3%81%8f%e3%81%b0d5170s-6-5-4%e7%ad%91%e6%b3%a2%ef%bd%845170

 

現役時代は1969年(昭和44年)3月14日倶知安駅を16時31分に出発する長万部発札幌行き137列車を牽引する倶知安区所属の同機である。機関車が黒くつぶれてナンバーが分かり難いがその分バックの羊蹄山(蝦夷富士)は比較的山容がわかる。この時はデフレクターの点検口が切り取られているが、デフ自体はまだ短く切り取られていない。▼s-69-3-14%e5%80%b6%e7%9f%a5%e5%ae%89d5170

10月のイベント案内

こんにちは。
同志社大学鉄道同好会の渉外担当です。

今週から授業が始まり、憂鬱な楽しい日々を送っている私ですが、皆様はいかがお過ごしでしょうか。

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先日、東京に行った際『TRAIN SUITE 四季島』の試運転を目撃することができました。
来年の5月にデビューということで、学生には手が届かない値段設定ですが死ぬまでに一度は乗ってみたいものです。

さて、今週末の10月8日・9日に鉄道同好会は「船場まつり2016 船場鉄道フェスティバル」に参加いたします。
会場は船場センタービル6号館2階で、開催時間は両日とも10時~17時となっております。
皆様お誘い合わせの上、是非お越しください。

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写真は昨年の様子です。

同志社大学鉄道同好会
渉外担当

沖縄に鉄道を求めて(その3)

3.沖縄都市モノレールに乗る

沖縄都市モノレール(愛称 ゆいレール)は平成15年8月10日に那覇空港・首里間12.9Km 15駅で開業しました。戦後はバスと自動車の生活が定着していたため モノレールが開業しても乗る人はいないだろうとまで言われたようです。今回初めて那覇を訪れてみて実感したのは、市内のあちこちでの交通渋滞でした。生活が豊かになってマイカーが増え、観光ブームの到来で観光バス、レンタカーが増えた一方、道路は狭いままでは渋滞するのは当然です。そんな中で開業したモノレールはフリークエントサービスと定時運行、そして高いところを走ることから眺めもよく、予想に反して人気の交通手段となったそうです。

平成28年9月26日 那覇空港駅に入線する1114+1214

平成28年9月26日 那覇空港駅に入線する1114+1214 X型のポイントを通過する。

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沖縄に鉄道を求めて(その2)

2.沖縄県鉄道 与那原駅

沖縄本島は那覇や首里のある南部の島尻地方、中部の中頭(なかがみ)地方、名護以北の国頭(くにがみ)地方に分かれます。特に北部は山原(やんばる)と呼ばれる原生林地帯のため昔は道路がなく 海岸に点在する集落への足は山原船(やんばるせん)という小舟に頼っていました。東シナ海側の那覇港は九州、奄美、石垣、中国、台湾などを結ぶ港ですが、北部や島回りの山原船の拠点は 太平洋側の与那原(よなばる)港でした。北部からは木材、木炭や黒砂糖が与那原に陸揚げされ、与那原からは生活物資が北部や離島に運ばれていました。那覇・与那原間の鉄道が大正3年12月に開業したことによって、那覇・与那原間の物流は従来の馬車輸送から鉄道に代わります。そんな物流拠点であった与那原駅が復元されているそうなので 見に行きました。なお地元では「軽便」のことを「けーびん」と呼びます。

平成28年10月1日 復元された与那原駅駅舎

平成28年10月1日 復元された与那原駅駅舎

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八月だ、もっと熱くなろう!2016年 赤道直下のインドネシアSL撮影の旅 Part13 スラバヤの線路際の市場、スラバヤ⇒バンコク移動

第10日目 8月11日

昨夜はインドネシアのシュガートレイン撮影の打ち上げでした。落花生さんとはこれでお別れです。我々は今日の飛行機でスラバヤからシンガポールでトランジットしてバンコクへと移動します。
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沖縄に鉄道を求めて(その1)

47都道府県のうち今まで一度も足を踏み入れたことがなかったのが沖縄県です。最大の理由は生きた鉄道が無かったためです。今回 別の目的で初めて沖縄県を訪れたついでに、かつての鉄道の名残を探してきました。沖縄にあった鉄道は、大正3年5月に開業した「沖縄電気軌道」と同じく大正3年12月に開業した「沖縄県鉄道」です。沖縄電軌は昭和8年8月にバスとの競争に敗れて廃止されています。一方の県鉄は 那覇を起点に与那原(よなばる)線、糸満線、嘉手納(かでな)線の3路線を有して県南部の主要な交通機関として機能していましたが、終戦直前のすさまじい艦砲射撃や空襲、地上戦などで壊滅し、戦後復興されることはありませんでした。この他にもサトウキビ輸送のための馬車軌道やトロッコ軌道もあったようです。そして平成15年8月の沖縄都市モノレールの開業まで 約60年近く鉄道のない時代が続きました。ただモノレールは鉄道であって鉄道ではないというイメージが強いのですが、ここでは鉄道として扱うことにします。

1.両備軽便鉄道 4号機のなれの果て

今回の沖縄鉄道探訪の最大目的はこの機関車に逢うことでした。かつて地元広島県下福山・府中間の両備軽便鉄道時代に4号機として活躍していたドイツ ヘンシェル製の蒸機の下回りだけが 那覇市内の公園にひっそりと保存されているのを見ないわけにはゆきません。

平成28年9月28日 那覇市壺川東公園にて

平成28年9月28日 那覇市壺川東公園にて

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 18きっぷで東海道を巡る -4-

ことし夏の18きっぷも先月10日で終わってしまいましたが、今年の夏は例年になく頼まれごとで忙しく、購入したものの、終了3,4日前になって3乗車分が残ってsyo60909-57いることが分かり、あわてて近郊にプチ撮影・見学してきました。ネットのイベント情報を見ていると、米原市の鉄道展に興味をそそられるテーマがあり、即座に実行しました。米原市は、“鉄道のまち”を公言しており、過去の鉄道史料・遺産の保存・顕彰を続けています。その一環として、「御召列車資料展」が米原市春照にある伊吹山文化資料館で行われました。  下車駅は東海道線近江長岡駅

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広電貨51号 走り出す

カープ優勝を祝って花電車に仕立てた貨51号が広島市内を走り始めました。10月1日の中国新聞記事です。

平成28年10月1日 中国新聞朝刊

平成28年10月1日 中国新聞朝刊

雨の日にも運行されるかどうかはわかりませんが、運転台上にはビニールテントの簡易屋根があり、前面には透明プラ板の風防もあり少々の雨でも運転士が濡れる心配はありません。運行期間は未定となっていますが、12日から広島で始まるCS6連戦でカープが見事優勝すれば、22日からの日本シリーズ期間中も走るのは間違いありません。椋田社長からのお手紙には「戦後復興のシンボルとして、弊社とカープはともに戦後の広島の歴史を歩んでまいりました。第3代伊藤社長がカープ球団の創設に尽力するなど、長年にわたりカープとは深い絆で結ばれており ・・中略・・ カープの51番を背負い目覚ましい活躍を続けている鈴木誠也選手同様、貨51号にも輝かしい活躍の場を与えてやりたいと考えています」とのうれしい一節もありました。まずはCSを乗り切り 次は日本一になって11月に入っても51号が広島の街を駆け巡ることができるよう カープの一層のがんばりを期待しているところです。改めて広島に取材に出向き、報告したいと思います。

三江線廃止は2018年3月末

ここ1週間 旅に出ておりましたのでお知らせが遅くなりましたが、三江線の廃止、バスへの転換は少し先延ばしされ 平成30年(2018年)3月末として廃止届が出されました。中国新聞記事を転載します。

 

平成28年9月29日 中国新聞朝刊

平成28年9月29日 中国新聞朝刊

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熊本電気鉄道「くまモンの電車」

元東急5000形改造の両運車5101Aと5102Aの後継として銀座線の01-136,01-636と01-135,01-635の2両編成2本が2015年3月16日と2016年3月1日に入線しています。
その2編成の内2015年入線の01-136,01-636の編成が「くまモンの電車」として2016年6月から上熊本、北熊本間で運行されています。

上熊本駅に向かう01-636です。入線後に大きなスカートが取り付けられ印象が少し変わっています。
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元京王貴賓車成れの果てと地方私鉄元京王5000系の追加

長ったらしい表題であるが、内容は二題あって別のものである。一つは2016.9.17付けデジ青[75248]関三平先生の貴賓車「京王電軌500号」を紹介された米手作市さんにその成れの果てらしき車両があることをコメントで申しあげたところ発表するように言われ用意した次第である。もう一つは同じく関先生のシリーズで京王帝都5000系が紹介された時、地方私鉄へ譲渡された姿を16.6.26付けデジ青[73063]および16.7.15付けデジ青[73443]で紹介したが、わたらせ渓谷鐵道のトロッコ列車に使用されている車両と今年になって活動を始めた京王→伊予鉄→銚子の遍歴を持つ銚子電鉄初の京王5000系車両を紹介できなかったので追加発表を行う。

まず、NHKブラタモリの高尾山をご覧になった米手作市さんから頂いた宿題の車両であるが、京王電軌貴賓車500号は1931年(昭和6年)雨宮製作所で半鋼製14m車両として製造され御陵線で使われる予定であった。以下は鉄道ピクトリアル2003年7月臨時増刊号NO734の合葉清治さんの「京王中形車の思い出」の中にある貴賓車に関する記述で、「御陵線開通後いくらも経たないうちに省線東浅川駅ができたので、皇族方の利用は一度もないまま1938年(昭和13年)に格下げされて一般車として使用された。この車両は1形式1車両で罹災(1945年5月の空襲)したため、原形は残っていない。日本車両東京支店で復旧して番号だけは残っていた。」とある。また、保育社カラーブックス「京王帝都」の著者合葉博治さんはその中で次のように述べておられる。「(大東急から分離独立して)京王帝都となった1年後の昭和24年5月、京王線に日車東京支店から7両の更新車が搬入。被災車の台枠を流用、14m化、京王初の全室仕切り運転台。車号も原番を踏襲、元貴賓車の2500の他、2501、2502、2205、2304、2305と両運転台車2407とされた。台車、主電動機は手入れ復旧、制御器は新製ながらHL、空制は京王初の自動ブレーキAMM、警笛はAW5型タイフォンを装備。のち全車が混成スモールT車とされ、昇圧後まで活躍した。」とある。

以上であるがもう少し付け加えると1938年に一般車への格下げ時に中間にあったトイレを撤去しそこに扉を増設して3扉ロングシート化している。1944年の大東急時代には元京王電軌の車両は2000番台となったためこの車はデハ2500となった。罹災復旧後1960年3月に東横車両で電装解除して運転台撤去、2010系の付随車サハ2503となり1963年(昭和38年)8月の昇圧後も使われたが1968年(昭和43年)12月に廃車されている。

写真は廃車が迫ったころのサハ2503である。尚、右の車両は同じような経緯を経たデハ2305を付随車化したサハ2553である。

1968.8.18 高幡不動 サハ2503▼s-68-8-18%e9%ab%98%e5%b9%a1%ef%bd%bb%ef%be%8a2503

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最晩年の583系を記録する

こんにちは。二回目の投稿になります。先日の投稿ではコメントをくださりありがとうございました。改めて、今後ともよろしくお願いします。

近年、インターネットでは画像投稿もTwitterで済ませることが多く、ブログも休止中のために長い文章と適切なキャプションをつける機会が減ってしまいました。一方で、この掲示板はこれまで小出しにしてきた写真たちを整理して残せるので非常に有難い場所だと感じました。デジタルカメラ世代らしく、撮り鉄歴12年目の若造にして総撮影枚数だけは5万枚ほどあるため、様々な写真を掲載していきたいと思います。

先日の初投稿日は渋谷で583系の団臨を撮影していました。583系をはじめて撮ったのが2004年9月でしたので、12年目の撮影となりました。よくぞ今まで残ってくれたものだと感心するばかりです。

583系についてはここで解説の必要がない車両だと思いますので割愛いたしますが、気が付けば残り一本となってしまいました。走行の度に沿線は大賑わいで、私も時にはその熱狂に混じったり、あるいはうんと距離を置いて変な場所から撮ったり、コマ数があることを良いことに自分なりのアプローチを試みています。

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(2009年3月 東北本線 岩切駅)

撮影枚数はそれなりにあるものの、ヘッドマークが付いた写真は僅かです。「はつかり」のマークはとても似合っていますが、やはり短さについ目がいってしまいます…。

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