中国鉄路のバイブル 『中国鉄道大全』 発行のご紹介

日頃、「デジ青」を見ていただいております阿部真之氏が、最新の中国鉄路を紹介した本を、10月18日に発行されました。昨日、発行元より早速に本が届きましたので、ご紹介させていただきます。本の名前は、『中国鉄道大全』です。

阿部氏は現在、广州に勤務お住いで、どちらかと言うと乗り鉄派で、時間があれば中国鉄路に乗車して各地を漫遊されておられます。それだけに最新情報については精通しておられ、中国鉄路を知る第一人者のお一人です。中国各地で見られ取材された、中身の濃い実体験談が、ぎっしりと満載されています。
長距離列車の旅、奥地に残る蒸気機関車、ナローゲージ地方鉄道、活躍中の車両、都市交通や鉄道博物館等々、もれなく紹介されています。これをお読みになられたら、読者も中国鉄路通になられます。この本は、中国鉄路のバイブルになると言っても過言ではありません。

この本、実はもっと早くに出版される予定でしたが、例の鉄道事故で掲載内容の変更を余儀なくされてずれ込んだそうです。掲載内容を読むと苦労の跡が分かります。
中国鉄路にご興味がおありの方は、是非買ってみてください。ご推薦申し上げます。

私も協力を依頼されて、写真を提供しております。
阿部氏のホームページは、中国鉄道倶楽部です。最新情報はこちらでもご覧できます。

▲ これがその本ですが、私の住む長岡京市のしょぼい本屋には売っていませんでした。大きな書店でないと取り扱いはないようです。

2011年春から夏への中国鉄路の旅 Part20   中国最初の鉄道 唐胥鉄路、天津博物館

天津路面電車については、コメントに追加しましたように路線図が疎開地時代であり、その後に延伸等があったことが未調査でした。漏れがありまして、大変失礼をしました。まだ何か出てきそうですので、再度中国語サイトでの歴史を調べなおしておりますが、真偽性を確認出来るのに手間取っております。もう少し時間をいただきたくよろしくお願いします。

第14日目 5月31日

中国鉄路の歴史は、Part18の中国鉄道博物館正陽門館また2009年の上海鉄路博物館訪問記で、ご紹介させていただきましたが、最初の路線の天津にはもっと詳しい資料展示があるのではないかと期待して天津博物館を訪問しました。

まず目に入ったのは、中国最初の鉄道として河北省に開業した唐胥鉄路を走ったと表示されています、その名もロバート・スチーブンスが設計したロケット号にちなんで名づけられた、「ROKET of CHINA」号(中文では中国火箭号の展示用の複製です。


この蒸気機関車は動輪数が当時の写真と違っているように見えますが、・・・・。最高速度は、32km/hです。

【中国の最初の鉄道】
1877、北洋大臣兼総督鸿、天津機局(兵器工場)が必要とする石炭を供給するために、開平石炭会社設立を命じました。石炭会社は、短距離で石炭輸送するには、唐山から胥各庄までは鉄路建設、そこから先は運河を掘削して船で河口へと輸送するしかないと、清朝政府からの反対を押し切り、1880年10月に中国で最初の鉄道を着工しました。

1881118唐山炭鉱から胥各庄まで全長9.67キロの鉄路開業し、唐胥と命名されました。その後1887年、芦台まで延伸、1888には塘路を由して目的地だった天津までの130キロが開業して津唐鉄路と改名されています歴史記録によると当初、津唐鉄路は単線で運行されました。レールは24kg/m(駅内は18kg/m)、ゲージは世界標準の1435mm、当時の天津のプラットホームは1つ、粗末な駅舎だったそうです。




【鉄道開通による天津の発展】
鉄道開業により天津は、中国で汽車が走る第1番目の大都市となり、近代的発展を遂げていきました。
前述の路面電車の他、電話網も中国で天津が初めてでした。
変り種として、博物館には潜水艦も初めて製造されたと模型が展示されていました。窓ガラスがあるので多分全体が深くは潜行するとは考えられませんが・・・・。


▲ 開業時の天津駅は、旺道庄に建設されましたが、路線が延び利用客増のため駅の拡大が必要となり、4年後の1892年には西約500mの老龍頭(
老龙头)に移転されました。当時は「老龍頭駅」と呼ばれたそうです。その後、1900年の「庚子兵变」で駅が破壊され、1902年に再建され「天津紫站」と名称されましたが、1911年には「天津東站」に改称されました今でも地元では東站と呼ぶ人も多く、Taxiに乗車する時は東站と言った方が間違われません。

【発展する天津の中国鉄路】
津唐鉄路
は、1894年に山海関(歴史上名;榆関)まで延伸され津榆铁路と改称、1897年には北京城外の马家堡まで延伸、1901年には待望された北京城正阳门までが開業となり、京榆铁路,又は京山铁路と称されました。
その後は沈阳(奉天) へと伸び、京奉铁路、北宁铁路、平奉铁路、京沈铁路と改称されていきました。

北京城まで開通できましたが、時の北洋大臣兼総督が天津と北京往復によく乗車した天津東站はロシア租界にあって、利用の度に顔色を見ないといけない等々の不快感に我慢できず約4キロ北京寄りに新駅建設を命じました。
新駅は1903年正月に完成し、新開河站と名称されました。この駅も時代と共に新开河火车站天津中央车站天津城火车站天津新站天津总站と改称されました。1938年に天津北站となり現在に至っています


当時、天津と南京の長江対岸の镇江への津镇铁路の計画が持ち上がっていましたが、1898年9月にイギリスとドイツは清政府を無視してロンドンで勝手に工事を決定してしまいました。そして軍事的圧力を清政府にかけて屈服させ、1908年には借款契約に調印させてしまいました。路線名も津浦鉄路に改称させ全長1009キロの工事を開始し1912年には全線開業しました。
路線はその後天津東站まで延伸され京山鉄路とも結ばれました。上の写真は完成当時のドイツ様式の天津西站です。

現在天津西站は、2011年中国共産党結成記念日の京滬高速鉄道(北京~上海)開業に伴い大改装され近代的なホーム・駅舎に変貌しています。かつての駅舎は天津市重点保護建築物に指定されて保存されています。

記念入場券から見る天津火车站の変貌

1949年10月1日に国名が中華人民共和国に改称されてました。北京の外港として重要性を増した天津の鉄路駅も1951年に木造からコンクリート造りに建て替えられました。


1987年には、益々の利用客増加に対応するため再度立て替えられて、現在も使用されています。
2008年北京オリンピック開催に間に合わせるために、中国で初めての新幹線、京津城際鉄道の建設が進められました。
これに伴い天津駅は、開業以来の大改造が計画されました。計画では、新幹線・在来線と地下鉄3路線が乗り入れる大ターミナルとなります。どのため、正面駅舎を除いてホーム・高架待合室等は撤去され、工事期間中の駅機能については東側ヤードに臨時駅が 設けられ不便を強いられました。

2008年7月中国共産党結成記念日には北側にも駅舎が完成し、駅機能は戻されましたが、地下鉄乗り入れ工事は遅延し、未だ開通できていません。
最近の情報では、今年の国慶節(建国記念日)には開業予定と聞いておりますが、天津人は真偽性を疑問視しています。