2019年桜前線追っかけ旅 長崎からのさくら紀行 Part6 甘木鉄道、西鉄甘木線、久大本線を撮る

第4日目 4月1日 その2

13:52 太刀洗駅から車に乗って強力なサポーターが合流されました。入線するAR304号を撮ってから車中からチェックした今隅~松崎へと車で移動です。

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2019年桜前線追っかけ旅 長崎からのさくら紀行 Part5 甘木鉄道に乗る、撮る

【甘木鉄道】
1919年(大正8年)に開設された陸軍太刀洗飛行場への輸送は
中央軌道朝倉軌道が担ってきましたが、914㎜ゲージの軽便鉄道ゆえに輸送力に限界もあることなどから「太刀洗飛行隊第4連隊鉄道引込線」として鹿児島本線基山から分岐して甘木までの14㌔、国鉄甘木線が計画されて1939年(昭和14年)4月28日に開業しました。

しかし軍事輸送のための特殊な路線であったために需要がなくなった戦後は並走するバス路線、西鉄甘木線に敗れ一気に寂れました。1982年度末までに廃止する第1次特定地方交通線となり第三セクターが発足、1986年(昭和61年)4月1日 甘木鉄道が開業しました。
列車本数見直し、新駅新設等の的確な経営戦略が実施された結果、開業から20年間は黒字経営が続く3セク優等生でしたが2006年(平成18年)7月の大雨で鉄橋の橋脚が被害を受け5か月間にわたり一部区間が不通となりました。このために旅客が減少したことや原油価格の高騰などが影響し、2006年(平成18年)度以降は赤字決算となっています。しかし復旧なって以降は
再度黒字に転換しています。
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ユースで巡った鉄道旅 -8-

もうひとつ、九州の撮影地近くのユースの紹介を-。
久大本線日田駅から杖立温泉行きの日田バスに乗ること約30分、ダム湖の近くに日田ユースホステルがありました。廃止された宮原線の終点、肥後小国の方向で、自然が豊かなところです。安くて設備の良い、公営のユースのひとつで、泊まった時は出来たばかり、宿泊客も少なく快適なユースでした。ユース一泊二食430円、バス往復320円とメモ帳には記してありました。
ここを拠点にして、撮影に行ったのが久大本線でした。昭和40年代前半の久大本線は、D60、ハチロクが配置され、貨物はもちろん、旅客もほとんど蒸機でした。今でこそ、沿線の由布院などは第一級の観光地となりましたが、当時は、まだまだローカル色豊かな路線で、一人で撮影しながら鉄道の旅も堪能したものでした。なお、このユースは、日田おおやまユースホステルと改名して現在も在るものの、長期休業中とありました。

日田駅は久大本線のほぼ中間にある。夜明から分岐する日田彦山線も、ほとんどの列車が日田を始終発としていた。久大本線の結節点を成す駅でもある。2面3線の典型的な国鉄式配線を持つが、広い構内には駐泊所もあって、いつも何両かの蒸機が休んでいた。乗客が待ち受けるなか、タブレットの授受をしたD60の牽く上り列車が到着する。左手はハチロクの牽く下り貨物列車。

夏の朝、日田駅では、陽射しを浴びたハチロクがガンガンに輝いている。久大本線では、D60だけではなく、豊後森機関区のハチロクも客貨の区間列車を牽いている。九州の蒸機ならではの輝きだ。これからの暑さを予感させる。陽炎の立つ構内に、門鉄デフ越しにD60の牽く交換列車が見えた。腕木信号機がコトリと落ちて、ハチロクは細いボイラーを震わせて、発車して行った。

西鹿児島から夜行に乗って鳥栖に着き、一番列車に乗って久大本線に入った。どこで降りる当てもなかったが、対向列車とまもなく交換することから、何の予備知識もなく田主丸で降りることになった。久大本線が山間部に入る前、筑後平野の真っ只中にある平凡な駅である。乗ったときから空模様が怪しかったが、駅に着くと、とうとう雪が舞ってきた。北九州は、意外と雪が降る。すっかり戦意を失くし、駅構内で日和ることにするが、雪をかぶった木々とハチロクの猛煙が、いい味を出してくれた。

久大本線の撮影地と言えば、由布岳山麓の湯布院付近、玖珠川の渓谷沿いの豊後中川付近が有名だ。私も下車して写したことはあるが、むしろ日田から久留米方面にかけての区間が好みだった。ことさら優れた風景はないが、その分、穏やかな田園風景が続く。それに、日田以西は鳥栖行きの区間列車があり、朝のラッシュ時は、多くの蒸機列車を稼ぐことができる。この風景には、D60より、ハチロクが客車数両を牽く姿が似つかわしい。