都電荒川線

【345】で9月27日に都電荒川車庫で開催されたイベントの模様を紹介した。ご存知の方も多いと思うが、荒川線の前身は「王子電気軌道」という私鉄で、戦時中の昭和17年2月1日付で電力統制、交通統制により、当時の東京市に買収されたものである。昭和42年都電撤去計画が策定された時、荒川線も計画に入っており、モノレール化が検討されたこともあったが、元々乗客が多く専用軌道が多いこと、沿線住民の反対等により存続が決定した。但し、併用軌道の王子駅前~赤羽間は昭和47年11月12日に廃止された。買収路線であるため、「買収都電」が存在した。旧国鉄の「買収国電」は「阪和形」以外は、車齢の若い車両も含めて早々に姿を消したが、「買収都電」は昭和43年まで在籍し、その内の1両は現在も宇都宮市郊外の企業で保存されている。

昭和40年台から現在の車両に変わるまでの間、荒川線で活躍した車両は、下記の通りである。

160形、170形

王子電気軌道200形として昭和2年から4年にかけて201~223の23両が作られた。昭和17年東京市買収時にメーカーの相違により下記の通りの形式に別けられた。

201~207 田中車輛製 → 150形(151~157)

208~215 日本車輛製 → 160形(161~168)

216~223 川崎車輛製 → 170形(171~178)

 150形は川崎市電に譲渡した1両を除き、昭和27年3000形の改造種車となり廃車。160形は事故廃車された1両を除き、昭和42年~43年に廃車。170形は川崎市電に譲渡された1両、3000形の種車となった2両を除き、昭和42年~43年に廃車となった。廃車後176が宇都宮市郊外の企業に屋根付で保存されている。

 

昭和41年3月11日    王子駅前

 昭和42年3月25日    大塚駅前

 昭和41年3月11日    王子駅前

1000形

昭和7年から11年にかけて木製車の台車、部品を使用して作られた車両である。昭和40年頃の状況では、160形、170形は主力として終日使用されていたが、昼間は殆ど見かけなかったので、ラッシュ時以外はあまり使われていなかったのかも知れない。

                 昭和41年3月11日    須田町

荒川線で撮影したものがないので20系統を掲載した。20系統は江戸川橋から護国寺、駒込千駄木町、上野公園を通り須田町を結んでいた。

2500形

1067mm軌間の杉並線の廃止に伴い、1372mmに改軌の上、転属してきた車両で、バス車体の工法で造られた。昭和33年に2501、2502が交通局芝浦工場で、昭和34年に2503~2510が富士重工伊勢崎工場で作られた。車体幅が狭く、乗客の多い荒川線には不向きのため、早々に早稲田車庫に転属した。

 

昭和41年3月11日    王子駅前

 昭和43年9月6日 早稲田(早稲田車庫に転属後) 

 昭和41年3月11日    王子駅前

3000形

昭和24年から28年にかけて、主に木製3000形、王子電気軌道からの引継車を種車として作られた車両で、一部純然たる新製車も存在する。290両在籍し、4000形、6000形と共に都電の顔として活躍した。

                 昭和41年3月11日    王子駅前

 

昭和44年9月13日    王子駅前

19系統は王子駅から飛鳥山まで荒川線を走り、駒込駅前、東大赤門前、神田明神前、須田町、日本橋を通り、東京駅八重洲口を望む「通り3丁目」を結んでいた。

 6000形

昭和22年から27年にかけて290両作られた、戦後の都電を代表する形式の一つである。製造年別、製造所別の差異、初期の車両は更新による差異があり、細かく観察すると興味が尽きない。6000形については、江本廣一氏著、ネコ・パブ社RM LIBRARY19「東京都電6000形」に詳しくかつ判りやすく解説されているので、興味のある方はお読みいただきたい。

【345】で紹介した保存車6086は、昭和24年日本鉄道自動車製で、昭和41年大栄車輌で車体の更新修繕を施工している。

 

昭和52年1月24日  荒川車庫前(荒川線で現役の頃)

 

昭和52年1月24日 荒川車庫前(昭和26年 局工場製)

  7000形

6000形に代わって昭和28年から31年にかけて93両作られた。正面2枚窓、前中扉と従来の都電スタイルから大きく脱却し、都民からも大きな関心を持って迎えられ、不満が出ないように各車庫にばらまくように配置された。製造年度によりスタイルに差があり、28年製の7021~7030の10両は旧型車の部品流用車である。現在の7000形は旧7000形の昭和31年製第3次グループ(7055~7089)の内の31両で、昭和52年から53年にかけて施工された新造車体に乗せ替え時に、旧番の若い順に7001~7031に改番したものである。

 

昭和52年1月24日   荒川車庫前

8000形

昭和31年から32年にかけて100両作られた。都電の将来を見越して耐用年数を10~12年程度に抑えたため、シンプルな作りとなっている。上記の7000形同様、各車庫に分散配置された。

 

昭和44年9月13日    王子駅前

 

昭和44年9月13日    王子駅前

7500形

昭和37年、都電が荒川線のみとなる前の最後の新車として20両作られた。ヘッドライトが2個となり台車と連動して可動した。当初は青山車庫の所属で都心で使用されていたが、路線廃止により余剰廃車となった7517、7519以外は、最終的に全車荒川車庫に集結した。昭和59年から62年にかけて、7502、7504、7508の3両以外は新造車体に乗せ替え、7502、7508は直ぐ廃車されたが、7504は朝のラッシュ専用車として平成10年頃まで使用され、現在「都電おもいで広場」に保存されている。現存車両も車体乗せ替え後20年以上経過しており老朽化は否めず、新製車と代替される予定となっている。

 

昭和52年1月24日   荒川車庫前

都電荒川線は我が家から比較的近い所を走っている。5年前までは、早稲田から徒歩15分の所に職場があり、会社の帰り、気が向くと、町屋、大塚、王子まで利用した。王子駅前を境に雰囲気が異なり、三ノ輪橋方面は下町でかつての伏見線の雰囲気とダブってくる。今は休日に町屋駅前から利用することが多いが、一日を通して乗客が多く、昼間は5分間隔で運転されているが満員である。しかも高齢者の利用が多いため座席に座ったことがない。7500形の引退が報じられているが、車齢を考えると引続き7000形も引退するものと思われる。