駅を旅する 〈2〉

門司

“九州の玄関口”、と言えば門司港を指すかも知れないが、在来線での乗車なら、九州に第一歩を印すのは門司となる。

明治24年に九州鉄道の大里駅として設置、のち明治40年に国有化される。昭和17年には関門トンネルが開通、その際、門司が門司港に改称され、大里が「門司」となった。

初めて九州に踏み入れた昭和42年の高校2年生以来、幾度となく、関門トンネルを抜けて門司に到着した。心なしか、見渡す車窓の風景も違う、空の青さも違うようにも思えた。やはり、ここは九州なんだと感じたものだ。門司駅は乗り換えで利用するだけでなく、交直接続のため、牽引機の付け替えも撮影の対象となった。当時は、旅客列車だけでなく、貨物列車も門司で付け替えを行っていた。

そして、門司機関区の下車駅としてもよく利用した。門司区は、昭和42年の蒸機の配置両数が53両、青森、岩見沢に次ぐ配置両数で、電機81両、DL6両を加えれば、ダントツ日本一の動力車配置区だった。蒸機・電機の配置は、通常、一区・二区に区分されていたが、門司だけは区分がなかった。

新幹線開通後は、小倉を中心とした列車体系に改められ、門司の凋落は著しい。JR九州のデータによれば、乗車数は一日6千人程度で、九州管内で29位となっている。平成16年に駅は橋上駅化されたが、駅設備はごくささやかなものになった。門司IMG_0012sy▲初めて訪れた門司駅は、まだ蒸機の天下だった。1番ホームに停車する門司港発柳ヶ浦行き1523レ、C57178〔大〕牽引。当時、日豊本線の電化は新田原までで、電化区間が短いため、客車列車は門司港から架線の下を蒸機が牽いていた。右に駅舎の裏側が見える。(昭和42年3月)門司IMG_0007sy▲当時の無骨な駅舎は、昭和27年の建築。これでも、九州初の民衆駅だったと言う。この駅舎を出て、路面電車沿いに西へ向かい、何度も門司機関区へ行ったものだ。(昭和42年3月)

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