個人・グループでも頑張ってます! 〈1〉

公開学習会「京電伏見線を中心とした交通の発達」

11月10日のホームカミングデーの集まりは、多くの参加者に感銘を残して、滞りなく終了しました。クローバー会では、会行事へ積極的に会員が参加し、活動を盛り上げているのはもちろんですが、個人やグループ単位での発表・活動にも、会のメンバーが積極的に参画し、活動の盛り上げを図っています。この秋に行なわれた個人・グループでの活動のいくつかをご紹介しましょう。

京都市電に深い愛着をお持ちの勘秀峰さんは、ことし春に、私と一緒に、生まれ育った街〈河原町丸太町〉に特化した写真展を行ない、多くの皆さんに見ていただきました。その後、「伏見チンチン電車の会」の皆さんとも親交を深めることになりました。同会は、日本で最初の電車路線・伏見線を広く顕彰し、記憶の掘り起こしに務められ、講演会、展示会、模型運転会などを通じて地域に貢献されています。このたび同会から依頼を受けて、10月20日に、京都市の伏見区役所の会議室で、公開学習会「京都電気鉄道伏見線を中心とした交通の発達」を開催され、勘秀峰さんは、講師役を務められました。

伏見区役所で開かれた公開学習会、約30名の市民が参加され、クローバー会からも聴講に駆けつけた。勘秀峰さんの話は、江戸・明治期の交通史からはじまり、伏見・稲荷線の廃止まで、日ごろから、ミュージアム巡りを欠かさない勘秀峰さんらしく、多数の貴重な写真・資料を上映しながら話は進んだ。

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客車廃車体訪問記 内地編44 神奈川県-1

【生田緑地】 35.608637, 139.560677 2016年10月30日撮影
スハ42 2047
3年前の10月29日、クローバー会の江ノ電撮影会と大宴会に参加し、その後東京へ行って旧新橋停車場近くのホテルに泊まった。翌30日、汐留から都営大江戸線で新宿→小田急で向ヶ丘遊園まで行き、10数分歩いて生田緑地東口に着いた。入口近くに多数の古民家があり、その脇を通り抜けた木陰にスハ42 2047が置いてあった。また、近くにD51 408が保存されている。このような公園を毎日散歩できたらなあと羨ましく思った。
北海道のスハ42は消滅したようなので、現存する唯一のスハ42であろうか。
◆スハ42 47(1948年12月15日新製 日支)→1955年5月31日更新修繕 大宮工→(1962年5月16日電暖追設 大宮工)スハ42 2047→1975年8月5日体質改善C5 大宮工→1985年廃車
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昭和の電車 改訂版(26)ー秋保電鉄モハ410型ー

子供のころ、大丸の模型売り場でOゲージの電気機関車で「EB58]というのを売っていました。もちろんEF58の小型版ですが、狭い畳の上に引いたOゲージレールで走れるようにとの考えでしょうが、せめて「ED58」がほしいと買いませんでした。
この秋保電車はその形が京都市電600型の小型版に見えました。

秋保電鉄というと宮崎繁幹さん、お後をよろしくお願い致します。さすがにこれはデーヴィスさんでも撮っておられないでしょう!

 速報! ホームカミングデー 行なわれる

中高の大先輩 須田寬さんの話を聞く!

11月10日(日)、絶好の秋晴れに恵まれた京都。同志社今出川キヤンパスでは、ホームカミングデー2019が、良心館を中心にして、賑々しく開催されました。クローバー会ことしの目玉は、なんと言っても、何年来の念願だった、同志社中学・高校の出身で、現・JR東海相談役、鉄道友の会会長の須田寛さんの講演会でした。

約60人が集まり、15時からの第二部がはじまり、須田寬さん「同志社からみた京都市電」に聞き入った。終戦直後の同志社彰栄館、中学の授業を受けていた須田さんの眼は、すくそばを走る烏丸線の市電に注がれいた。市電の系統、形式、番号ごとの差異に、授業そっちのけで観察を続けていた。後ばかり振り向くので、先生にはよく叱られたと言う。この時に芽生えた鉄道への興味が、その後の自分を決定づけたと述懐されている。

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昭和の電車 改訂版(25)ー銚子電鉄デハ101ー

例によってこの車輌も過去(2009年8月11日)に藤本哲男さんが詳細を投稿されています。参照して下さい。(https://drfc-ob.com/wp/archives/4039)
ここには現役時代と最晩年のカラー写真もでています。

客車廃車体訪問記 内地編43 埼玉県-1

【北斗星食堂車 グランシャリオ】 35.871090, 139.748288 2018年3月18日撮影
スシ24 504
武蔵野線東川口駅南東徒歩数分の、ピュアビレッジなぐらの郷にある、「北斗星食堂車 グランシャリオ」というレストランであった。現在は「ベーカリーレストラン グランシャリオ」という屋号に変わっているようだ。車内はできるだけ現役時のままにしてあるらしい。傍にあった軽トラックも同じイメージのブルーに塗装されていた。元々同じ敷地のレストランの駐車場だったが、そこにレールを敷き食堂車を搬入してレストランとして開業したものである。
◆サシ481-64(1973年新製 東急)→(1988年改造 新津工)スシ24 504→2016年廃車
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マルーンさん何とも言えない侘しい笹部駅ですよ。おまけつき

 頃は昭和46年、西暦では1971年11月16日。EVE(同志社の学園祭)で能勢電をフォトルポで展示しようということになって、何回かにかけて撮影行。朝早くに阪急との乗換をするラッシュの駅風景を撮ったりしたのであった。その中で無人駅の笹部駅はマルーンさんが言われるように信じられないような無人駅。撮った写真の内で選んだ3枚を・・・

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客車廃車体訪問記 内地編42 宮城県-3

【船岡駅前公園】 38.059004, 140.767093 2018年4月29日撮影
オハフ61 2527
山陰本線の船岡ではなく、沿線の桜並木が有名な東北本線船岡駅南側の公園に、ED71 37とともに保存されている。上りホームに石川啄木の歌碑があり、ホームからも大変よく見える。上屋はなく、状態は良いとはいえないのが気に掛かる。
◆ホハフ25700(1922年新製 日車)→(1928年改番)ナハフ24101→(1953年鋼体化改造 長野工)オハフ61 527→(1965年電暖追設 土崎工)オハフ61 2527→1984年廃車
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昭和の電車 改訂版(23)ー能勢電60型ー

この記事は2011年5月2日の投稿で、コメント欄には藤本さんの解説と湯口さんの能勢ー京都間の鉄道敷設に関する逸話がでていますので、是非読んで下さい。
さらに遡ること半年前の2010年11月21日に「ポール時代最末期の能勢電」で藤本さんが「借入中の阪急40形(大正12年藤永田造船所製)の40・41を昭和29年9月に譲り受けてナニワ工機で鋼体化改造して30年1月に竣工した。昭和41年1月集電装置変更時にZパンタに取り替えられた。60は同年12月に廃車となり、残った61は川西能勢口~川西国鉄前間で使用、昭和56年12月20日同区間廃止により休車、翌年6月に廃車となった」と写真入りで解説されています。

 今日からやってます 二人の写真展

写真展「東北の鉄路 全盛時代を偲ぶ」

今日から11月ですが、“デジ青”には、トンとご無沙汰状態が続いています。何も活動から足を洗ったわけではなく、クローバー会活動、有志の活動、はたまた個人の活動もきっちりやっています。ところが活発なあまり(?)“デジ青”投稿に割く時間がなくなるジレンマに陥っています。ぶんしゅうさんにお世話になった天浜線旅行も、宴会後、私だけ一人で閑散としたDCで去って、晩12時に日帰り帰宅したあとも写真展の準備に励んでいました。その写真展、「東北の鉄路 全盛時代を偲ぶ」も、何とか準備も間に合って、本日から開催の運びとなりました。

期間 11月1日(金)~30日(土)10時~18時(月曜日休廊)

会場 集酉楽「サカタニ」2階ギャラリーカフェ(京阪七条駅下車、東へ2分)

▲京阪七条駅から歩いて2分、市バス「七条京阪前」真ん前の「サカタニ」2階ギャラリーカフェでお待ちしています。

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東西会員交流旅行 ご報告 Part2 天浜線から大井川鉄道へ

2日目の10月28日は宿泊先の「国民宿舎 奥浜名湖」で朝食後に解散・自由行動としました。
▲ 8:49 宿泊しました9名の記念写真です。総本家様は昨夜帰宅、藤本様一行3名は大井川鉄道の写真を朝から撮影のため掛川に宿泊されました。交流会の当初予定の宿舎は西鹿島駅に近い「森の家」でした。ここだと新金谷から千頭へ走る「SLかわね路」を撮る事は可能だったのですが、気賀駅からでは間に合わなくなった。一緒に宿泊したかったが掛川に宿をとるしかなかったとの事でした。
この後健脚の会長様と山室様は標高差59mの遊歩道を徒歩(約15分)で降りられて気賀駅へ、残り7名は宿の送迎車(約5分)で気賀駅へと先に向かいました。
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東西会員交流旅行 ご報告 Part1 遠州鉄道から天浜線へ

今年の秋は雨の多い日々が続きましたが、参加者の皆様の日ごろの行いがいいのか出発当日は雨はあがって秋晴れを迎えました。集合地の西鹿島駅までは皆さんバラバラで向かわれます。総本家さんと私は途中の遠州鉄道での駅撮りをしたいので早めに最寄駅の長岡京から乗車しました。

① 長岡京 7:21(快速)⇒7:31 京都 7:45(ひかり510号)⇒9:05 浜松

▲ 9:21 新浜松で遠州鉄道と天浜線(天竜二俣~新所原)の西1日フリーきっぷを購入、乗換て西鹿島へと向かいますが十二分に時間があります。相対式ホームがある高架駅で降りて駅撮りしながら進みます。どですかでんさんグループと合流です。

② 新浜松 9:24⇒9:26 遠州病院

1002+1102編成に乗車して1回目の下車駅は遠州病院、次の八幡で交換する列車を待ち受けます。

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客車廃車体訪問記 内地編41 東京都-3

【アタゴール】 35.672355, 139.806163 2012年1月30日撮影
オロネ25 901
江東区の首都高速木場ランプすぐ北にあるフレンチレストランである。通常はこの客車を眺めながら食事をする。ここのオーナーシェフはオリエント急行のシェフを務めたことがあるらしい。訪問時は工事中であった。
◆オロネ25 901(1989年新製 日車)→2014年廃車
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客車廃車体訪問記 内地編40 福岡県-3

【福岡市  貝塚公園】 33.632279, 130.423940 2013年11月23日撮影
ナハネフ22 1007
西鉄貝塚駅の西側、西鉄と国道3号に挟まれた貝塚公園に49627と一緒に保存されている。ナハネフ22になる前はスハ32が保存されていた。ここには他にプロペラ飛行機も保存されている。貝塚交通公園ともいうらしい。
◆ナハネフ22 7(1965年新製 日車)→(1977年改造 幡生工)ナハネフ22 1007→1987年廃車
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昭和の電車 改訂版(23)ー京福電鉄モボ101型ー

和歌山電鉄でちょっと話題が出た京福電鉄嵐山線(らんでん)です。
私などは嵐電といえばこの形を思い浮かべます。
新型になった新101型は色も相まって全く気に入りません。なんであの色なんやろ?

東西会員交流旅行 直前のご案内

東西会員交流旅行も明後日に迫りました。9名の宿泊者と日帰り5名(内1名は宴会不参加)の参加となっております。
心配な現地の天候ですが、27日は朝7時~夕刻18時までは曇天、最高気温23℃、夜は17℃、28日は晴れのち曇り、最高気温23℃の予報です。雨天の心配はなさそうです。

【 集合地・時間 】
当初は浜松駅としていましたが皆さんバラバラの到着になりそうですので、遠州鉄道から天浜線への乗換駅の西鹿島11:32にします。天竜川鉄橋での撮影後、西鹿島12:35⇒12:39天竜二俣の列車に乗ります。
もし列車遅延やご都合で遅れる場合は天竜二俣駅の転車台ツアーが開催される13:50までには天竜二俣駅待合室に来てください。

ちなみに総本家さんと私は、京都 7:45(ひかり510号・自由席)⇒9:05 浜松で早めに到着、遠州鉄道で駅撮りを楽しんでから西鹿島に参ります。ご一緒していただける方、大歓迎です。
何かありましたら、メールでお知らせしております携帯電話までご連絡の程、よろしくお願い申し上げます。

客車廃車体訪問記 内地編39 愛知県-1

【蒲郡市博物館】 34.822476, 137.218831 2017年11月7日撮影
オハフ33 2424
駅前ロータリーに白いヨットがある蒲郡駅からぶらぶら歩いて蒲郡市博物館に行った。地味な蒸機(浜松工場生まれで梅小路のD51 200と兄弟分)と地味な客車であるが、良好に保存されているのはうれしい。
◆オハフ33 424(1947年新製 日車)→オハフ33 2424→1982年廃車
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昭和の電車 改訂版(22)ー和歌山電鉄クハ803号ー

一目で気動車改造とわかる面構えの車輌です。これと似た車輌は別府鉄道、倉敷市交通局、西大寺鉄道などで見たり乗ったりしたことがありますが、詳しくは湯口さんと西村さんにお願いします。

客車廃車体訪問記 内地編38 和歌山県-1

【浦島ハーバーホテル】 33.478717, 135.787818 2013年1月2日撮影
オハフ50 66,211,218,240
串本の浦島ハーバーホテルでプールの更衣室や休憩所、食堂等として利用されていたようである。
銘板から、プール側の画面左はオハフ50 218、右はオハフ50 66と確認できたが、海側の残り2両は確認できなかった。車内には何か手掛かりがあったかもしれない。
浦島ハーバーホテルは2016年3月31日で閉館し、その後最近になって大江戸温泉物語が引き継いだ。現在でも存在しているだろうか。
◆オハフ50 66(1978年新製 新潟)→1991年廃車
◆オハフ50 211(1980年新製 新潟)→1991年廃車
◆オハフ50 218(1980年新製 富士)→1991年廃車
◆オハフ50 240(1980年新製 新潟)→1991年廃車
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 天然色写真で語り継ぐ あの日あの時 【21】 秋編

北丹鉄道を走ったDRFC貸切列車

地元の京都・滋賀で、記憶に残る中小私鉄の廃止としては、江若鉄道、加悦鉄道、北丹鉄道が挙げられます。江若鉄道は、クローバー会の協力も奏功し、前稿でも報告されたように盛り上がりを見せています。加悦鉄道も、加悦、丹後山田に資料館があり、奥にはSL広場もあって、保存会によって継続的に活動が行なわれています。
それに比べると、北丹鉄道(福知山~河守12.4km)は、世の中からも忘れ去られようとしているのが気掛かりです。福知山市内には、北丹鉄道の資料館がありましたが、その後継となるポッポランドが昨年に閉鎖されてしまい、公開の場で、北丹を偲ぶことはできなくなりました。
話を約50年前に戻すと、江若の廃止後、DRFCでは、Tさんが先頭に立って、「北丹乗好会」を発足、熱心な活動が繰り広げられ、その頂点として、昭和45年11月に、貸切列車として結実します。私も何度か撮影に行き、昭和46年3月の休止(のちに廃止)を迎えることになります。その道程は、ちょうど江若とは、1、2年の遅れで進んだことになります。最終列車まで見届けた身としては、いつかは詳細を発表したいと思っていました。今回は、カラーだけですが、その一端を紹介しましょう。

秋の一日、釣り人が糸を垂れる由良川沿い、北丹鉄道のキハ101が貨車を牽いて、支流の荒河橋梁を渡って行く。北丹鉄道は、国鉄の福知山から出発して、由良川沿いを北上、河守までの12.4kmの路線で、大正12年に開業した。一日6往復で、キハ101、102いずれかの単行運転で、時折、写真のように貨車も牽いた。昨今の台風の来襲では、水没を免れそうにない光景だが、事実、由良川はよく氾濫して、北丹はその都度、よみがえってきた。

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