昭和の電車 改訂版(23)ー能勢電60型ー

この記事は2011年5月2日の投稿で、コメント欄には藤本さんの解説と湯口さんの能勢ー京都間の鉄道敷設に関する逸話がでていますので、是非読んで下さい。
さらに遡ること半年前の2010年11月21日に「ポール時代最末期の能勢電」で藤本さんが「借入中の阪急40形(大正12年藤永田造船所製)の40・41を昭和29年9月に譲り受けてナニワ工機で鋼体化改造して30年1月に竣工した。昭和41年1月集電装置変更時にZパンタに取り替えられた。60は同年12月に廃車となり、残った61は川西能勢口~川西国鉄前間で使用、昭和56年12月20日同区間廃止により休車、翌年6月に廃車となった」と写真入りで解説されています。

昭和の電車 改訂版(23)ー能勢電60型ー」への5件のフィードバック

  1. 関先生おっしゃられる危なっかしい急カーブの猪名川鉄橋を渡って鼓ケ滝に到着した妙見口行きの60形61。元は阪神急行西宝線(現在の阪急今津線)の40形を機器流用鋼体化したもので60号がみつからず61号を採用しました。遠足で2回ほどしか乗ったことがありませんがここの橋は強烈に覚えています。私は今でも能勢電は車両も風景も最も激変した電鉄と思っています。

    • 数年前にクローバー会の企画で初めて乗りましたが、特に感慨はありませんでした。でも、この写真や関先生のコメントを見たら一度この時代の能勢電に乗りたくなりました。それにしても叡電に似ていますね。

      • 米手作市様
        早速のコメント有難うございます。
        感慨がないのはポール単線の能勢電が複線で阪急宝塚線のようになったからだと思います。昔は鼓滝手前の猪名川橋梁は鉄ちゃんでなくても歓声がわく名所でした。新京阪のP-5木造車も北摂のこの地に似合っていたように思います。妙見山も多田神社も一庫温泉も大阪近くでしたがローカル色のあるいい所でした。叡電も能勢電もよかったです。そうですよねマルーンさん。

        • 準特急様
           叡電に似ていると私が思うのは、山下から妙見口への路線の雰囲気が、宝ヶ池から八瀬遊園へと比叡山へ分け入って行くところと同じ感覚に囚われるところです。能勢電は妙見山に向かいますが。山下の次の笹部駅の侘しさは何ともいえません。
           以前冷房が無い時代、猪名川橋梁を渡ると空気が冷たくなるなぁと感じました。白熱灯に群がる虫の多さに驚愕しましたが・・・
           皆様。能勢電沿線は緑が多く知られていない、名所旧跡が一杯あります。是非お越しください。日中は10分間隔で頑張っています。7200系も2編成になりました。

          • マルーン様
            沿線を熟知されているマルーンさん有難うございます。勝手なことを言って申し訳ありませんが、単線、タブレット、茅葺の民家や主役の木造電車等不便でありましたが絵になりました。鉄ちゃんとはかってなものだと思いますが、歳とったんですね。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

wp-puzzle.com logo

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください