昭和の電車 改訂版(55)ー小田急デハ1600型ー 投稿日時: 2020年3月8日 投稿者: 米手作市 小田急には乗ったことは無いが、正面貫通扉にある「転落防止柵?」に記憶があります。これは「転落防止柵」で間違いないのでしょうか? また、関先生の解説中に「16㍍の車体が重宝されて、各地の中小私鉄で重宝・・」とありますが、その各地の写真をお持ちの方があれば、ぜひとも見せて頂きたい。 関連記事: 昭和の電車 改訂版(137)ー近鉄モ400型ー 昭和の電車 改訂版(116)ー国鉄モニ13027号ー 昭和の電車 改訂版(108)ー京成クハ2000型ー 昭和の電車 改訂版(63)ー国鉄クモハ73型ー 昭和の電車 改訂版(31)ー相模鉄道モハ5000型ー 昭和の電車 改訂版(25)ー銚子電鉄デハ101ー 昭和の電車 改訂版(11)ー叡山電鉄デナ1ー 昭和の電車 改訂版(9)ー国鉄クハ79066ー
米手作市様 電車、それも関東の電車には全くド素人の私ですが、こんな珍例なら知っています。関東鉄道常総線にいたキクハ1形です。デハ1600系のクハ1650形が非電化の関東鉄道に4両いました。かつて小田急には新宿発松田から国鉄御殿場線に乗り入れる御殿場行きの気動車準急「銀嶺」があり、このための2個エンジン付きのキハ5000形、5100形がありました。これらの強力型気動車が関東鉄道に引き取られた際に、その相棒としてクハ4両がキクハに改造され、常総線に入りました。クハ1655⇒キクハ1(下館向き)、クハ1651⇒キクハ2(下館向き)、クハ1652⇒キクハ3(取手向き)、クハ1653⇒キクハ4(下館向き)。キクハ2~4は昭和59年1月に、キクハ1は昭和60年1月に廃車になっています。昭和45年4月5日常総線水海道機関区でのキクハ4の写真を添付します。貫通扉の「転落防止柵?」も健在です。なお詳しくは存じませんが、1600系の正面の雨どいがまっすぐなタイプと このキクハ4のように円弧状のタイプがあるようです。台車の型式も不明ですが、TR11の軸受をコロ軸にしたような台車を履いています。 返信 ↓
米手様、皆様 写真の添付を間違ってしまいました。どうぞ上の新聞記事は気にしないで下さい。失礼しました。コメントやコメントに添付した写真は抹消できないようです。改めてキクハ4の写真を添付します。管理者殿、もし可能なら上の新聞記事は抹消してください。 返信 ↓
1603ですね。訂正します。 小田急1600型が好きな理由は、天賞堂からモデルが出ていたから。それを小倉の玉屋デパートで見た記憶があり、「この電車いいなあ」という記憶が忘れられません。 小倉玉屋も小田急1600も遠い記憶になりましたが、実はクハ1650は、戦時中に木造客車の台枠利用ででっち上げた“粗悪”車で、戦後混乱が落ち着くと、1600と同寸の車体に乗せ換え。旧の車体は怪しい流転をしています。戦後すぐの1600系はデハとクハが釣り合ってなく、変な編成だったと思います。 ここは私より詳しい関東中型電車マニア氏の解説に期待いたします。 返信 ↓
三岐鉄道があります。 K.H.生さまが投稿された「近江鉄道にいたデハ1600です。」はモハ205のようですが、これは1980年に三岐鉄道から近江に来たものです。近江鉄道には小田急1600の車体を使用した電車が他に5両いました。 三岐鉄道には、小田急デハ1605を西武所沢工場で両運化改造、新造扱いとして譲渡され、1970年6月にモハ140として1両が入線しています。 返信 ↓
これはクハの成れの果て、関東鉄道のキクハ1、2です。 いかにも戦後の粗製のTcと言った感で、デハ1600の相棒と言っても、メーカーも異なり、全体的に安普請ですね。1と2で正面の雨樋カーブも異なっているのが愛嬌です。 返信 ↓
クハの運転台撤去車、キサハ66。これも1600系一統です。関東鉄道に行ったのはこれらで、前後して関鉄入りした、元御殿場線乗り入れの私鉄版2コエンジン気動車、キハ5000、5100のお供になり、小田急時代ではあり得ないコンビネーションが1980年代まで見られました。 返信 ↓
上田交通モハ5370型5371と5372 実はこれが戦時中に誕生した初代のクハ1650の放出した旧車体を、上田が引き取って、木造電車に乗せ換えた代物と言われています。オリジナルは窓配置が異なり、dD6D6Ddだったらしいですが、上田入りの際に中間以外のドア位置が動いています。 その時に腰板の裾が下まで伸びてなんとも鈍重なスタイルですが、これも旧1600系の一統でした。 地方に行くと「生きていたとは!」のお富さんみたいな電車が、まんまと生き残っていて、訪問するのが楽しみでした。私の撮影は1980年代前半までです。 返信 ↓
米手作市様
電車、それも関東の電車には全くド素人の私ですが、こんな珍例なら知っています。関東鉄道常総線にいたキクハ1形です。デハ1600系のクハ1650形が非電化の関東鉄道に4両いました。かつて小田急には新宿発松田から国鉄御殿場線に乗り入れる御殿場行きの気動車準急「銀嶺」があり、このための2個エンジン付きのキハ5000形、5100形がありました。これらの強力型気動車が関東鉄道に引き取られた際に、その相棒としてクハ4両がキクハに改造され、常総線に入りました。クハ1655⇒キクハ1(下館向き)、クハ1651⇒キクハ2(下館向き)、クハ1652⇒キクハ3(取手向き)、クハ1653⇒キクハ4(下館向き)。キクハ2~4は昭和59年1月に、キクハ1は昭和60年1月に廃車になっています。昭和45年4月5日常総線水海道機関区でのキクハ4の写真を添付します。貫通扉の「転落防止柵?」も健在です。なお詳しくは存じませんが、1600系の正面の雨どいがまっすぐなタイプと このキクハ4のように円弧状のタイプがあるようです。台車の型式も不明ですが、TR11の軸受をコロ軸にしたような台車を履いています。
米手様、皆様
写真の添付を間違ってしまいました。どうぞ上の新聞記事は気にしないで下さい。失礼しました。コメントやコメントに添付した写真は抹消できないようです。改めてキクハ4の写真を添付します。管理者殿、もし可能なら上の新聞記事は抹消してください。
西村雅幸さん
車内で洋服を売っていたのかと思いました。
キクハになっていたとは数奇な運命を生きたのですね。
めずらしい、西村さんらしい写真をありがとうございました。
近江鉄道にいたデハ1600です。
岳南のモハ1602です。
1603ですね。訂正します。
小田急1600型が好きな理由は、天賞堂からモデルが出ていたから。それを小倉の玉屋デパートで見た記憶があり、「この電車いいなあ」という記憶が忘れられません。
小倉玉屋も小田急1600も遠い記憶になりましたが、実はクハ1650は、戦時中に木造客車の台枠利用ででっち上げた“粗悪”車で、戦後混乱が落ち着くと、1600と同寸の車体に乗せ換え。旧の車体は怪しい流転をしています。戦後すぐの1600系はデハとクハが釣り合ってなく、変な編成だったと思います。
ここは私より詳しい関東中型電車マニア氏の解説に期待いたします。
各社ともすごい改造ですね。
関東鉄道、岳南鉄道、近江鉄道、まだ他にも行っているのでしょうか?
三岐鉄道があります。
K.H.生さまが投稿された「近江鉄道にいたデハ1600です。」はモハ205のようですが、これは1980年に三岐鉄道から近江に来たものです。近江鉄道には小田急1600の車体を使用した電車が他に5両いました。
三岐鉄道には、小田急デハ1605を西武所沢工場で両運化改造、新造扱いとして譲渡され、1970年6月にモハ140として1両が入線しています。
これはクハの成れの果て、関東鉄道のキクハ1、2です。
いかにも戦後の粗製のTcと言った感で、デハ1600の相棒と言っても、メーカーも異なり、全体的に安普請ですね。1と2で正面の雨樋カーブも異なっているのが愛嬌です。
キクハ3の連結面。独特の妻板面の狭窓が興味深い。
それと台車はTR10系の明治の木造客車然としたイコライザーに、コロ軸受け改造が、いかにも西武の601系Tcみたいで、関東やなーと思いました。
クハの運転台撤去車、キサハ66。これも1600系一統です。関東鉄道に行ったのはこれらで、前後して関鉄入りした、元御殿場線乗り入れの私鉄版2コエンジン気動車、キハ5000、5100のお供になり、小田急時代ではあり得ないコンビネーションが1980年代まで見られました。
上田交通モハ5370型5371と5372
実はこれが戦時中に誕生した初代のクハ1650の放出した旧車体を、上田が引き取って、木造電車に乗せ換えた代物と言われています。オリジナルは窓配置が異なり、dD6D6Ddだったらしいですが、上田入りの際に中間以外のドア位置が動いています。
その時に腰板の裾が下まで伸びてなんとも鈍重なスタイルですが、これも旧1600系の一統でした。
地方に行くと「生きていたとは!」のお富さんみたいな電車が、まんまと生き残っていて、訪問するのが楽しみでした。私の撮影は1980年代前半までです。