青春18きっぷの旅Ⅲ Part6 土讃線2の1

久礼大正町市場

友人が案内を、かってでてくれた土曜日になりました。朝食後、彼の愛車で、土佐の鰹1本釣りで有名な『久礼』に、立ち寄りました。お互い酒が好きなので、まずは、今夜のおかず探しから、始めます。

大魚と航海の安全を願ったであろう、久礼八幡宮近くの地元大正町市場に入りますと、鰹が並べられていました。まだ、初鰹の時期ですので、高い。横に並べられた天然ブリと同じ大きさですが、1本の値段は、ブリが7,000円超なのに、鰹はそれ以上の値札が、付いています。
最盛期になりますと、一挙に下がって1本1,000円前後になります。今日は、ブリの美味しそうな所やら、数々をゲットして、今夜のアテを用意しました。

影野駅、仁井田駅

影野駅、仁井田駅

影野駅通過 南風16号

影野駅通過 南風16号

 最初の撮影地は、影野駅構内です。久礼からの道路は、いろは坂の連続です。鉄道が、25‰の上り勾配とトンネルの連続だったのが、分かります。

駅舎が一風変わった造りをしています。ホームの屋根も変わっています。駅正面には、坪庭もあります。

かって、影野駅から四万十川を渡って、森ケ内まで森林軌道が走っていました。明治43年に全線が開通し、昭和26年頃まで運行されたとの記事があります。最初は、人馬トロッコ軌道でしたが、内燃機関車を使用しておりますので、ご長老先輩は、行かれたご記憶が、あろうかと思います。当時は、いかがだったのでしょうか?思い出してください。

影野駅では、痕跡を見る事はできませんでしたが、伐採した材木の置き場所としたであろう用地は、今でも十分に残っています。

仁井田駅停車 4752D  キハ1015号車

仁井田駅停車 4752D 高知行き キハ1015

仁井田駅発車 4743D キハ1039号車

仁井田駅発車 4743D 窪川行き キハ1039号車

仁井田駅通過 南風20号

仁井田駅通過 南風20号

影野駅からは、窪川方面へと走り、高知県では、最もお米が美味しいと言われている仁井田米の産地仁井田駅構内での撮影をしました。

列車待ちの間、近くのドライブインで、友人お薦めの、ご当地名物の『鍋やきラーメン』を、初めて食しました。煮込んでものびないように硬めの麺で、さぬきうどん同様にコシがありました。

この後は、行く間に見つけた土佐新荘駅~安和駅間で、太平洋をバックに撮りましたが、天候がすぐれずで、青い海とはならず、どんよりとした写真になってしまいました。

他にも、車窓から見た好撮影地は、何ヶ所かあったのですが、この天気では、いずれも期待する結果はでないと諦めて、伊野まで戻り、枝川駅~朝倉駅間での近場の撮影に切り替えました。こちらは、丁度満開となった桜並木を横に、まあまあの撮影ができました。

土佐新荘駅~安和駅 4751D 窪川行き

土佐新荘駅~安和駅 4751D 窪川行き

朝倉駅~枝川駅 南風11号 中村行き

朝倉駅~枝川駅 南風11号 中村行き

同じく 759D 須崎行き

同じく 759D 須崎行き

仁淀川のトラス橋を渡る列車も撮影をしましたが、まだ桜が5~7分咲きで、思ったほどの写真にはなりませんでした。
撮影後は、仁淀川鉄橋を渡る列車が、眺められるという友人お薦めの『かんぽの宿』の温泉につかって、疲れを取りました。
明日は、いよいよ帰京の日です。4日間お世話になった友人と、今回の青春18きっぷの旅の、最後の夜の宴を楽しみました。 Part 7 へ続く

1970年韓国

 米手作市様昨年9月の中国韓国旅行のレポートで旧満鉄ジテなどを報告した時最終日の韓国どうなっているのかと言われ、その日は曇天でろくな写真撮れなかったですが、漢江の特急と今回1970年に行ったときの韓国の古い写真のっけます。

漢江をわたる韓国ご自慢の特急2008.9.24

慶州駅ミカサ1970.4.22

水原ナロー混合列車1970.4.24

 

桜を求めて三岐鉄道へ(2)

(祝!「デジタル元祖青信号」復旧。見られないときは一日が終わった気がしませんでした。管理人さんのご苦労を偲びつつ、投稿を続けます。)

桜満開の大安駅付近で撮影を終え、ひと駅だけ戻って梅戸井へ、往きのロケハンで見つけた場所へ向かいます。まず大安寄りのJA横にある桜並木へ。車内から見る限りでは、線路と並行した桜並木はここしかありません。光線もバリ順、待っていると計ったようにすぐに貨物が通過する効率の良さ。

続いて反対側の北勢中央公園口側へ。ここにも田んぼの中をキレイなカーブが走り、午後からはインカーブで定番写真を撮ることができます。電機も去ることながら3両編成20m車の電車も二丁パンタを上げて堂々と通過していきます。

桜並木の横を行く下り貨物 梅戸井~大安

電車は自転車の持ち込みも可能

電車はすべて西武鉄道の中古電車です。2両編成と3両編成があり、先ごろ751系(元西武新101系)がデビュー、代わりに601系(元西武571系)が廃車となり、冷房化率1005%を達成しました。1編成の広告電車を除き、すべて三岐オリジナルカラーに塗られているのも好ましく感じます。
駅に戻ると、初老の駅員が迎えてくれ、あれこれと話し込みます。三岐の駅は、無人の西野尻駅を除き、あとすべての駅が駅員配置になっていて、無人化を進める他のJR・私鉄とは全く逆行する充実振りには目を見張ります。会社としては、近鉄と一体となった自動改札の導入を計画しているようですが、初期費用の高さで実行に踏み切れず、退職した職員などで人件費を抑えて、駅員配置を維持しているとのことでした。そのため、各駅とも整備が行き届き、たいへん気持ちよく駅を利用できます。そして何より、コミュニケーションのある、今では忘れ去られた駅での光景がまだ三岐には残っているのです。今日も、高校の入学式を終えた親子がさっそく駅の窓口で初めての通学定期券を買い求める、懐かしい光景がありました。
しかし、人的なサービスが充足されても乗客減少に歯止めはかかりません。四日市周辺のこの地のこと、工場に通う通勤客も多そうに思いますが、最近の工場は電車線から離れた郊外に立地することが多く、好んで電車を使っても下車駅からの移動手段がなく、電車通勤は皆無に近いと嘆いていました。そこで三岐では、自動車・自転車のパークアンドライドを実施、各駅には無料の駐車場・駐輪場が確保され、自動車・自転車からの転移に期待をかけています。見る限りでは、自動車・自転車とも相当埋まっています。また、自転車は、平日は三里~西藤原間、土日ではほぼ全区間、無料で車内に持ち込めるサービスも実施しています。空いた車内では全く問題はないと思いますが、この日見かけたのは皆無でした。
電車は、富田から車庫のある保々までは30分ヘッド、保々~西藤原間の閑散区間は、ほぼ1時間ヘッドでしたが、2003年に倍のほぼ30分ヘッドに増強、前記のパークアンドライドの実施、“ひと駅いちテーマ”で特徴のある駅、鉄道博物館などのイベントの実施などの手を打ち、下げ止まりの傾向が出てきているのでしょうか。確かに30分ヘッドだと撮影するにしても移動がたいへん楽で効率的です。

桜のなか、電機の魅力に酔い、三岐の魅力に触れた一日でした。

大カーブを行く上り貨物

20m3両編成 北勢中央公園口~梅戸井

一輪の花が印象的な梅戸井駅

 

2009年青春18きっぷの旅Ⅲ Part5 土佐くろしお鉄道

友人から、せっかく高知に来たのだから、是非とも土佐くろしお鉄道に乗って、夕陽の車窓を楽しむように、お勧めがありましたので、復路を夕陽時刻に合わせて、初乗車としました。
土佐くろしお鉄道 安佐線

土佐くろしお鉄道 安佐線

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2009年青春18きっぷの旅Ⅲ Part4 とでん

初めて、伊野駅に降り立ち、直ぐに隣接する土佐電の電停に、向かいました。高知には、仕事を含めて何回か来ています。『とでん』は、見ていますが、乗車するのは、初めてです。

とでん いの駅 毎月1日だけだが、100円は安い!

とでん いの駅 毎月1日だけだが、100円は安い!

とでん 路線図

とでん 路線図

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桜を求めて三岐鉄道へ (1)

今年の桜は開花時に天候に恵まれ、近年になく花持ちが長くなりました。
今年はどこへ行こうか…。最初は、ぶんしゅうさんに刺激されて四国や、クローバー会の重鎮と小湊鉄道へと考えていたのですが、遠距離は仕事で諦めざるを得ず、以前の掲示板でぷるぷるさんが三岐鉄道の訪問記を載せられていたのを思い出し、青春18きっぷを手に関西本線は富田へと向かいました。
以前にも、クローバー会のメンバーと三岐を訪れたことはありますが、一人で走行写真を撮るのは初めて、まずはロケハンも兼ねて、1000円のフリー切符を購入し、近鉄富田駅3番ホームに停車中の電車に乗り込みます。終点の東藤原までが片道500円ですから、十分にモトの取れる切符です。まず藤原岳をバックに直線区間を俯瞰できる定番の撮影地で撮るため、丹生川で下車。ところが向かっている途中で早くも踏切が鳴り出し、ED45重連の上り貨物が通過。機材を撤収したと思ったら、隣の駅で交換した下り貨物がまた通過と、あまりの効率の良さにニンマリしてしまいます。どうやらこの3月のダイヤ改正で貨物にも変更があったようです。やはり私鉄では珍しくなった定期の貨物列車が頻繁に通過するのが三岐の最大の魅力です。

三里~丹生川間を行くフライアッシュ輸送の下り貨物

廃車の電機も見える東藤原駅構内、セメント工場が背後に迫る

ここで三岐の貨物列車の概要を…。藤原岳から産出される石灰岩を、東藤原駅近くにある太平洋セメント藤原工場で生成し、セメント原材料をJR富田まで輸送するのが、三岐の貨物の主務です。重量貨物だけにED45はすべて重連総括制御となります。戻りの列車は返空もあるものの、一部はフライアッシュ輸送も行っており、特異なスタイルをしたホキ1000を見ることもできます。一時は、中部国際空港埋立用の土砂輸送も行い、他社から電機を購入するなど盛期を迎えます。ピークは過ぎたものの、本業のセメント輸送はなお盛んに行われ、貨物収入が旅客収入を上回ります。電機はED45が8両、前歴は異なりますが、ほとんど同タイプで、重連×3組の6両使用、2両予備となっています。ただ片パンとなりますので、撮るにはパンタが前に出る富田行きの方が絵になります。
早くも上下2本の貨物を撮ったあと、丹生川から乗って終点の西藤原駅まで往復してみます。乗っていると気がつきませんが、北勢線とはほぼ1.5キロの間隔で並行しています。今は同じ会社ですが、こんな地域に元は経営体の違う私鉄が並行しているのは稀有なことです。そういえば、以前、クローバー会の面々と乗り歩きしたときは、三岐の伊勢治田駅で降り、そこから小走りに歩いて北勢線の終点、阿下喜まで行ったことを思い出します。このように歩いて行けるほどに両者は近いのです。セメント工場のある東藤原駅まで来ると、異様な山容の藤原岳が眼前に聳え、構内ではホッパ車、タンク車の入換が盛んに行われています。一転して山間区間を走った電車は終点の西藤原駅へ。駅構内には、ウィステリア鉄道と呼ばれる模型鉄道があり、実物のEL、DL、SLも保存展示されています。

西藤原から乗った戻りの電車で降りたのが大安という縁起のいい駅。駅舎は図書館に併設されており、地域のコミュニティの中心施設としての役割も果たしています。5分ばかり北へ歩くと宇賀川鉄橋があり、堤防は両側とも桜が真っ盛り。バーベキューのいい匂いを嗅ぎながら、つぎつぎに来る電車・貨物を写します。撮り鉄もほんの2、3人、最高の条件のなかで、好きな写真を撮れる至福の時間でした。

重連回送が桜満開の宇賀川鉄橋を行く

電車のカラーも青空によく映える

一時間に一本は貨物が来る電機天国

2009年青春18きっぷの旅Ⅲ Part3 宇和島→伊野

祈りが、叶ったようで、快晴の朝を迎えました。今日は、車窓が評判の 『しまんとグリーンライン予土線』の初乗車です。8時には、駅に行き、発着光景を撮りました。
早朝の宇和島駅 1番線は、さっき到着した宇和島1号、2番線は松山行き4632D

早朝の宇和島駅 1番線は、さっき到着した宇和島1号、2番線は松山行き4632D

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2009年青春18きっぷの旅Ⅲ Part2 松山→宇和島

今回の青春18きっぷの使用は、松山→宇和島からと思っていましたが、この区間の運賃は、2,300円に達しない1,750円なので、普通乗車券を購入しました。

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2009年青春18きっぷの旅Ⅲ Part1 四国へ

 家の用事で四国に、行って参りました。終わってから、家内達は、家にすぐ帰っていくので、私は一人残り、桜前線を求めての鉄道の旅に出る事にしました。

 

予讃本線 伊予石城~双岩 1917D キハ54-11

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2009年青春18きっぷの旅Ⅱ 急行『つやま』

我々が貧乏学生だった頃、周遊券等で度々利用した急行列車、それは、鉄道旅行には、欠かせない存在でした。2009年3月13日は、最後に残った昼間の急行『つやま』が、消える日でもありました。

天気予報では、最終日は、どうやら雨模様です。12日朝、起きると、快晴です。1日早いが、もう行くしかありません。青春18きっぷで、一路岡山を目指しました。

岡山までは、新旧いろいろな電車が行きかう。

① 長岡京8:39(快速735T)→9:06新大阪 223系
② 新大阪9:09(新快速3423M)→10:17姫路 223系12両
③ 姫路10:38(普通957M)→11:09播州赤穂 223系4両
④ 播州赤穂11:49(普通1915M)→13:03岡山 クモハ114-1098+クモハ115-1505
⑤ 岡山13:13(快速3936D)→14:21津山 キハ47-44+キハ47-1128

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2009年青春18きっぷの旅Ⅰ Part4 高山本線

いつものように朝風呂にゆっくりと浸かって、頭を覚ましました。朝食に行く間のひと時、夜明けを待っていると、眼下に富山駅が見えました。どちら様か、津山駅でホテルの窓から見られたのと同じ光景です。窓は、少ししか開きませんので、カメラを落とさぬようにシャッターを切りました。

JR&地鉄の富山駅

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2009年青春18きっぷの旅Ⅰ Part3 富山ライトレール

富山まで移動のため、高岡12:26始発の437Mに乗車すべく駅に行きましたが、何やら改札口周りがざわついています。朝からの悪天候です。糸魚川付近で、強風のために列車が止まっているとの放送がありました。437Mは、本日運転休止です。仕方ありません。

12:50発の439Mは、運行するというので、ホームで北陸名産のかまぼこと揚げ物を”アテ”にビールを飲みながら、待つことにしました。

旧国鉄色の475系3連に乗車、富山は定刻到着でした。ホテルへ荷物を預けてから、富山ライトレール富山駅北を目指しました。
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2009年青春18きっぷの旅Ⅰ Part2 万葉線

前夜、楽しみにしていたWBC初戦のTV中継は、高岡では放映がなく、見る事ができませんでした。ローカルに行くと、これがあるので、残念なことです。充分な睡眠を取って、夜明けの窓から見ると、既に小雨模様です。日頃の行いを悔いましたが、仕方ありません。氷見線撮影を諦めて、万葉線と富山ライトレールの乗車と撮影に切り替えました。ホテルから高岡駅までは、小雨に加えて強風です。折りたたみ傘は、あっけなくハスの花となりました。嵐は、終日続き、撮影するにもカメラが、濡れないようにするのが、やっとでした。

万葉線は、富山地鉄から加越能鉄道へ譲渡運営されましたが、利用客激減による経営悪化で、廃止される事となっていました。しかし、市民からの路線存続の声に答えるように、高岡市が中心となって、2002年より路面電車としては、全国初の第3セクターとして、復活を目指し引継がれました。

路線は、高岡駅前~六渡寺(軌道線)7.9kmと、六渡寺~越ノ潟(鉄道線)4.9kmの計、12.8kmで、在籍車両は、デ7070形6両(冷房車は、7071と7073の2両)、MLRV1000形4編成と、冬季除雪車として、デ5000形1両が、在籍しています。

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ブルートレインのこと

お久し振りです、掲示板読者の皆さん。近頃は掲示板の話題レベルが高く、アマチュアにはなかなか参入のチャンスがありませんでしたが、昨今のブルートレインの話題には割り込めそうと、冬眠から目覚め投稿しました。 学生時代、昼間の関西でブルートレインにはめったにお目にかかれず、ようやく西方の山陽本線でカメラを向けました。 K.Y.さんと二人で、瀬野機関区訪
問と戸田-富海間の撮影行です。夜行で向かい、朝の広島駅構内で特急機関車軍の撮影。

機C6243【広二】と機C6217【下】 04824

機C6243【広二】と機C6217【下】   04824

そしてあさかぜの出発。

3レ『あさかぜ』、機C6217【下】 04825

3レ『あさかぜ』、機C6217【下】   04825

この日の前夜1962年5月3日、あの三河島事故が発生しました。夜行の車内、ラジオで事故を知り、また、翌朝の新聞で三
河島に住む同姓同名の親戚の名前を見つけましたが、他人と判り旅行を続けたものでした。その日は、広島電鉄を撮影。翌
日に瀬野機関区を訪ねました。機関士の作業服に着かえ、重連補機の前方の機関車に乗車。瀬野-八本松間を往復しました。 翌日は、戸田-富海間で撮影です。天気はよく、瀬戸内の波は静かで絶好の撮影日和でした。午前中、相次いでブルー
トレインが通過。C62の勇壮な姿に接して大満足でした。撮影はいずれも、1962年5月5日。

3レ『あさかぜ』、機C6217【下】 04917

3レ『あさかぜ』、機C6217【下】   04917

5レ『はやぶさ』、機C6234【下】 04920

5レ『はやぶさ』、機C6234【下】   04920

K.Y.さんは、鉄道施設に昇り撮影を行っていました。その時の写真を、今から4~5年前、例の写真集募集の折りに見つけま
した。普通では撮影出来ぬ見事なものでしたが、昨今なら間違いなく問題になっている事でしょう。 K.Y.さんですか? 某電
鉄に勤め、系列のホテルのトップに上り詰めたあの御仁。なるほど当時から登る事に秀でていました。 次回は、その一年後、やはりK.Y.さんと二人で、鹿児島から熊本まで特急券を買って、『はやぶさ』に乗車した話と、九州各地のブルートレインの写
真を紹介します。 『貧乏学生二人、はやぶさに乗る』。乞うご期待!

CRHの旅Ⅲ Part5 上海鉄路博物館

ひと休みをしたらもうお昼です。南京路の食堂に入って、大好きな上海名物、スープの入った小籠包を食しました。広州の飲茶料理にもありますが、551の豚マンサイズの大きな小籠包は、上海だけです。スープを飲むために、ストローを付けた店もあります。

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天然色写真で巡る40年前の九州(11)

仕上げは呉線

少し間が開いてしまったが、今回でひとまず最終章としたい。

20日余りの九州滞在を終えて(大阪発の九州均一は通用16日のはず、と訝る向きもあろうが、これにはちょっとした仕掛けがあった…)、夜行の臨時急行「桜島」に乗り早暁の広島駅に到着した。

広島駅で発車を待つ呉線C6241牽引622列車(昭和44年3月27日)

呉線ホームへ行くと、もうすでに呉線の始発622列車がホームに入線している。牽引機を見に行くとC6241である。ボイラーの熱気と石炭の匂いが全身を包み込む。私は山陽本線の蒸機全盛時代は知る由もなく、電化直前の姿を辛うじて垣間見ることができた世代だが、広島駅のゆったりしたホームで発車を待つ呉線の列車は、山陽本線時代を髣髴とさせる雄姿を醸し出していた。

その始発列車に乗り、広~安芸阿賀間の鉄橋で、朝のラッシュ時に陸続として広島へ向かうC59・62列車を捕らえたのち、ラッシュの一段落した小屋浦に降り立った。呉線では広~広島間でC59・62列車を多く稼げる。小屋浦はその区間の代表的な撮影地として知られていた。ただ、ずっと国道と並行し、店舗や家屋も多く、代表的な“クサイ”撮影地としても名を馳せていた。しかし今から思えば、国道の車両の通行もわずかで、家屋も今のようなド派手なものではなく、“クサイ”など揶揄したらバチがあたりそうである。

瀬戸内に沿って走るC59161牽引622列車(昭和44年3月27日)

ここで、C59161の牽く上り列車を写した。糸崎機関区のC59は、161、162、164の3両。C59全製造数の173両のなかで生き延びたのはこの3両だけと、他の大型機、C60、61、62がまだまだ健在なのに比べると、残ったのは極めて少ない。急行旅客機らしいスマートで、蒸機のなかでは最もバランスのとれた最高の形態美だとの評価が高い。「かもめ」牽引を始めとして、C59は山陽本線を代表するカマでもあった。

この日は、夕方まで小屋浦で粘り、その日は広島ユース泊、翌日から二日間は、鉄道同好会恒例の春の大狂化合宿が、呉の国民宿舎「音戸ロッジ」で華々しく挙行され、久しぶりにクラブの面々と和やかに一夜を送ったのであった。

ところが、九州の最終日、筑豊本線で撮影中、泥沼に下半身がはまってしまい、それ以来少し風邪気味のところへ、夜遅くまでハシャギすぎたのがたたって、翌日は熱も出てかなりの重症で、動けるような状態ではない。旅行中に病気になったのは後にも先にも、この時だけである。それでも気力を振り絞ってみんなともに安登まで行き、ヘッドマーク付きの最後のC62「安芸」を捉えた。しかし、もう体力・気力も限界、雨も降ってきて寒さが余計こたえる。まだ撮り続けるみんなと別れ、這うようにして呉線を去って行った。(終)

安登付近の勾配を上る下り急行「音戸」(昭和44年3月29日)

 

CRHの旅Ⅲ Part4 CRH2寝台電車

北京駅には。21:50に到着。前回の広州駅のようなギリギリは、控えたいと思っていましたが、既に乗車は、始まっていました。和諧号待合室から、専用跨線橋を通ってホームへ下ります。ほぼ、最後尾に近い位置です。指定席は、前です。車両番号を撮影しながら向かいました。

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CRHの旅Ⅲ Part3 北京北駅

CRH2-300運行廃止の悲しい報告をした後に振り返ると、復路に乗車したCRH3の座席ポケットには、初めて見るCRH3編成案内パンフレットが、入っていました。今までの中国鉄路にはなかった、ちょっとコケティシュなパンフレットです。ご覧下さい。朝日新聞の記事は、Webにも掲載されていますので、ご覧下さい。
http://globe.asahi.com/feature/090202/03_2.html
http://globe.asahi.com/feature/090202/03_1.html


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40年前のカラー写真(パクリ版)その2

一枚目は春の休日に横須賀を散歩したときの撮ったものです。渡し船ですが今でもあるのでしょうか。どことどこを渡していたのか、撮ったことも覚えていません。

横須賀にて

横須賀の渡し船

二枚目と三枚目は京浜急行を撮ったのですが、京急には全く興味が無くいい加減な撮り方でした。

京浜急行、撮影場所不明

撮影場所不明

 

次は都内に帰ります。夕暮れの都電を撮ったものですがこれも撮影場所が分かりません。これは東京支部の方にお助けいただく必要がありそうです。

 

次は多分新宿駅。注目は道床に張られた金網。若い会員には知らない人が多いでしょうがこの前年、10月21日に世に言う「国際反戦デー」があり新宿駅は全学連に占拠、破壊されました。その後全国の主要駅は砕石をとられないように網を張ったりアスファルトで固めてまるで市内軌道のようになったのでした。

http://www.youtube.com/watch?v=mnrgvmxEkdQ

 

線路上の防護網

 これからの4枚はクイズです。新宿であるのはお解りでしょうが、さて今のどのあたりでしょうか?昭和44年の新宿は戦後の闇市と新時代都市が交錯していた時代でした。

新宿1

新宿2

新宿3 これは分からないでしょうから正解を。建設中の京王プラザホテル

新宿4 これが分かれば新宿王!

続きます。

40年前のカラー写真(ぱくり版)その1

ほぼ同名の記事がありますが、これは似て非なるもので通称「ぱくり」、関西では「パッチもん」ですからそのつもりで見て下さい。そして教えて下さい。

というのは学生時代(実は今も全く変わりません)から写真は撮るだけ、あとは野となれ山となれでほったらかし。整理しながらどこで撮ったものかいつ撮ったものか分かりません。分かった方は教えて下さい。

時代は私が東京にいた昭和43年から45年にかけてです。北海道は昭和40年頃です。またサクラカラーリバーサル、フジクロームとエクタクロームを使っています。色の退色具合からどれかも判断してみて下さい。

たぶん原生花園

上記と同じ場所でキハ04

上と同じ場所でキハ04

壮瞥付近ではないかと思う

壮瞥付近ではないかと思う

保線区の人から「京都から汽車を見に来るとは奇特な人」と褒めてもらった。

さてこれがどこか分からん

これも・・・

これも・・・

そしてこれも・・・多分同じ駅だと思う。

これは分かるぞ!

続きはまたいつか・・・・