三次のターンテーブル復活

今朝の中国新聞朝刊に三次のターンテーブルが東武鉄道で再活用されるとの記事が載りました。

平成28年5月10日 中国新聞朝刊

平成28年5月10日 中国新聞朝刊

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兵庫・鷹取工・高砂工・姫路3

兵庫の次は鷹取である。兵庫-鷹取間には1954年4月1日新長田駅が新設されたが、この当時では兵庫の次が鷹取である。ここには機関区だけでなく貨車区、それに鷹取工場があり、先ずは工場へ。看板は復元なった義経号で、目立つところに鎮座しているだけでなく、博覧会の類にも貸し出されていた。確か事前に文書で見学を申し入れていたと記憶するが、たった1人の学生(その実受験生)にも助役がつききりで案内してくれる。正直言うとこっちは早く機関車や救援車を撮りたいのだが、そこは礼儀正しくご案内に従う。ブレーキシューの自動鋳物システムが面白かったと記憶する。
義経鷹取工場1955.37.16S
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レトロ列車出発 加悦鉄道まつり

いささか旧報になるが、5月4日朝日新聞京都版でタイトルの如きキューズ(旧ニュ-ス)が掲載された。加悦で何ごとぞと、読んでみたら次の通りであった。

「与謝野町滝の加悦SL広場で3日、初夏の加悦鉄道まつりが始まった。多くの親子連れなどが、風船プレゼントや再現列車乗車会といったイベントを楽しんだ。4日まで。

加悦 続きを読む

関三平先生からのお手紙 その2

近鉄・京阪の相互乗り入れに関する会員各氏からの投稿をご覧になって、関先生からお手紙が来ました。談論風発的な投稿はDRFCの特技ですが、今回も貴重な写真や体験談など記録としても残しておきたいことばかりです。そんな中に関先生からも貴重な体験談が来ましたのでお手紙を掲載します。関先生の学生時代と言うことは乙訓の長老の学生時代、昭和30年代初頭でしょうか。京阪三条駅の阪急版です。準特急さん、どう思いますか?
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奥津軽、春の1人旅 桜満開の津軽鉄道 Part4 芦野公園を撮る

DSC_2358001DSCN4577035 第3日目 4月26日

朝5時に起きて真っ先にロビーへ行きました。そして地元新聞の東奥日報を広げて「高さ7㍍からの桜360°」を見ました。

実は昨日芦野公園で撮影中に興味深いものを見てしまい、列車が来る間に東奥日報のカメラマンに製作した経緯等をお聞きしていました。
興味深いものは長~い高さ7mもある三脚です。この三脚は写真スタジオでよく使用されています米Mabfrotto製のライトスタンドを屋外用に組み合わせを変えたものです。中々よく考えたものですね。
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ゴールデンウイークの三江線

廃止が取り沙汰されると行ってみよう、乗ってみようという人が増えるのが常ですが 三江線もにぎわっているようです。

平成28年5月4日 中国新聞朝刊

平成28年5月4日 中国新聞朝刊

兵庫・鷹取工・高砂工・姫路2

兵庫は和田岬線、それから分岐する兵庫港線、神戸市中央市場線への貨物を主体に、結構広いヤードが拡がっていた。これは神戸港も然りで、市街地に展開した貨物ヤードは梅田貨物駅が典型だが、貨物がコンテナに集約され、その基地が都心を少し離れた個所、神戸の場合は鷹取になり、無用と化したヤードは再開発された。
ついでに記すと、国鉄はポートアイランドのド真ん中にかなり広い土地を確保していて、恐らくは関西新空港がポートアイランド沖に建設されることを見込んでいたかと思われる。ところが当時の宮崎神戸市長は、革新系を標榜=社会党の支援を受けた2期目で、自民党候補と熾烈な戦いになり、社会党の主張でこの折角の神戸沖空港を拒否し、結果的に関西新空港は現在のところに。宮崎市長はその後伊丹空港が廃止になる前提で、自前の神戸空港をミニサイズで作り、神戸ワインと共に神戸市民終生のお荷物となるのだが。

話が脱線したが、兵庫のヤードはきれいに消えてキャナルタウンと称し再開発され、高層住宅が立ち並んでおり、地震後和田岬線は電化電車化された。朝夕のみの乗客の大方を占める三菱重工も縮小の一方で、今後どうなるんじゃろか。以前にも書いたが、国鉄-JRは、なんでこんな歴史だけはやたらと古い盲腸線に執着しているんだろうか。和田岬線が廃止されれば、三菱重工の職員は神戸市地下鉄海岸線を利用せざるを得ず、通勤費は当然高額になる。

兵庫木製客車6連1955.4.22S

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京阪・近鉄相互乗り入れ

表題の件につきまして丹波橋等での湯口様、西村様の車両撮影記録を拝見させていただきました。湖畔のヒマ人様の現場経験での話は毎回大変興味深いものがあります。有難うございました。私も相互乗り入れを撮影したことがあるとコメントを入れさせていただいたので、今回近鉄京都線の上鳥羽口-竹田間での京阪車両を報告します。撮影は1966年10月4日の秋晴れの日でした。

1001+1512+1008の京都行きで拙い写真であるが、当時の本線の中書島-淀-八幡町(現八幡市)間の様な広々とした場所がおわかりいただけるかと思う。▼

s-66.10.4上鳥羽口1001+1512+1008京都行

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奥津軽、春の1人旅 桜満開の津軽鉄道 Part3 奥津軽の春の絶景を撮る

DSC_2188017昨日日曜日はあまりに多い花見客だったので、平日の月曜日に回した芦野公園、桜のトンネルを行く”走れメロス号”2連、狙った通りのアングルでバッチリと決まりました。ロケハンもバッチリできたので今日は春爛漫の津軽鉄道を撮りまくります。
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兵庫・鷹取工・高砂工・姫路1

浪人1年目の1955年、どうしても勉強は手につかず、予備校に行くと称して家は出るものの、若い大学院生教官の日本史—―といってもほぼ試験には出ることもない明治・大正・昭和期の講義を除き、専ら映画館に入りびたり、あるいは木製客車をせっせと撮っていた。この時点日帰りで木製客車が撮れるのは、放出、梅田、神戸港用品庫の配給車、機関区、客貨車区の救援車以外の営業用客車といえば、兵庫=和田岬線、姫路=播丹線/姫新線ぐらい。やはり事業用車より営業車のほうがいい。

で、ある夏の1日、山科を3時51分に発する111レに乗った。この列車は東京を前日14時25分発、終着は門司22時03分=勿論普通列車で、6時25分兵庫で下車。和田岬線(正式には山陽本線の一部)の通勤用に「一山」客車が居り、全部木製車である。この線は三菱重工の通勤用であり、神戸市中央市場への貨物、川崎車輌からの甲種輸送が主で、かつては鐘紡も工場があったが、この時点では競輪場(その後神戸市電和田車庫から交通公園、サッカー場)になっている。旅客列車は朝夕通勤用3往復、計6往復。

その木製客車が多種多彩で、戦時中優等車を格下げしてサイドに引戸2か所を設けた形式ナハ13500がもっともふさわしいのだが、やはり格下げで形式ナハ10000にぶち込まれたものも居る。中でも異色は木製ながら丸屋根の、播丹鉄道ホハフ500買収のハフ14070である。これは沿線に陸軍の演習場や戦車聯隊、病院等が山ほどあった播丹鉄道が、代燃ガソリンカーだけでは足らず、国鉄ナユニ5672(←ホユニ8682←ユボフ14、神戸工場1909年製)の台枠、台車に鷹取工機部で中型並の木製車体を新製したもの。両端がロングシート、中央部が6組のクロス、定員105(内座席75)人、便所洗面所はない。

ナハ13511大タカ1955.7.16兵庫S
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神高(じんこう)鉄道について

中国新聞に福山市市政施行100周年にちなんだ記事が連載されているのですが、ようやく鉄道関連の記事が載りました。

平成28年5月1日 中国新聞朝刊

平成28年5月1日 中国新聞朝刊

昨年の広島ツアーや先般の三江線ツアーの行き帰りに福塩線や井原鉄道を楽しまれた方もあったかと思います。記事にもあるように神辺・高屋間は すでに福山・府中間で開業していた両備軽便鉄道が大正11年に支線として開業しました。備後の国から備中の国に足を踏み入れてまさに両備となりました。昭和3年2月大日本帝国陸地測量部発行の1/25000地図「神邊」を見てみますと 「りようびこくぶんじ」駅が田んぼの中にあり、「両備輕便鉄道」と記載されています。 続きを読む

奥津軽、春の1人旅 桜満開の津軽鉄道 Part2 津軽森林鉄道を中里町博物館で見る

第1日目 4月24日 その2

④ 津軽五所川原15:15⇒15:52津軽中里

津軽五所川原で一旦下車したが折り返しまでは11分しかないのでどこへも行けません。
DSC_1914025 津軽鉄道のアテンダントさんは2009年(平成21年)6月えちぜん鉄道に続いて全国2番目に乗務開始となりました。往路のアテンダントさんは入社7年目のベテラン、ニックネームは「みっちょん」の小枝美知子さんでした。年季の入った味のある沿線案内をお聞かせいただきました。ありがとうございました。
下りられたら早速おばあさんへの案内もされています。おばあさんはリックサックを背負っておられます。どこへ行こうかと観光の相談なのでしょうか。 続きを読む

《協撮企画》583系を追って(後編)

このたび、583系が秋田→大阪(4/26~27)、大阪→海浜幕張(4/28~29)と運行されました。
関西および関東のクローバー会有志数人で、この列車を撮影しました。

新秋津~東所沢間を走る583系(撮影:新所沢都民)

ニコニコ超会議号2016 新秋津~東所沢

ニコニコ超会議号2016 新秋津~東所沢


この企画に携わった人は、KAWANAKA、新所沢都民、1900生、総本家青信号特派員、デカンショまつり号、鉄鈍爺の6名(敬称略、五十音順)です。
【お断り】
多くの作品が集まり、前・後編に分けて掲載します。この記事は関東編となります。

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《協撮企画》583系を追って(前編)

このたび、583系が秋田→大阪(4/26~27)、大阪→海浜幕張(4/28~29)と運行されました。
関西および関東のクローバー会有志数人が、この列車を撮影しました。

下り583秋田発大阪行き 山崎-1(撮影:総本家青信号特派員)
下り583秋田発大阪行き 山崎 (1)
コメント:雨のサントリーカーブ前で583系、バッチリ撮れました。

今回の企画に携わった人は、KAWANAKA、新所沢都民、1900生、総本家青信号特派員、デカンショまつり号、鉄鈍爺の6名(敬称略、五十音順)です。
【お断り】
多くの作品が集まったので、前・後編に分けて掲載します。

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お城とゲテモノ訪問前に市電を少しだけ

1957年夏の電車を求めての旅の一端はデジ青【3992】で紹介している。そこでは熊本城の雄姿を掲載した。熊本に行こうと思ったのは奥野師匠から熊本電鉄には63スタイルの木造車、それも戦争中の統制で出来た代物があるとの話を聞いたのが発端であった。そこで熊本を折り返し点とするコースを辿ることにした。また京都の城には天守閣がなく、日本一と言われる熊本城の天守を見ることも目的の一つにした。恐縮だがその姿を再掲させて頂く。

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クモルがあるのにキルがない!?

事業用車両のひとつに配給車があります。形式名に「配る」の「ル」がつきます。国鉄時代には各地にあった用品庫から管内の機関区や駅などに部品や物品を配送するために使われていました。客車なら荷物車などを改造したオルなど、電車ならクモル、クルをよく見かけました。今でも現役のクモルは電車区などで見ることができます。貨車にも「配給車代用」貨車がありました。「配給」という言葉も昭和の言葉ですね。救援車も同様に客車ならオエ、スエなど、電車ならクモエ、クエ、貨車にもエがありました。そう考えると なぜ気動車改造の配給車がなかったのだろうと 素朴な疑問がわいてきました。

一方手元にある模型車両や部品の整理をしていたところ、大破したディーゼルカーの車体が出てきました。これは修理が難しそうなので不燃物として捨てようと思ったのですが、そこでひらめいたのが気動配給車の製作です。そしてでっちあげたのが「キル」です。

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奥津軽、春の1人旅 桜満開の津軽鉄道 Part1 旅立ち

三江線のツアーは好天と桜満開に恵まれて大成功となりました。次にノミネートしたのは秋・冬には訪問しましたが桜咲く春には行っていない奥津軽です。芦野公園の桜のトンネルを行く津軽鉄道を乗ってみたい、撮ってみたいと計画を練りました。

【 当初の計画案 】
行くにはDD350号機が牽引する金木さくらまつり臨時ストーブ列車が走る4月29日からが1番だろうと今回はぶんしゅう7号を敦賀から出航する新日本海フェリーに乗せて参ろうと決めました。ぶんしゅう7号は簡易キャンピングカーで、長期の車内泊もできます。ホテル代が浮きますので長期滞在をして、桜を撮った後1週間後には咲くリンゴの花を撮ることも可能です。
ただ新日本海フェリー敦賀⇒秋田への運航は週1便、月曜日発だけですので出発は4月26日(月)になります。翌日朝に秋田港着、秋田からは五能線も撮れる、弘南鉄道にもまた行けると夢が膨らんできましたが、問題は桜の満開時期でした。

青森県桜開花状況_100 続きを読む

なつかしい丹波橋

京阪と近鉄の相互乗入で盛り上がっていますが、元墨染の住人として興味深く拝見しています。諸先輩方も数多く記録されていると思いますが、私も相互乗入の晩年を少しだけ撮影していますので恥ずかしながらご披露致します。まずは1900生さんのコメントにある三条駅4番線の「チョコンと」から。

昭和43年9月 三条駅 準急奈良行き 723+823

昭和43年9月 三条駅 準急奈良行き 723+823

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熊本城と市電

「平成28年熊本地震」に遭われました皆様にお見舞い申し上げるとともに、犠牲になられた方々とご遺族の皆様に対し、深くお悔やみを申し上げます。
4月5日夜から6日にかけて熊本市電(熊本市交通局)を写しに行きました。目的は2014年訪問時検査中で写せなかった0800形0803号(COCORO)です。その8日後4月14日以降の地震で大きな被害が出て熊本城の復旧もかなりの年数が掛りそうです。

↓ 2016年4月5日夜 熊本城と8500形8501号 (通町筋)
熊本DSC_6161
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思い出しました!

子供の頃の思い出は、時として昨日のように鮮明なものがあります。そしてそれがどんな時の出来事なのか、どこでの事なのかなど前後と切り離して覚えているため、いつまでもすっきりしないのです。
今日、関先生の近鉄・京阪200型記事と湯口先輩の丹波橋の奈良電を見て60年ぶりに解決しました。

それは小学校低学年の頃、電車の先頭の窓から入ってきた風にあおられて、お気に入りの帽子が飛ばされてしまったことです。帽子は英語で「Central」の文字が入っていました。電車は京阪か奈良電だと思われます。五枚窓の先頭部で左側に運転席、右側は前まで近づける形です。窓は下降式で車体の色は緑でした。どこで飛ばしたのか、夢にまで見たのですが他人には言えず今日まで来ました。
それが丹波橋の200型を見て、「これやッ!」
あれは両親と奈良公園へ行った帰りでした。奈良公園で鹿に突き飛ばされて情けない気持ちのところに好きな帽子を無くしたことで一気にべそをかいたことを思い出しました。場所は巨椋池の辺りでした。お二人には心より御礼を申し上げます。ありがとうございます。

関先生と湯口先輩の記事に関連した写真を探し出しましたのでご覧下さい。
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