アラド駅前にはルーマニアの鉄道駅の定番モニュメント、かつて活躍した蒸気機関車が展示されています。
131.000型のトップナンバー131-001号機です。レシタ鉄道公園では131-003号機が展示されていました。1C1の軸配置のタンク式蒸気機関車です。軸重は12.4㌧とローカル線にも乗り入れられるように設計されています。最高速度は65km/h、1939~1942年にレシタで67両が製造されました。
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両山鉄道って何?
芸備線開業100周年の関連で 中国新聞に載った記事をご紹介します。かつて全国各地で鉄道敷設熱が盛んだった頃 数多くの計画がなされ、免許取得はしたものの資金が集まらず開業に至らなかった鉄道、免許取得にも至らず雲散霧消した鉄道は数知れず、聞いたことのない鉄道名がいくつもあります。両山鉄道もそのひとつです。中国地方には陰陽連絡鉄道の計画が数多くありました。広浜鉄道(広島ー浜田)、芸石鉄道(安芸ー石見)、大社宮島鉄道など数知れずです。新聞で大きく取り上げるほどのこともないように思いますが、温故知新という意味でしょうか。
鯉のぼり泳いでいます
阪急1300型
2015年 西方見聞録 ルーマニア鉄路の旅 Part38 ルーマニア蒸気機関車の故郷 レシタ(Reșița)へ、古典的気動車
レシタ北駅の待合室で「一緒に写真を撮ってください。」と、声をかけていただいたルーマニアの高校生。ファッション雑誌の中から出てきたような容姿には、しばしウットリとさせられました。ルーマニアは美人の多い国です。その中でも、お会いした中では1番の美少女でした。
この年頃の欧州の女性は本当にスタイルも良くて綺麗ですが、年をとってある年齢を過ぎると見事にマツコ嬢へと変身していきます。この落差は先天的な体質なのでしょうか。
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芸備線開業100周年
大正4年4月28日に芸備鉄道が開業して100年を迎えたのを記念して 地元で祝賀行事が行われたようです。いつものように中国新聞の記事をご紹介します。
2015年 西方見聞録 ルーマニア鉄路の旅 Part37 不審者取り調べにあう
ルーマニア国土は本州とほぼ同じですが、人口1,904万人(2011年)とそれほど多くはありません。しかし鉄道網は全国に張り巡らされています。今、私がおりますのは、左下あたりです。
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2015年 西方見聞録 ルーマニア鉄路の旅 Part36 ルーマニア最古の鉄路 Oraviţa(オラビタ)~ヤム(Iam)に乗る
▲ ヤム(Iam)駅構内でも現地民からの ”一緒に写真を撮って欲しい” との催促がありました。帰り際には俺たちも撮ってくれとのオーダーも出ます。
写真を撮ったり、撮られたリが大好きなルーマニア人の皆さんです。何処に行っても毎日の恒例行事になりました。
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2015年 西方見聞録 ルーマニア鉄路の旅 Part35 ルーマニア鉄道 最古の駅 Oraviţa(オラビタ)
Oraviţa~Anina鉄路の牽引力アップのため1956年にルーマニアの Reşiţaで製造された50.065号機。車軸配置は0-10-0のE型の勾配用蒸気機関車です。同じ3軸テンダー車付の蒸気機関車としては、Baureihe 57の2・3,4・5・10-35型等がありますが稀なタイプです。2013年には開業150周年を記念して走行しましたが、今は静かにOraviţa駅ヤードで休んでいます。
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2015年 西方見聞録 ルーマニア鉄路の旅 Part34 Oraviţa(オラビタ)~アニーナ(Anina)に乗る
▲ 13:20 オラビタから2時間5分の乗り鉄を終えて終点のアニーナ(Anina)に着きました。ひと気のないAninaの街でしたが、学校帰りの中学生のお嬢さん達が笑顔で迎えてくれました。聞かれるのは何処から来た? 何人なの?です。日本人だよと答えるとびっくりした様子でした。初めて見る東洋人だったのでしょうね。スーパーがないかと聞きましたが、指さされた方向は遠く、折り返し時間に駅に戻るのは難しく諦めました。
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杉津 半世紀後の眺め
tsurukameコンビの杉津越えの写真、うらやましく拝見しました。準特急さまのコメント通り「もうちょっと早く生まれていたら」です。昭和37年4月と言えば 私はピカピカの中学1年生。ようやく意を決して一人で京都から遠出をしたのが、中3の昭和39年5月10日。柳ケ瀬線の廃止の日でした。木之本から当時の終点疋田(無人駅)まで柳ケ瀬トンネルを越えての往復乗車でした。キハ521単行は満員で、途中中ノ郷駅(有人駅)で乗客が入場券を買おうと出札口に殺到し、列車が発車できないひと幕があったことを思い出しました(私もそのひとり)。勿論北陸トンネル開通後で、鳩原ループも出来ていて、旧線である柳ケ瀬線が廃止されたわけです。従って北陸旧線はかろうじて柳ケ瀬越えを知るのみで 杉津越えは狩勝などとともにあこがれの線区でした。
新刊本の紹介
3月14日に大津市歴史博物館で講演を行ったばかりの総本家青信号特派員さんが今度は京都市電の本を出版されました。当会では湯口徹さんが島秀雄記念優秀著作賞受賞のほか数々の著書を発表され、山科の人間国宝さん、乙訓の老人さん、田淵仁さんも出版されておりますが、今回の総本家さんもこれに続くものであり、当会にとっても嬉しいことであります。総本家さんはこれまで出版の手伝いや共著で数多くの本を発表されてきましたが、今回は単独出版であります。
さて、本の紹介ですが
題 : 「京都市電」 昭和を歩く -街と人と電車-
発行所: トンボ出版(大阪市中央区森ノ宮2-3-1 Tel 06-6768-2461)
発行日: 2015年4月10日
です。 本の表紙 ▼
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2015年 西方見聞録 ルーマニア鉄路の旅 Part33 Oraviţa(オラビタ)へ
今日は昨夜悩んだ末、朝1番の列車でルーマニア最古の鉄道路線が残るOraviţa(オラビタ)へと向かう事にしました。
邪魔な荷物はホテルに預けて、翌日には戻ってくる1泊2日の行程です。カメラバックだけの身軽な恰好にして、夜明け前にホテルを出発しました。
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北陸トンネル開通前夜-杉津駅付近、半世紀前
1962(昭和37)年4月、2回生の春休み。同好会の亀田満夫さん(筆者と併せてツルカメコンビのもう一方の方)と撮り鉄・乗り鉄に出かけました。初日は北陸トンネル、開通があと2ヶ月に迫り、トンネルの開通で廃線となる新保-山中信号場間です。
ここで、北陸トンネルと旧・北陸本線の概要を紹介します。地図に書き込みました。
敦賀-今庄間の縦断面図です。(日本国有鉄道線増課より)
(新)北陸トンネル経由敦賀-今庄、と(旧線)敦賀-今庄間
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これは「コンヤの電車」と一緒ですか。
湯口先輩の「コンヤの電車」を見ていると、これと同じような電車を撮ったことがあるのを思い出しました。乙訓の長老様のコメントを読んでみると、ドイツで撮ったような気がして写真を見てみると、1994年6月にドイツのフランクフルトであった国際化学技術・バイオテクノロジー見本市視察ツアーに参加して、ケルンに行った時に撮った電車とよく似ていることがわかりました。ケルンで3連泊して企業と大学を訪問したのですが、自由行動の時間があったので市内をぶらついて撮ったものです。さて、これは同じ電車なのでしょうか。
コンヤ( Konya)のトラム
クモハ73106東ウラさんより送っていただきました写真を掲載します。
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ほとんど見かけたことがないコンヤの路面電車の写真ですが、
2011年8月、トルコ旅行の際に撮影しておりますので、添付いたします。
湯口様の時代からカラーリングは若干変更されていますが、
極端に大きなパンタグラフなどは1995年当時のままのようです。
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この地名ですが、ネットで調べると「コンヤ」が一般的なようです。
私も9月にトルコに行く予定です。現在トラムが走っている町を調べています
ので訪問地候補としてノミネートしておきます。
国鉄阪和線クハ6210に寄せて
モタ3000→モハ2250 → モハ20100番代に続いてクタ600→クハ6210→登場した。
関 三平氏は阪和形について詳細までご存じで、クハ6210がモカ2001→モニ3200と組んで荷電代用であったこともきちんと把握されておられる。
記録によれば期間は昭和25年7月13日~28年3月3日となっている。
グリーンとクリームの阪和特急・急行色に塗り替えられた時期は昭和31年と記されているが、もう少し詳しく見ると下記のようである。
ライバルの南海電鉄に対抗すべく70系が投入された。しかし南海は平行カルダン駆動に対し、旧態依然の吊掛式、ゆったり転換クロスシートに対し、シートピッチの狭い直角クロスシートと見劣りはしたが、利用者には好評であった。
最初に投入されたのは次の3編成である。
クハ76073+モハ70069+モハ70070+クハ76072 (31.11.30到着、31.12. 9使用開始)
クハ76075+モハ70071+モハ70072+クハ76074 (31.12. 1到着、31.12 .8使用開始)
クハ76077+モハ70073+モハ70074+クハ76076 (31.12. 9到着、31.12.14使用開始)
翌32年2月から理由は定かではないが、1両ずつ工場入りすることになったため、モハ61001とクハ6210が阪和特急・急行色に塗り替えられ入場車の穴埋めに連結された。
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コンヤの電車
あと10数月で傘寿がやってくるが、目出度いこと何ぞかけらも、なぁんにもない。ただ身辺整理を周りから責め立てられている。整理をしたって万が一にもへそくりや金の延べ棒が発掘されるはずもないのに。ふと見たネガの中に、綺麗に忘れていたトルコはコンヤの路面電車があった。トルコならイスタンブールの旧市街古典2軸電車が有名で、ぶんしゅう氏もアップしていた観光資源である。これは珍しくも何ともない、ごく当たり前でどこにでもある路面電車で、ただ従来あんまり出てこない(はず)というだけ。現像がイエローカメラなる、今はない安いのが取り柄のラボチェーンだったから、20年間での退色も激しい。まあ辛抱してご笑覧あれ。コンクリートの錘での架線緊張装置が右に見える。撮影は1995年9月17日、下は同行我が家の実力者(ヨメ様)による。
2015年 西方見聞録 ルーマニア鉄路の旅 Part32 Timişoara(ティミシュアラ)のトラム その4
城壁で囲まれた城内には数多くの由緒ある建造物が残り、今尚現役で使われています。これら中世時代の建造物に囲まれたティミシュアラ最古の広場、リベルタ広場(Piaţa Libertăţii)を走るトラム。設置されているのは聖マリアの像、聖ヨハネネポムク( Monumentul Sf. Maria şi a Sf. Nepomuk )です。
ただ広場の軌道はリニューアルが行われていて良いアングルでは撮れるポイントが少なく苦慮しました。観光案内についての案内はこちらをご覧ください。ルーマニア語ですが、ティミシュアラ観光案内の詳細が見れます。
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