大津市歴史博物館で開かれている、「江若鉄道の思い出」展で福田静二さんが講演をされました。
広い会場は予定より早く開場しましたが、入りきれないほどの満員で驚きました。廃止されてからすでに四十年以上が経ちましたが、これほど地元の人々の心に染みこんで愛されている鉄道を私は見たことがありませんでした。同時に西村雅幸さんが心血を注いで作った駅の精密なジオラマにも多くの人だかりが出来て、それぞれが思い出を語り合っていました。展示品の多くにはクローバー会会員の名前も多く出ていて、準特急氏の言葉を借りれば「同好会員で本当によかった!」には同感の至りでした。
「江若鉄道の思い出展」講演会に集結!
3月7日から開催されました「江若鉄道の思い出」展は好評開催中ですが、3月14日には総本家青信号特派員様が講師の、れきはく講座「江若最後の二日間を追って」が行なわれ、これに合わせて、26名のDRFCクローバー会会員が集まりました。当日は講演会の開催もあって、企画展会場も多くの人が集まり活況を呈していました。
↑ ジオラマの前では熱心に写真を撮る人が見受けられました
講演会申込が多く、抽選となったとのことで、14時からの講演会は30分前の会場受付開始前から多くの人が並び、約150人収容できるという講堂も一杯となりました。 続きを読む
2015年 西方見聞録 ルーマニア鉄路の旅 Part10 ブカレストから ビシェウ・デ・ジョス(Viseu de Jos)へ IR1642からRE4135への乗継
【 動き始めた列車から飛び降りる 】
ブカレスト北駅から心地良く揺られての熟睡でした。5時過ぎにもう直ぐに乗継駅のBeclean pe Somesに着くだろうと起き上がり荷物をまとめて降りる支度です。列車乗務員の女性も預けた切符を持ってやってきました。まだ到着までは十分な時間があります。昨夜から見ているTV映画の続きを見ていましたら、暗闇の中で停車しました。窓から見ますが駅のホームらしきものが見えませんので単なる運転停車かなと思って部屋でゆっくりとしていましたら、突然ドアが開いて「あなた降りないの!もう発車するよ。」と、大きな声で申されます。えっ!着いているの?!状態です。
慌てて荷物を持って降車ドアへと向かいますが、列車は既に動き出しています。下を見るとホームは無く、凸凹としたコンクリート板が並べられているだけで降りるには結構な高さがあります。問題は履いては重い耐寒用(-30℃対応)のソレル製の靴です。ガッチリと作られていますので普通の運動靴のような機動性がありません。おまけに背中にはカメラ3台を入れた重いリックを背負って自由が効きません。それでもスピードも出ていないので大丈夫だろうと覚悟を決めて、エイヤーと飛びましたが着地は上手くいかず一回転してしまいました。重いキャリアーケースは私が転げ落ちたのを確かめて、乗務員がドアから落としてくれました。
こんなわけで朝からしくじりました。幸いケガは膝を少し擦りむいた程度の軽傷で済みましたが、もう少し遅ければ、列車のスピードが出ていたら、降りるのは無理だったでしょうね。
▲ 5:50 着いたBeclean pe Somes です。飛び降りたホームは右側の3番線で、ご覧の通りームと呼べる高さがありません。よく軽傷程度で降りられたものでした。’
夜行列車が止まる乗換駅なので普通の高さがあるホームだと思いこんでいました。まさか無いに等しいホームとは・・、大失敗の災難の朝でした。
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広島便り
江若展に向かった3月13日は旧ダイヤで、帰路15日は新ダイヤで帰宅しました。京都から新幹線で三原に帰るには岡山か福山で「こだま」に乗り換えるのですが、それが面倒なので今日は新大阪から「こだま」で帰ることにしました。早朝大津を発って新大阪発7:39の「こだま733号」に乗ったのですが、何と指定席は満席! 急ぐ必要のない格安ツアーなのか中高年の男女でぎっしり。トイレの前には行列ができていました。一方自由席はガラガラ。相生の12分停車でヤレヤレと思っていたら、岡山では23分停車。福山の8分停車は短く感じました。かつて北海道で札幌から釧路に向かう夜行普通列車423レに何度か乗りましたが、富良野で35分停車、新得で16分停車、帯広で13分停車、池田で15分停車し、給水、給炭、郵便小荷物積みおろしをする光景を思い出させるような現代の「こだま号」の旅でした。
さて帰宅すると3月15日の中国新聞朝刊には 14日のダイヤ改正がらみの記事が1面を飾っておりました。227系のデビューと新白島駅開業が目玉です。便利に、快適になったことは報じられても、不便になった面も報じてくれればよいのに。
2015年 西方見聞録 ルーマニア鉄路の旅 Part9 ブカレストからヴァッサー渓谷森林鉄道へ IR1642乗車
▲ 乗車したIR1642列車の1等寝台の2人用個室です。ベット幅もいつもの中国鉄路の軟臥と比べると1回り大きく、重厚感ある木造の室内は天井が高く十分な広さです。ただ私のベットは上段ですので、重いキャリーケースは上の置き場へは持ち上げ不可能です。下に置かせてもらって、他の持ち物は上に置きました。
部屋の相棒は後から来た若いドイツ人です。挨拶を済ませてから上段に上がって寝る体制を整えましたら、彼は友人の部屋に空きベットがあるのでそこに移ると言って出て行きました。おかげで一人個室となりましたので大満足、寝場所を下段に移してのゆったり旅が始まりました。
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2015年 西方見聞録 ルーマニア鉄路の旅 Part8 ブカレストその6 トラムに乗っての街散策 後編
▲ 17:23 夕暮れが近づいたブカレスト郊外の専用軌道を快走するタトラの重連。ブカレストのトラムも最後の撮影です。今日はブカレスト北駅、メトロ、トラムと朝から乗り鉄・撮り鉄旅を堪能しました。人口約200万人の広い町ですのでとても一日では回りきれません。最新の低床車も走行しているそうですが、残念ながら見られずじまいでした。しかし最盛期に比べると縮小されたとは言えトラムが元気に走り回っている姿は堪能できました。次回は街路樹に若葉が茂る頃に来たいと思いました。
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ついに途絶えた東海道本線の客車列車
「トワイライトエクスプレス」の運行が終わることについて豪華寝台特急が運転終了として巷では騒がしかったが、もう一つの意味がある。それは東海道本線を走る客車列車がなくなるのである。団体貸切特別列車のような客車列車は走るかもしれないが、どこかへ行くお客さんが乗っている客車列車はなくなる。東海道本線はすべて動力分散式列車となるのである。輸送手段としての効率から考えると動力分散式の方がよい。効率重視で考えると電車などの動力分散式に変わって行くのは当然のことだと思う。
【速報】現役鉄道同好会が地域貢献賞を受賞
本日、同志社大学の寒梅館で、年間を通じて目覚ましい活躍のあった文化系クラブ・サークルを対象にした「2014年度 文化系公認団体表彰式」が行われました。
そこで、同志社大学鉄道同好会は“地域貢献賞”を受賞したとのことです。この賞は最高の賞である大賞ではありませんが、鉄道同好会が“地域貢献”をしたと社会に認められたことに大変意義があると思います。大賞といっても過言ではありません。
鉄道同好会のY会長のコメントを以下に紹介します。
「当会の活動を評価していただいて嬉しく思います。
しかし、これに甘んじる事なく、よりよい評価を頂けるサークルにしていきたいです。来年度は大賞を頂けるように努力しますので、応援よろしくお願いいたします。」
デジ青をご覧の皆様、来年度も鉄道同好会にご期待ください。
2015年 西方見聞録 ルーマニア鉄路の旅 Part7 ブカレストその5 トラムに乗っての街散策 前編
家にいる時は食事の支度は私の役目、海外に参った時は変わった食材がないか見るのが旅の楽しみの1つです。今回もトラム車窓から市場を発見したので直ぐ降りて探索です。
その市場で明るく元気よく野菜を売っておられるお姉さん、並べられた野菜たちもより新鮮に見えます。左下には初めて見る白い人参が積まれていました。
でもこれはパースニップと呼ばれるセリ科の二年草で、似てはいますが人参ではありません。風味はニンジンに似ており糖分多く、甘みが濃厚だそうで煮崩れしないため、ポトフやシチュー、ボルシチなどの煮込み料理に使われているそうです。古代ギリシャの時代から地中海周辺で作られており、食用だけではなく薬用としても使われて日本でもネットの八百屋さんで売ってはいます。
2015年 西方見聞録 ルーマニア鉄路の旅 Part6 ブカレストその4 ブカレストのメトロ
【ブカレストメトロ】
1979年11月16日に1号線6.2キロが開通、その後も順次開業が進み現在4路線、51駅の約70キロが営業、トラム・バス・トロリーバスとは異なるメトロレックス(Matrorex)が運営しています。車両はルーマニアのアストラ・ヴァゴアネ・カラトリ (Astra Vagoane Călători)が1978年~1993年に製造した国産車両が1・3・4号線に、またボンバルディアが2002年~2008年に製造した車両が2号線に投入されていますが、老朽化車両については順次置き換えが進んでいます。 上の写真は1号線Dristor駅ホームで折返し発車を待つボンバルディア製の新車です。 続きを読む
四大学鉄研合同写真展始まる
いよいよ、今日から関関同立の4大学による合同写真展が始まりました。午前中は準備、午後1時より開場となりました。展示会場は中崎町駅1番出口より歩いてすぐ(徒歩2分程度)、大阪環状線の高架下に位置しています。 続きを読む
2015年 西方見聞録 ルーマニア鉄路の旅 Part5 ブカレストその4 ブカレストのトラムに初乗車
長野電鉄OSカーの写真のこと
関三平さんの「昭和の電車」で長野電鉄のOSカーが出てきた。この電車ができた時に雑誌鉄道ファンで見たのだが、正面のデザインが地方私鉄の電車とは思えないような形で驚いたものである。しかも、FRPで出来ているので、これもすごいなあ~と思っていた。まだ、中学生や高校生では見たくても、長野まで行くことはできなかった。しかし、高校生の時に長野に行く機会があった。この時は長野電鉄に乗ることはなかったが、駅へ行くとひょっとしたらOSカーが来ているかもしれないと思ったのだろうか。駅で撮った写真が出てきた。撮った写真を調べているとカラースライドで1枚だけ長野電鉄の長野駅で撮ったOSカーである。少し修正して見ることができるようにしたのが次の写真である。
ご覧のように地下駅でなく、地上駅である。ホームを歩いている女性や電鉄職員の服装を見ていると夏かもしれない。そういえば、夏休みに信州方面へ部活の合宿で行ったことがある。その時に撮ったようである。これは正面にかすかに2という数字が見えるので増備されたモハ2である。そして、この写真を見ているとホームが1面で2本しかなかったことがわかる。もう1つ不思議な取り付け方をしている電飾駅名看板である。よくある駅名看板は電車から見えるところにあるが、これは位置が高く、電車に乗っていると見えない。しかも電車に直角である。これは改札口からホームへ入ってくる乗客に見えるようにしたような気がする。このような駅名看板があるのだろうか。見たことがない。あらためて、よく見てみると面白いものである。 今回の「昭和の電車」はそんなきっかけをつくってくれたのであった。
国鉄阪和線モタ3000系に寄せて
クハ25105+クモハ20+クハ25+クモハ60 / (42-5-28) 長居
「昭和の電車」は「モハ54003~54005」に続いて関西の国電が登場した。
今回、関 三平氏が紹介されたモタ3000系は、一段上昇窓のため開口面積が狭く、夏暑かったこと、日除けがブラインドとカーテンを併用して構造が複雑であったこと等が災いし、早めに廃車されたため42年中に姿を消した。
新製からの廃車までの経過
戦時色が濃厚になった昭和16年にクタ3001、3002が日本車輌で、クタ7001、7002が帝国車輌で新製された。
クタ3001、3002は両運、7001、7002は片運であった。
クタ3001、3002は電動車として竣工すべきところ電装品の調達遅れにより制御車として竣工し、12月に電装され本来のモタ3001、3002となった。
7001,7002以外は両運車であったが、戦後片運化され、モハが上り向き、クハが下り向き運転台になった。
全鋼製のノーシル、ノーヘッダーの車体は、上部にRの付いた2枚1対の客室窓の斬新なスタイルで戦時色を感じさせないものであった。
小学校4年生の時、天王寺で初めて見たが、京阪の新車にソックリだと思った。京阪の新車とは1650形のことである。
発注したのは阪和電鉄であったが、完成は南海電鉄と合併後であった。(阪和電鉄は昭和15年12月1日南海電鉄と合併し、更に19年5月1日鉄道省に買収された)
17年にクタ3003~3007が日本車輌で、クタ7003~7007が帝国車輌で新製された。
クタ7003~7007は電装される予定であったが、鉄道省買収後の19年6月クタ7003、7004の2両のみ電装され、モタ7003、7004になった。
18年にクタ7008~7013が日立製作所で新製された。
戦後、阪和線に輸送力増強のため国鉄標準型電車が転入すると、混結の必要性から制御器の省形化、連結器の密連化、運転室の拡幅工事が実施された。
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2015年 西方見聞録 ルーマニア鉄路の旅 Part4 ブカレストその3 ブカレスト駅の朝
現地からの投稿をするつもりでしたがパソコンのキーボードが不調となって、Part3以降は出来ずじまいとなってしまいました。現在、22日間のルーマニアとハンガリーのブタベストの鉄路の旅を終えて無事に帰国しましたが、撮った写真は、27,000枚(270GB)にもなっています。36枚撮りフイルムなら750本と過去最高の途方もない本数です。まずはバックアップと整理に追われる事となりました。ゆっくりになりますが旅の続編を再開させていただきます。よろしくお願い申し上げます。
▲ 7:40 宿泊したHotel Sir Gara de Nord前から見た朝のブカレスト北駅(Bucharest North railway station )。1872年の開業で国内各地、また欧州各国への国際列車の発着駅となっています。現在の気温はマイナス1.8℃と日本と比べてもそれほど寒くはなく、青空が広がっています。日中は暖かくなりそうです。
今日は一日、ブカレストのトラムとメトロの乗り鉄、撮り鉄を楽しんだ後、「ヨーロッパ最後の軽便森林鉄道」と、地球の歩き方にも紹介されていますヴァセル渓谷森林鉄道(Vaser Valley Railway)へ向けての夜行列車に乗車します。
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長野電鉄OS1
「江若鉄道の思い出」展、オープン
日本海縦断各駅停車のたび前編
昨年末の話ですが、青春18切符で大津~稚内までの各駅停車の旅を試みました。昨年九州の旅で、最南端の西大山~大津まで各駅停車の旅をしましたが、この続編、3月の北陸新幹線開業後は日本海縦断青春18切符の旅もできなくなりますのでこの時期が最後のチャンスとなります。22本の列車を乗り継いで、最後は宗谷岬まで行こうというものでした。 続きを読む
備後・備中に消えた鉄道を訪ねて 最終回 ~こんどは“おのてつ”のまぼろしと尾道の「ハッサク電車」~
いよいよ最終回である。
芦田川を越えて福山の町に入った。福山城の横を通って、福山自動車時計博物館の所へ来た。野外展示場が見えたが本来の目的地へ向かうことにした。それは再び井笠鉄道の車両が保存されているところである。そこは福塩線上戸出駅から北へ約1.5Kmほど行った所にある新市クラシックゴルフクラブである。この入口に井笠のコッペル2号機とホハ12が保存されているのである。ところがこのコッペルは西村さんによると3号機で、岡山の池田動物園に保存されているコッペルと入れ替わった番号になっているらしい。福塩線沿いに走って、途中でゴルフ場へ行く道を上っていく。ゴルフ場へ行く道であるから車は走りやすい。そして、間もなくすると井笠のコッペルが見えてきた。ゴルフ場入口の手前にフェンスで囲まれて保存されている。西村さんが以前に投稿された時に述べられているが、運ぶのが大変だったと思う。だが、井笠開業時のコッペルが3両とも残っているのは奇跡というか、喜ばしいことである。
「江若鉄道の思い出」展直前情報
7日から大津市歴史博物館で開催される「江若鉄道の思い出」展は、本日ジオラマの組み立てもほぼ終わり、土曜日からの開催を待つばかりとなりました。総本家様も書かれているように京都駅地下東口を少し北に行った、ザ・キューブに行く通路近くに大きな電照看板があり、ここに「江若鉄道の思い出」展が掲示されています。また、大津市内の自治会の掲示板にはポスターが貼られています。掲示板は私の町内だけでも10箇所ありますので、全体では相当な数になるはず、どこでもすぐに目に付きます。
宣伝の効果でしょうか、今日、歴博玄関でジオラマの組立作業をしていると、少し年配の御夫婦が入ってこられて、「あれっ、江若展はまだなんや、土曜日からなんや」と話されているのが聞こえてきました。前評判は上々、講演会も定員をオーバーしていて抽選になるのではという話も聞いています。また、これに合わせ2月15日に発売された本も各書店に並んでいます。歴博会場で購入すると、西村さん作成のキハ5120のペーパークラフトがついてきますが、売り切れになることも予想されますのでお早い目にお買い求めください。