日本の約2倍の国土を走る鉄路、今回の乗り鉄ハイライトは首都アンカラから1,365㌔先の東の果てカルスまでの夜行寝台特急 DOĞU eks.に乗車する事でした。
乗車する車両はゆったり空間の2人用コンパートメントです。切符代は高齢者割引制度を利用すると、24時間余り乗っても66.5TL(約2,660円)、日本では考えられない超格安料金です。
18時、列車は定刻にアンカラを発車して東へと向かいました。食堂車で夕食も済み、今日は早めの就寝、明日から見る初めての大地を楽しみにしました。
第14日目 9月14日
▲ 4:16 昨夜早くに眠りに入ったので目が覚めました。走行音は聞こえず静寂の中にいます。ホームに降りてみますと給水作業が行われていました。時刻表ではシワス(Sivas)に停車中のようです。
シワスは、ローマ帝国時代から交易の中継地として重要な都市で、人口は425,297人(2011年)と中央トルコの中核都市です。標高1,285mで、中部アナトリアでもっとも高地にあります。シワス駅もGPS計測で標高1,168mです。それにして過剰なほど広いホームです。
▲ 6:32 日が昇り、山が赤く染まってきました。今日も快晴のようです。温度計を窓から出してみますと、ちょっと肌寒い12℃です。列車は岩山が続く山間に入っていきます。渓谷沿いに岩山をくり抜いたトンネルが連続します。この付近の最高地点はGPS計測で”Yenikangal”付近の1,421m、蛇行する勾配区間ですが70~90km/hの高速で一気に登ってきました。
6:58 次の山間の交換所でアンカラへ向かう逆方向の東部特急 DOĞU eksと交換しました。こちらはDE24-349号機が牽引です。
▲ 7:33 鉄鉱山の積込み駅”Divrigi”(標高894m)を24分遅れで発車。この辺りからはほぼ同じ標高を行きます。
▲ 7:33~8:52 年間降雨量の少ないトルコです。岩山で樹木が少ないので自然の保水量が確保できないためか大きな貯水ダムがいくつも建設されています。貯水ダム湖に沿って線路は続いています。
▲ 9:17 標高は900m前後、険しい山間も終わってなだらかになってきました。
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▲ 10:29 ようやく広い平原地帯に入りエルジンシャン(Erzincan)に到着しました。
3,549mのEsence(モンク)山を筆頭に2,500~3,000m級の山々に囲まれ、標高1,185mに位置します。東アナトリアのエルジンシャン省の省都で人口は、郊外を含めると149.879人(2014年)のこの地区最大の町です。1939年に発生し大地震で中心部は崩壊し、新しく町全体を移動して再築されましたが1992年にも大地震にみまわれています。地震が多いためか駅舎はガッチリした建築です。かなりの乗客が降りていかれました。
▲ 10:30~12:40 平原を過ぎると川沿いのなだらかな山間を走ります。落石防止の長いトンネルが設置されていますので崖崩れもあるようです。駅舎はほぼ同じ様式の建物です。列車が停まって乗降が済むと、駅員が出てきて発車合図をおくります。
▲ 12:40~14:10 なだらかな丘陵地帯を70~95km/hで走ります。高原列車の雰囲気です。編成ですが何処からか荷物車が1両増連結されていました。
[googlemap lat=”39.91511613705118″ lng=”41.26802533864975″ align=”left” idth=”300px” height=”150px” zoom=”14″ type=”G_NORMAL_MAP”]39.733585,39.4916[/googlemap]▲ 14:32 20分遅れで、東部アナトリア最大の町、エルズルム(Erzurun)に到着しました。列車に残っておられた乗客の多くが降りられます。
エルズルムは、周囲を3,000m級(最高穂3,176m)の山々で囲まれた盆地の中の高原都市で人口は367,250人(2010年)です。駅の標高はGPS計測で何と1,745m、険しい勾配区間はなかったので長い距離をだんだんと登ってきたようです。地球の歩き方でも1,853mの町と掲載されていますので標高は間違いなさそうです。
▲ 14:42 エルズルムを発車しました。街並みを見ながら走行して行きます。
▲ 15:20 次の駅Hasankaleには岩山の上に城壁が見えました。要塞だったようで、スパもある観光地です。終点まではまだ約4時間もありますが、車内はご覧の通り殆どの乗客は降りてしまったようで数名だけです。
16:08 今日は車内を歩くだけで空腹感はありません。スープ、チャイとパンでの遅い昼食です。
▲ 放牧地の丘陵にポツンとあった岩山、美しい車窓が続いていきます。
▲ 16:55 放牧地の中の駅で降りられた家族連れ、歩いての家路ですが遠いのでしょうね。
▲ ときおり岩山があったりします。丘陵地帯の放牧地には集落が見えます。列車を降りて撮ってみたい光景です。
▲ 17:21 丘陵地帯にもいくつかのトンネルがあります。抜けるとまた丘陵地帯が広がっています。編成ですがいつのまにか増結していた荷物車1両が外されていました。
▲ 17:53 カルスの1つ手前の停車駅、サルカムシ(Sarıkamış)に到着です。
標高は1,952m、人口19,727人、世界最長のゲレンデを持つ冬のスキーリゾート地です。途中、標高2,130mのこの路線最高地点を通過しました。
▲ サルカムシを出発すると直ぐに日は沈み夕暮れの世界に入ってきました。列車は平原地帯を行きます。次の停車駅が終点カルスと言っても60㌔も先です。
▲ 18:58 ようやく、定刻より29分遅れで夕闇となったカルスに到着しました。乗車時間は24時間58分でした。
中国ではこの2倍もの2泊3日の乗り鉄旅をしていますが、2人用コンパートメントの広さと設備、食堂車の美味しい料理と冷えたビール等を考慮すると快適性ではトルコが断然勝ります。また機会が出来ましたら乗車してみたい夜行寝台列車でした。
列車には学生の団体が乗っておられたようで、ドッと降りられましたが他の乗客は数えるほどでした。学生さんたちはチャーターバスに乗り込まれていました。
駅待合室を見たかったのですが、発車する列車もなく閉鎖されていましたので駅前からTaxiに乗ってホテルに向かう事にしました。[googlemap lat=”40.60518849541823″ lng=”43.10636043548584″ align=”right” width=”330px” height=”200px” zoom=”14″ type=”G_NORMAL_MAP”]40.605188,43.10636[/googlemap]
駅前広場は小さく薄暗く待っているTaxiも数台のみ、トルコの東の果ての終着駅らしい寂しげな雰囲気が漂っていました。
線路はこの先東へは1991年にソビエト連邦から独立したアルメニア共和国へと延びていますが国際旅客列車は運行されていません。
ホテルは中心街にあり、駅からは約1㌔の距離です。直ぐに着きましたが、Taxi料金を聞くと、「あなた方は明日どこかへ行くか。」と、聞かれます。
明日は朝のイスタンブール行きの飛行機に乗って戻ると答えますと、「それなら明日も空港まで乗って欲しい。朝にホテルに迎えに来る。料金は明日で良い。」と申されます。
今まで日本でもTaxiに乗ってきましたが、初めての客なのに料金は明日で良いと言われたのは初めてです。この運転手さん、よほど人柄が良いのか、それとも親日国家の国民として日本人への”おもてなし”の1つなのか、荷物もロビーまで持ってくださって「明日8時には迎えにきます。」と言って去られました。
▲ 予約したカルス コナック ホテル(Kars Konak Hotel)は、駅からは離れていますが、繁華街にあるコンパクトなホテルでした。
※ 元々、駅前にはインターネット予約できるホテルはない。
フロントの対応は良く、部屋も十分な広さです。
▲ 20:30 フロントで紹介していただいた近くの街中レストランで夕食です。何か珍しいものはと見ますと、米と挽肉を小麦粉の生地で包んで揚げたトルコ風ミンチカツ、名前は”イチリ・キョフテ”です。スープは定番の豆のスープですが店によって微妙な味付けがあります。ナンと一緒にいただきました。
毎日同じようなトルコ料理を食べていますが、さすが世界の3大料理の1つと言われるだけあって飽きず美味しくいただけます。
▲ 21:58 周辺のお店も覗きながら散策してビールを買って部屋に戻りますとドアがノックされて、チャイと果物のサービスがありました。
多分もう来る事はないカルスのホテルですが、ここに来られるならお薦めさせていただきます。
明日は午前中のフライトでイスタンブールへと戻ります。鉄路では約30時間以上かかりますが、空路だと約2時間の所要時間です。 Part27へ続く