備中松山城は現存12天守のうち唯一の山城である。標高420mの臥牛山にあり、JR伯備線備中高梁駅から徒歩で20~25分かかり、高齢者にはタクシーの利用がお勧めである。この地は鎌倉時代から城や砦があったが、関ヶ原の合戦以降家康の傘下となり、小堀新助政次、その子政一が入った。政一は小堀遠州のことで城や庭造りの名人と言われた。現在の城は寛永19(1642)年水野(みずのや)氏の時代のものである。城主は目まぐるしく代わったが水野氏の後には播州赤穂の浅野氏となり大石内蔵助が城代となっている。昭和の初めの古写真を見ると天守はボロボロで崩壊寸前の姿である。明治6(1873)年の廃城令で藩主の居宅等は破壊されたが、天守や櫓、門等は不便な山の上にあったことが幸いし、そのまま放置され昭和16(1941)年に国の重要文化財に指定されている。
訪問したのは2002. 8.18の午後で暑い中を徒歩で行ってみると何と天守は工事中でがっかりした。▼





















