50年前の撮影地を歩く -9-

初めての雪中撮影で米原へ<その1>

50年前の数年間、冬になると決まって訪れたのが、北陸本線米原~坂田~田村の交直接続区間でした。この区間の魅力を知ったのも、シリーズ前回の加太と同じ「鉄道ファン」の撮影地ガイドでした。この区間の魅力は、時代によって様ざまな交直接続機が見られたこと、湖西線は開業前で、大阪、名古屋方面からの優等列車も、ボトルネックのように通ったこと、そして、冬季は、もっとも手近に本格的な雪中撮影が出来ることでした。当時の米原は近くて遠い駅、もうすっかり雪国の気分を味わえるところでした。
160118 014sy雪煙を巻き上げて、高速で走り去る「しらさぎ」。米原駅から国道を歩いて1キロ余り先の撮影地に着いた。この区間は、前年8月に初めて訪れているが、夏とはまったく違った様相を見せていた(撮影日すべて昭和41年1月23日)。

続きを読む

遥かなる東欧の旅 ボスニアの現役蒸気機関車を訪ねる 2015年 Part14 帰路

04_Map1_100いよいよ帰路となりました。今日はボスニア・ヘルツェゴビナのトゥズラのホテルから陸路をセルビアのベオグラードへ、ここで飛行機に搭乗してドーハ経由にて帰国します。ただドーハに着くのは深夜で空港に一泊、翌日の午前便で羽田に向かいますがここでも深夜着で空港近くの平和島温泉に宿泊しての帰宅となります。何と2泊3日もかかります。
続きを読む

遥かなる東欧の旅 ボスニアの現役蒸気機関車を訪ねる 2015年 Part13 トゥズラ(Tuzla)炭鉱鉄道 その9 バノヴィチ炭鉱

DSC_6892021▲午前18時24分今回最後の撮影は最初の日に訪れたバノヴィチ炭鉱鉄道のヤードでの2回目の夜撮です。83-158号機と前回(25-30号機)と違って55-99号機が用意され、55-99号機は1段上の路線に停められました。
続きを読む

台湾の旅2016<前編>

1月8日~13日まで台湾に行ってまいりました。鉄道関係のイベントはないのですが、この時期特に南部は天候が安定し、丁度過ごしやすい気温で我々老体とっては行動しやすいため、ここ数年同じ時期に訪台しています。今回の第一の目的は昨年ぶんしゅう様がレポートされていた高雄のトラムが昨年12月25日より一般乗車できる試乗会が始まったとのことで、この乗車、台湾鉄道で取り残していた部分に乗車し、完乗する。また、今回台湾通のブギウギさんとデカンショ祭り号さんが太麻里に行かれるということで、御一緒して初めての太麻里を案内していただきました。

桃園空港に到着するとまず、バスで高鉄桃園へ、バスは頻発していて、15分ほどで高鉄桃園に到着します。桃園空港では空港アクセスのための捷運が建設中で台北-桃園空港-高鉄桃園-環北間が昨年末に開通との報道がありましたが、延期され、現在では3月末の予定で、一部の話では7月になるのではと言われています。高鉄桃園から乗車、10分あまりで高鉄新竹に到着しました。新竹は新幹線開通当時、台鉄との接続がなかったのですが、2011年に従来の内湾線を改良し、内湾線竹中駅から六家駅まで3.1kmを新設して高鉄新竹と台鉄新竹が接続されました。
IMG_4450k▲竹中駅より高鉄側を見る。後に見えるのが高鉄の高架で六家を発車した列車は高鉄に並行して走り、右に90度曲がって竹中の駅に到着します。 続きを読む

遥かなる東欧の旅 ボスニアの現役蒸気機関車を訪ねる 2015年 Part12 トゥズラ(Tuzla)炭鉱鉄道 その8 Rudnik Šikulje炭鉱

DSC_6679021▲ 33-503号機33-504号機が重連で牽引する重量運炭列車です。撮りたいと願っていた列車ですが、最後の日に用意されていました。
続きを読む

撮影地今昔-旧・福知山線・生瀬-道場間(4)

6.廃線跡・武田尾駅今昔
廃線跡を歩き、武田尾駅跡に到着しました。2014、2013両年の台風と大雨でこの付近の武庫川と僧川(ぼうさんがわ)が大きな被害に遭いました。今その大改修が行われていて、4、5年前まで元の駅舎付近にあった店屋、建物がすべて無くなり、面影が一変しました。
map02 続きを読む

撮影地今昔-旧・福知山線・生瀬-道場間(3)

5.生瀬-武田尾間(3)
もうすぐ武田尾です。
▼長尾山第二トンネル 1899年1月竣工、全長149mの直線。延長工事はない。
生瀬方杭門周辺は野石乱積み、内部の側壁部、アーチ部は共にレンガ積み。トンネル前に付近の土砂が流込み、道床が高さ10cmほど埋まった。
nagaoyama21 続きを読む

遥かなる東欧の旅 ボスニアの現役蒸気機関車を訪ねる 2015年 Part11 トゥズラ(Tuzla)炭鉱鉄道 その7

DSCN3744_100朝1番で着いたのは昨夜、夜撮を行った留置・検査場です。33-504号機はここで一泊したようで、留め置かれていました。昨夜降った雨がヤードにも水たまりを作り、黒い車体を写していました。
続きを読む

遥かなる東欧の旅 ボスニアの現役蒸気機関車を訪ねる 2015年 Part10 トゥズラ(Tuzla)炭鉱鉄道 その6

DSC_6363003今日は真っ直ぐにホテルへ帰ることなく発電所横の側線にあるヤードでの夜撮です。33-504号機が回送されてきて、ライトアップされました。

続きを読む

遥かなる東欧の旅 ボスニアの現役蒸気機関車を訪ねる 2015年 Part9 トゥズラ(Tuzla)炭鉱鉄道 その5 Banovici駅

DSC_6200010

▲ Banovici駅で迎えてくれたのは、1948年製の19-12号機です。思いっきり爆煙を吐いてくれました。Class33と違って煙室扉はお椀形でハンドルも付いています。この方がしまった顔に見えます。

続きを読む

遥かなる東欧の旅 ボスニアの現役蒸気機関車を訪ねる 2015年 Part8 トゥズラ(Tuzla)炭鉱鉄道 その4

DSC_6086052石炭満載の運炭列車をチャーターしてのフォトラン開始です。牽引機は約6,000両も製造されたDR52形の33-504号機、正面の煙室扉が平面で真ん中にハンドル設置がないので美しさに欠けますが、戦時設計とあれば仕方ないですね。力強さでは負けません。よく現役で生き残ったものです。
続きを読む

遥かなる東欧の旅 ボスニアの現役蒸気機関車を訪ねる 2015年 Part7 トゥズラ(Tuzla)炭鉱鉄道 その3 Lukavac駅

DSC_5904025▲ 9:45 DosoiTuzlaのハイライト、現役蒸気機関車と現役腕木式信号機のコラボです。
Class 33型(DR 52)大型蒸気機関車は、約6,000両も製造された名機です。門デフの元祖ヴィッテ式デフレクターを装着していますが、こちらはドームを包むようにカーブしています。この列車、前から撮っていますので分かりませんが33-504号機+33-503号機の重連です。

続きを読む

撮影地今昔-旧・福知山線・生瀬-道場間(2)

4.廃線跡・生瀬-武田尾間(2)
廃線跡を武田尾目指して北上します。
map02▼溝滝尾トンネル 1899年1月竣工、1961年落石防護のため生瀬方8mと武田尾方3.4m延長、全長150m、1986年廃止。
生瀬方杭門、北山第二トンネル杭門同様コンクリート製の味気ない姿。
mizotakio01 続きを読む

撮影地今昔-旧・福知山線・生瀬-道場間(1)

1.はじめに
健康第一、並びに足腰の弱りを先延ばしにするべく、歩くことに力をいれ始めて5年が経ちました。この間の歩行距離は稚内から鹿児島まで日本列島の背骨を通る距離に達したようですが、もう少し続けねばならないようです。

なんとなく歩くには、面白くないし長続きしませんので、カメラ片手に風景やら何やらを撮りながらです。山手幹線を尼崎から三宮までとか、国道2号線を梅新から下関(計画のみ、実際は西宮えびす迄)とかですが、都会の風景は兎角面白味がない。そこで近所の庄下川や神埼川を河口から源流まで遡上することにし、写真ブログに掲載を続けました。

次は武庫川です。2013年11月河口から西宮市生瀬まで10回くらいに分けて遡上しました。で行き止まりました。生瀬から先は道路が川から遠く離れ、通るとなれば福知山線廃線跡しかありません。その内に行こうが1年経ち、漸く2015年12月に通過、現在は三田市相野まで遡上しています。

2.福知山線廃線跡通過
1986年に廃止されて、現存する廃線跡を通過するなら、少量ですが半世紀前の画像と今昔対比です。これらの画像は、準特急さんが企画し発刊された、レイルNo.82『武庫川を巡る鉄道風景』に掲載されており、重複するものもありますがその他の画像をも含めて対比します。

『対比』、『今昔』ですが、廃線になってしまい線路そのものがありませんので、【昔】の列車走行風景と【今】に残る建造物などを6回に分けて紹介します。また第3回、武田尾近くで、筆者登場の現地からの映像報告もあります。

3..廃線跡・生瀬-武田尾間(1)
▼❶現・生瀬駅 ❷現在線の高架下から、その北側に旧線の橋台跡が見られ、その先国道176号線・西宝橋南詰め角を曲がると、❸すぐに、水路を跨ぐ橋。手前・整層切石積みが旧線、奥・コンクリート製が現在線 ❹城山トンネル、62.7m、1899年建設。封鎖されて通行できない。次の当田トンネルも封鎖されていて通行できない。
001 続きを読む

遥かなる東欧の旅 ボスニアの現役蒸気機関車を訪ねる 2015年 Part6 トゥズラ(Tuzla)炭鉱鉄道 その2

DSC_5669008降りしきる雨の中、標準軌とナローゲージとの路線が混在するバノヴィチ駅ヤードで19-12号機82-119号機が揃っての並走シーンを見せてくれました。チャーターするからこそできるシーンです。
続きを読む

遥かなる東欧の旅 ボスニアの現役蒸気機関車を訪ねる 2015年 Part5 トゥズラ(Tuzla)炭鉱鉄道 その1

DSC_5471006▲ 「容姿の事を言わないでください。齢はとりましたがまだまだ若い者に負けず元気一杯に石炭満載の重量運炭列車を牽引します。」と言っていますClass62-111号機です。
Class62は元々アメリカ生まれで、第2次世界大戦の米国陸軍輸送隊(USATC)で使用されたClass-S100を基本設計としています。62-111号機は、Đuro Đaković of Slavonski Brodで製造されたC形タンクです。
続きを読む

遥かなる東欧の旅 ボスニアの現役蒸気機関車を訪ねる 2015年 Part4 バノヴィチ炭鉱鉄道 その3

DSC_5407055▲ 今日は前回2014年2月に訪問した時に撮れなかったナロー760㎜ボスニアゲージのバノヴィチ炭鉱鉄道でチャーター列車を仕立てての乗り鉄、撮り鉄を楽しみ最後は夜撮です。
バノヴィチ炭鉱鉄道 は、露天鉱の積込場から標準軌に積替えるまでの間、1947年に開業された10.6㌔の路線です。公式HPはこちらです。
【DATA】 NIKON800E ズーム48㎜、F8、6秒、ISO100

続きを読む

遥かなる東欧の旅 ボスニアの現役蒸気機関車を訪ねる 2015年 Part3 バノヴィチ炭鉱鉄道 その2

DSCN3389077▲ 12:10 昼食はボスニア風お好み焼き(サンドイッチかも・・)屋に入りましたが迎えてくださったのは目鼻立ちのはっきり整ったボスビア美人のお姉さんです。
続きを読む

遥かなる東欧の旅 ボスニアの現役蒸気機関車を訪ねる 2015年 Part2 バノヴィチ炭鉱鉄道 その1

DSC_4806017

仕業前の点検を行う1949年生まれĐuro Đaković製の83-158号機と、1948年生まれČKD Praha製の25-30号機は、760㎜のボスニアゲージのバノヴィチ炭鉱鉄道(Banovic coal-mine railway)を毎日走る現役蒸気機関車です。83-158号機はナローゲージでは珍しいD形テンダー付き、1968年から1969年のユーゴスラビア前には全土に15路線1,559㌔もの760㎜ボスニアゲージの鉄道網が張り巡らされて多くのClass83形機が走行していました。25-30号機はC形タンクです。ニュースソースはこちらです。 続きを読む

2016年 謹賀新年

2016年賀_200ぶんしゅうは乗り鉄、撮り鉄が大好きな鉄ちゃんです。年々少なくなってきた希少の蒸気機関車やトラムを求めて世界各地へと飛び回ります。今年も海外からの報告が多くなると思いますがよろしくお願い申し上げます。