2013年 はにかみの国、ミャンマーSL撮影の旅 Part3 ナムツ鉱山鉄道(Namtu) その1 概要と車両

01_はにかむ少女

▲ ナムツ駅のロケハンに向かう道でお会いしました露天の八百屋さんの店開きをお手伝いしていた少女。カメラを向けると、はにかみながら返してくれた素朴な笑顔がとっても素敵でした。

第3日目 3月25日 その1

日本からはるばる2日間をかけてやってきましたミャンマーのナムツ鉱山鉄道の蒸気機関車撮影は、じっくりと3日間をかけて行います。今日は13号機をチャーターして選鉱所のある山のタイガーキャンプまでをフォトランしながら向かいます。

【 ナムツ鉱山鉄道 】

ナムツ鉱山は、銀を産出する鉱山として数100年前から採掘が始まりました。当時から世界的にも有名だったそうです。
1883年、英国植民地時代に入り1903年にマンダレーからの鉄道建設がラショーまで開通しました。これに伴いナムツ鉱山への鉄道建設は、1907年に610㎜(2フィート)ナローゲージにより始まりました。難工事の末1914年に国鉄線ナンヨー(Namyao)~バドウィン(Bawdwin)の全線43.7㎞が完成しています。鉄道ができたおかげで、大規模な採掘と輸送が可能となりました。鉱山鉄道はタイガーキャンプで一次選鉱された鉱石を製錬所のあるナムツへ運びます。ナムツで精錬された各金属はナンヨーへと運搬され、ここで積み替えられて国鉄線で西海岸の港町に向かい、その後は英国本土へと海上輸送されていったと思われます。優れた精錬技術により採取される金属は鉛、銀、亜鉛や銅と増えていきました。
00_ナムツ鉱山鉄道全盛期路線図00_標高表_ナムツ~タイガーキャンプ▲ ナムツ鉱山鉄道の路線図と路線の標高図です。黄色線は現在運行されている区間です。
00_ダイヤグラム_edited-1▲ 厚かましくも指令所でいただきました白紙のダイヤグラムです。表面が7時~19時と裏面が19時~7時までの両面仕様になっています。今回のチャーター列車が運行された時はきちんと線引きがありました。

蒸気機関車時代は1980年代で終わりましたが、FarRailからの要望で13号機と42号機が現役復活されました。鉱山は約3年前に坑道水没により閉鎖されています。殆どの鉱山は湧水との戦いです。鉱山で湧き出る水をいかに効率よく排出できるかが、鉱山運営のポイントの1つで何もしなければほとんどの鉱山は水没します。水がいくら湧き出ても、それを上回る排出能力を持てば鉱山は採掘を続けられますが、ナムツ鉱山の採掘現場は、海面以下になって効率的な水の排出が困難になって休止せざるを得なくなったそうです。

現在、新たな鉱脈発見作業が続いており、鉱山の従業員は解雇されず自宅待機で再開を待っておられます。その間の給料は支払われていますのは、国営なのと解雇してしまうと熟練の従業員が山を去って町に行きますので、辺ぴな山には2度と戻ってこない心配があるからなのだそうです。鉄道も同様で、再開までの保守点検が行われています。そして鉱山労働者家族が住まれる地域までは道路のインフラはないので、1週間に3回ほどの生活物資の運搬運行がレールバスにより続けられています。

ただ数年前にバドウィン手前の路線でがけ崩れがあって線路が流出したままで放置されています。今回も近くまでしか行けませんでした。鉱山再開の見通しが立った頃には修復されると思われますが、従業員の生活を守り、鉄路を維持管理するには莫大な費用が必要でしょうから大変ですね。
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台湾五分車のたび(その2)

虎尾を訪問した2日後、この日も早起きして午前中烏樹林休閒園区に行った後、新営鉄道文化園に行きました。この2箇所はいずれも最寄の駅は新営で、ここ新営鉄道文化園は台鉄の駅から歩いて10分ほどの場所にあって、観光糖廠の中では一番行きやすい所ではないでしょうか。img272e台鉄の線路を左に見て歩いていくとヤードがあり、そのまま糖廠へと続いていきます。五分車乗り場の横にある芝生には1979年まで使われていた350号、382号の2台のSLとDLも並べられています。 続きを読む

2013年 はにかみの国、ミャンマーSL撮影の旅 Part2 ヤンゴンからマンダレー経由でナムツへ

第2日目 3月24日

① ヤンゴン7:00(Air Bagan;W9-201)→8:25マンダレー
② マンダレー10:20(チャーター車)→18:30ナム

00_地図00_edited-101_国内線01今日は、昨夜着いたヤンゴンから、飛行機で北へ約600キロ先のマンダレーへ、マンダレーからはチャーター車で、SL撮影目的地のナムツに向かいます。

早朝7時のフライトですので、5時には起床してホテルで軽い朝食後、空港へ着きました。

02_国内線ロビー

▲ 5:52、朝のフライトが多いのか狭い国内線ターミナル前は、送迎の車で一杯です。そして、観光目的の欧米人の姿が多く見かけられました。
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2013年 はにかみの国、ミャンマーSL撮影の旅 Part1 旅立ち、ソウル経由でヤンゴンへ

中国四川省の山奥でお会いしてより中国各地へと、また夫婦連れでアフリカのエリトリア、そしてインドネシアのシュガートレイン撮影にも同行させていただきましたO氏より「東南アジアで是非に行ってみたい所があるので一緒に行かないか。」との打診を受けたのは、昨年秋でした。
ミャンマー地図01お聞きしますと、場所はミャンマー(旧;ビルマ)です。「10数年前にはまだ現役だった蒸気機関車を撮りに行ったが、その後は政情不安定な国でもあったのと、現地を案内していただける適任のエージェントが見つからなかったので諦めて他の国に行く方を優先していた。しかし最近、民主化解放が進みだし、またミャンマーに40数回も訪問しておられるボンネットバスの巨匠丸谷さんとぶんしゅうさんを通じてお知り合いになれました。信頼できるエージェントを教えてもらえたので、OKなら話を進めていきたい。」とのお話でした。

ミャンマーについては、泰緬鉄道ビルマの竪琴アウンサンスーチーさんぐらいしか知識がありませんでしたが、万事に緻密で慎重なO氏が引率していただけるなら大船に乗ったように安心して行けます。行くことを決めました。
ミャンマーへの訪問日程はO氏にお任せして、私の方は折角行くのだから先乗りして途中どこかに立ち寄りたいと、長旅を計画することにしました。
しかし、迷ったのはミャンマーまでのルートでした。私が海外に行く時には上級会員になっているJALを利用しますが、残念ながらミャンマーへのフライトはありません。日系もう一社のANAは昨年に羽田からの直行便が飛ぶようになりましたが、調べるとビジネスクラスのみの専用機で高額チケットです。これでは年金生活者には利用できません。他の外国航空会社も、直行便はなく途中でのトランジットを必要とします。

ヤンゴンまでのトランジットルート▲ 関空からのフライトをを調べると、上の図のように大韓航空、タイ航空、ベトナム航空、中国国際航空、中国東方航空、中国南方航空、チャイナエアライン、キャセイパシフックを選択できます。他にもLCCもあります。 続きを読む

台湾五分車のたび(その1)

3月14日から21日まで台湾に行ってまいりました。台湾は仕事では何度か行ったのですが、観光はなく、空港から工場のあった台中へはバスで直接移動、そのため台湾の鉄道は全く無縁でした。2009年に行かれたぶんしゅう先輩の台糖のナローゲージ、また昨年諸先輩方が投稿された台湾のレポートに触発され、中でも台湾で唯一現役稼動している虎尾糖廠を訪問したいと思いました。今回虎尾糖廠に加え、観光化された台糖新営鉄道文化園区、渓湖糖廠鉄道文化園区、烏樹林休閒園区を訪問しましたが、まだデジ青で発表されていないのではないかと思われる虎尾と、新営についてレポートさせていただきます。 続きを読む

2013年 記録的大雪のリンゴの町への旅 Part5 広田尚敬先生と一緒の弘南鉄道「雪飛ばしツアー」 その2

第5日目 3月3日

青森空港18:05(JL2158)→19:40伊丹空港

起床してすぐに外を見ますと、昨夜からの雪は止んでいました。積雪は、約15㎝で移動には問題なさそうです。朝食後まっすぐに大鰐方面へと向かいました。

01_あけぼの_edited-1▲ 朝から快晴です。前日まで運休が続いていた寝台特急「あけぼの」が今日は約8分遅れですが運行しています。大鰐温泉近くには、定番の有名撮影地があるそうで皆さんまずはここで朝1番の撮影となりました。大多数の皆さんは正面から撮りたいと雪原を渡って行かれましたが、数名は晴れた青空、雪と木、そして「あけぼの」を入れてのカットはそんなに撮れるものではないと横から待ちました。
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下津井電鉄の情景

会員のデジ青への投稿が活発で、あっという間に新しい記事と写真が加わり、前の記事が後方に下がります。関連記事の写真をと思いながらモタモタシテいるとピントはずれ、時代遅れになりそうな昨今。
1961年3月、四国に行く前、茶屋町から児島まで立ち寄りました。
01430

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当会会計役の井原さんが、第1回写真展に左手に海がある写真を出品されていましたが、上の写真左側は海でなく、福田-稗田近辺と思われる(記録なし)山間部です。

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この駅も判りません。

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『電車』機関車の牽く貨物。駅は稗田駅と思われます。1961年3月17日撮影でした。

2013年 記録的大雪のリンゴの町への旅 Part4 広田尚敬先生と一緒の弘南鉄道「雪飛ばしツアー」

第4日目 3月2日

今日は、待ちに待った鉄道写真の巨匠広田尚敬先生が参加されての神谷武志さん企画の弘南鉄道{雪飛ばしツアー」の開催です。
朝、ホテルのレストランで皆さんとご挨拶です。今回は、いつも海外鉄でご一緒させていただくO氏も久しぶりにお会いできました。心強い限りです。
ロビーで参加15名の方々と対面しました。半数は面識ありますが、初めての方も半数おられます。じっくりとご挨拶することなくレンタカー5台に分乗しての出発となりました。皆で一緒に行動するのかと思いましたが、最初の目的地大鰐駅だけが決まっていて後は車別での自由行動です。私はO氏、O氏の鉄ちゃん朋友と3人乗車となりました。しかし、3人とも撮影ポイントと道筋を熟知していません。前に行く車に付いていくしかないのですが、出発早々に見失いました。車のナビの言うとおりに行くしかありませんでした。
02_大鰐駅01_大鰐駅▲ 9:06、何とか大鰐駅に到着することができました。先を行かれた神谷隊長も大鰐駅近くで迷走されたようで後からの到着です。構内では、雪が降りしきる中でED221+キ105は、出動準備をされていました。

ED221は、まだ日本の鉄道車両製造技術が未成熟だった1926年(大正15年)にアメリカより輸入された電気機関車です。車体と台 車はボールドウィン社製、電気機器はウェスチングハウス社製です。最初は、信濃鉄道(現;大糸線)で使用され、1937年国有化後ED22-1となり1943年には飯田線に転出しました。その後西武鉄道→近江鉄道→一畑電気鉄道と譲渡され弘南鉄道には1974年に参りました。日本各地へと移動を重ねた波乱万丈の人生だったのですね。弘南鉄道では大鰐線に配属されて、キ105とタッグを組んでの冬期のラッセルが担当業務となっています。年齢は87歳、元気ですね。
キ105は、1929年(昭和4年)国鉄苗穂工場で誕生しました。国鉄時代はキ157で、1927年旭川工場で改造されています。弘南鉄道には1975年に譲渡され、キ105となりました。同型車は、苗穂・大宮・浜松・土崎・郡山の各国鉄工場と、飯野産業(飯野重工業)・立山重工業において製造が行われ、全194両が存在しました。現役で活躍しているのは極めて少なく、弘南鉄道大鰐線弘前線の2両、今回DL不調で運行されなかった津軽鉄道キ101(国鉄時代;キ120)と思われます。

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2013年 記録的大雪のリンゴの町への旅 Part3 弘南鉄道 大鰐線

第3日目 3月1日

① 弘前中央9:00→9:29大鰐9:50→9:56石川プール前
② 石川プール前10:36→10:44義塾高校前12:46→12:49石川
③ 石川14:39→14:53聖愛中高前15:53→15:58弘前中央
④ 中土手町(循環バス)→弘前駅→中土手町
⑤ 弘前中央17:30→17:34聖愛中高前18:34→18:38

今日は3月1日、暦では春ですが、本州北端の地はまだ冬の季節のまっただ中です。
朝から天候が期待できませんので、弘南鉄道大鰐線ロケハンと撮影です。ホテルのデラックスな朝食をたらふく食べてから向かいました。

大鰐線の起点弘前中央駅までは、ホテル前の坂道を下って約5分少々でした。
01_弘前中央駅01_弘前中央駅201_弘前中央駅3▲ 8:47に到着しましたが、電車はまだ入線していません。改札係のおばちゃまは、前回10月に来た時にリンゴをくださった方でした。ご挨拶しますとよく覚えておられて、「また来たね。今日は正常通り運転していますよ。でも、ラッセルは必要ないから運行しないでしょうね。」と申されます。

8:51、大鰐からの折り返しの電車が到着しました。
通勤客と思われる乗客が下りて来られましたが、都会のラッシュとは雲泥の差でパラパラです。
降車客が改札を通過してからの乗車改札です。待合室にはそんなに乗客はいなかったのに車内に入ると半分くらいシートに座っているお客があられました。途中駅は温かい待合室などありませんので、折り返し電車が待合室代わりなのかも・・・。

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2013年 記録的大雪のリンゴの町への旅 Part2 津軽鉄道

第2日目 2月28日

① ホテル6:00(Taxi)→弘前6:34(JR)→7:19五所川原
② 津軽五所川原8:10(津軽鉄道3)→8:54大沢内(徒歩)→津軽中里
③ 津軽中里12:50(153)→13:00川倉(徒歩)→芦野公園15:34(156)→
④ 芦野公園15:34(156)→16:06津軽五所川原16:11(JR)→17:01弘前

13今日は5時過ぎに起床。支度を整えてホテルが宿泊者のためにチャーターしている無料TaxiでJR弘前駅へと向かいました。このホテルは、駅から歩くと坂道もあって約30分近くはかかりますのでこのサービスは、宿泊者にはとても便利ですね。

弘前駅では、今回も津軽フリーパスを購入しました。JRの他に津軽鉄道(金木まで)、弘南鉄道全線バスにも使えてとても便利です。雪飛ばしツアーの皆さんと合流するまでの間の2日間は、これで乗り鉄、撮り鉄に使います。
02_弘前ホーム

▲ 弘前駅のホームです。ラッセルされているのは、浪岡駅同様に乗降する場所のみがやっとのようで、後のスペースは雪山です。
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2013年 記録的大雪のリンゴの町への旅 Part1 弘前へ

インドネシアのSL撮影ツアーでお世話になった神谷武志さんから3月2日、3日のひな祭りに津軽鉄道ラッセル車をチャーターしての雪飛ばしツアーを開催するので参加しないかとのお誘いを受けました。津軽鉄道は、昨年10月にリンゴとDCのツーショットを求めて撮り鉄に励みました。冬にはストーブ列車も乗ってみたいし、撮ってみたいと思っておりました。そして今回も巨匠、広田尚敬先生が参加されます。喜んでの参加を申し出ました。

ところが、2年ぶりのラッセルを牽引するDL機関車DD352号機の軸受メタルに不具合が発見されて部品交換等の準備手配をしていたが今年度中の復旧は不可能になったと、残念なお知らせが参りました。
しかし、参加希望者の方々にそれではどうするのかを聞かれた結果は、代わって弘南鉄道(大鰐線、黒石線)のラッセル撮影に振り替えて挑むこととなりました。

参加者の皆さんの行程は3月1日夜に弘前着です。時間に束縛されない失業者の私は、津軽鉄道も訪れてみたいと、例によって2日間前倒しで先乗りすることにしました。

第1日目 2月27日
① 伊丹10:30(JL112)→11:35東京12:30(JL1205)→青森13:50
② 青森空港14:05(リムジンバス)→14:18浪岡BS
③ 浪岡14:30(JR)→14:47弘前15:00(弘南鉄道)→15:19津軽尾上
④ 津軽尾上15:30→15:32柏農高校前16:02→16:19弘前

01_青森空港出発当日までの弘前は、観測史上最高の積雪量153㎝を記録、今シーズン最悪の気象状況となり、行くこと自体危ぶまれましたが、当日は雪も止んで快晴となり到着できました。

02_リムジンバス03_青森空港~浪岡BS 続きを読む

玉野市営をなつかしむ

会長様のお誘いに乗り、湯口先輩の後塵を拝しつつ 昭和44年8月時点と平成21年12月の状況をご報告します。学園紛争で騒然としていた昭和44年の夏、別府、岡山電軌、井笠、水島、下津井、玉野、岡山臨港と山陽路の私鉄めぐりをしたあと KAWANAKA氏と呉線にC62、C59を追いかけ夏バテしたことを思い出します。四国連絡の大動脈であった宇野線ですが、電化されてはいましたがD51牽く貨物列車も走っていた時代でした。宇野駅からまず終点の玉遊園地前まで行きましたが、住宅地の児童公園の横で線路はプツンと終わっていて 予想していた終着駅のイメージとは全く違っていて驚きました。

終点玉遊園地前のキハ101

終点玉遊園地前のキハ101  車掌は発車までタバコ休憩 右手が宇野方面

さて40年後の平成21年12月に現地を訪ねてみました。プラットホームは勿論ありませんが、ガードレール、送電鉄塔やその手前の2階屋などが当時と変わっていないのには また驚きでした。

平成21年12月28日の玉遊園地前

平成21年12月28日の玉遊園地前

このキハ101に揺られて車庫のあった玉造船所前まで戻りました。三井造船玉野造船所に隣接した小さな車庫で、この日は庫外にキハ103、庫内にキハ104休んでいて、すぐに撮影終了。また造船所側の側線にはクハ201がみじめな姿をさらしていました。

熊延鉄道から来たキハ104

熊延鉄道から来たキハ104

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2012年~2013年 極寒の中国鉄路の旅 Part15 帰路・帰国

第16日目 1月7日

漠河 前日22:26(2668次)→23:00哈尔滨

01_朝食03_昼食車中で目覚めると雪原地帯を走行していました。今日は、食堂車が付いていますので温かい食事の車内販売が回ってきます。
朝食は、お粥定食15元(約200円)です。列車受持ちの鉄道局によって、麺もあったりしますが、お粥は定番ですべての列車で用意されています。違っているのは惣菜等です。
かつては食堂車でバイキングを用意してあったこともありましが、最近は見かけなくなりました。食堂車に行っても注文できるのは、このお粥定食のみです。

昼食は、同じく車内販売の弁当にしました。25元(約350円)です。食堂車内では、1品単位をオーダーできますが、注文しても車内販売の弁当を作り終わってからになります。量も多いので多人数で一緒に食べる時には4~5品頼んで楽しめますが、夜食時の方が良いですね。
03_昼食3

 

夕食です。毎度即席の手書きメニューでしたが、この列車では珍しく印刷された物が出てきました。肉と魚料理を注文しました。哈尔滨鉄路局受け持ちだけあって、見た目濃いめ東北料理の味付けでした。やはり成都鉄道局受持ちの食堂車に勝る料理は出てきませんね。

03_昼食2 続きを読む

北海道のたび

1月31日から2月4日まで北海道に行ってまいりました。北海道には学生時代に夏、冬各1回、その後家族旅行で足を踏み入れたものの、それからもう20年以上経ってしまいました。今回行くにあたり、一番の目的は釧路湿原を走るSL湿原号を撮ること、それに函館、札幌の市電の撮影など、雪の風景と一緒に北海道の冬を実感してみたいと思いました。

函館市電と摩周丸

函館空港から湯の川までバスで行き、湯の川で市電の1日乗車券を購入、途中下車しながら函館駅まで行きました。1992年1993年の一部廃止で系統は2番,5番の2系統に減りましたが、この2系統が夜間を除き12分毎に運行しており、両系統が重複する湯の川と十字街の間は6分ヘッドで頻繁に来る感じがします。但し、2009年の時刻表を見ると10分毎の運行になっていて、こ2,3年で減便されたようです。それでも車内は立ち客も多く、特に五稜郭公園から函館駅の間は地元客の利用が多く、函館駅から西の区間では観光客の利用が多いように見受けられました。現在走っている車両で一番古いものは1948~50年に製造された500形で、これを撮りたかったのですが、残念ながら撮影できず、1両だけある800形を撮影することができました。五稜郭公園にて

五稜郭公園にて

最近は広告のラッピングされた車両の多い中、広告のない旧塗装で、やはりこの塗装が函館の町にはしっくりときます。 続きを読む

2012年~2013年 極寒の中国鉄路の旅 Part14 中国最北端の北極村 その3

第15日目 1月6日
漠河22:26(2668次)→翌日23:00哈尔滨

01_北極村今日は北極村での3日目です。ゆっくりとくつろぎました。夜には、夜行列車で哈尔滨へと向かいます。
小竹先生は、朝食後すぐに朝の村の様子を撮りたいと出かけられました。私は、部屋でゆっくりPCで中国鉄路の列車残席情報のチェックです。
と、言いますのも哈尔滨に戻った後、東方江等の国境の町に向かいたいのですが、往路の切符はあるのですが復路がなく、何処にも行くことができません。切符発売の12日前から同じ状態が続いていて、ネット上で検索が不可能状態です。春節は2月10日ですので、民族大移動にはまだ早いと思われます。站で切符を押さえているのか何か理由がありそうです。

03_02_温度9時過ぎに先生が返ってこられ、今度は山の方へ行こうかと言われ付いて行きました。麓には民俗村もありましたが、冬は閉館です。山頂からはアムール川とロシアが見えるそうです。しばらく登りましたが、私はしんどくなってギブアップしました。老体には雪深い登山は無理です。麓の山小屋でストーブにあたって休憩です。外温はマイナス28℃です。山小屋の番人は、昨夜はマイナス38℃だったと言っていました。陽が昇りだすとすぐに温かくなるそうです。

04_魚売り 続きを読む

2012年~2013年 極寒の中国鉄路の旅 Part13 中国最北端の北極村 その2

第14日目 1月5日

01_外温02_日の出7:30、中国最北端の北極村で極寒の朝を迎えました。温度計を窓の外に出して外温を測ってみましたが、マイナス28℃とそれほどではありません。深夜にはもっと下がったでしょうが、哈尔滨に着いた時の漠河は、マイナス46℃でした。大寒波に見舞われたそうですが、以降は温かくなったようです。今日と明日は、北極村で極寒の世界を堪能する予定です。朝食後、早速に村の様子を見に行くことにしました。
03_国境警備隊今日の記事にはが出てきません。1月6日と合わせて北極村紹介とさせていただきます。ご了解のうえご覧ください。

最初に訪れたのは、国境警備隊の建物でしたが、門衛はいません。北朝鮮との国境とは雲泥の差です。これを見てもロシアとの緊張感がないことが分かります。

04_国境 続きを読む

2012年~2013年 極寒の中国鉄路の旅 Part12 中国最北端の北極村へ その1 古蓮駅、月牙湖駅、漠河駅

第13日目 1月4日

齐齐哈尔10:50(6245次)→9:16古蓮

朝、目覚めると二人だけだった部屋には、あと二人の乗客もおられました。そして、ガラガラだった他の部屋も満員です。爆睡しておりましたのでどこで乗車されたかはわかりませんが、多分加格达奇(ジャガダチ)だったのでしょうね。
11_漠河へ12_DSC_8749▲ 列車は昨日までの雪原ではなく森林地帯を走っていました。1站1站、古莲へと近づいていきます。いよいよ中国最北端に来たなあとの実感がわいてきました。育英を過ぎた頃に朝日が昇ってきました。

10分停車の漠河では殆どの乗客が降りました。我々の下車站は、まだ17キロ先です。
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2012年~2013年 極寒の中国鉄路の旅 Part11 阜新から漠河の北極村への旅路 齐齐哈尔站(チチハル駅)

第11~12日目 1月2日~3日

① 1/2-阜新17:41(4207次)→21:07沈阳(Taxi)→沈阳北
② 沈阳北22:35(K549次)→1/3-7:24齐齐哈尔(チチハル)
② 齐齐哈尔1/3-10:50(6245次)→1/4-9:16古蓮

今夜から小竹直人先生と二人で阜新を出発して、中国最北端の地、黒竜江省漠河のその名も北極村へと向かいます。移動距離は、約2,000キロです。
北極村の極寒の冬はマイナス50℃にもなり、運が良ければオーロラも見えると言われています。鉄道とは無関係の所ですが、小竹先生より「中国の蒸気機関車撮影には数10回も来ているが、最北端の地も一度は行ってみたい。それも極寒の真冬こそ一番。」とのお誘いを受けて、綏棱森林鉄路阜新大爆煙ツアーの後で訪れることにしました。
また丸谷氏からは、グーグルアースを見ていると終着站の古莲から線路が伸びている。古莲站構内にはデルタ線も見えているので、ひょっとして森林鉄道ではないだろうか。古莲には訪れた日本人も少なく情報がない。行かれた方でも列車本数が少なく、周りになにもない站なので直ぐの折り返し列車で戻っている。行くなら是非とも探索をお願いしたいとの依頼もありました。
2つの目的を持って訪れることになりました。
中国鉄路線_地図 続きを読む

2012年~2013年 極寒の中国鉄路の旅 Part10 阜新煤礦鉄路の大爆煙 その2

第10日目 1月1日

新年があけましたが、中国では春節(旧正月)がお正月です。何のお祝い行事もありません。我々にとっては、月夜の大爆煙ショーこそが新年の始まりです。
0時前にすぐに「フライアッシュ号」が来るので、急ぐようにとの連絡が参り、ホテルをでました。凍てつく道をワクワク気分で山へと向かいました。
[googlemap lat=”41.957471594303776″ lng=”121.6317629814148″ align=”left” width=”300px” height=”180px” zoom=”16″ type=”G_HYBRID_MAP”]遼寧省 阜新[/googlemap]
ところがです。撮影ポイントに行くには、205信号所の下の道にあるゲートをくぐらなければなりませんが、鉄柵の門は閉まっていて車では入れません。降りて開けようとしましたが、電動になっていてビクともしません。

仕方ありません。もう1つのゲートがある205信号所上の道に進路を変えて向かいましたが、ここもガッチリ閉まっていて施錠されています。困りました。すでに「フライアッシュ号」は、五龙炭鉱前にある信号所で待機中です。205信号所へと向かうのは時間の問題です。
こうなれば、撮影ポイントに行くには徒歩しかありません。約40分程度は必要です。再度、先ほど通った205信号所に行って、発車を遅らせてもらうように交渉しようとのことになりました。
交渉が上手くいくようにと祈りましたが、やってきた「フライアッシュ号」は、205信号所前を殆ど停車することもなく、我々の前を通過していきました。呆然と見送る以外ありませんでした。

01_月

正月の午前3時、全てが終わって見た阜新の月はとっても綺麗でした

結果論ですが、最初のゲートでチャーター車を降りて山に向かうべきでした。まだ時間がありました。

しかし、月明かりの外は凍てつく寒さです。こんな条件下で待つのには勇気だけではできません。できれば温かい待機場所を必要としていましたので、その時にこの選択は考えられませんでした。

T中さんは、ここでの夜撮のご経験もおありでしたが、いつもは205信号所に一旦停車する蒸気機関車に乗せてもらって向かわれていたそうです。今回は、案内人を入れての8名です。多いので乗せてもらう交渉は始めから不可でした。

と、いうわけで、新年早々は失意から始まりました。

02_踏切前【DATA】 7:11、125㎜、F7.1、1/5秒、ISO200、-03段
02_点検【DATA】 7:22、300㎜、F6.3、1/125秒、ISO2000、-0.3段

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2012年~2013年 極寒の中国鉄路の旅 Part9 阜新煤礦鉄路の大爆煙

第9日目 12月31

① 哈尔滨 前夜21:51(1522次)→4:22沈阳北
② 沈阳北站4:45(チャーターバス)→8:38阜新

01_瀋陽北駅ホーム4:33、まだ夜明け前の沈阳北站に着きました。
12月1日に哈尔滨~大连を結ぶ哈大高速鉄路が開業しましたが、在来線と同じ站は、沈阳站と、ここの2站だけです。
ただ2站間距離は3キロしかないので、両駅とも停車する列車は殆どなく、どちらかになっています。かつては満鉄時代に東京駅を模して建築された沈阳站がメインでしたが、今は、沈阳北站を発着する列車が圧倒的です。両站は地铁、BusまたはTaxiを利用しての移動となっています。

02_瀋陽北駅03_夜明け04_高速道路▲ 沈阳から阜新へ向かうには新义線の利用となりますが、沈阳北站ではなく沈阳站からの乗車となります。1日6往復があります。鉄路利用で行きたかったのですが、接続列車は沈阳站10:17発しかありません。
阜新に行きたいのは、大爆煙を撮るのが目的でしたので、できるだけ早くに着く必要があったためにチャーター車となりました。沈阳北站北口から今夜のホテル中林国際酒店までは、高速道路で約200キロあります。
凍てつく道は、スピードを上げられません。約4時間弱を要して8:38に到着しました。
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