【15042】さよなら スカ色 113系

今年は、地元千葉の113系が最後の夏ということで、893-2さんもはるばる関西から足を運ばれましたが、先日、とうとうさよなら運転が実施されました。

その一部をご報告いたします。

定期列車から引退したあと、「ありがとう113系横須賀線の旅」ツアーがJR東日本横浜支社により企画され、9月18日(日)・19日(月)に幕張車両センター所属の113系116編成を使用した団体臨時列車が,東京→横須賀→大船→鎌倉車両センター→大船→横須賀→東京という行程で運転されました。

朝、早くから定番の田町駅東京寄りで待機し、撮影しました。

ちょっと物足りない長さですが、前面方向幕は、懐かしい横須賀線の表示で東海道線を南下していきました。

9月19日 田町駅にて

 

続いて、「THE FINAL!113!」ツアーがJR東日本千葉支社により企画され、9月23日(金)に幕張車両センター所属の113系116編成と217編成を使用した団体臨時列車が,両国→総武本線経由→銚子→成田線経由→両国という行程で運転されました。

定期運転最後に掲出されたものと同じマークをつけての運転でした。

当日は、ライフワークの鹿島貨物とともに撮影しましたが、成田線大戸~下総神崎の重田踏切には、お召し列車撮影のために集まったのでは!?と思うほどの5~60人の鉄が集まり、113系の最後の成田線運用を見送りました。

9月23日 成田線 大戸~下総神崎間 重田踏切

下総神崎での12分間の停車を利用して、車で先回りし、下総神崎~滑河間の松木作踏切でも撮影ができました。こちらは、25名ほどの方が別れを告げていました。

9月23日 成田線 下総神崎~滑河間 松木作踏切

 

一夜明けた9月24日(土)、再び「THE FINAL!113!」ツアーがJR東日本千葉支社により企画され、幕張車両センター所属の113系116編成が両国→外房線経由→館山→外房線経由→両国という行程で、217編成が両国→内房線経由→館山→内房線経由→両国という行程で運転されました。

当日は、早起きして、これまた定番の撮影地 下総中山駅で待機。両国への送り込みと本チャンの各2本が撮影できます。一番乗りでしたが、本チャンの頃には、相当な人数になっていました。

どうせ昨日と同じ定期運転最後に掲出されたものと同じマークをつけての運転だろうと思っていたところ、最初の外房線用の送り込みを見て、びっくり!なんと「快速 白い砂」のヘッドマークをつけていました。じゃあ、次の内房線の送り込みは、「快速 青い海」だったりしてと、同好の士と待つこと一時間。217編成が本当に「快速 青い海」のヘッドマークをつけて現れました。

9月24日 下総中山駅

これで、最後と思っていましたが、昨日、千葉支社のホームページを見たところ、八王子支社の201系の廃車回送をかねた旅行商品を真似たのかどうかわかりませんが、10月15日(土)に津田沼から長野総合車両センターへの回送に客を乗せ、運転するとのことです。これが本当のお別れになりそうです。


【14945】上信電鉄 デキ3+スハフ42 2173

昨日、9月18日土曜日に群馬県の上信電鉄で、デキ3がJR東日本のスハフ42 2173を牽引して、高崎~下仁田間を往復しました。

これは、JRが行っている群馬デスティネーションキャンペーンの一環として開催された「ぐんまの中小私鉄フェア2011」ものです。

JR東日本からは、7両ある旧型客車のうち、スハフ42 2173とオハ47 2266が上信電鉄に貸し出され、オハ47は、「ぐんまの中小私鉄フェア2011」の会場となった上信電鉄 高崎駅構内に留置され展示されました。一方、スハフ42はデキ3に導かれ、上州路を下仁田まで往復しました。当日は、SL「レトロ碓氷」も運転されていましたので、群馬県内で2本の旧型客車が走りました。

最初にこの情報を聞いたとき、今から十数年前の西武E851が引退に際して、12系を借り入れ運転したことを思い出しました。

デキが旧型客車を牽引するということで、是非撮影に向かうべく、準備を整え、朝5時に起きて、いざ高崎へ。上信電鉄に乗り換え、運が良いのか悪いのか冷房が故障して、窓が全開できる車両に乗り込み、9時18分発の電車で下仁田へ。窓から外を見ると、南高崎~根小屋の鉄橋付近には、既に何人かがデキを待っていました。10時22分下仁田着。途中のセブンイレブンで糧食を補給し、歩いて20分程度の千平~下仁田間の撮影場所に到着。まだ、列車通過2時間半前ということもあり、数名が待っている程度でしたが、13時10分過ぎの通過時刻には、4~50名くらいに膨れ上がっていました。

てっきり、デキが重連で客車2両くらい引くのかと思っていましたが、デキ1は故障しており。旧型客車は、一両が高崎駅構内で展示に使用するとのことで、デキ+旧型客車1両という模型のような編成となりました。

折返しは、1時間弱ですので、反対側に異動し、待機。すこしづつ山影や高圧鉄塔の影が伸びてきましたが、何とかクリアし撮影できました。

また、歩いて下仁田まで出て、下仁田発14時48分の電車に乗り込みましたが、途中で撮影帰りのファンが大量に乗り込み、超満員に。電車は約4分ほど遅れて高崎に到着しました。

高崎では、16時まで開催されていた「ぐんまの中小私鉄フェア2011」に何とか間に合い、デキ3とスハフ42。車庫の中のデキ1。ED31 6を撮影することができ、帰途につきました。


【14682】最後の夏

今日の関東地方は、しとしとと雨の降り続く日曜日となりました。

その雨の中、8月で定期運用から離脱する国鉄型車両を追いかけました。

一つは、JR東日本の113系。もう一つは、関東鉄道のキハ350形です。

早朝、土砂降りの中、成田線大戸~下総神崎間を行く113系です。晴れていたら、結構人が集まったかもしれませんが、雨でしたので、私のほか一人だけでした。8月末で、定期運用から撤退とのことですから、この区間を走るのは、あと何回でしょうか?鹿島貨物を待つ間、いつも顔を合わせていましたが、ここで、出会うのも最後かもしれません。正に涙雨です。

 

一旦自宅に戻り、午後、再度出陣です。まだ、雨はしとしとと降り続いています。

7月22日金曜日から8月28日の金土日曜日に、キハ350形が限定運用で、走っています。今日を逃すと、来週の3日間しかありません。

守谷~新守谷間を行くキハ350形です。随分田舎のようですが、つくばエクスプレスの走る守谷駅のすぐ近くです。

小絹~水海道間の水海道車両基地の脇を行く、キハ350形です。後輩が見守っています。

バリバリの現役時代は、どちらかといえば、あまり写す気にならなかったような車両たちですが、今の車両と比べたら、個性的で温かみのあるような気がします。

来週がラストチャンスです。

天気がよければ、最後にもう一度会いたいものです。


【14000】遜色急行 113系 急行 伊豆

昨日7月2日と本日7月3日、東京~伊東間で、幕張の113系4連×2本(116編成横須賀色+117編成湘南色)を使用した団体臨時列車「113系で行く 急行伊豆の旅」が運転されました。

手近に済まそうと、昨日、早起きして、田町駅東京方で撮影してきました。(蛇足ながら、準特急先輩は、景色の良いところに遠征されたようです。)列車出発二時間半前に、田町に到着しましたが、既に、先客が4名。最終的には、20名程度になりました。

列車は、東海道線のE231系・211系・185系。東海道新幹線の300系・700系・N700系。京浜東北線のE233系。山手線のE231系とひっきりなしに往来しますが、あまり面白味の無いものばかりです。

写欲が湧くのは、185系・211系・300系でしょうか?

300系は、1時間に一本程度しか走ってきません。

その中で、偶然、485系「NO・ DO・KA」が走ってきました。

さて、本題の113系急行伊豆の話です。

以前、鉄道ピクトリアル NO.768 2005年11月号で「遜色急行」という特集がありましたが、その中には、113系で運転された記録はありません。

まあ、人気の113系にあやかったものだと思いますが、急行らしいのは、前面幕と、横サボのみで、車内設備はもちろんのこと、運転時間も快速以外何者でもありませんでした。まさに「遜色急行」でした。ちょっと無理があったように思います。快速「中伊豆レジャー号」でもよかったのでは・・・

ただ、それだと急行料金取れませんが・・・

折角なら、正面を153系か165系の塗わけにして欲しかったのは、私だけでしょうか?

震災の影響で中止となりましたが、185系湘南色の「いでゆ」の方が、まだ、筋が通っている気がします。

実際に運用された、豊田の115系6連を使用した急行「かいじ」「かわぐち」。新前橋の115系を使用した急行「ゆけむり」「あかぎ」「なすの」。幕張の113系を使用した急行「うち房」も期待したいところです。


【13196】能勢電51号 最後の日々

米手作市先輩が、能勢電の記事を投稿されていましたので、触発され投稿します。

昭和56年12月19日、氷雨のような雨の降る日を最後に、能勢電 川西能勢口~川西国鉄前間が廃止されました。

私は、当時、高校三年生。受験シーズンの一ヶ月前でしたが、居ても立っても居られず、親の目を盗んで、51号に別れを告げにいきました。最終日とあって、車内は、ラッシュ時並の大混雑でした。

その二ヶ月前の昭和56年10月23日朝が少し寒く感じられる秋晴れの日の朝。黙々と働く51号を撮りにいきました。通勤時間帯でしたが、人影もまばらでした。今考えると、当時でさえ、何ゆえ残っていたのか不思議なくらいの区間でした。当時は、51号が主に使用されており、ごくたまに61号が走ることがあったようですが、私は、51号しか撮影していません。最終日も51号でした。運転は、朝夕だけ昼間は川西能勢口駅の西の端に留置され、昼寝していました。

51型の背景に写っている大きな農業倉庫とケヤキの大木、グランドは、今では、マンションと阪急百貨店となり、往時の偲ぶのは、線路敷き利用した道路ぐらいでしょうか?


【13181】がんばれ! ひたちなか海浜鉄道

5月1日に、ひたちなか海浜鉄道で、撮影会があり参加してきました。

ご存知かも知れませんが、ひたちなか海浜鉄道も東日本大震災で大きな被害を受け、全線で運転を見合わせており、7月開通を目指しての復旧工事が行われています。現在、代行バスによる輸送が行われています。

那珂湊駅の到着する代行バス 以前の茨城交通時代の鉄道車両同じ塗わけです。

今回は、被害が少なかった那珂湊駅構内を利用して、日ごろ営業運転しているときには、撮影できない7両の車両(現役の車両が8両いて、単行で使用したとしても、2両必要なので、車庫にいるのは、多くても6両となります。)集めての撮影会です。残念ながら、1両(キハ3710-01)は、阿字ヶ浦寄りで地震に遭遇し、那珂湊に回送できず参加できませんでしたが・・・

地震の被害が大きく自社線も不通という状況の中、このようなに催しを開催していただいた関係者の方のご英断に感謝します。

最初は、那珂湊駅一番線 阿字ヶ浦方 ミキ300-103+キハ3710-02+キハ37100-03 勝田方那珂湊駅三番線 阿字ヶ浦方 キハ205+キハ222+キハ2004+キハ2005と留置されていましたが、その後、入れ替えが行われ、6両並びが実現しました。

那珂湊の構内全線使用しての6両並びです。左からキハ3710-02  ミキ300-103  キハ2004  キハ2005  キハ205  キハ222

旧型気動車の並びです。準急色・急行色・一般色・旧一般色

那珂湊駅勝田方 左よりキハ2005  キハ2004  ミキ300-103  キハ37100-03

駅の裏の倉庫が崩れていたり、那珂湊の魚市場前の岸壁が一部海中に崩落していたり、傷跡は残っていますが、魚市場では、威勢のいい声も響いていますし、ちゃんと営業もしています。

那珂湊駅裏手の倉庫 中には山車が入っていました。元気な祭りが再開されることを祈ります。


那珂湊の魚市場前の岸壁

魚市場で買い込んだ格安な海産物を土産に、一日も早いひたちなか海浜鉄道の復旧と茨城県の復興を祈りながら、帰途につきました。

がんばれ ひたちなか海浜鉄道!