「江若鉄道廃線50年 懐かしの写真展&鉄道模型運転会」、三日目の土曜日は、今までの最高の入りを記録し、朝から会場は大賑わいでした。クローバー会の皆さんや趣味仲間に来ていただき、有り難いことでした。なかでも元江若鉄道のC111を動態保存に向けて補修中の東武鉄道のHさんがご来場いただき、びっくりしました。Hさんは、同機の移送に最初から取り組まれた功労者で、本日は、修復中の写真をお届けいただいたのでした。
▲「最後の二日間」では、さりげなくDRFCの告知もしている。営業最終日の前日の晩9時頃、「江若鉄道にDRFCのヘッドマークを付けたい!」と突然思い立った。この時間では材料も調達できない。家にある材料でやるしかない。そこで、妹の使っていた画用紙を使い、マジックインクで下手なレタリングをして「湖国を走り続けて半世紀 さようなら江若鉄道 同志社大学鉄道同好会」と書いて、色鉛筆で縁取りした。写真展に使った木製パネルに貼り付けたが、ちょっと華やかさに欠ける。一計を案じて、押し入れの中から、クリスマスツリーに使うモールを見つけ、周囲に取り付けた。これで材料費ゼロで、ヘッドマークが出来上がった。夜も白々と明けてきた。結局一睡もせず、京津線の一番電車で、浜大津へ向かった。午後から三井寺下機関区を訪れた際に区長に「付けてください!」と直談判した。即座にOKになり、もう少し難航するのかと思っていたのに拍子抜けしてしまった。あまり写真を大きくするのも嫌味なので、少し小さいサイズにしてDRFCへのリスペクトとした。
さて私が展示した写真は二つに分類され、一つは「浜大津から近江今津まで」と題した沿線の駅や風景写真、もうひとつは「最後の二日間を追って」と題した昭和44年10月31日と翌日11月1日のさよなら運転の2日間を時系列で記録したものです。内容はともかくとして、その点数は「よう撮らはりましたなぁ」と皆さんから感心されます。
私自身も、まだ未成年の時によくぞ撮ったものと思いますが、そこには、恵まれた条件が重なったからこそだと思っています。
まず時間的な余裕があったこと、昭和44年、同志社大学では紛争の嵐が吹き荒れて、6月から封鎖が続き、9月に入ると全学封鎖となって、完全休講が続いていました。この好機を逃す手はありません。ちょうど、江若鉄道の廃止時期と重なり、最終間際は、毎日のように江若鉄道に駆けつけることができました。
そして、DRFCの仲間と一緒に行動したこと、これが2つ目の理由です。いまもクローバー会で活動中の皆さんと一緒に仲良く撮影を続けました。個人でやっていたら、とてもこんな点数は撮れません。仲間との刺激があってこそでした。沿線にあった北小松学舎の存在も大きなものがあります。やはりDRFCに籍を置いたからこそ、時間と仲間に恵まれ、江若鉄道をしっかり記録することができたのです。改めてそのことを痛感した江若鉄道展でした。
総本家青信号特派員さま ご関係の皆様
色々の所用と重なってついに観に行けずじまいで、申し訳なくまた残念でした。いつもの通りたいへん盛況だった由、ご同慶の至りです。ヤボ用の合間を縫って行けないこともなかったのですが、浜大津での展示の時のようにまたもらい泣きをして醜態を晒すと、何を言われるかとの不安もあって足が向きませんでした。
仰るように時間や仲間という好条件に恵まれていたという点は同感ですね。とはいえそれ以上に総本家さまの熱意の賜物であったのは紛れもない事実です。いつも思うのですが、今回も記録の大切さを再認識するイベントだったと思います。成功裡に終わったことをお慶びしたいと思います。
1900生さま
会場でお顔をお見受けせず、まだ四国の巡礼を続けておられるのかと思っていました。今回は、さすがに涙なしでは語れない、という場面はありませんでしたが、連日、熱気あふれる会場でした。場所柄、1900生さんがお勤めの関係者も多数来られて、当時と現在を語り合っておられました。記録することの大切さ、その記録をきっちり残して保存継承していくことの大切さも改めて感じました。