保存蒸機とその現役時代(46)

信州と言えば山国で勾配区間に挑むD51の姿がイメージされる。小海線、飯山線、大糸線などローカル線はC56の活躍が有名であったが、中央本線、篠ノ井線、信越本線等主要幹線はスイッチバックで苦闘するD51の重連が思い出されC57等軽快な旅客用パシフッィク機の出る幕はなかった。D51が多く活躍した信州の路線では中央西線が電化が遅かった関係もあり、最後まで残ったカマが保存されている例が多くD51209もそのような一つであった。保存場所はD51の活躍した路線ではなく、旧型国電で人気があった飯田線の伊那市下車徒歩15分くらいにある伊奈公園という見晴らしのいい緑に囲まれた高台にある。屋根がない分保存状態はよくない。

D51209は1939(昭和14)年、鉄道省浜松工場の製造で新製後は浜松に配属、以降1945(昭和20)年11月多治見、1955(昭和30)年稲沢第一で活躍、1973(昭和48)年7月中津川で廃車されるまで一貫して中部圏で活躍した。

2018.07.08 伊奈公園保存のD51209 赤ナンバープレートで集煙装置を外しての保存で煙突が短い ▼

冒頭D51は山岳区間で奮闘と書いたがこれは雪の中を下る姿でいただけない 1973(昭和48)年1月15日贄川付近下り貨物牽引D51209[中津川]▼

 

保存蒸機とその現役時代(46)」への4件のフィードバック

  1. D51209の現状の姿をありがとうございます。
    関東人の私が、何故か1969年9月末に名古屋機関区界隈で稲沢第一時代の姿を撮影しておりました。
    中津川へ行く前ですので、集煙装置を装着しる前のものです。
    停車中なのが残念ですが、ご笑覧ください。

    • クモハ73東ウラ様
      稲沢第一時代の写真ありがとうございます。クモハ73東ウラさんは日本全国はもとより欧米中国、サハリンなど今やその活動領域は我々仲間ではナンバーワンです。これからもこのような関連写真を御願いします。

  2. 準特急様
     伊那公園のD51の煙突、本当に短く感じますね。
     同機が冬の山岳地を下る姿、寒さが伝わってきます。撮影の待ち時間はさぞかしだったと拝察します。
     集煙装置が付いたD51はD51らしさを感じます。

    • マルーン様
      集煙装置やクルクルパーと呼ばれた煙突の上に見られた火紛止め装置はどれほど効果があったかはよくわかりませんが、マルーンさんの故郷の北陸線のそれは重装備で豪快な感じがしましたね。一方、細見のC57は似合わなかったような気がします。

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