昭和の電車 改訂版(226)ー国鉄155系きぼう号ー 投稿日時: 2021年11月7日 投稿者: 米手作市 準特急さんのコメントがあります。 修学旅行電車155系の写真 西村雅幸さんのコメントです。 「ひので」「きぼう」の頃 湯口先輩のコメントです。 修学旅行電車 893-2さんのコメントです。 修学旅行列車ありました 関連記事: 昭和の電車 改訂版(175)ー近鉄ク1320型ー 昭和の電車 改訂版(151)ー定山渓鉄道モロ1100型ー 昭和の電車 改訂版(134)ー東武鉄道デハ5号ー 昭和の電車 改訂版(126)ー加越能鉄道デ7050型ー 昭和の電車 改訂版(109)ー国鉄モハ30型ー 昭和の電車 改訂版(95)ー名鉄7000系ー 昭和の電車 改訂版(25)ー銚子電鉄デハ101ー 昭和の電車 改訂版(11)ー叡山電鉄デナ1ー
155系が修学旅行の中学生輸送を終了したのは昭和46年10月ですが、 私は5月に「きぼう」号で関東方面への修学旅行で乗車しました。事前に新幹線ではなく「きぼう」号の利用と知らされた時はがっかりしたものですが、今となっては良き思い出になりました。3人掛けの座席は窮屈でしたが、6人のグループが向い合せで他愛もない話に花を咲かせ、初めての東海道の旅は短く感じたものです。「きぼう」号に乗った最後の世代になるとは、乗車時には予想できませんでした。 京都駅1番線に入線するシーンを撮っていたらよかったのですが、班長を仰せつかり点呼やグループの誘導などで写真どころではなかったようです。 浜松駅だと思うのですが、大きな駅に進入する「きぼう」号を窓から写してました。50年前に中学生がハーフカメラで撮った下手な写真ですが、こんな時代もありました。 返信 ↓
155系は冬場にはアルバイトで上越国境を越えていました。 写真は、1976年頃に小出で撮った上り「小出スキー」です。 始発の小出発車時はガラガラでしたが、越後湯沢からは満席に近くなったような記憶があります。満席とは言え、3人掛けの席は大人2人掛けでした。枕木方向を向いている荷棚はスキー板多数。 8両編成MT46の4M4Tでは上越国境越えは厳しかったのではないでしょうか。 原版はカラー(修学旅行色)ですが、褪色が著しいためモノクロに変換してあります。 返信 ↓
155系の3人掛け座席の様子です。往路は席を移動したり、デッキへ行ってみたりと動いてましたが、帰りは品川から京都まで9時間近く座りっぱなしでした。 テーブルの上には小型時刻表と、何故か「鉄道ファン」が載っています。テーブルの幅は「鉄道ファン」の長辺より狭く、お昼にお弁当を食べる時は難儀したはずですが、もう忘れてしまいました。 返信 ↓
米手作市様 いつもの「勇み足男」は、投稿してから気付く「アワテンボウ」。 待てよ~、1枚目の写真の様に窓に机を立てたまま走った? 危なない? 説明不足も「イイところ」ですネ。 実体験ナシで申し訳ありませんが、2枚目の写真と併せて勘案すれば、多分車側面に沿って床面まで降ろしたのでは無いかと思いますが、それも面倒だし、怪我などの危険度が増すような。 はて、さて小生の中では頭がコンガラカッテます。(笑) 返信 ↓
河 昭一郎様 座席の上に設けられた網棚、枕木方向に取り付けられた照明、低い天井など155系電車の特徴が良く判りました。乗車体験があるものの50年前のこと、記憶は限りなく薄れてしまい、跳ね上げ式テーブルの固定法はサッパリわかりません。 面白いのは灰皿の存在で、中学生には不必要では?と思うのですが、修学旅行以外の用途を考慮してあったのですね。いや、一部の生徒には必要だったのかもしれませんが、さすがに先生の前では憚られたことでしょう。 鉄道車両から灰皿が消えて久しく、50年前には修学旅行用電車にも見られたのは意外でした。 返信 ↓
155系が修学旅行の中学生輸送を終了したのは昭和46年10月ですが、
私は5月に「きぼう」号で関東方面への修学旅行で乗車しました。事前に新幹線ではなく「きぼう」号の利用と知らされた時はがっかりしたものですが、今となっては良き思い出になりました。3人掛けの座席は窮屈でしたが、6人のグループが向い合せで他愛もない話に花を咲かせ、初めての東海道の旅は短く感じたものです。「きぼう」号に乗った最後の世代になるとは、乗車時には予想できませんでした。
京都駅1番線に入線するシーンを撮っていたらよかったのですが、班長を仰せつかり点呼やグループの誘導などで写真どころではなかったようです。
浜松駅だと思うのですが、大きな駅に進入する「きぼう」号を窓から写してました。50年前に中学生がハーフカメラで撮った下手な写真ですが、こんな時代もありました。
155系は冬場にはアルバイトで上越国境を越えていました。
写真は、1976年頃に小出で撮った上り「小出スキー」です。
始発の小出発車時はガラガラでしたが、越後湯沢からは満席に近くなったような記憶があります。満席とは言え、3人掛けの席は大人2人掛けでした。枕木方向を向いている荷棚はスキー板多数。
8両編成MT46の4M4Tでは上越国境越えは厳しかったのではないでしょうか。
原版はカラー(修学旅行色)ですが、褪色が著しいためモノクロに変換してあります。
紫の1863さん、クモハ73106東ウラさん
前回時には見られなかった記録を今回見せて頂きました。
皆さんのアルバムをひっくり返すのも楽しいものですね。
貴重な写真を見せていただき感謝です。
155系の3人掛け座席の様子です。往路は席を移動したり、デッキへ行ってみたりと動いてましたが、帰りは品川から京都まで9時間近く座りっぱなしでした。
テーブルの上には小型時刻表と、何故か「鉄道ファン」が載っています。テーブルの幅は「鉄道ファン」の長辺より狭く、お昼にお弁当を食べる時は難儀したはずですが、もう忘れてしまいました。
紫の1863さん
このテーブルは跳ね上げ式でしたか、固定でしたか?
米手作市様
「代返」で~す。
バリバリの跳ね上げ式でした!
河 昭一郎
ありゃ!
画像の回転修正を忘れた? やったつもりやけどなぁ~。
で、もう一枚
で、もう一枚・・・って、「何処が?」と言われそうなので、説明を!
画面右側の座っている乗客の右側を良ーく見て下さい。おわり。
米手作市様
いつもの「勇み足男」は、投稿してから気付く「アワテンボウ」。
待てよ~、1枚目の写真の様に窓に机を立てたまま走った? 危なない?
説明不足も「イイところ」ですネ。
実体験ナシで申し訳ありませんが、2枚目の写真と併せて勘案すれば、多分車側面に沿って床面まで降ろしたのでは無いかと思いますが、それも面倒だし、怪我などの危険度が増すような。
はて、さて小生の中では頭がコンガラカッテます。(笑)
河さん
さすがに跳ね上げたままの走行は危険ですし目障りでしょう。でも同級生ならいざ知らず、知らないオッサンが机を挟んで見つめ合う、あ~おそろしや!
河 昭一郎様
座席の上に設けられた網棚、枕木方向に取り付けられた照明、低い天井など155系電車の特徴が良く判りました。乗車体験があるものの50年前のこと、記憶は限りなく薄れてしまい、跳ね上げ式テーブルの固定法はサッパリわかりません。
面白いのは灰皿の存在で、中学生には不必要では?と思うのですが、修学旅行以外の用途を考慮してあったのですね。いや、一部の生徒には必要だったのかもしれませんが、さすがに先生の前では憚られたことでしょう。
鉄道車両から灰皿が消えて久しく、50年前には修学旅行用電車にも見られたのは意外でした。
「長州」号 昭和49年12月下関駅
最後の活躍の時期です。
ホームの位置からみて、下り列車が到着した後の撮影だと思います。
ところで、修学旅行電車ですが、登場時は添付写真の通り、クモユニ81に続く80系仲間でしたネ。
モハ82、クハ89、サハ88って言ってましたネ。