改札口
列車に乗るとき、必ず通るのが改札口でした。入鋏を受けて、ホームに出る。ここからは“有料地域”になりますから、いわば駅の結界のようなもので、ちょっと居住まいを正したものでした。いまは、都市部は自動改札、地方は無人駅化が進み、有人の改札口を見かけることもなくなりました。▲改札口を通して、見えてくる光景にも、心ときめかせた(昭和45年、加茂)。 ▲▲太い角材を組み上げた木製の改札口も多かった。長年の使い込みで飴色に輝いていた(昭和62年、大社)。
▲ローカル駅では改札口は閉まっていて、到着前になると、改札掛が現れて次の列車の行き先札を掛けて、改札が始まることを告げる。行楽客でにぎわう清里も、改札直前、狭い待合室は乗車客であふれる(昭和47年)。
▲改札口付近は、付近の子どもの遊び場でもあった。学校帰りの子どもが待合室に集まり、売店で買った菓子を食べながら、改札口を遊具のようにして遊ぶ。駅員も誰も叱らない。よく見ると、向こうのC11には、勝手に人が載っている。大らかな時代だった(昭和48年、会津坂下)。
▲東北のローカル線、知り合いなのか、乗客と駅員は会話を交わしながら、雪の舞うホームへ向かって行った(昭和47年、五所川原)。▲都市部の私鉄駅になると、改札口は金属製のボックスになり、風よけも設けられる(昭和58年、地上時代の京阪三条駅)。
「改札口」は都会の駅、地方の駅、国鉄の駅、私鉄の駅と変化に富んだ表情がありますね。駅員がいて切符に鋏を入れてくれたのも、遠い日の思い出になりました。
私にとって忘れられない駅のひとつ、関西本線加太の画像を添付します。蒸機が消えて10年近く過ぎたころ、ふと思い立って出かけた際の撮影で、待合室には蒸機の写真が飾ってありました。駅員の姿はなく、誰もいない待合室は静まり返っていました。