大阪地下鉄60系 投稿日時: 2014年2月17日 投稿者: 米手作市 1970年(昭和45年)大阪万博、遠くなりました。 この記事を共有:TwitterFacebook印刷 関連 関連記事: 日本一の農村風景が見られる明知鉄道へのご案内 Part4 明知鉄道を撮る3 最初と最後のED38 上武鉄道D1001 元祖4扉通勤電車の写真発見 いい加減な電車の原型 駅を旅する 〈19〉 桜前線追っかけ2010年 Part5 高森線1970年時代
思わず昭和45年にタイムスリップしました。万博、卒業、入社と記念すべき年でした。 「EXPO準急」「EXPO直通」淡路から一つ飛ばしの停車で、吹田、関大前、南千里、 万国博西口、北千里という停車駅でした。 この市交の電車には車掌、運転士と乗務させてもらいました。市交の電車は谷町線からビニールの堅い座席でしたね。 でも、ブレーキは阪急3300のHSCと違いHRDで、7ノッチ式でカチカチとレバーを動かし 結構スムーズに機能したように思います。HRDは6300以降のワンハンドル車の原型なのですね。 3000も方向幕に改造された電車だけになり、このような2枚の円板や角板を取り付けた オリジナル車がなくなってしまったことは残念です。 時の経過は早いものです。 返信 ↓
思わず昭和45年にタイムスリップしました。万博、卒業、入社と記念すべき年でした。
「EXPO準急」「EXPO直通」淡路から一つ飛ばしの停車で、吹田、関大前、南千里、
万国博西口、北千里という停車駅でした。
この市交の電車には車掌、運転士と乗務させてもらいました。市交の電車は谷町線からビニールの堅い座席でしたね。
でも、ブレーキは阪急3300のHSCと違いHRDで、7ノッチ式でカチカチとレバーを動かし
結構スムーズに機能したように思います。HRDは6300以降のワンハンドル車の原型なのですね。
3000も方向幕に改造された電車だけになり、このような2枚の円板や角板を取り付けた
オリジナル車がなくなってしまったことは残念です。
時の経過は早いものです。