ホームにて③ ラッシュの主役 高校生
地方のラッシュ時、乗客の中心は、勤め人と高校生で、車内はいっときの満員状態となります。ところが、勤め人は、ホントに列車に乗らなくなりました。ことし、三陸鉄道で、朝8時台の中心駅へ向かう列車に乗る機会がありましたが、勤め人風の乗客はほぼゼロで、三陸地方ならではの事情があるとは言え、愕然としました。残る乗客はは高校生となりますが、高校生そのものも少子化の影響を受け、地方では高校の統廃合もあると言います。自転車では通えない列車通学生に対しては、学校専用のスクールバスがあったり、一人一台の親のクルマで送迎もあって、列車利用の減少に拍車をかけています。交換駅で対向の列車を写そうとすると、ホームで待つ高校生が見えます。なかでも女子高生には眼が向いたものでした。決して、その筋の興味はないのですが、やはりセーラー服など服装や、髪形、持ち物には、時代差、地域差があって、昭和ならではの思い出です。
▲名松線家城での交換、昔も今も、家城が唯一の交換駅で、キハ30系が入るぐらいだから、ラッシュ時は乗客が多かったのだろう。先日、名松線に乗ったところ、夕方の列車には、家城から一定数の高校生の乗車があって、同線では、いまでも高校生は重要な乗客のようだ(昭和45年)。
▲松浦線の楠久駅で、交換するC11 260の牽く641レ。線路を横断して駅に向かう高校生たちは、両方向の列車が通り過ぎるのを待っている。たまたま後継となる三セクの松浦鉄道のHPを見ていると、毎年、「駅」をテーマにフォトコンテストが行われていて、そのアングルの多様性に見入っていた(昭和45年)。▲北海道でも高校生の通学があった。釧網線の清里町駅、どちらの列車も、C58+貨車+客車の混合列車だった。いまJR北海道の調査では一日乗客が38人と、釧網線では多い部類の駅になっているが、ほぼ写真の乗客数が、いまの同駅の一日分で、当時の朝は、これだけの乗客が待っていた。夏休みが終わった直後だが、さすがに長袖だ(昭和43年)。▲立野駅で、C12の牽く高森線の列車に乗り換える高校生たち。豊肥線とは別ホームになっていた。高校が立野なら一乗車で済むが、豊肥線の駅からの利用だと、毎日の立野での乗り換えは大変だっただろう(昭和47年)。▲以前にも発表済みだが、DRFCの狂化合宿で、阿仁合線でキャンプを2泊して、最寄り駅の荒瀬から出発した。朝の駅には、多くの乗客があり、“秋田美人”の本場らしい雰囲気も‥。いまは秋田内陸縦貫鉄道ではあるが、統計によると、同駅の一日乗降数はわずか6人になっていた。秋田県の人口減少はよく話題になるが、ホーム上の人たちが、その後どんな人生を歩んだのか、気になって来た(昭和46年)。
しばらくご無沙汰しておりました
自分が想像する昔の高校生であり世界線
総本家青信号特派員
1967年8月25日の秋田県の羽後境駅の夕刻の光景です。この日は福島から秋田に向かうため当時でも珍しかった昼行の客車急行「たざわ」に乗車し、列車交換のため運転停車した車内から撮りました。「たざわ」がホームの有効長を越えて停車しているため、交換した秋田発の普通列車から下車した高校生が構内踏切を渡れないのでホームにあふれていました。毎日このような情景が繰り返されたのでしょう。
今日までこの駅が何処か分からなかったのですが、今回GoogleEarthで右手の荒川農協倉庫が現在も残っていることが確認できたので特定することができました。奥羽本線の電化に伴い、ホームと駅本屋を結ぶ跨線橋が開設され、秋田新幹線の開通に伴い普通列車が停車している右側の側線が秋田新幹線の広軌の主本線と副本線となり、当駅での新幹線の交換も可能になっています。
総本家青信号特派員様
敬称をつけるのを忘れていました。申し訳ありませんでした。
秋田新幹線が乗り入れた大曲-秋田間は複線になっていますが、元の奥羽本の上り線は広軌専用で秋田新幹線が使用しており、下り線は基本的には狭軌で奥羽本線の新庄-秋田間の狭軌の701系が使用しています。ただし下り線の神宮寺-峰吉川間は、1線が軌間1,067mm(狭軌)と軌間1,435mm(標準軌)の三線軌条となっており、もう1線が標準軌との単線並列区間なので、秋田新幹線は両駅間を複線区間として使用しています。
一昨日のプレス発表で、大雨による被害で運転を見合わせている奥羽本線の新庄-院内間について、2025年ゴールデンウィーク前の運転再開を目指すと発表されました。運転再開にあたっては、「サステナブルで災害を受けても早期復旧が可能となる鉄道」にするという理由で、気動車を導入して同区間の架線設備を順次撤去することも明らかにされました。再開後の狭軌の701系の運転区間は院内-秋田間に短縮されるようです。
写真は2015年3月9日の神宮寺駅構内の下り線の三線区間の分岐で、上り線は広軌専用となっています。
快速つくばね様
クローバー会の旅行に出かけていたりして、すっかり返信が遅くなり、申し訳ございません。本線格となると、高校生の輸送量もローカル線とはひと味違いますね。島式ホーームに長い客車列車が停車して、本屋に行けず、長時間待たされるのは、私も何度か体験しました。羽後境駅は、私もなじみがなく、鉄道地図で見返して、位置を確認しました。奥羽本線の非電化は、クローバー会の旅行で同行者からも聞きました。“電化こそ近代化”と疑わない世代ですが、逆転の現象が、さまざまな形で表れていること、ひしひしと感じます。
「高校生」ですか! よろしいですねえ。残念ながら私は見たことがありません。撮影されたころはちょうど私の中学・高校時代と重なり、出かけられるのは学校が休みの日に限られますので機会に恵まれませんでした。
先日のこと、京阪の東福寺駅近辺をうろついていますと、近くにある高校の下校時間だったのか、本町通を埋め尽くすほどの高校生の集団に出会いました。男子生徒はグレーのスラックスに白のカッターシャツ、女子生徒はチェックのスカートに白のブラウスで、総本家様が撮影されたころとは制服も様変わりしています。手提げかばんを持つ生徒は見当たらず、大きなリュックを背負っていました。服装や髪形、持ち物に時代の変化を感じます。
さて、添付の画像は通学風景ではありませんが、たくさんの高校生が写っています。1997年10月の京阪蹴上駅で、近くの高校で学園祭があったのでしょうか。「ルーズソックス」が流行ったころの記録です。
紫の1863様
「高校生」こそ、1863さんの得意分野だと思っていたのに、“見たこともない”とは! 京津線の通学風景、蹴上は男子、東山三条は女子と、はっきり分かれていましたね。写真もそうですが、文化祭などあると、蹴上に不似合いな女子高生が見られました。京津線もなくなって30年近く経つのですね。