第5日目 12月6日
① バイヨークスカイホテル7:30(専用車)→11:15アルヒル桟道橋
② アルヒル桟道橋13:53→14:25ナムトック駅14:40→15:10アルヒル桟道橋
③ アルヒル桟道橋15:22→16:05クウェー川橋17:50→21:00バンコク市内
▲ 「戦場にかける橋」で有名なクウェー川永久橋の駅名掲示板で気軽にポーズをとってくださったスタイル抜群のお嬢さん。白い綺麗な手が印象的でした。こんな平和な光景が永久に続いて欲しいと思った旧泰緬鉄道の旅でした。
今回のツアーですが、準特急先輩がいつも一緒に行っておられる海外鉄仲間の皆さんの企画に相乗りしました。2011年冬にも中国内新疆ウイグル自治区哈密にある、三道嶺露天掘り炭鉱のSL撮影に同行させていただきました。最近では、2012年9月に久留里線・いすみ鉄道・小湊鉄道の撮影にも同行させていただきました。メンバーは、大学は皆さん別々ですが、高校が同じ開成高校だったり、勤め先が京王電鉄で同じだったりの繋がりのある老練鉄ちゃん仲間の6名の方々です。鉄道知識のみならず人生、社会経験豊富な尊敬すべき大先輩の方々ばかりで、私のような一介の風来坊がいるのは場違いと思われますので、極力ご迷惑がかからぬように心がけました。
▲ 7:19、バンコク一の高層バイヨークスカイホテルの部屋から眼下には、空港を結ぶエアポート・レール・リンク(APL)高架鉄道とその下を在来線が見えます。丁度、DLが牽引する5両編成の客車列車が走ってくるのが見えました。
今日は乗り鉄組2名と、撮り鉄組5名に分かれて、ナムトク線(旧泰緬鉄道)のアルヒル桟道橋を目指します。撮り鉄組には、チャーターされたパンダバスが用意されていました。
▲ 10:57、走ること約3時間半、無人自動踏切を渡りましたので、降りて見ました。踏切警報器、遮断機は腕木式と道路封鎖可動式の両方が設置されていました。
▲ 11:15、アルヒル桟道橋に到着しました。70年前の悲惨な歴史とは反対に綺麗に整備された公園の中に停留所がありました。
▲ 待合室には、ご丁寧に時刻表までかかっていました。1日3往復が走行しています。
▲ アルヒル桟道橋に向かいました。補強のために4線区間をなっている間を少し歩いてみました。
▲ 全長450.06mの木橋です。よくも重機もなく人力だけで造り上げたものだと実際見ますと分かります。
【泰緬鉄道】
「死の鉄道」とも呼ばれるこの鉄路は、第2次世界大戦中の1942年にビルマ戦線への物資補給を目的にタイとビルマ(ミャンマー)の双方から建設が始まりました。作業員には、日本人、連行国の捕虜、民間人の約40万人以上が強制動員され、劣悪過酷な環境下で約半数が死亡するという犠牲のもとに、翌年1943年10月の短期で完成されました。総延長は415キロ、東京~大垣に相当します。現在ではミャンマー側全線とタイ側2/3が廃線となっています。蒸気機関車は、日本で製造されメーターゲージに改軌して送られたC56形が多く使用さました。
対岸に移動しての撮影をすることになりました。11:45、迂回して橋を渡り約15分で到着しました。
丁度ホテルのレストランがあって、撮影のお立ち台になっています。撮らせてもらえるかなと心配をしましたが、全然OKでした。
時刻表では、11:54に先ほどいた停留所を発車して来るはずですが、汽笛も聞こえません。
S水隊長が乗り鉄組へ連絡をとられますと、車両故障があって、約2時間遅れているそうでした。後から聞いた話では、車両と車両との連結器に不具合を生じたため、信じられないでしょうが連結器を交換するのに時間を要したとのことでした。普通なら、故障した側の車両を切り離して運行した方が早くて手っ取り早いと思いますが、多分常時この方法がとられているのでしょうね。恐るべしタイ国鉄の対応です。
列車が姿を見せたのは、連絡どおり約2時間遅れの13:49でした。
▲ 橋の制限速度は10km/hです。ゆっくりと渡ってきました。
▲ 列車の乗客は欧米人が多く、身を乗り出しておられる方も多数ですが、この鉄路は車両限界が小さくて、切り出した岩との間は10㎝もありません。ケガをしても個人責任です。
我々一行の乗り鉄組はどこにいるのかなとみていましたら、いました。手を振って合図をされていました、
▲ 14:25、乗り鉄組のお迎えもかねてナムトク駅に参りました。終点ですが、この先にも同じ駅があるようで、日曜日や特別な日には延長運転することがありますと通訳兼ガイドのお姉さんは申されておられました。上の写真は、ナムトク駅舎と待合室です。
▲ 待合室に掲示されていた時刻表です。2本はバンコク市内のトンブリ始発ですが、もう1本は南本線との分岐駅ノーンプラードゥックからの往復です。
トンブリからの距離は195.63キロ、泰緬鉄道のタイ側起点であったノーンプラードゥックからは131.44キロです。
▲ 14:33、ナムトク駅に到着した257列車は、約2時間の遅れもあってか、機回しを終えると14:39、すぐの折り返し発車でした。ここからは下り勾配になっていて列車のスピードが上がりますので、我々も急いで追いかけました。
▲ 15:10、何とか列車が渡る前にアルヒル桟道橋のお立ち台に着きました。
15:17、258列車は、ナムトク側のタムカセ停留所を発車して、ゆっくりと渡り始めました。
▲ 我々の他にも欧米人のカップルも撮っておられましたお立ち台です。
すぐに追いかけを続行してクウェー川鉄橋へと急ぎました。
▲ 泰緬鉄道建設で最も難工事だったのが、クウェー・ヤイ川にかかる橋梁でした。完成後何度も連合軍の爆撃にあい、その度に復旧工事を余儀なくさせられました。工事中はすぐ川下に造られていた木橋が代用されたそうです。
橋のたもとでじっと列車を待ちました。
▲ 16:40、2時間遅れの258列車は、橋におられる皆さんをかき分けるようにして渡ってきました。皆さんは一斉に橋中に設置された待機所に避難されました。ここにも交通整理員の姿は見えません。自分の命は自分で守る自己責任が徹底しているようです。
▲ 橋梁ノーンプラードゥック寄りに停留所が設置されています。258列車が去った後の5分後には、トンブリからの259列車が入線してきました。こちらは約30分の遅れでした。
▲ 停留所横の公園には、泰緬鉄道で使用されたC56等の車両が展示されていました。トラックを鉄道用に改造して使われていたのですね。
▲ 明日から橋のライトアップが始まるそうで、ナムトク側には点灯を記念しての演劇の舞台が設置されていました。見てみたかったですね。
▲ 17:50、平和の中の夕闇が迫ったクウェー川橋梁、70年前にはこんな状況下で見れることはなかったのでしょうね。
▲ 約3時間強をかけてバンコク市内に戻ってまいりました。王宮周辺の道路は、タイ国王の誕生日を祝っての見事なイルミネーションで輝いていました。
▲ 今日の夕食は、皆さんと一緒にとれました。場所は鉄ちゃんらしく、鉄道模型がレイアウトされたレストランでした。
明日は、下見をしていたメークロン線乗車です。夜も夜行列車に乗車してラオスとの国境を超える乗り鉄旅に参ります。さすが海外鉄のベテラン、S水隊長さんの企画だけあって中身がぎっしり詰まっています。 Part7へ続く