微笑みの国、タイ王国鉄道の旅 Part10 ウドンターニからバンコクへ、ローカル列車の乗り鉄旅 キハ58発見!

第9日目 12月10日
① ウドンターニ7:54(DIESEL EXPRESS-76)→17:43バーンスー
② バーンスー18:04(MRT)→19:00頃シーロム

③ シーロム日本人街20:20(トゥクトゥク)→20:50バイスカイヨークホテル

タイ鉄道地図_縮小今日は、ウドンターニから、DC急行に乗車してバンコクに向かう乗り鉄旅です。往路では夜行寝台列車でしたので、車窓を見ることはできませんでしたが、今日は朝から晩まで堪能できます。移動距離は568.84キロ、途中下車なしの10時間16分の予定ですが、タイ鉄道の今までの乗車経験からは、相当の遅れが予想されます。 01_切符▲ ウドンターニ発車は、定刻では6:54です。朝は早いのでホテルの美味しい朝食は食べられません。6時すぎにホテルを出発、駅までは荷物がありますのでトゥクトゥクを利用しました。
02_朝の温度6:25、駅に着いてすぐに発車時刻を確認しますと、やはり1時間の遅れとの返事です。この列車の始発駅はノンカイで、1つ手前の停車駅です。発車すぐで1時間も遅れていますのが、今のタイ国鉄の運行現状ですね。 仕方ありません、この列車に乗車される皆さんと一緒にホームで待つことになりました。

朝7時の温度は、涼しいぐらいの快適な22℃でした。

03_駅の物売り02_駅の物売り04_駅の物売り05_駅の物売り待っている間に天秤棒を担いで、自家製の食べ物を売りに来られるおばちゃまがおられました。Y崎さんは、これを気にいられたのか、おばちゃまと掛け合いをしながら買っておられます。すっかり現地住民と同化されておられました。
おばちゃまが売っておられるのは、ウズラの煮卵とか何かの野菜を甘辛く調理したもの等々です。スーパーで売っているような惣菜類ですが、地元で日常的に食べられている土地の味です。

私は、おじちゃまが売りにきた竹筒に興味が引かれました。竹筒は大小様々で、赤飯と白いおこわが入った2種類を天秤棒にぶら下げた左右の籠に分けておられました。 竹筒は、丁寧に斧で剥きます。台湾では同じのをよく食べましたが、もっと青い竹筒で太さは揃っていました。また斧で真っ二つに割っていましたので、中身の出し方が違っています。野性味のある味で、大変美味でしたので赤白と2本をいただきました。これこそ土地の味です。こんな駅弁は大歓迎です。 07_駅の物売り
12_KIOSK
▲ 昨日見過ごしていましたが、出入口横には常設のKIOSKがありました。品数も豊富です。タバコを買っておられたお客さんですが、何と4本の注文です。ビニール袋に入れて渡されていました。ここでは、1箱単位でなく1本単位でも販売するのですね。驚かせられました。
08_なんだろう▲ 昨日から気になっていましたホームにおかれた大きな器、なんだろうと見に行ってみたらゴミ箱でした。レトロな駅ホームには、ステンレス製のゴミ箱よりもこの方が似合います。家に持って帰って、観葉植物の鉢桶に使いたくなるほど立派でした。ゴミ箱に使うとはもったいないと思いましたね。

11_ウドンターニ駅転轍器▲ 駅構内にあった信号所。懐かしいレバー式のポイントてこ(レバー)の転轍器が現役で残っています。この転轍器から分岐器までは延々とワイヤーが張られており、それによりポイント(分岐器)が動く仕組みになっています。かつての日本では、どこでも見受けられましたが、自動化により最近見たことはありません。これが鉄道近代化が著しく遅れているタイ国鉄の現状でもあります。09_76列車到着▲ 7:49、DIESEL EXPRESS-76列車は、定刻に69分遅れで1番線ホームに入線しました。3等2両+2等+3等2両の5両編成。多分始発のノンカイから遅れていたのでしょうね。この調子では、終着のバンコク着は相当な遅れになりそうです。10_76列車到着13_2等車▲ 入線は、手旗信号です。ここでもタブレットが使用されていました。

我々が購入した切符は2等車です。空調の効いたリクライニングシート車で快適そうに見えますが、シートピッチが狭く圧迫感があります。一方の3等車の乗客はわずかで、広々としていました。14_3等車▲ 3等車の車内です。空調はありませんが、朝とあって暑さはなく窓から入る風は、心地よくもあります。我々の席はこちらにしました。車両の連結部には貫通幌はありません。転落を防ぐための手すりだけでした。
15_車内販売▲ 車内販売のおばちゃまは、頻繁に来られます。弁当、ビール、お菓子類となんでも買う我々は、おばちゃまにとっては、上客でした。
17_中間站▲ 8:16、フアイサンパット(Huai Samphat)手前で、先行する1974年ALSTHOM製が牽引する鈍行416列車を追い抜きました。ウドンターニからは、約26キロしか走行していませんので、416列車はかなり待機待ちをしていたのでしょうね。ズタズタのダイヤです。
18_中間站19_貨物追い抜き▲ 8:33、クムパワーピー(Kum Phawapi)を通過。

9:20、ナムポーン(Nam phong)には、手前の待機線に止まるタンク列車を追い抜いてから、約1時間強遅れで到着しました。駅名板から見る各駅間距離は、6~10キロのようですね。
20_沿線牛▲ 走行する沿線は乾燥期に入り、放牧された牛が見られました。雨季の水田作業に役立っているのでしょうね。
世界の約半分の地域で主食とされているコメです。タイは世界最大のコメ輸出国。この路線が走る東北地方の水田面積は、タイ水田の55%を占めていて、日本の水田面積の2.3倍になります。しかし、潅漑がなされているのは10%に満たず、残りはすべてそこに降った雨に依存する天水田になっているそうです。農業近代化の遅れているタイのコメ作りですが、世界的にみると供給は過剰になっています。増産は可能でも、売り先がない。また値崩れ等との矛盾も発生します。
21_コーンケン▲ 9:54、
コーンケン(Khon Kaen)駅に近づきました。本線から分岐してのタンク車の基地がありました。貨物用のDLは、1974年ALSTHOM製4153号機です。コーンケンは人口39万人の町の駅で、1930年に開業しました。7年後のノンカイまで開通するまでは、東北線の終着駅でした。全列車が停車します。バンコク方面へは、ここより始発する1往復が増え、7往復が発着しています。

22_バンパーイ

▲ 10:36、バーンパイ(Ban Phai)駅に到着しました。ここでも結構たくさん乗ってこられましたが、席は埋まるほどではありません。
23_車内販売▲ 10:54、朝からの方とは替わられた車内販売のおばちゃまがまわってきました。知り合いの乗客がおられたようで楽しそうにおしゃべりされていました。こちらに近づかれると、直ぐに車内販売が大好きなY崎さんの手が伸びていました
24_ムアンフォン▲ 
11:01、ムアンフォン(Muang Phon)駅でDC4両編成と交換しました。ナコンラチャシーマ始発、ノンカイ行きの415区間列車のようです。先頭車は、1971年日立製作所製のBTD.T-31で、かなり古いDCです。
11:11、次のノーンマックア(Nong Makhua)駅で、1980年ALSTHOM製の4213号機牽引のタンク車とも交換しました。
25_ブワヤイ

ブワヤワイ
▲ 11:34、タイ王国東北部の人口約260万人の中心都市バワヤイに到着しました。バンコクから345.50キロ、東京から名古屋手前の大府間に匹敵します。
ここで路線は、バンコク方向にバーンパーチー分岐駅まで、基幹路線と支線の2線に分かれますが、運行本数、沿線人口、輸送客とも支線の方が多く、また本線の開業は1958年と支線の1930年と比べても遅く、優等列車は支線を走行します。
26_ブワヤイ本線しかし、バワヤイを発車して分岐した本線方向を見ますと、線路は撤去しての路盤改良工事の真っ最中でした。完成すると、優等列車の1部はこちらを走るのかも・・・。

車窓ですが、乾季とあって、こんな平原の光景がずっと続いていました。雨季になり水田が広がる頃には、華やかになるのでしょうね。

27_車窓27_12時7分の温度12:07、この頃になると、車内の温度も29℃と暑くなってきました。しばし、冷房のきいた2等車指定席に戻って、一服です。

28_ウボンラーチャターニ行き12:49、ナコンラチャシーマ(Nakhon Ratchasima)駅に到着しました。バンコクからは、263.65km地点に位置し、東京から浜松を超えた高塚駅あたりになります。東北本線が最初に開業した区間の終着駅です。1900年12月21日に開業した時は、コラート駅と呼ばれていましたが、1934年に現在の駅名に改称されました。駅前には、退役したSL261号機(1928年Hanomag製)が静態保存されているそうです。町の人口は約45万人、この地方の中核都市です。

▲ 11時始発発車が遅れている支線のウボンラーチャターニ(Ubon Ratchathani)行きの419列車が入線してきました。牽引機は、1993年日立製作所製の4507号機です。29_ウボンラーチャターニからの列車29_ウボンラーチャターニからの列車発車▲ 12:51、こちらは、419列車が向かうウボンラーチャターニから来た136列車です。1974年ALSTHOM製の4142号機に牽引され、定刻12:33発にさほど遅れずに、我々の前をバンコクに向けて先発していきました。
拡大していただきますと、お分かりにように、この駅からは自動信号設備がありました。

31_ナコンラチャシーマ▲ ナコンラチャシーマ駅ホームでは、たくさんの売り子が声をあげて、ホームを往来していました。今まで見られなかったホーム上の光景です。私はその中から、焼きそば風の麺を買って食べました。車中で食べる味はビールとも合って格別で、大変美味しかったです。
13:00、ナコンラチャシーマを発車。約1時間半の遅れでした。30_貨車

▲ ナコンラチャシーマには、広い貨物ヤードもありました。かつて使用された貨車も置いてありました。 32_▲ 13:12、プーカオラッ(Pho Kaolat)駅にて、DC4両編成と交換。13:49、先ほど先行していた136列車を追い抜いて行きました。35_車窓▲ プーカオラッを過ぎると車窓に山並みが見えだしました。山間区間に入っていくようです。
33_サップムアン▲ 14:09、サップムアン(Sab Muanc)駅に臨時停車して、DC交換列車を待ちます。自動信号になっていますが、駅員が線路上まで出て手旗信号で停車を命じました。珍しい光景でした。
36_パークチョン▲ 14:25、パークチョン(Pak Chong)駅に到着しました。 ユネスコ世界遺産に登録されている「ドンパヤーイェン-カオヤイ森林地帯」の最寄駅でもあり、バンコクからの避暑地にもなっているそうです。バンコクからは179.93km地点に位置し、これは東京~静岡間とほぼ同じ距離になります。直ぐの発車でしたが、発車の際は駅員が、鐘を3回鳴らします。この鐘、欲しかったのでどこかで売っていないかと探したのですが・・・。
33_パークチョン▲ パークチョンにはセメント工場があって、構内にはセメント運搬列車が止まっていました。派手な塗装をしたタンク車です。DLは、1974年ALSTHOM製の4130号機です。
34_▲ 車内では、籠に入れた果物や焼き鳥やらを販売にきました。タイの列車では、こうやって土地物を売りにきますので、これも楽しみの1つです。もちろんゲットしました。ビール等の飲み物類は、バケツで持ってきますが、結構冷えていました。
37_山間を行く▲ 列車は山間部へと入ってきました。今までのほぼ直線の平原地帯とは違って、勾配と急カーブが続くようになり、列車は速度を落としてゆっくりと走行していきます。山の上には、金色の像が、線路沿いにもモニュメントが見えました。聖地なのでしょうね。
38_混合列車▲ 15:21、カーブの中に交換駅がありました。パーサデート(Pha Sadet)駅と思われます。反対側の線にはDL列車が交換待ちをしていましたが、初めて見る混合列車です。東北本線のタノンチラ分岐駅から分岐する南線スリン行きの233列車でした。419,75キロを8時間20分をかけて走ります。DLは、1980年ALSTHOM製の4223号機です。バンコクからの貨物連結はありませんので、途中駅で併結したと思われますが、どの駅からだったんでしょうかね。珍しい編成ですので、走行写真を撮りたかったです。
39_キハ58系_1

Thap Kwang, Kaeng Khoi, Saraburi 18260 タイ王国
▲ 15:28、もうすぐケンコーイ分岐駅だなと車窓を見ていましたら、突然キハ58系がずらりと見えました。前情報がなかっただけにびっくりです。慌ててカメラを向けました。場所は分岐駅の1つ手前のマップカバオ(Map Kabao)駅です。ヤードには、キハ58・28、キロ28が数10両、放置されていました。
バンコクファランボーンからは特急で所要時間は、約2時間強です。アユタヤからは、わずか約1時間弱です。どなたか撮りに行って欲しいですね。
地図は、左下の「Google」をクリックしていただければ、拡大できます。40_キハ58系_241_キハ58系_31997年にキハ58形14両・キハ28形9両・キロ28形3両の計26両が、1999年にキハ58形11両・キハ28形9両の計20両、総計46両がJR西日本より無償譲渡されています。2~3年は使用されたのですが、運転台がタイ国鉄の車両とは反対側にあり乗務員に不評、車両の老朽化が進んでいた、車両断面が大きく、特に屋根上のクーラーが邪魔でトンネルに入れない等々の問題があり、現在では1部が客車に改造されて使われている以外では、廃車同然になっているようです。
運転台は改造、老朽化は部品どりで対応、トンネル区間は避けることで対応できたと思うのですが、車両が足りていないタイ国鉄ではこのまま放置するのはもったいないと思いました。

キハ58系は、バンプルタールアン(Ban Plu Ta Luang)駅の構内にも数10両が放置されています。こちらは、メジャーでYouYubeにも投稿が多くあります。
他にJR西日本からの無償譲渡車両は、14系(座席車及び寝台車)が20両、24系(寝台車)28両と14系客車(寝台車)4両があり、こちらは好評で使用されているようです。
42_ケンコーイ分岐駅

จ.สระบุรี 18110 ไทย
▲ 15:37、ケンコーイ(Kaeng Khoi Junction)分岐駅に約1時間遅れで到着しました。バンコクからは、125.10キロです。駅名板のとおり、上下両方向で計四方面の路線の接続駅です。1897年の開業で、以東ではチャオプラヤー川水系とメコン川水系を隔てる分水嶺を越えていく連続急勾配区間となっていて、補助機関車を連結する貨物列車もあるそうです。
43_セメント列車▲ この辺りは石灰石が豊富なのかセメント工場があります。バンコクに向けてのセメント専用列車が発車を待っていました。1974年ALSTHOM製の4210号機が牽引していました。
44_サラブリー駅▲ 15:48、サラブリー(SaraBuri)駅に到着。珍しく1番ホームは屋根が突き出ていて、待合室がありました。大きな駅ですが、ホームを移動するのに跨線橋がないのがタイ国鉄駅の良い所です。これならお年寄りや大きな荷物を持った観光客には、とても優しく思えました。
45_ノーンクアイ駅▲ 16:04、ノーンクアイ(Nong Kuay)駅を通過しました。こんなローカル駅ですが、ホームには花が植えられています。タイ国鉄の駅は、どこでも清掃が行き届いていて、綺麗な花が一杯ですので、心が和みます。近代化は遅れていますが、乗客の立場にたっての駅つくりができていると思いました。
46_バーンパーチー分岐駅▲ 16:11、東北本線と北本線が分岐するバーンパーチー分岐駅(Ban Phachi Junction)に到着しました。1891年1月1日の開業です。バンコクまでは、後89.35キロです。1番線ホームには、退役した1919年N.B.L.Co.Hyde.Park製のSL177号機が静態保存されていました。

先日訪れましたアユタヤまでは、約29キロです。夕刻が近づいた車窓を見ながら、乗り鉄旅を堪能しました。
47_バンスー駅▲ 終点のファランボーンまでは4駅、7.47キロありますが、道路との平面交差が多く時間がかかりますのと、地下鉄全線を乗ってみたいとの意見が一致しました。
約1時間遅れの17:44に到着したバーンスー(Bang Sue Junction)駅で降りることにしました。ウドンターニからの乗車距離は、561.37キロ、所要時間は9時間50分でした。
48_バンスー駅客車▲ バーンスー駅横に展示されていた車両です。右の客車の車体は1956年富士車輌製(大阪)と銘板が貼ってありました。インターネットで探しますと、「富士車輌会社(ふじしゃりょう、英名:FUJICARMFG.CO.,Ltd.)は、滋賀県守山市域に本拠を置くわが国の広がり什器製造業。」との記事が見つかりました。ここなのでしょうかね。なお、台車はアメリカ・MAGOR製のようです。
49_日本人街▲ 19:28、地下鉄に乗って、鉄道模型店に行ってみることになりました。シーロム駅で降りて、店に着いてみますとすでに営業時間は終わっていました。仕方がありません、久しぶりに日本料理でも食べようかと意見が一致しましたので、近くの日本人街まで歩きましたが、列車に乗っている間、一日中何かと食べて飲みまくっていましたのでお腹が空いていません。
歓楽街の真ん中でどうしようかと座っていましたが、迴に取り巻くようにいるお姉さん方からは、誰一人として声もかけてもらえず無視されました。よっぽど金のない輩と思われたのでしょうね。結局、夕食はカレーライスで済ましました。
50_スイート▲ 宿泊したのは、Y崎さんはチェックイン3回目となるバイヨークスカイホテルでした。日本人のスタッフも3名おられて、すっかり顔なじみです。そして部屋は、「お部屋は、スイートにアップグレードさせていただきました。ごゆっくりと旅のお疲れを取ってください。」と言われ、4部屋もある立派なスイートを用意してくださいました。感謝、感謝です。3日間の優雅な生活となりました。

明日は市内を走るAPLとタイ国鉄の撮影を予定しております。高層ホテルの部屋からのバンコクの夜景を見ながら、ゆっくりと就寝しました。  Part11へ続く

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