永らく工事していた山陰線の京都ー丹波口間に新設される新駅・丹波口京都西駅がいよいよ開業する。
思えば、子供のころから遊び場であった梅小路貨物駅や国鉄官舎跡に梅小路公園ができ、さらに水族館や鉄道博物館が開業すると観光客が殺到してホテルと駅ができることになった。理屈は分かるが、青信号特派員氏が時を同じくして報告してくれている北海道の鉄道と比べると個人的には北海道の住民に申し訳ない気持ちで一杯だ。
開業直前の様子をご覧頂く。
子供のころは石炭置き場と官舎、そこに貨物の引き込み線が入り交じっていたが、詳しい配置は覚えていない。梅小路貨物駅だったがそこへ平安遷都1200年を記念して京都市へ譲渡されて公園に整備された。
いつの頃からか貨物駅は西大路の方へ移転し、官舎もなくなったが鉄道少年には格好の遊び場だった。築堤に上がったり機関区へ入ったりしてもだれにも怒られたことがない。やがて七条通を走る市電も廃止され、山陰線と交差する立体交差も埋められた。
いよいよ明日が開業となった3月15日夕方、駅前の広場にはテントが張られて式典会場となっていた。
長かった喧噪と煤塵、それも終わる。かつて京都鉄道が開通したのもこの場所だった。その時もこんな華やいだ雰囲気だったのだろうか。
会場の正面には市電2000型が鎮座している。この位置には背後にある日通倉庫への引き込み線があった。いまは市電が止まっている。
梅小路京都西駅が、文字通り京都の西の玄関として末永く発展することを願っている。
米手作市様
京都人では無かった小生にとっては梅小路=機関区が頭にコビリツイテます。
数年前、鉄道博物館に行ったきりで、ご無沙汰でしたが、その後の新駅の話は気にかけていました。
しかし、『梅小路京都西』駅とは又長~い駅名ですネ。
JRで最長名かどうかは調べてませんが小生には『四条河原町新京極』以来の『ヘエ~!!』でした。(笑)
いま、新駅の偵察を兼ねて山陰線に乗って園部まで来ています。
園部城跡を見てコーヒーを飲んでいます。これから221系の快速に乗って『梅小路京都西』まで帰ります。
米手作一様
早々と新駅開業のニュースを投稿してくださいまして、ありがとうございます。小生は恥ずかしながら京都鉄道博物館には行ったことがなく、5月の大型連休明けにでも行こうかと考えております。最寄りの二条駅からJRが利用でき、梅小路は目と鼻の先で助かります。
冒頭の写真に見入ってしまいました。石炭置き場や鉄道官舎があったことは雑誌などで知っておりましたが、実際に見た記憶がありません。貨物駅は山陰線の車窓から見え、写真はないもののハッキリと覚えています。官舎の様子は昭和30年代後半のようで、空き地で遊ぶ子供たちは小生の幼い日に重なります。遠くを走る汽車はC57でしょうか? 郷愁を誘う、素晴らしい写真を見せていただき、ありがとうございます。
さて、「ここはどこ?」で悪い癖がついたのか、撮影された場所を確かめたくなりました。鉄道官舎が建っていたのは大内小学校(現梅小路小学校)の南側で、現在の「すざくゆめ広場」のようですね。石炭置き場があったのは、日通倉庫の辺りでしょうか? 築堤の向こうに見える煙突も気になります。古い地図で確認すると染工場と製薬会社の工場が見つかりましたが、製薬会社に煙突があったのかは疑問です。
紫の1863様
お待ちしておりました。
さすがのご見識に屈服いたしました。
鉄道官舎があったのは今の梅小路小学校(旧大内小学校)の南側から西へ延びていました。石炭置き場は2000型市電の辺りから西、線路までの間にあったように思います。
煙突はゲンブ石けん(第一工業)の工場です。いまはマンションになっていますが、当時の本社社屋は保存されています。夕方になると、煙突からえもいわれぬ不思議な匂いが付近に漂ったものです。
機関車はC57、見にくいですが築堤には小さなトンネルがあり、くぐると梅小路機関区です。自転車でくぐるときは少し頭を下げながら走り抜けました。ちょうど現在の鉄博入り口へのガード下と重なります。
米手作一様
ご教示有難うございます。「第一工業製薬」の名称を見て、製薬会社と短絡的に考えてしまいましたが、『ゲンブせっけん』の製造工場でしたか。子供の頃はゲンブの固形石鹸をよく見かけましたが、「モノゲン」もこの会社の製品だったとは知りませんでした。煙突に対する疑問は解消し、すっきりとしました。
山陰線の築堤をくぐるトンネルも、懐かしいですね。梅小路蒸気機関車が開館した頃、トンネルを抜けたところに切符売り場があったように思います。
紫の1863様
トンネル部分の写真をご覧下さい。
石炭置き場の様子がよく解ります。逆光は学校から帰ってくるとこの時間になるのでお許しください。
上の写真もこの写真も『ここどこ?わたダレ?』用に準備していたのですが使ってしまいました。