マシ29の輪に 入れてください

準特急さんのマシ29 2を連結した「玄海」、惚れ惚れするような編成ですね。優等列車にWルーフ、三軸台車の客車が連結されていた例は、この昭和40年代では「玄海」だけだったのではと思います。しかも前後は10系客車というのも愉快です。私も一度だけですが、マシ29 2を撮っていました。高校2年生、初めての向日町運転所(当時)に恐る恐る入って行った時で、「玄海」の仕業を終えて、妻面を見せて休んでいました。冷房を備えているスシ37・47がマシ29に改称され、二重屋根車は0番台1~4となったが、昭和40年代に生き残っていたのは、向日町運転所のマシ29 2だけだった(昭和41年4月)。

その年の暮れ、もう一度、向日町運転所へ行ったが、午後からになってしまい、「玄海」編成は整備を終えて出発線に入っていた。マシ29 2は中間で妻面も隠れてしまった。これが最後に見たマシ29 2になった(昭和41年12月)。その後「玄海」に連結される食堂車は、平屋根のマシ29110・201の2両のみとなった。P誌「思い出の客車列車」特集を見ると、この2両は、唯一、三軸車で青15号に塗り替えられた客車だそうだ。たしかに、このモノクロ写真を見ても、青色のように見える。「玄海」そのものは、43・10改正で471系化され、マシ29は全廃となる(京都、昭和43年9月)。

「玄海」の愛称、準特急さんも触れられているが、いい響きの愛称名だ。だいたい九州から来る急行列車には、「西海」とか「霧島」「平戸」「高千穂」と言った、繊細で穏やかな印象の愛称名が多いものだが、この「玄海」は、音読みのせいか、九州男児のような、元気で活き活きした印象がある。ところで、上記の号車札を見ると、食堂車は「増」とある。京都駅の写真でも「増」だ。時刻表の編成表を見ても5号車のはずだったが、マシに合わせたのかどうか、「増」号車の理由は不明だ。

 マシ29の輪に 入れてください」への4件のフィードバック

  1.  妻面を見せるマシ292、車庫でくつろぐいい写真です。「増」「マシ」も粋な計らいか遊び心だったのでしょうか。細かいところまで気の付く総本家さまならではの気付きです。
     マシ29もそうですが、当時の時刻表編成図には「専務車掌のいる車」の記号がありました。過日ホームカミングデーの会合で須田寛氏の講演があり、いただいた著書「私の鉄道人生半世紀」に急行列車車掌の見習い乗務での食堂車(スハシ38)のことが書かれていました。急行車掌業務に食堂車の営業監督が含まれていて、食堂車車掌室でステーキ定食の試食という役得があったと記載されています。専務車掌室があっても「フ」の車両標記が付かないんですね。
     「私の鉄道人生半世紀」は鉄道愛好者でなくとも、経験に基づく人生訓で、優れた示唆に富む書物です。

    • 大阪通信員さま
      コメント、ありがとうございます。妻面を見せたマシ292、窓が1箇所開いていますが、初めて山科の人間国宝さんのような客車の形式写真が撮れた喜びがありました。高校2年の時でしたが、その時の感動を今も覚えています。須田さんの著書は、私も引き込まれるようにして読みました。須田さんのアイデア、改善・改良の気づきは、現場での体験が裏付けられているんですね。

  2. 食堂車は5号車が所定のところ、何かの事情でイレギュラーに6号車と7号車の間に入ってしまい、6号車と7号車は寝台券の都合で変えるわけにいかないので「マシ」が「増」になったのでしょう。いっそのこと、順位札もカタカナで「マシ」にすれば良かったのに。

    • なるほど、急行編成でときどき不意に「増」が入る場合がありました。編成の端部が多かようですが、今回のように中間の「増」は、指定車の号車を変更したくなかった場合の窮余の一策だったのですね。

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