広島短信

今朝の中国新聞にこんな記事が載りました。

令和3年9月2日 中国新聞朝刊

十日市町交差点では結構撮っていますが、この操車塔の写り込んだコマが少ないことに気付きました。

平成24年5月12日 十日市町にて

烏丸今出川をはじめ、京都市内にも数多くありましたね。この新聞記事にもあるように、係員はさぞ大変だったでしょう。トイレはどうしていたのでしょうね。また一つ昭和の痕跡が消えてゆきます。

 

10 thoughts on “広島短信

  1. 写真を見てお上品に立っているなと思いました。よくまあ~70年近くも無事だったことがすごいなと思いました。建物のメンテナンスが行き届いていたんだと思いました。今までは大丈夫だったかもしれませんが、天の災いが厳しくなっているので解体も致し方でしょう。

  2. あの~、私も「こんなん写してました。」って…
    たまたま「写り込んでたん」を思い出しました。

    • 河昭一郎様
      早速の貴重なひとコマをありがとうございます。百万遍のようですね。百万遍には3方向に渡り線があり、普段は写真の1号系統が渡っている線だけが使われていて、その他の2方向を使う系統は無かったように思います。

  3. 一昨年函館に行った時に十字街で撮りました。ここは使用されなくなった時に、交差点の反対側に移設の上保存されたと案内板に書いていました。路面電車の操車塔はもうほとんど残ってないのではないでしょうか。貴重な歴史建造物、解体されるとは残念です。

    • 函館の十字街へは2018年に行きました、綺麗に保存されています。以前紹介したと思いますがもう一度阪堺線の阿倍野の写真を載せておきます。バックが工事中で見苦しいのですが当時の平野線です。

      • 1980年、平野線最終期には撤去済みでした。

        1972年の169号、後部扉はまだ埋められてなかったのでしょうか?
        その横、画面隅の銀行前路上に見えるのは丹頂型電話BOXですね。

    • 大津の86様
      函館にも残っていたのですね。近代化遺産として残したい建造物ですが、路上に残すと邪魔だという声が必ず上がり、かといって博物館の庭に建てると違和感がぬぐえず、結局解体されてゆくのでしょう。残そうとした函館市に拍手を送りたい気持ちです。

  4. whakairo様
    コメントありがとうございます。一瞬、河原町今出川の旧富士銀行と500型かと思いました。阪堺線には一度も行ったことがないのですが、結局路面電車の分岐点には信号所があるのが当たり前だったことを今更ながら納得している私です。

  5. 西村雅幸様
    ええ、百万遍です。
    撮影日は1961(昭和36)年9月22日です。
    記憶では、もう此の頃でも信号扱い所(鳥の巣?)は無人だったような気がします。
    京都では「鳥の巣」は何て言ったんでしょうネ?

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