二代目『伊予灘ものがたり』

2月14日、多度津駅で赤いアンパンマンのキロハ、2803の出場回送の写真を撮っている時に、多度津工場内の車両の位置がかなり変わっているとの情報を得て、工場に寄ってみました。

二代目『伊予灘ものがたり』が車庫内ですが、見える位置に停まっていたので、遠いですが記念撮影しましたので披露します。デザインコンセプトは同じ様ですが、種車が異なるので、やっぱり違いますね。

引き続き観察していきたいと思います。

2月14日  JR多度津工場(敷地外、工場出入口踏切から撮影)

二代目『伊予灘ものがたり』」への8件のフィードバック

  1. 投稿したものを見てみると暗くてよく見えませんでしたので、ちょと手を入れたものを、再度貼ってみます。これで見えるかな。くどくて失礼します。

  2. 二代目「伊予灘ものがたり」ができたと聞いていたのですが、もう運行しているのですね。初代も撮れていないのですが、二代目は撮ってみたいものです。5月に四国に行ったときには撮れるでしょうか。

    • 大津の86様
      コメントありがとうございます。
      二代目「伊予灘ものがたり」は改造の最終段階のようで、4月2日特別ツアーでデビュー、一般乗車は4月3日から、土日祝日と金曜日(5月6日を除く)が運転日とのことです。予定が合えばいいですね。

  3. 二代目『伊予灘ものがたり』、姿を現したのですね。これまでの松山~八幡浜に限らず、八幡浜以南の宇和島やそれ以外の区間にも進出しそうですね。先般、木次線の『あめつち』が肝心の出雲横田以南へ行かないことが話題となりましたが、空転による遅延事故を恐れてのことと思っています(他にも理由はあるのでしょうが)。
    185のことはよくわからないので、先輩の撮られた同じ踏切からの1枚(画角は若干南にぶれていますが)を貼付しておきます。1983(S58)年3月4日、DF50の最終検査(要検)出場の44号が、多度津駅までの試運転1往復(入試6014便、入試6015便)をする直前のシーンです。多度津工場もいろいろと変わっているようです。

  4. 四方誠様
    コメントありがとうございます。こちら(四国)の事もよくご存知で頭が下がります。
    39年前貴重なお写真を見せていただき、どうもありがとうございます。私こあたりをうろうろするのは、この2、3年のことで、とても興味深く拝見させていただきました。
    DF50後方のブロック塀が撤去されて、現在の塀が出来た時、敷地が狭くなったのでしょうか。架線柱を立てる時、線路も減ったみたいですね。奥の方にDE10も思った以上にいたのですね。
    多度津工場は改修工事で建物の解体も始まっており、配線も変えるのでしょうか、線路も一部撤去されています。
    多度津駅下り方の、お手軽撮影地だった跨線橋も2月2日の深夜に撤去完了しています。
    四方さんが撮られたあたりから、ほぼ同じ方向を眺めた昨日の写真を添付します。待機中のDF50の場所に今線路はありません。

  5. 駅下り方の跨線橋は、お世話になりました。時計の支柱、信号機柱、電化後は架線柱も兼ねていましたので、撤去には時間がかかりましたね(4年もかかるとは思いませんでしたが)。
    跨線橋そのものが写った写真は、こんなのしかありませんでした(1981年2月27日撮影)。列車は翌月10日に用途廃止となる19号牽引の126レです。今頃写真を見て気付きましたが、ゲルバー橋だったのですね。

    • 四方誠様
      またまた懐かしい写真を見せていただきどうもありがとうございます。DF50は18,19,20と連番でいたような記憶があります。ゲルバー橋とか言葉も知らず、同じ大学の同じ学部の者として、とても恥ずかしく思っております。降参。

  6. 4月から運転開始のため、まだしばらく大丈夫と踏んでいたのですが、昨日工場にて報道公開され、なんと昨夜松山に向けて出場してしまいました。気が付くのが遅く、記録を残せず。
    そりゃあ、アテンダントさんの研修なんかもありますわなー。

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