奈良電クハボ601など

先日のDRFC総会時、小生投稿#12892(2011.4.7)の奈良電気鉄道クハボ601撮影日(1952年12月14日)は確かか、とのお尋ねを受けた。改造前の姿なので、番号ごとの改造時期を知るためだそうである。ネガは古いのが幸いし、フジでもビネガー・シンドローム発生のかなり前の製品だから、事なきを得ている。この日は山科-草津線-関西線-奈良線という、学割での一周で、撮影日に間違いないと確言しておく。

で、事のついでに当日のネガをスキャンする気になり、またまた諸兄のご高覧を強要する羽目に。各コマ全て、すさまじい傷やらスクラッチだが、これは当時写真屋で売っていた、35mm極安パトローネ入りフイルムだからである。太秦の映画会社のカメラマンが、撮影中中途半端に残ったフイルム(残尺という)をくすね、ボスカメラマンの管理下新米の助手が写真屋に売りに行き、酒盛りの原資とする。写真屋では、何度使いまわしたかも知れぬ古パトローネに詰め、小生のような、カネのない手合いが買って、ヒトコマずつ大事に撮影する、という連鎖である。

かなりはデジタル修正したが、遂に根が尽きた。一部は修正が至らないままの見苦しい写真だが、58年以上前の、まだ敗戦後の混乱を若干は引き摺っていた時代として、ご寛容ありたい。なお当時純正の富士35mmパトローネ入り(日中装填と称した)は340円で、FPとSPとの2種類があり、感度は32と64。コダックXXだと500円以上した。10円で国鉄が8kmまで乗れた時代―現在なら8kmは190円である。この非純正フイルムは150円だったかと記憶するが、高校生には大変な出費である。現像代はブローニーが30円、35mmが50円で、自分で現像しだしたのも、少しでも安く上げるためであった。


草津線列車C51100 何やら25%方「お召し」仕様の様な そうでないような

フイルム自体は当然未使用だが、それを詰めたパトローネのテレンプが何回もの使用で劣化し、遮光にやっと耐えていたのと、詰めたのも写真屋の新米丁稚である。なお映画用のフイルムはパーフォレーションの形状が、我々が使うスチル写真用と若干違うことは遥か後年に知った。


関西線でのスロハ

伊賀上野での近鉄伊賀線 旧信貴山急行電鉄の電動車+吉野鉄道の制御車

オハ70 奈良

入換中の6847 型式6760

この日の撮影は草津線のC51100に始まり、伊賀上野で近鉄伊賀線の旧信貴山急行の電車、奈良では型式6760や、狭い窓ガラスがさらに左右に二分され、敗戦後の雰囲気をたっぷり残しているオハ70を。また近鉄奈良線と関西線との立体交差地点で、先般ご覧頂いた奈良電クハボ601やら、近鉄奈良線電車を。保線用無蓋電車の左に学生帽をかぶった高校生が写っているが、彼が一緒に東京まで行ったのに、上野駅で意気阻喪して帰ってしまった、上京中学時代の親友H君で、彼は鴨沂高校、小生は朱雀高校であった。佐竹先輩と小生に久しぶりに会うため、一度サカタニでの写真展打ち上げに顔を出してくれたことがある。


保線用の無蓋電動車951 保線に当るのもすべて正社員ばかり

近鉄奈良線631

これも懐かしい奈良電気鉄道1001

片町線のキハ41500形式

すべての写真の天部が詰まっており、パンタが切れたりしているのは、先回記したように、なまじファインダーにパララックス矯正装置があり、接写でそれを使った後、100%戻し忘れるためである。

奈良電クハボ601など」への2件のフィードバック

  1. 奈良電については比較的早い時期に京大鉄研の創世紀のお二人によって紹介されている。今は元祖特派員様の懐に納まったピク誌38か40号で紹介された。
    記憶によれば600型は大型で収容力があるので、1100型とコンビを組んで奈良行き急行で運用されていることが多かった。1時間毎の運転で所要時分は45分程度、MTc・2編成で十分であった。先に600型の車体補強に言及したが、この時に扉間7転換と2固定クロスになった。同時に1100型1101、1102も扉間3転換2固定クロスとなった。ただし601号はロングシートのままで、1000型2両に挟まれた姿を見たこともある。
    DRFC現役時代に新田辺車庫で改造のくだりを聞いたことがあるが、その手帳は見当たらず、詳細不明の件、申し訳ない。

  2. 奈良電はよくわかりませんが、C51100は綺麗ですね。私達の時代は梅小路のパイプ煙突のC51が最後で、もう少し目覚めの早かった人間がかろうじて亀山の化粧煙突C51225 を見たか撮ったかというところです。それにしても先日梅小路の扇形庫で先輩に対して「あのような時代にカメラを持って撮り歩くことができた人はブルジョですね」と話したところ、「ブルジョアやったらステホなんかせーへんで」と言われたことを思い出しました。フィルムの話では苦労されたことがよくわかりますが、やはりカメラを持っていること自体ブルジョアだったと思います。フィルムが劣悪であってもいつも技術力と根気でよき時代の写真を再現していただき有り難うございます。

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