今回の総会は雨にも負けず大盛況であった。新会長からは「学生時代の友人で今でも付き合いのあるのは1~2名だが、同好会のOBは別で、このような気の置けない仲間との交流は今後も続けていきたい」と、この様な趣旨のご挨拶があった。全く同感である。鉄道趣味は一人でもやっていけるし、また、そのようにやっている人も沢山おられると思うが、DRFC-OB会クローバー会に入って活動する方がより楽しいし、老後の人生に大変有意義であると感じているのは私だけではないと思う。今回は神奈川、千葉、静岡、愛知、富山、広島と遠方各地からも大勢参加され親しく歓談させていただいた。改めて当会の層の厚さを感じた次第である。東京から京都での会合は新幹線利用の日帰りで十分可能であるが、いつも日帰りでは勿体無く感じ、今回もその前後は好きな撮り鉄を楽しんだので報告させていただく。
総会前日は乙訓一派のK、F両氏と紀勢線からやってきた振り子電車の姿を求めて山陰線、福知山線を訪問した。昭和47年に廃線となった篠山線の線路跡を探しながら、篠山口到着の頃には豪雨となってしまった。幸いなことにK氏が車から撮影できるように気をつかってくれぐうたら撮影ができた。しかし、一向に雨の止む気配がないのでお孫さんの相手で多忙な乙訓の老人様をお呼びして中国料理による情報交換会を行った。私も当時の乙訓郡神足に凡そ2年住んでいたので準一派として参加させてもらった。
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総会当日は役員さんの粋なはからいで阪急6300系の「京とれいん」に乗車。嵯峨野のジオラマ見学(一部はトロッコ列車乗車)、梅小路蒸気機関車館見学を行った。梅小路は卒業以来始めての訪問である。当日の運転はハンサムボーイのC612で45年前の見にくい写真であるが併せてのせたみた。この日も終日雨で特に嵐山の渡月橋、丹波口駅→蒸気機関車館→京都タワーはまるで雨中の行軍であった。
総会終了時に若くて活動的なN・Nコンビから「明日中山寺7時に来いへんか」と声がかかる。えらい早い時間に何すんのやと躊躇したが、呼ばれるうちが華やなと思い行くことにした。目的はどうやら振り子電車の記録のようだ。総会翌日は雨こそ止んだが曇天で時折太陽が顔を出す程度。太陽がのぞいた時の183系を披露する。いずれにしても天気は今一であったが、楽しい総会および撮り鉄であった。皆さん御世話になり有り難うございました。報告が遅くなりお詫び申し上げます。
追伸:またも振り子電車と1965.9.3撮影の一ノ関~有壁のC612の144レの説明のところがうまくいかず見苦しくてこれまたお詫び致します。
準特急さん、御苦労さまでした。震災にどうしたものかと、少しナイーブな気持ちになりましたが、両副会長の決意表明で「よし、やるぞ?」の気持ちになりばした。関東支部設置は犬山総会の時から考えていました。ロギング太郎さんが関東連絡網を作ってくれたからです。そして飯田橋近くの地下の居酒屋、町屋の居酒屋での昼食会、つくばエクスプレスの流山おおたかの森のファミレス、今年は蒲田の中華屋で生中2杯?に付きあってくれましたね。こうした関東のクラブメイトとのつながりは、大鐡新金谷駅前の吉川屋旅館で高田さん、総本家特派員氏と貴兄ともう一人、老人が鉄道趣味に復活した時以来の趣友・牧野さんの5人で宿泊して以来のものです。貴兄がおっしゃる通り、趣味で肝胆相照らすようになれば一生涯の友達になれます。
いま老人に求められているのは、お若い方々とのお付き合いです。老人を見捨てることなく付き合って下さい。関東支部長さん、たのんまっせ!
何をおっしゃいますやら老人様。関東支部長でなく単なる連絡係です。私も四捨五入すると70でして、誕生日は日本の敗戦の前、ドイツが降伏した日です。従いまして私も紛れもなく老人ですのでお若い方から声がかかったら近場ならどこへでも行こうと思っております。因みに正月明けに千葉県にお住まいのN君の案内で成田線のEF65を撮影して大変よかったので再訪を約束しましたが、地震の影響で鹿島線がアウト。それならと今度は中央線の115系スカ色を私が案内することになりました。いずれにしても若い人の方が、知識、情報があり、いつも参考にさせてもらっている様な状況です。私は皆さんの様に酒が飲めませんし知識もありませんが、鉄道に関するあの話、この話をするのが好きでして同じ話を何度も聞かせて迷惑をお掛けした方も多いのではないかといつも後で反省しております。