軌道線デハ3の室内 座席奥行はもたれとも304.8mm その間隔は座席の約倍
仕掛け人の米手作市氏から、軌道線デハ5の「側面に竹梯子」とは何ぞやとのご質問が出た。写真が見つからないが、木製車体のデハ5は現役を外れて架線修理車になっており、その際使用する竹梯子を側面窓下に釣って―引っ掛けていたのである。
某氏から、写真はもっとある筈。出し惜しみするなとの警告?メールも。はいはい、出しますとも。ただ例のネオパンSSヴィネガー・シンドロームでネガは散々で見る気もしないが、幸いプリントしてアルバムに貼り付けていたので、ピント精度は当然落ちるが、それからのスキャンでご覧頂くことにする。なお前回軌道線半鋼ボギー車を、木製デハ4、5とほぼ同じと記したが、木製ボギー車は窓が2個×5、半鋼ボギー車は吹き寄せなしの10個等間隔である。
1926年雨宮製24人乗りサハ2 扉が2枚引戸に改造され開口部がやや拡げられている
サハ3 車体はサハ2とほぼ同じだが妻面が電動車と同じでボギー化改造されている
両側に民家がつらなり拡幅不能の西公園石神間 道路幅は2間半=15尺=4.55mだろう
先回は終点近くの狭い箇所をご覧いただいたが、今回は起点に近い狭隘箇所を。写真で見るとそれほどとも思えないかもしれないが、軌間が762mmだから、それを物差しとすれば、恐らくこれは当時としても「広くない」基準である「2間半」と思われる。なお機械関連では早くからフィート・インチ法を使ったが、土木関係では長らく尺・間・町・里が幅を利かし、川幅や橋梁長にも間(=6尺)が使われた。フィート・インチとの混同も多く、2フィート6インチを「2尺5寸」とする公文書などに事欠かない。
この区間は先回の鉛-西鉛間よりはマシだが それでも「なるべく」軌道内に車馬が入ってほしくない気持ちがありあり。それでもバスやトラックには、この道しかない。電車が来れば離合は「かなり」難しい。
離合設備があり駅員もいる石神 乗降用に木箱がおいてある 右は岡持を下げた出前のおばさん
デハ4とデハ1 狭幅車+広幅サハ同士の離合 やってくるデハ1(右)牽引の半鋼サハから「前の景色が見える」のが納得されよう
本来「路面と同一」であるべきレール面はこんな状態(まだいい方)
路面は不陸(ふりく=土木用語で平らならざる状態)続きで、雨上がりだから水溜りだらけ。車が通る度にその泥水を浴びる周囲の家も泥だらけ。この箇所はそれでも若干拡幅されており、何とか電車とバスと離合できるが、バス同士だと片方は軌道内に踏み入らざるを得ない。だから線路班が土を均しているのだが、さしたる効果があるとも思えない。