THE GREAT LITTLE TRAINS of WALES その5
小生にしては珍しく約1か月の間隔があいてしまった。やれ嬉しや、この「どこまで続くぬかるみぞ」シリーズもやっと消え失せたか、とはかない喜びを感じた手合いがもし居れば、そ奴に呪いあれッ!
次に訪ねた VALE OF RHEIDOL RAILWAY は旧スレート運搬の産業鉄道ではなく、純粋の観光鉄道で、1902年12月22日開業。軌間1フィート11 1/2インチ(597mm)で、ウエールズ西岸 Cardigan Bay に面するリゾートタウン Aberystwyth の英国鉄道駅から Devils Bridge (滝があるそうな)まで、11 3/4マイル(約19km)の間に600フィート(約180m)程を、Afon Rheidol なる川に沿って上る。180mなんて丘もいいとこだが、そこはそれ、ほとんど山らしい山がない英国・ウエールズのことだから、山といってもいいのか。かつての「ウェールズの山」なる、心温まる映画をご記憶だろうか。
この鉄道はその後 Great Western 鉄道に属したが、その後国鉄に統合され、ご多分に洩れず1988年11月5日一旦停止した運行を、新組織で続けている。いきなり見た機関車はPRINS of WALES なる銘板を付けた3号機で、当線オリジナルの2号、GWR時代は1213号、国鉄時代に9に改番。1902年 Daves & Metcalfe 製1C1タンク。ため色というのか、海老茶色というべきか、実に美しく、かつ軌間からは信じられないほどでっかいアウトサイドフレーム機関車で、サイドタンクが大きく煙室の前まで伸び、さらにその前にエアコンプレッサーがどかんと立っている。連結器はドロップフック。キャブの少し前から幅が広がっているのは何でか。
機関車はこのように素晴らしいのだが、客車はいささか、機関車にマッチしているとは云いかねる。運行は1999年の場合4月2日から10月28日まで、月、金曜日には運休する日があり、大方は Aberystwyth 11時、14時30分発、Devils Bridge 発13時、16時30分の2往復だが、6~9月には4往復する日が計32日ある。運賃は往復で大人10.5ポンドと高いが、小人は大人1人につき2人まで各1ポンド、これを超えると1人5.25ポンド、犬1匹1ポンドとある。一等車は片道1ポンドプラス。他に交通機関はないと見え、運賃は往復のみの設定であった。
上ってくる列車を撮るべく場所を探したが、何分線路両側とも森が深く、おまけに著しく狭く、カーブもきつく、見通しは全くきかない。パンフレットにもあまり展望の開けた写真は無いようで、土地不案内者にはどうしょうもない。走行中の機関車は8号で、これはGWR時代の1923年増備、やはり1C1でGRW Swindon 工場製。名前は「LLYWELYN」 だが、例によってウエールズ語だから何と発音するのか。スリヴェリン?
我々は滝には興味がなく、途中山をやや外れたあたりでの「走り」を撮ろうと、不案内の猛烈に狭い道を山勘で走っていたらタイヤがパンクした。万一に備え軍手まで持ってきてはいたが、弱ったのは道が狭く、もし対向車なり追い越し車がきたらどうにもならない。仕方なく農家の矢張り狭い駐車場を無断で一時占有させて貰い、タイヤを替えた。レンタカーでかなり各地を走ったが、パンクは唯一の経験だった。このお陰で「走り」は諦めざるを得なかった。
Aberystwyth まで下りて来て、British Rail の駅でディーゼルカーを撮ったが、駅近辺に何と何と、単気筒の内燃機関車が半分朽ち、赤錆姿で鎮座しているではないか。ラストン1915年製で、製番50823、煙突まわりは新しい同社DLも同じ雰囲気である。通りかかった鉄道従業員と思しきオッサンは、親切に「こいつはペトロル(ガソリン)で始動、温まったらパラフィン(灯油=米語ならケロシン)い切り替えた」と教えてくれた。そんならフォードソンと同じである。
しかし1915(大正4)年で単気筒とは。我国では実に1904(明治37)年、大阪難波で福岡駒吉が焼玉ではあるが5馬力の単気筒石油発動機関車を生み出し、翌年以降北九州の軌道に約80台を馬車軌道の馬に替わる「日本版アイアンホース」として供給しているから、これは世界的にも誇ってよい。
その隣には1930年製のディーゼル機関車がいた。また現役の10なる短く小さい入換用DLがいた。
いつもながらオモローな鉄道をご紹介戴き、さぶいぼの出る思いでしげしげと見させていただいております。
PRINS of WALESの3号機ですが、全長が長い割りにコールバンカーが見当たりません。さては石油を燃料としているのか、そうするとキャブの両サイドの出っ張っているのは燃料タンクかな?サイドタンクが随分長いのは給水設備が終点にないのだろうか?CPが露出している割に冷却管やエアタンクがどこに隠れているのだろうかなどと思いながら。
このような立派なSLがあるのに、錆びた2両の内燃機関車は何でしょう。石油発動機はひょっとしてこの鉄道の建設用に用いられたトロッコ用の機関車かなとも思いましたが、1902年の開業とあってはその時にこのような機関車があったわけもないですよねぇ。大きなフライホイールがいかにも単気筒です!という感じでとても面白いです。
10号機は入換用として使われているのでしょうか、わざわざC型にしているのは本線走行を目的として作られたからでしょうか、それとも他所から連れてこられたのでしょうか。
見ていると疑問が湧いてきます。次の記事はさぶいぼが治まってからにしてください。