クローバー会員の皆様 残暑お見舞い申し上げます。
ところでこの炎天下の中、さる7月26日に天理参考館で行っている「鉄道絵葉書の世界」を見てきました。天理までのルートは私のところからですと、信貴山下駅から王寺で田原本線に乗り換えて西田原本まで行き、橿原線、天理線で行くのが運賃も安く、時間が早く行けます。田原本線の電車に乗って景色を眺めていると、これが大阪市内から1時間もかからない所かといつも思ってしまいます。しかし、西田原本駅から橿原線田原本駅の乗り換えは便利になっていました。今までは橿原線の踏切を渡らないと田原本駅の改札口に行けなかったのですが西田原本駅と田原本駅の間がロータリーになっていて踏み切りを渡らずに改札口に行くことが出来ます。
平端駅で天理線の電車に乗って発車を待っていると子供を引率した団体が乗ってきました。子供はどうも幼稚園児のようで、よく観察してみると東京から来たようで、しかも親は付き添っていないようです。あとでわかったのですが、夏休み恒例の「こどもおぢばがえり」に参加するために天理に来たようです。天理駅に降りると、まもなく貸切列車が出発していきました。乙訓の老人が言われていた客車が駅の南側の公園に保存されていました。写真は帰りに撮ることにして天理参考館に急ぎました。天理参考館に行く商店街は全国から来た天理教の信者さんでにぎわっていました。
天理参考館は天理教を外国で布教するためにはその土地の人々の考えや生活文化を理解することが必要と考えて民族資料などの収集を行い、その収蔵品を展示したものです。じっくり見るとなかなか面白いものです。そして、今回の目的である「鉄道絵葉書の世界」を見ました。そして、私の一番お気に入りの絵葉書は「伊予三津街道より汽車進行遠望」で、三津街道を大八車で米俵を運んでいて、左側に軽便列車が走っているのが写っているものです。
そして、展覧会開催記念の絵葉書として4枚販売をしていました。その中で昭和14年の信貴生駒電鉄信貴山下駅に停車している51形電車の写真がありました。(写真の中で右下にあるものです。)この写真によると電車はポール集電で連結器はねじ式連結器であったことがわかります。当然ですがバッファーが付いています。ちょっと気になるので調べて見ますと、元は北大阪電気鉄道1形電車で大正15年8月に3両を譲り受けたもので、同じ車両が愛宕山鉄道に譲渡されたようです。この電車についてはもう少し調べてみたいと思っています。そして、天理軽便鉄道法隆寺線の単端式ガソリンカーがあります。これの形式が「キド1」と書かれています。安堵町歴史民俗資料館の展示では「大軌1」、また私の持っている「日本の内燃車両」では「カ1形」となっています。このへんはどうも?です。あまり、硬いことは考えずにしましょう。ところで安堵町歴史民俗資料館では来年の2013年2月11日の午後1時30分より「天理軽便鉄道 鉄道模型運転会」が開催されるようです。とりあえず、ご案内まで。
せっかくなので、平端駅から法隆寺駅までは天理軽便鉄道法隆寺線のルートで帰ることにしました。新聞で安堵町から平端駅へのバスを走らせてほしいという要望があったので安堵町コミュニティーバスが走っているのを知ったので、これに乗ることにしました。安堵町のホームページで調べると法隆寺駅までは行きませんが奈良交通のバスに乗継ができるようです。今回は法隆寺駅に近いところで降りて、廃線跡を歩いて法隆寺駅に行くことにしました。
天理駅で隣の公園にある客車の写真を撮り、平端駅ではバスの待ち時間で天理線の電車と天理軽便鉄道法隆寺線代行バス?の乗車風景の写真を撮りました。
バスはエヌシーバス(奈良交通の子会社)が運行しています。乗ったバスは中通りルートでほぼ軽便線跡に沿って走っています。しかし、道幅は狭く、すれ違うことの出来る広いところで時々待ちながら走って行きます。笠目という停留所で降りて、そこから廃線跡を歩いて法隆寺駅に向かいました。運賃は200円でした。安堵町役場で奈良交通バスに乗り継ぐと50円の割引があります。ただし、乗継券をもらわないと割引は出来ないようです。
廃線跡を歩くのは二度目ですが、一部分は私有地であるため、今回はう回しなければなりませんでした。今年の5月に撮った写真にある茂みの部分からがその私有地で、今回は茂みがなかったので少し印象が変わっていました。この廃線跡の道は近くの高校生の法隆寺駅への近道となっているようです。
そして、今回のおまけとして法隆寺駅で撮ったボンネットバスと奈良交通新宮線のバスの写真を。
ボンネットバスの方は結崎行です。法隆寺駅からは平端行と結崎行があったようです。平端行のボンネットバスは一度乗ったことがあります。
また、一般道路を走る日本一の長距離路線バスは、かつてはさらに「奈良大仏前」から「新宮」の間を走っていました。わざわざ近鉄奈良駅から奈良大仏前の停留所まで歩いていって乗り、新宮まで乗りました。そして、写真は上下のバスが並んだところです。(撮影は1973年3月頃)たぶん、奈良大仏前を7時30分ごろに発車して新宮には15時30分ごろに着いたと思います。この頃の時刻表を持っておられる方は調べてみてください。新宮からは急行きのくにで天王寺に帰ったと思います。時々このバスのことをテレビで放映されていますが、道は以前よりよくなりましたがまだところどころ難所があるようです。家族旅行で走ったことがありますが、スリル満点でした。以前、勤めていた会社で部署ごとの社内旅行で十津川村に旅行を計画した部署があって、その部署の人に聞くと観光バスは奈良交通のバスでないと行けないと旅行社の人に言われたそうです。もし、五新線が開通していたらどのような感じでしょうか。
奈良をめぐる鉄道にはまだまだ面白いことがありそうです。
大軌法隆寺線の単端式ガソリンカーの記号番号はキド1、2です。キドとは「気動車」ではなく、日車の商品名である「軌道自動車」の頭2字からとっています。戦時中中勢鉄道が廃止し、そのカ4が法隆寺線にやってきましたが、これは3、4を飛ばしてキド5になりました。キド5は三重交通に転じ、三重の書類では前番がキス5となっていて、スとは代燃の木炭(スミ)かと随分悩んだものですが、キドが正しいと判明しています。
湯口先輩 コメントありがとうございます。そして、いつも正しい事を教えていただいてありがとうございます。もう一度確認すると購入した絵葉書は「キド2」で投稿した記述は間違っていました。どうもすみませんでした。キドは気動車からと思っていました。「軌道自動車」を商品名としたのは形が自動車の形をしていたからでしょうか。想像してみると面白いと思いました。
天理駅に団臨の5200系の姿が見えます。
法隆寺駅前の結崎駅行ボンネットパスや新宮特急も懐かしいですね。
昭和52年8月15日、法隆寺駅バス停の発車時刻のメモがありました。
法隆寺駅発安堵村役場経由平端駅行(平端駅まで130円)
6:50 7:10 8:10 9:15 11:15 13:15 15:15 16:16 17:15 18:05 19:05
法隆寺駅結崎駅行
10:00 12:00 14:00
平端駅発法隆寺駅行
6:50 7:40 8:40 9:40 11:40 13:40 15:40 16:40 17:40 18:40 19:32
平端駅発高田駅行(高田駅まで290円)
11:50 15:50
高田駅発平端駅行( )は箸尾駅止
(9:20) 10:50 11:50
十津川村、熊野本宮経由新宮特急は、昭和48年10月号の時刻表では次の通りです。
奈良大仏前7時30分→新宮駅14時5分(特急)
奈良大仏前12時00分→新宮駅18時37分(特急)
新宮駅6時32分→奈良大仏前12時59分(特急)
新宮駅9時40分→奈良大仏前16時03分(特急)
近鉄奈良駅発大和上市駅北山峡経由新宮駅行が2往復ありました。
近鉄奈良駅8時44分→新宮駅15時15分(特急)
近鉄奈良駅12時44分→新宮駅8時55分(特急)
新宮駅8時10分→近鉄奈良駅14時37分(特急)
新宮駅12時10分→近鉄奈良駅18時37分(特急)
上記の他、奈良大仏前~十津川村~湯の峰温泉~川湯温泉間の急行バスが2往復あり、昭和52年10月、奈良大仏前9時30分発川湯温泉行に湯の峰温泉まで乗車したことがあります。天辻峠の九十九折のカーブで気分が悪くなったこと、上野地の20分停車の間に吊り橋を往復したこと等が懐かしく思い出されます。
新宮特急のバスについては別の機会に触れてみたいと思っています。
新宮特急バスの時間などを教えていただいてありがとうございます。覚えていた15時30分という新宮での時間はひょっとしたら大阪へ帰るときの列車の発車時間かもしれません。新宮より北の方向にある大阪へ帰るのに南へ向かって走る列車に乗っているのは不思議な感じでした。串本からは北に向かうので少しは安心しますが。これとよく似た感じは北勢線上笠田に行って桑名から近鉄で急行を乗り継いで大阪へ帰るとき宇治山田行に乗っていると大阪に帰る感じがせんなと一緒に行った仲間といていたことを思い出します。その上笠田駅も今はなくなったようです。秋に一度行ってみたいと思っています。