秩父鉄道「2009年わくわく鉄道フェスタ」Ⅰ

5月16日(土曜日)秩父鉄道広瀬川原車両基地で「2009年わくわく鉄道フェスタ」が開催された。今年で5回目を迎え、沿線の恒例行事として定着した感があり、入場者数は5739名(主催者発表)と過去最高であった。また、開催日の2週間程前から旧国鉄色のデハ1000形4編成に開催案内のヘッドマークが取り付けられていた。昨年の主役は、元国鉄カラーに塗り替えられたデハ1000形(元国鉄101系)であったが、今年は3月26日より運転を開始した元東急8500形のデハ7000形であった。一般の乗客にとっては、旧国鉄色に塗り替えられていても陳腐化した101系よりも、見た目新しいステンレス車の方が好評に違いない。会場となる広瀬川原車両基地は「ひろせ野鳥の森駅」から徒歩15分程であるが、来場者のために会場まで直通する臨時電車が熊谷から2本(帰りは羽生まで)、寄居から1本(帰りは影森まで)運転され、熊谷発の1本と寄居発にデハ7000形が充当され、もう1本の熊谷発(実際は羽生発熊谷止を車両基地まで途中ノンストップで延長運転)には、関西線色のデハ1009の編成が使用された。

 

会場には、機関庫の前に末尾3のデキ103、303、503の3両が並べられ、今年は下り側のパンタが上げられ、各種のヘッドマークが適時取り替えられながら展示されていた。少し離れたところにC58363が展示され、こちらも適時ヘッドマークが取り替えられ、親子連れ、孫連れの人が盛んに記念撮影をしていた。デキ101と201は架線のないところに停められ、101は車掌体験、201は運転台見学に使用、元松尾鉱業鉄道のデキ107はターンテーブル上に停められ、回転実演に使用されていた。以下、展示車両について簡単に解説する。

 デキ101

デキ100形は101、102~106、107・108の3グループに分類され、EF15を小型化したようなスタイルである。101は昭和26年11月、日立製作所で戦前製の電機からの追番でデキ8として誕生、昭和28年101に改番した。102以降の機関車より出力が小さいため、一般貨物、構内入換、C58の後補記機等に使用されたが、平成8年頃から休車状態になり、平成18年3月31日付で廃車となった。その後も広瀬川原車両基地に保管され「わくわくフェスタ」には毎年展示されている。

 

デキ103

デキ102・103は昭和29年、104~106は昭和31年に日立製作所で作られた。101に比べ、車長が少し延びて12.6mとなり、主電動機の出力強化により1000tの牽引が可能となった。デキ106は昨年2月、影森駅構内での脱線転覆事故により廃車された。

 

デキ107

デキ107・108は昭和26年、日立製作所で元松尾鉱業鉄道のデキ501・502として誕生、昭和47年10月11日、同鉄道廃止に伴い秩父鉄道に譲渡されたもので、主電動機を始め各部の仕様が102~106と同じであったため、追番の107・108に付番された。外観上は窓上の庇により区別ができる。

 

デキ201

昭和38年、日立製作所で201~203の3両作られ、台車はL型軸梁式の特異な形をしたものを履いている。202と203は平成12年6月30日付で廃車となり、三岐鉄道に譲渡された。残った201は、C58363の引くパレオエクスプレスの熊谷駅~広瀬川原車両基地間の回送列車牽引が主な仕事となった。5月23日(土曜日)C58が不調時に、単機でパレオエクスプレスを牽引して三峰口まで往復したが、自由席500円、指定席700円のSL料金を全額乗客に払い戻した。余談であるが急行電車にロングシート車が充当されても急行料金(200円)の払い戻しはない。

 

デキ303

昭和42年、日立製作所で301~303の3両が作られ、台車は標準的なものになった。車体はデキ200形とほぼ同形であるが庇がなくなった。

 

デキ503

デキ500形は昭和48年から55年にかけて日立製作所で4回に分けて7両作られた。501・502が昭和48年に、503、504が昭和54年に、505が昭和55年3月、506、507が同年9月に作られた。ラストの507のみ太平洋セメントの私有機となっている。

 

C58363

C58と言えば我々の世代が現役の頃は、北海道から九州、四国まで全国各地に配置され、やや規模が大きいローカル線を中心に活躍していた。それ故、当時人気は今一つで「なんやC58か」等と今から思うと「バチ当たり」なことを言っていた御仁も多く、関西地区では奈良線、草津線、関西線、信楽線、宮津線、小浜線、姫新線等各地で見ることができた。今振り返ると人気が無かった理由は、あまりにも存在が身近過ぎたためではなかろうか。DE10の出現によりアッと言う間に置き換えられてしまい、北見機関区からはるばる梅小路に輿入れし、動態保存されていた筈のトップナンバーも何時の間にか「飾り物」になってしまった。そういう意味でも、秩父鉄道で冬期を除きほぼ通年運行されていることは誠に意義深いことである。

C58363は、戦時中の昭和19年2月川崎車輛で作られ、最初の配置は釜石機関区で山田線で使用、その後昭和22年9月には仙台機関区で仙山線、以降石巻線、陸羽東線、磐越西線、陸羽西線と一貫して東北地方で使用され、昭和47年10月新庄機関区で廃車後、昭和48年5月から埼玉県吹上小学校で保存されていた。平成元年3月、熊谷市で開催された「さいたま博」の時に協賛事業として、秩父鉄道で蒸気機関車を運転することになり当機が復活した。復活当初の所有者は「埼玉県北部観光振興財団」であったが、財団解散により秩父市に、現在は秩父鉄道の所有となっている。

 

 

 

 21.5.6  三峰口

 

 21.5.6  波久礼~樋口

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