教えて!なんでも探偵団(その2) 投稿日時: 2009年10月22日 投稿者: 米手作市 古い写真を整理していたらこんなモンが出てきよりました。 これはなんでっしゃろ?撮ったのは昭和も華やかなりし頃、そうや37、8年の初秋やったと思います。どなたかご存じでしたら教えてやっとくれやす。 DD911 福知山機関区の所属になっていた。 京都駅山陰線ホーム機回し線 この記事を共有:TwitterFacebook印刷 関連 関連記事: 教えて!なんでも探偵団(その2) 教えて!なんでも探偵団
DD911、懐かしいですね。私も京阪沿線の高校に通学していた頃何度か撮影したことがあります。 昭和37年新三菱重工で製作された機関車でB-1-Bという軸配置も珍しいですが、ライセンス生産のため、エンジンはドイツから輸入されたマイバッハ社製の1820PS、動力伝達方式は液体式で、トルコンはドイツのメキドロ社製、その他の部品もドイツの製品が多く使用されておりました。当時、DD51は試作車がやっと完成したばかりで、本線用のディーゼル機関車は1000PS級のDF50が主力で、中央東線のような勾配区間では力不足のため重連で使用されておりました。 DD911は同年6月から昭和40年3月まで国鉄が借入れて、福知山機関区に配置され山陰本線の京都~福知山間と福知山線で試験的に使用されました。性能が安定しており、重量が約70tと軽かったため、亜幹線用として量産されることになり、完成したのがDD54でした。但し、当時の国鉄がライセンス生産に難色を示したため、エンジンとトル混以外は国産品を使用し、昭和41年に先行試作車3両、43年から46年までの間に量産車37両、計40両が製作され、福知山区と米子区に配置され、特急「出雲」やお召列車の牽引にも使用されました。昭和47年頃から故障が多発し、昭和53年までに全機廃車となりましたが、僅か5年しか使用していない車両もあり国会でも取り沙汰されました。 DD911に話を戻しますと、塗装はクリームがかった白とピンクかがった赤という当時としては派手な塗装で、運用は830レ(福知山4時44分→京都7時17分)→811レ(京都9時38分→福知山11時54分→門司5時11分)の京都~福知山間、→福知山線734レ(福知山12時24分→大阪16時2分)→731レ(大阪17時5分→福知山20時40分)であったと思います。 私は811レで撮影したことが多かったですが、米手作市様は機関車の向きと光線状態から、830レを撮影されたのではないかと思います。 古い記憶を頼りに書きましたので、記憶違いがあるかも知れませんが、こんなもんかと思います。 返信 ↓
DD911、懐かしいですね。私も京阪沿線の高校に通学していた頃何度か撮影したことがあります。
昭和37年新三菱重工で製作された機関車でB-1-Bという軸配置も珍しいですが、ライセンス生産のため、エンジンはドイツから輸入されたマイバッハ社製の1820PS、動力伝達方式は液体式で、トルコンはドイツのメキドロ社製、その他の部品もドイツの製品が多く使用されておりました。当時、DD51は試作車がやっと完成したばかりで、本線用のディーゼル機関車は1000PS級のDF50が主力で、中央東線のような勾配区間では力不足のため重連で使用されておりました。
DD911は同年6月から昭和40年3月まで国鉄が借入れて、福知山機関区に配置され山陰本線の京都~福知山間と福知山線で試験的に使用されました。性能が安定しており、重量が約70tと軽かったため、亜幹線用として量産されることになり、完成したのがDD54でした。但し、当時の国鉄がライセンス生産に難色を示したため、エンジンとトル混以外は国産品を使用し、昭和41年に先行試作車3両、43年から46年までの間に量産車37両、計40両が製作され、福知山区と米子区に配置され、特急「出雲」やお召列車の牽引にも使用されました。昭和47年頃から故障が多発し、昭和53年までに全機廃車となりましたが、僅か5年しか使用していない車両もあり国会でも取り沙汰されました。
DD911に話を戻しますと、塗装はクリームがかった白とピンクかがった赤という当時としては派手な塗装で、運用は830レ(福知山4時44分→京都7時17分)→811レ(京都9時38分→福知山11時54分→門司5時11分)の京都~福知山間、→福知山線734レ(福知山12時24分→大阪16時2分)→731レ(大阪17時5分→福知山20時40分)であったと思います。
私は811レで撮影したことが多かったですが、米手作市様は機関車の向きと光線状態から、830レを撮影されたのではないかと思います。
古い記憶を頼りに書きましたので、記憶違いがあるかも知れませんが、こんなもんかと思います。