無軌条単端機械式内燃動車が走る五新線

 トロリーバスを無軌条電車というが、ボンネット乗合自動車は無軌条単端機械式内燃動車といっても不思議ではない。その無軌条単端機械式内燃動車が走るのにふさわし所を走った。それはかつて奈良県五条駅から和歌山県新宮駅まで鉄道建設を計画して途中まで建設されたところをバス専用道とした所である。専用道として走るのは県立五條病院をR168号を少し南に行ったところからである。それまでは普通の道路を走る。これが無軌条であるために出来る芸当である。

 実はこの無軌条単端機械式内燃動車には乗っていないのである。これは奈良交通奈良営業所が企画したバスツアーで定員が26名で、午前と午後の1日に2回運行され、五条から城戸を往復するものでる。ラジオ番組で紹介されていたので早い時期に全便満席となったようである。ということで、専用道定期便で撮影できるところに行くことにする。撮影場所は事前に地図や動画サイトにある城戸までの前面展望の映像を参考にして賀名生(あのう)に決めた。無軌条単端機械式内燃動車が賀名生を通過するまでは定期便で城戸まで行って再び賀名生に戻っても十分に時間がある。とりあえず城戸まで行くことにする。

城戸-05

広々とした専用道城戸停留所。鉄道の駅であればどのようになっていたのであろうか。

 国道168号線にも専用道と並行してバスが走っている。ここを走る八木・新宮間の特急バスは日本最長路線バスである。この特急バス以外に十津川温泉止めのバスもあるのでうまく利用すれば結構楽しむことができる。うまい具合に専用道経由の五條方面行きがあったので、これで賀名生まで戻ることにする。少し時間があるので城戸周辺で写真を撮る。まず国道168号線の方へ行く。南に延びる建設途中になった高架下の道を下る。左へ行くと西吉野温泉へ、そして右側は国道168号線から十津川へとつながる。

城戸-01

城戸から先は阪本までさらに南へ一部建設された。バスは城戸まであるが専用道西吉野温泉行は右側の道を下っていき、左折して西吉野温泉に行く。

 国道168号線から五新線高架橋を見る。この国道は交通量が多い。以前に、この国道168号線を家族旅行で新宮まで走ったことがある。今も離合困難なところがあるが、当時は道が狭いところが多く、離合困難なところも多い。前方から車が来れば離合できるところで待っていなければならない。鉄道でいえば信号所であるが、信号もないので運転手が対向して走ってくる車を確認すれば離れていても信号所で停止をして待っている。ところが、都会からやっている観光客の運転する車は鉢合わせするまで突っ込んでくる。大体鉢合わせするところは離合が厄介ところが多く、そして相手が離合がうまくできないと本当に往生しまっせ。奈良の教習所では路上教習で街中でも離合できないような道を選んで教習が行われる。奈良では離合困難場所のある道を運転できることが必須なのである。最近はこの道路もバイパスができて走りやすくなったようだ。そういう話を五條方面行きのバスが来るまで村の古老とする。

城戸-02

丹生川を渡る五新線の橋梁。この橋梁の下で西吉野から流れてくる丹生川と南から流れてくる宗川が合流する。左は国道168号線でこのあたりはまだ走りやすい。国道の横の川は宗川。

 まだ、少し時間があるので五新線高架橋の方へ行く。ご覧のように役場職員の駐車場になっていて、この先はトンネルである。看板には西吉野村となっているが今は五條市西吉野町である。

城戸-03

役場職員の駐車場となっているが、今は使用されているのであろうか。

 専用道を走る五條方面行きに乗る。廃止間近なのか乗客が多い。

城戸-04

小型の低床バスは乗りやすい。

 来る時もそうであったが、トンネルの中はどうも恐ろしい感じがする。トンネル内の照明がないのでヘッドライトの明かりだけが頼りである。トンネル天井から漏水があり、路面に水たまりがある。バスはゆっくりと走るしかない。鉄道であった所が道路となったのは奈良にところどころある。その一つとして、山の上を走る電車で有名であった信貴山電鉄(その後信貴山急行電鉄)で今は信貴生駒スカイラインの一部になっている。一か所あるトンネルも当時のままである。この鉄道は単線でなく、複線であったのが道路として活用しやすかったようだ。

 専用道賀名生で下車をする。奈良県人がバスによく乗る場合の必須アイテムIC乗車券「CA-CA(シーカ)」でピィとして降りる。CI-CAが使えるということはICOCAもPiTaPaも使える。それ以外のIC乗車券は使えない。このような山間部のバスでもIC乗車券が使えるのはうれしい。しかし、そのような努力にかかわらず、バスの利用客は次第に減っている。10月から奈良県東部、中南部のバス運行が再編され、この中に専用道を走る路線も含まれている。この路線は専用道の老朽化閉鎖により廃止される。乗ってみると閉鎖される理由がよくわかる。再編後は国道経由となり便数は維持される。さて、IC乗車券がバスで使えるのに五条までのJR線では高田から和歌山の区間では使えない。五条駅ではすでに販売終了したオレンジカードで切符が買える自動販売機が並んでいた。どこかチグハグな感じがする。そういえば五条駅前にあったタイムズ駐車場はICOCAで支払ができるようになっている。今度、五条に行くときはどうしようかと迷ってしまう。

賀名生-08

道幅がバス1台分でいっぱいであることがわかる。

 バスはトンネルの中へ消えていった。まだ、無軌条単端機械式内燃動車が来るまで時間が1時間以上ある。さて、停留所周辺をブラブラと撮影場所を探す。丹生川にかかる橋とトンネルそして重要文化財堀家住宅が展望できるところがあるが、草が生い茂っていて撮影しにくい。丹生川の河原に下りてみる。ここもちょっと具合が悪い。最終的には国道168号線に通じている橋の上にすることにした。すでに撮影の先客がおられた。話を聞くと、無軌条単端機械式内燃動車が走るのは今回が初めてではないとのことであった。“昨日までは天気が悪く心配したが、今日は天気が良くよかったですね”と話をしてわかれた。まだ十分に時間があるので重要文化財堀家住宅や歴史民俗資料館あたりに行ってみる。この重要文化財堀家住宅のところが後醍醐天皇の行宮といわれているところである。冠木門には天誅組志士吉村寅太郎の筆による扁額が掲げられている。(ただし、これはレプリカで本物は歴史民俗資料館に展示)

賀名生-09

茅葺の屋根に苔があるのが時代を感じる。

賀名生は南北朝、幕末と激動の時代の舞台となった所であるが、今は静かな山里である。

 間もなく無軌条単端機械式内燃動車がやってくる時間である。ポジションを決めて待っているのであるが、列車の写真と異なり時間がよくわからない。しかも、ツアーの臨時便であるから五条駅を出発する時間がわかっていたから定期便の時間から推定するしかない。トンネルを出てすぐ丹生川を渡る橋となる。いつトンネルから出てくるかわからないから、カメラを構えて待つしかないのである。構えて待っているとエンジン音が聞こえる。思っていたより大きなエンジン音であったので、間もなく来ることがわかり、少し気持ちとしては楽になったがやはり緊張する。無軌条単端機械式内燃動車がトンネルより出てきた。予定通りのショットを撮る。

賀名生-10

無軌条単端機械式内燃動車がやってきた。茅葺きの民家は重要文化財堀家住宅。ここに後醍醐天皇の行宮があった。

やはり、無軌条単端機械式内燃動車が良く似合う。橋の上で撮っていたのは私と先ほどの先客ともう一人の3名であった。さて、この無軌条単端機械式内燃動車は城戸から折り返して再び賀名生へとやってくる。賀名生停留所で撮ることにした。他の人も同じであるが互いに邪魔にならないポジションを選んで無軌条単端機械式内燃動車を待つことにする。しばらくすると、無軌条単端機械式内燃動車はトンネルの向う側から姿を現した。

 通過すると思っていたのであるが、停車して乗客が降りてきてここで撮影会となる。車掌さんは男の人で昔ながらの帽子をかぶり、黒いカバンを掛けているのが懐かしい。小学生ぐらいの男の子が車掌さんの帽子をかぶり、カバンを掛けて記念写真を撮ってもらっていた。もう一か所停車して撮影したいという要望があったので、時間を切り上げて無軌条単端機械式内燃動車は出発していった。

そして、無軌条単端機械式内燃動車はトンネルの向うへ消えていった。撮影に来ていた人は「通過すると思っていたのに」とびっくりした様子であったが、みんなニコニコした表情でそれぞれ分かれていった。無軌条単端機械式内燃動車がそのような気持ちにさせるのであろうか。

 国道を走る八木バスセンター行のバスで五条駅に行くことにする。国道は専用道となった鉄道のルートより高いところにある。国道は急な勾配を上がったり下がったりする。当然であるが専用道はそのような急勾配はない。それが鉄のレールの上を鉄のタイヤで走る汽車と舗装された道をゴムのタイヤで走る自動車の違いを改めて感じる。ふと思い出してみると廃止された神岡鉄道と並行していた国道41号線も同じような感じであった。そんなことを考えているうちに五條の町に入ってきた。(JRの駅は五条と書くが町の名前は五條である。そして奈良交通は駅の停留所を五條駅と表示していた。JRだけが五条である。別にどうでもいいことであるが。)

 五条駅で柿の葉すしの売店があったので、3種類パックを買って昼ご飯とした。話をしていた売店のおばちゃんに奈良地方紙の新聞記事を見せていただいた。新聞記事には9月末にもこのツアーがあると書かれてあった。しかし、奈良交通のHPを見ると、9月11日時点ですでに全便満席となっていた。昼ご飯を食べてから五條の町をブラブラすることにした。本陣交差点に来るとカメラを持った人が2名いる。そうだ午後の便がもう少しでやってくる。なぜ本陣というと近くにある櫻井寺に天誅組が本陣としていたからである。そして、「今頃は半七さん~チーン」で有名な「艶姿女舞衣」の主人公三勝半七の比翼塚がある。同じお寺に硬軟が同居しているのが面白い。この交差点から少し南に行ったところに重要文化財栗山邸がある。建築年代がわかっている民家で日本最古といわれているらしい。この辺りで撮ることにしたが他の自動車のことも考えて向かい側にあった古い建物の醤油屋さんあたりで撮ることにする。しばらくすると無軌条単端機械式内燃動車がやってきた。

五条-01

やはり、無軌条単端機械式内燃動車は五條の町によく似合う。

このワンショットで無軌条単端機械式内燃動車の撮影はこれにて打ち止めである。では新町通り(旧紀州街道)を五新鉄道跡までと歩くことにしょう。

 五條は吉野川の河岸段丘のところにできた町で、このあたりは三段となっている。「奈良の自然」という本によると一段目には、これから行く旧紀州街道沿いにある新町通りの街並みがあり、二段目は五条駅や今は市役所となっている五條代官所跡がある。実際に歩いてみると駅から新町通りへは急な下り坂があるので河岸段丘の斜面であることがよくわかる。三段目は水田が広がっている。ところで、吉野川は奈良県と和歌山県の県境を境として紀ノ川と名前が変わるのである。新町通りを西にどんどん歩いていくと五新線の高架橋が新町通り(旧紀州街道)をまたぐところに来る。

五条-02

アーチが美しい高架橋である。日本離れした風景である。

 アーチがきれいな高架橋である。五条駅から生子(おぶすと読む。)トンネルまでは戦時中に路盤が完成していたが工事中止となった。この写真の部分はその時に建設されたものである。

五条-03

高架橋の先がないのが寂し。

旧紀州街道を跨いで南へ伸びる五新線高架橋であるが、もはや新宮まで鉄道を建設しようとしたことを語る鉄道遺産となってしまった。

 五新鉄道が計画した五條から新宮まで紀伊山地を縦断するルートについて「西吉野村史(昭和38年発行)」「五條市史(昭和56年発行)」で調べてみた。明治以前は西熊野街道としてあった。しかし、険しい道で特に天辻峠は難所であった。現在の国道168号線の改良は明治45年に賀名生和田までが、そして大正9年に城戸まで完成している。この道の改良で大正9年ごろ小型自動車をバスとして五條城戸間が開業した。さて、五新鉄道は明治の末ごろから建設熱が高まっていた。大正9年に「五新鉄道既成同盟会」が結成され、上京して請願運動をさかんにおこなわれた。その結果、大正12年の鉄道新線計画の全国89線に五新鉄道が含まれ、この計画が議会に提出された。その後、着工時期が決まったが政治の世界に翻弄され着工時期が延びに延びていった。しかし促進運動はあきらめずに続けられ、昭和14年3月7日に盛大に五條-阪本間の起工式が行われた。ところが昭和15年ごろ、五條-生子(おぶす)間の路盤はつくられたが、戦争による資材不足により中止となる。戦後になって、昭和29年1月国鉄阪本線として再び起工式が行われた。まず、城戸までは路盤が完成し軌道敷設工事にはいるところで工事が中断された。その後については「西吉野村史(昭和38年発行」に次のように書かれてある。

「しかし昨年(昭和37年)10月城戸阪本間の第二期工事をすぐに開始することを条件に、全部が完成するまで五条城戸間は国鉄バスを走らせることに決定した。」

第50回カンヌ国際映画祭でカメラ・ドール賞(新人監督賞)を受賞した河瀬直美監督の「萌の朱雀」はこの第二期工事をからめて、話が展開していく。専用道賀名生の停留所は「恋尾」として登場する。結局、鉄道として天辻峠を越えることはできなかった。

 五新鉄道はついに幻になった。しかし、五新鉄道が計画した新宮への縦断ルートは1963年に奈良交通が奈良大仏前から新宮駅までの特急バスを運行の開始により実現する。八木バスセンターからと少し短縮されたが、現在も新宮まで日本最長の路線バスとして運行している。この特急バスは沿線住民にとっては重要な足である。このバスは八木-新宮間を通して運行しているが、地元の乗客は必要な区間のみを乗車する。このような長距離バスは地域間移動に便利がいい。途中で乗り換えなしで行くことが出来る。たとえば、特急バスで十津川村の北端の停留所長殿から南端の七色停留所まで2時間かかる。村役場はちょうどその中間点でどちらからも約1時間である。そして、十津川村南端の七色停留所から新宮駅までは1時間36分である。これで八木新宮特急バスは十津川沿いに点在して暮らしている人々にとって重要な交通機関であることがお判りいただけると思う。 考えてみれば、寝台特急日本海もそのような性格の列車ではなかったかと思う。「鉄路の北前船と六文銭の里を走る電車」で青森から直江津まで乗ってこられた乗客の人がおられたことを書いた。特急日本海がなくなってからは、このような乗客の足がなくなった。乗り換えれば行けるのであるが、乗り換えの手間を考えると利用者サービス低下となっているように思うのだが。このバス路線は再編される10月以降も減便されずに運行される。この地域の唯一の公共交通機関であるこのバス路線は沿線自治体などの支援を受けて存続されることは喜ばしい。五新鉄道は今でも違ったかたちであり続けているのである。

2 thoughts on “無軌条単端機械式内燃動車が走る五新線

  1. メールの受信爛の【新規投稿】に無軌道単端式・・・のタイトルが末尾の新線を残して入った。なになに、須磨の大人お得意の駄洒落タイトルかいな、と本文を開いたらなんと大和のくそ真面目親父の名があった。噴出して暫く笑いが止まらなかった。読むうちに坂本へ直通電車を走らせた頃に北陸本線旧線跡でこんなことがあったことを思い出した。
    向日町に転居しての友人で、北国街道柳ヶ瀬隧道の近くが出生地だと名乗るオッサンがいた。更に詳しく聞けば隧道の入口の東側を3kmばかり上った「椿阪」という集落で、高校は柳ケ瀬駅から汽車でトンネルを抜け敦賀へ通ったと言っていた。或る日、汽車が気動車になり、そして廃線になった後はどうして敦賀に出たのか聞いてみた。村中で廃線反対運動が起こりバスになったが10年ほどでまた止めた、となった。その頃から自家用車持つ世帯が増え、トンネルを村に貸すならバス廃止を認める暗黙の約束が出来たようで、今も田舎に帰った時、敦賀に出るときは利用していると言った。そこで田舎に連れて行ってくれ、トンネルを潜ってみたいといったら、坂本へ走らせた年か翌年、柿狩りに行くことになり、現地へ向った。
    この時は疋田方から入ったが、トンネルを入る前に前照灯を点滅させ、クラクションを鳴らし、応答がない上で隧道に入った。上り勾配になっており、出るホンの手前でレベルになったように思う。トンネルに入る合図なしで入っての事故は今のところないが、合図なしの方は負けでバック運転で入口まで退行するのが約束事だと言っていた。
    旧線跡は北陸道に転用されたからこんな物騒な話は今はない。

  2. 乙訓の長老様 読んで喜んでコロコンでありがとうございます。トンネルに入るのにクラクションを鳴らすことで思い出したんですが、家族旅行で岐阜県樽見の方から白川村に行った時、御母衣湖沿いの国道156号線(飛越合掌ライン 白川街道)を走っていた時、シェルターやトンネルのところは道幅が狭く、大型トラックや観光バスなどはすれ違いができないため、シェルターやトンネル内をこれらの大型車両はクラクションを鳴らし続けて走っていました。対向する大型車はシェルターやトンネルのない道幅の広いところで待避していました。カーブが多く、大型車は大回りしないといけないかもしれません。山間部の道はとにかくすごく恐ろしいですが、運転していると結構面白いものです。信州の山奥もなかなか良かったです。こんな変なところをよく家族旅行で行っていました。

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