東急電鉄デト3014、3015に寄せて

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秋田中央交通デワ3001+ナハフ20+ワム+トラ/昭和43年9月1日 八郎潟

「昭和の電車」は、「小田急デト1」に続き「東急デト3014」が登場した。
今回のデト3014、3015について知る範囲で書いてみた。

デト3010形は東急の前身目黒蒲田電鉄のデト1~3、(1、2/大正11年、3/大正13年汽車会社)、東京横浜電鐵デト4、5(大正15年藤永田造船所)で経歴は下記の通りである。

説明の都合上同時期に製作されたデワ3000形(3001/大正13年汽車会社、3002/大正15年藤永田造船所)の経歴も記載する。

新製時の車号     東急発足時の改番 (S17.5)  その後の経過

目蒲デト1→モト1    →デト3011 → (22.6)江ノ島電鉄2 → 45年3月廃車

目蒲デト2→モト2    →デト3012 → (24) 江ノ島電鉄(入籍せず)

目蒲デト3→モト3    →デト3013 → (28.4)デワ3002(2代目)→(28.7)秋田中央交通デワ3002 → 42年廃車

東横デト4→モト4→モワ3→デワ3003 → (27.10)長岡鉄道デハ101→(35.8)秋田中央交通デワ3003 → 44年廃車

東横デト5→モト5    →デト3014 → (31.10)デト3015と固定編成化、元住吉工場入換車 → 45年廃車(イラストの通り)

東横デト6→モト6    →デト3015 → デト3014と同じ

目蒲デワ1→モワ1    →デワ3001 → 38年廃車

東横デワ2→モワ2    →デワ3002 → (26.12)秋田中央交通デワ3002→(28.7)デワ3001 → 44年廃車

当初6両新製されたが、昭和7年にデト4→モト4が有蓋電動貨車モワ3に改造された。

東急発足時の改番でモワ3003となり、27年長岡鉄道(→越後交通長岡線)に譲渡されモハ101に、更に仲間のいる秋田中央交通に譲渡され、東急時代のデワ3003に改番、同鉄道が44年7月10日廃止されるまで主力として活躍した。

【41-9-5/八郎潟】
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デト3011と3012は江ノ島電鉄に譲渡されたが、デト3012は使用されることなく解体された。
【45-3-11/極楽寺】
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デト3013は28年4月有蓋電動貨車デワ3002〈2代目〉に改造され、同年7月秋田中央交通に譲渡、同社のデワ3002となったが、廃止前の42年に廃車になった。

本題のデワ3014、3015は27年10月1日に実施された600V→1500V昇圧時に昇圧改造され、永久連結化して元住吉工場の入換車となり、45年に廃車になった。

デワ3001は、他社に譲渡されることなく38年に廃車になった。

デワ3002は、26年に秋田中央交通に譲渡され、同一車号で使用されていたが、2代目デワ3002入線時にデワ3001に改番され、44年7月10日の廃止時まで在籍した。
【上 41-9-5/五城目  下 43-9-1/八郎潟】
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秋田中央交通
デワ3000形の譲渡先である秋田中央交通について触れておく。

官設奥羽線は当初五城目町を経由する予定であったが、地域住民の反対により一日市村を経由することになり、この場所に五城目駅を開設した。
五城目町民は鉄道の重要性を痛感し、市街地と奥羽線五城目駅を結ぶ鉄道を熱望し、大正10年1月15日五城目軌道㈱が設立され、翌11年4月21日、奥羽線五城目駅と五城目町の中心部に設けられた東五城目駅間3.8キロを開業した。

開業当初はガソリン機関車が客車、貨車を牽引したが、性能低下により大正15年3月蒸気機関車に変更された。

大正15年11月1日奥羽線五城目駅が、実態に即した「一日市」に変更されると、昭和2年1月1日東五城目駅を「五城目」に改称した。

その後「一日市」は昭和40年6月1日「八郎潟」に改称された。

戦時中、国策による企業統合で周辺のバス会社を合併して昭和18年6月26日社名を秋田中央交通に変更した。

戦後の石炭価格高騰により電化工事(直流600V)が実施され、昭和25年1月20日より南海電鉄より譲り受けたED401(元国鉄ED404目/大正9年大宮工場製)による運行が開始されたが、車体が重く牽引力が強すぎることによる脱線事故がしばしば起きるため、昭和27年1月東急から譲り受けたデワ3001、3002と交代して廃車になった。

昭和30年代の後半になると自社のバスが1時間に2~3本秋田市内まで直通運行され、通学生以外の乗客は必然的にそちらに移ってしまい、昭和44年7月10日付で廃止になった。

そのパスも現在では、マイカーの増加、沿線人口の減少に加え、道路混雑による定時運行の阻害等の悪条件が重なり1~2時間に1本程度までに減便されている。

秋田中央交通は、秋田県中央部で盛業中で、小田急バスと共同運行で新宿~秋田間の夜行高速バス「フローラ号」を運行している。

秋田市が交通事業から撤退したため、秋田市交通局の路線と車両を譲り受けた。

車両
廃止時に在籍していた電動貨車以外の車両を紹介する。

電気機関車
EB111
昭和42年越後交通から譲り受けた。昭和27年日本鉄道自動車製で一見D型機に見えるが動輪は内側の車輪のみである。

44年に鉄道自体が廃止されたため僅か2年の活躍であった。
廃止後、五城目小学校で後述のナハフ20と共に保存されたが、雨曝による状態悪化により解体された。
写真が見当たらないので越後交通時代を掲載する。
【40-3-25/西長岡】
EB111 40-3-25

客車
ナハフ10、ナハフ20
昭和24年国鉄よりキハ41000形を譲受け、客車に改造した。入線時は窓ガラスが板張りの部分がある等相当荒廃していたようであるが、新潟鐵工所で整備の上使用した。

経歴は下記の通りである。

キハ41059(昭和8年川崎車輌)→ナハフ10

キハ41085(昭和9年大井工場)→ナハフ20

【ナハフ20 43-9-1/八郎潟】
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【ナハフ10 41-9-5/八郎潟】
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その他
前述の通り、五城目~八郎潟間3.8kmと短く、途中2箇所棒線の停留所があり、車庫は五城目にあった。(駅順は五城目~高校前~川崎~八郎潟)

所要時間は11分で、43年10月号の時刻表では、五城目初発6時18分から八郎潟終発20時22分まで13往復運行されていた。

線路の大部分は県道の北側に敷設され軌道法が適用されていた。

現役時代、昭和41年9月と43年9月に訪れたが、いずれも八郎潟~五城目間を往復しただけで沿線での走行写真は撮影していない。
電動貨車が牽く列車は、TR26型台車特有の揺れと共に不思議な乗り心地であったことが印象に残っている。

バス
20年前の平成6年8月27日に、臨海営業所と秋田駅前で通りすがりに撮影したことがあり、参考までに掲載する。
一般路線車
【秋22あ 963/55年式K-RL321】
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【秋22あ 963/55年式K-ECM430(車体は北村製作所)】
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【秋22あ1101/56年式K-ECM430(車体は北村製作所)】
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【秋22あ1569/61年式P-RJ172BA】
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【秋田22か 147/2年式P-LR312J】
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【秋田22か 148/2年式P-RJ172CA】
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【秋田22か 337/57年式K-CJM500(元小田急バス)】
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【秋田22か 515/58年式K-CJM500(元小田急バス)】
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空港バス
秋田市交通局と共同運行で塗装も同一であった。
【秋22あ1250/58年式K-CSA580】
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貸切車
【秋22あ1320/59年式P-RU638AA】
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【秋22あ1506/61年式P-RU638AA】
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【秋田22か 505/4年式Ù-RU2TAB】
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高速バス「フローラ号」(小田急バス)
【品川22か5096/5年式U-MS821P】
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