家山駅前で菓子パン2ケと自販機で飲物を調達して、気になっていた豆デジカメの首尾を点検したら2発共に失敗であった。本日やり直しは不可能である。13:30発で金谷に戻る。交換した下り列車は元南海21003・4の2連だが外部塗装はボロボロだ。乗ったのは元吉野特急の16001、まだ荒れ果てた姿とはなっていない。この日、本線上では元吉野が2本稼動しており新金谷庫外に1本、更に庫内にピカピカが1本、計4本。1本増えているが、これが元南海の1本を追放するのであろう。当線は1日4本で運用可能。予備、全検用を各1本とすれば6本あればOKとなる。元近鉄名古屋線特急は姿を消しており、そのうち元女王様も退位の宣告を受け、全て吉野特急になる日が近いのではないかと思う……。仁蓮上人の笑顔が浮かび上って来る。その時は腰が痛いとぼやかずに「川根温泉」で治療に当られたし。
金谷14:09発興津行きで東行、211系である。静岡で14:54発熱海行きに乗り換え。今度は313系となる。吉原で下車、岳南鉄道である。先ずトイレへ。年を取るとトイレが眼に入るとあれこれ考えずに直行する。外は本降りとなっている。せいせいしたところで出札口へ。終点、往復」といったら、硬券と600円が返ってきた。片道350円なのにと思いながら硬券に目をやると全線1日フリー乗車券とある。出札のオバサンに聞けば土・日・祝日のみ通用で400円なのだそうだ。これはお得な乗車券である。
そして差し出されたコピー、「機関車まつり」とある。SLでなくELである。開催日は12月12日(土)、午前9時30分~15時、会場:比奈駅、催し物【一部を紹介する】比奈駅:機関車乗車体験(会費1,000円)、吉原~比奈間:機関車重連(ED403+ED402)運転、下り吉原発9:38→比奈9:54、機関車プッシュプル運転(ED403・中間に貨車・ED402)上り比奈発13:03→吉原13:19着、下り吉原発14:04→比奈14:21着。詳しくは電話0545‐33‐0510に問い合わせのこと。哲男君、君が紹介した梓川上流のダム建設工事で活躍した“ELまつり”ですぞ!そして比奈駅12:57には7000系、8000系の電車に加えED501、ED403、ED402を並べて撮影会をするとの耳寄りな話!さあ、京王電鉄で飯を食わせてもらった準特急もお出ましか!
お釣りの600円に30円加えてNゲージ1107形を購入する。孫へのお土産の追加である。15:50発7003号で江尾に向かう。保線状態は誠によい。大井川も少しは力を入れて欲しい。上下分離方式で中部電力に相談を持ち掛けるとどうなるだろうか? ジャトコ前なる駅がある。何時改名したのか、前名は何か思い出せない。7001号入線直後以来の訪問だが、その時はどうだったのかな? あの時は7001号と青蛙の走行音に聞き耳を立てていたので駅名などかまっていなかった。
比奈にはED501が留置されている。今も入換担当なのだろう。構外には元小田急の達磨さんが3両放置されたままである。この辺りには“アパッチ軍団”は出没しないようだ。富士岡の車庫には7002号とED402、403が建屋内に、ED291は屋外留置線にある。今も入換に使っているのか気になる。いずれ哲男君から当電鉄の薀蓄が披露されるであろう。
乗降客は途中入れ替わりあって延べ23人。神谷で吉原から一緒だった22人目のご婦人が下車、後は23人目の老人一人で終点到着。8000系2連が留置されていた。朝のどの列車に充当されるのだろうか、聞き洩らした。雨の中、頭上を新幹線が唸りを立て走り去る。近くに閑静な住宅街があるが、どちらが先住民なのか気になる。運転手君が戻ってきた。一日乗車券を見せたら「どうも恐縮です」と会釈されてしまった。老人の貸し切りとなったのは須津(すど)迄で、それからボツボツ乗降する人が増える。前回乗った時は外国からの出稼者が目立ったが、今回は殆ど見当たらない。これは東海道線でも同じ傾向で、現在の日本を象徴する光景なのである。吉原着で降車客を数えたら40人を超えていた。
吉原16:54発、三島17:17着。静岡からは313系2500番代ロングシート車で、本日2回目の乗車であった。始めに立てた計画では19時過ぎに三島到着だったのだが、大井川で最悪の女王様のお成りに加え雨のため完全な乗り鉄になってしまい、つまらん東海道中になってしまった。また良いこともあろうと、期待している老人である。(2009.12.08.記)
長老様に対し奉り、畏れながら申し上げます。
タイトルが変では?
「続・東海道あれこれ①」ではなく「東海道あれこれ②」ではないのでしょうか?
でなければ、次は「続続・東海道・・・」となりますが。
ご心配いただき恐縮しております。足腰は相当呆けておりますが、頭の方はまだ当分大丈夫だと、盆明けの検査で脳神経外科の医師に見立てていただきました。今回は続〃、東海道…①で一括りとなります。三夜、90分キィを叩けば老人でもこれだけのものが投稿出来るぞ!みんなパフォーマンスに感心しているだけではなく、身近な話をクラブメイトに語ろうよ、と言った提案なのです。みなさん、気軽にペンでなくキィを叩きましょう!
畏れ入りました!
そこまで熟慮されてのこととは神ならぬ身、知る由もございません。
身の程知らずの忠告をしましたことをおゆるしください。
許されるなら写真も付けていただけるとより楽しさが増します。
大井川は沖中さん先導で行ったことを思い出します。女王が「あんたまた来たんか」と言いながら快晴の茶畑を走って来たのももう5~6年前ですか。
準特急12月7日、年賀状用に富士をバックにした新幹線の撮影目的で有名撮影地に出没。時刻表の表紙などでよく見るこの場所は撮りつくされた感があるが、近くなくなる500系がお目当て。平日でも2~30人居る。500系の撮影前後には岳南鉄道終点岳南江尾や富士岡車庫によく立ち寄る。この日は8001+8101と7001が運用に入り、それをキャッチ後は伊豆箱根に向かった。ところで昔ここに来た時は1400,1600、1900ばかりで一部日車標準車体がいましたが、小田急の達磨て何ですか。
大井川へ行った時は逗子の旦那、元祖特派員に加え土建屋の番頭も一緒ではなかったでしょうか、吉川屋旅館の在庫ビールを全部浚えたのではなかったかな。3年前に泊まった時、奥さんが「未婚の娘は病弱だから店を閉めようと思っている、電車の話を聞かせてもらうのも最後かも…」今回、電話したら娘さんに「廃業しました、母は今、新潟の弟の所へ行っています。電話があったこと伝えておきます。」
達磨さんとは足をもがれた車体のことで、鉄の間では廃車体の場合を指している様です。「デ元青」では大人の京阪守口車庫でのもの、哲男君の和歌山・伊太祈曽車庫の300号などが記憶に残っています。箕面の住人で、こうした達磨さん考現学を展開した鉄が居りますが、詳しくは大人にお問い合わせ下さい。
小田急の達磨とは、1400が1体、1600か1900が2体、線路脇に15年以上ぼろぼろの姿で安置されています。それのことです。
恐れ入りました。と言うより毎度の知識の無さを暴露したようで恥ずかしい思いがします。
そういう意味なら昔阪急の西宮北口の車庫にも結構達磨が居りましたし、中小私鉄の車庫でも結構見たような気がします。皆それぞれ曰く付きの車両と思いますが、不勉強のため、見過ごしていました。達磨は高崎の弁当とばかり思っていました。
へぇ~、高崎には達磨弁当があるのですか、そいつは知らなんだ。まさか中味は蒟蒻だけというのではないでしょうな。
先日、turukameさんから駅弁の包み紙が出てきたとメールが入りました。実は老人もそれなりに所持しています。捨てるにはもったいない様な気がするのですが、米手作市さん、こんな物でも貴兄が設立願望をもっている鉄道資料館は引き取ってくれるのでしょうか。返事はいそぎません。